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黒焔獣に首根っこを掴まれたキーアは息苦しさを覚えながら力の入らない体を恨めしく思っていた。
黒焔獣は遠慮のない動きでキーアを翻弄しあちらこちらに振り回しつつも絶妙に大怪我を負わない程度の扱いでセンティーアを走り抜けていく。
それは偶然かもしれないし、あるいは人質に使うつもりでそれなりに気を使っているのかもしれないが、いずれにせよそこまで重要視はされていない。
当たり前だ。何のつもりで攫ったのかは知らないが、女、ケレブリアンにとってキーアは見知らぬ他人、何の価値もない誰かに過ぎない。利用価値がある内はそれなりに扱っても用が済めば使い捨てるだけでしかない。
それはとても腹が立つ。力ある者の傲慢が、身勝手が。弱者を容易に犠牲に出来るその精神性に身震いする程の怒りを覚える。
しかし、自分にはどうしょうもない。理不尽に対する力などどこにもなく、激流に任せて流されるしかない。
悔しさのあまり涙さえ滲ませていると、黒焔獣が足を止めた。
「音が足りねえな」
ケレブリアンの声は抑揚がない。オーケストラの指揮者が演奏の改善点を指摘する程度のニュアンスで独りごちると歌声を響かせ、またその影から何匹かの黒焔獣を呼び出し「いきな」と牧場に家畜を放つように解き放った。
「や……やめなさいよ……!」
「ああ?」
思わず声を上げるとケレブリアンはつまらなさそうにキーアの方へ目を向けた。
「死にてえらしいけどまだ用事あんだわ……おとなしく振り子みてえにぶら下がってろ……」
「何で、何でこんなことするの!?沢山人を殺して、そんなことして何の意味があるって言うの!?」
「あったまクラクラしてくるわ……バカの相手はしたくねえ……自分の命の見積もりもできてねえとか吐き気がするわ……」
「どういう意味……?」
「テメエがくっちゃべってる何かにアタシが答える義理がねえ。腹立つから殺すでいいんだから喋るだけ無駄だろ。大人しく黙ってる以上にテメエに出来る事なんか何もねえんだよ。何も出来ねえゴミなんだから」
「ゴミ……?私が……?」
「何の力もねえ雑魚以下のアレなんざゴミでしかねえだろ。そしてアタシがクソ雑魚以下の生ゴミどもをどうしようが自由だからぶっ殺してる。分かったらゴミらしく黙ってろ」
あまりにも、当然の事を説明するように言い放つものだから、そこでキーアは嫌でも理解させられた。
この女と自分は常識が違いすぎる。
確かに、キーアは魔力が使えないことを引け目に感じている。無力な自分を情けなくも思っている。それでも、戦う力が全てじゃないとキーアは思うのだ。
この世界には多くの人がいて、それぞれにそれぞれの生き方をして誰かのために誰かの支えとなって、戦う力などなくても一生懸命に生きている。
レンレセル出立前に友人であるイーチガを泊めた日のことを思い出す。
彼女は相談がしたいと言った。学部を出た後の進路についての話だった。
『私、お店が開きたいんだ。小さなパン屋さん……子供みたいかな?』
そんな事はない、いいと思うよ。そう返すと嬉しそうに笑いキーアの手を取った。暖かい手だった。
『もしよかったらさ。キーアも手伝ってくれないかな?キーアは料理上手だし、パンを焼くのも上手いし。一緒にやってくれると凄い嬉しい』
言葉に詰まった。困るとか、無理だとかの理由ではない。自分が必要とされている事が嬉しくて信じられなかったからだ。
魔力の使えない自分がレンレセルで生きていく事なんて難しいと思っていた。
でも、誰かに必要としてもらえるならこんなに嬉しいことはない。自分に何か出来る事があるなら、尚更だった。
私はゴミなんかじゃない。私を必要としてくれている人達も、同じように力のない人達も、決して何の価値もないゴミなんかじゃない。
怒りがキーアの目を覚ます。この女に目に物見せなければならない。
押し黙り、しかし腹の中に煮えたぎるものを隠しながらキーアはケレブリアンを爛々とした目で睨んでいた。




