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おうちに帰るミソロジー  作者: かわのながれ
レンレセルから
34/189

34

西舷梯駅の消滅から未だ人々は混乱したまま悲鳴を響き渡らせ何処へと行くあてもないまま逃げ惑っていた。


そんな中でカフェのテラス席に陣取り優雅な一時を過ごす二人組がいた。一人は仕立てのいい黒いスーツに赤地の入った黒いネクタイ、ブラウンのベストと白いYシャツを着た黒髪をワックスでオールバックにした男。長い足を黒いスラックスで覆い、これもよく磨かれて近付けば顔さえ写し込みそうな革靴を履いている。一見すればどこぞの商社の営業マンだが、その彫りの深い顔には額から左目を経由し口元をなぞって顎にまで達する大きな裂傷の痕がある。その強面に、今は穏やかな微笑みさえ浮かべていた。


もう一人は乳白色のカーディガンにリネンのスカート、赤いパンプスを履いた長い茶髪の少女である。幼いながら表情が薄く、小さな唇に引かれたルージュが白い顔に映えて大人びたようにも見える。良いところのお嬢さんといった風情だが、石膏像にも似た冷たさを感じるせいかとっつきにくさを全身から醸し出していた。


明らかにおかしな二人組みである。組み合わせもおかしければ、この状況下で平然としている神経もおかしい。そしてそんなおかしな二人だからなされる会話もまたおかしなものだった。


「輝翼鳥の核が潰されたようです」


目を伏せたまま少女が呟く。それを受けて男はほう、と感心したように口を開いた。


「何という手際だ。早過ぎる。魔術院はこれを予見していたのか?」


「していたとは思えません」


「だろうな。我々も想定外だったのだから」


「ティータイムが台無しです。やはりあの女に任せたのは間違いだったのでは?」


ちらりと目をやった表通りは甲高い悲鳴を上げたり言い争うので忙しく、不愉快な部類の喧騒で満ちていた。


少女の手元にあるティーカップの琥珀色をしたお茶もこれでは満足に味わえない。


そういった不満を顔に出す少女に男はうっすらと口角をあげて首を横に振った。


「レディ。口汚い言葉は使うべきではない。彼女にはケレブリアンという名前がある」


「……ケレブリアンに任せたのは間違いだったのでは?」


「少し自由にさせすぎたのは認めよう」


「では……」


「だが、今しばらくは放置しておく。実験はまだ終わっていない。むしろ今からが本番だ。輝翼鳥はどうなっている?」


「問題ありません。再生を開始しています」


「よろしい。ではケレブリアンに時間稼ぎをお願いしよう」


「はい。申し伝えます」


少女が俯いた。赤いパンプスの爪先が砂浜に絵を描くように踊る。その足先は青と黒に染まって複雑な紋様を描くと足元の影が炎のように揺らめいた。


時を同じくして女ーーケレブリアンの足元でも影が揺らめいた。何かを伝えるように波打つ影へ嫌悪感を隠すことはしなかった。不愉快そうに眉間にシワを寄せるとつばを吐き捨てた。


「いちいちうるせえクソどもだな……マジで死ねばいい……何様だ、カスの分際で……」


額に手をやり病的にブツブツと口走るその鼻先にヴァッシュが杖を突き付けた。


「霊素獣はいなくなったぞ。おとなしくしてもらおうか」


「ああ?」


濁った瞳が髪の間からヴァッシュの顔を睨みつける。それは追い詰められた者の様子ではなかった。


「調子くれてんじゃねえぞハエどもが……」


「下らん問答をする気はない。拘束してから、しかるべき場所で詳しい話は聞かせてもらう」


「女を口説くんならもう少し気の利いた台詞を用意しな、朴念仁」


ケレブリアンの足元に落ちた影が水面を割るように膨れ上がる。影を払って黒い狼のような獣が姿を表しその背中にケレブリアンがまるで遠征に出向く王のように跨っていた。


ヴァッシュの動きは早かった。即座に杖が一線を引くと魔力弾が発射された。


その威力はその霊素獣、黒焔獣を容易に殺害するものだったが、その存在領域はヴァッシュの魔力弾を掻き消してしまった。


「…………!?」


異常な事態に一瞬、判断が遅れた。黒焔獣はその隙をついてしなやかに跳躍すると建物の屋上に陣取り地上を睥睨する。


「じゃあオーケストラの一幕目も終わったことだし、次行くか。コンマスとして盛り上げねえとなぁ?」


ケレブリアンの笑みは心底楽しそうで、だからこそ凄絶な悪魔のような形相だった。そしてその悪魔のような女が口を開くと美しい音色が響き渡り、黒焔獣の足元から次から次へと黒焔獣がまるで池にたまるボウフラのように湧き出てきた。


無数の黒焔獣は飛び降りると未だ動けずにいる人々を咥えて散らばっていく。同時に、三体の黒焔獣がヴァッシュに襲いかかる。


「しまった……!」


ケレブリアンの黒焔獣もまた地上に降りるとこれみよがしにヴァッシュの横をすり抜け、未だ腰を抜かして立てずにいるキーアの首根っこを掴まえさらっていった。


「キーア!」


「……スオ……!」


朦朧とした様子のキーアが手を伸ばす。しかしみるみるうちに遠ざかっていってしまった。


「あっちゃあ、やられた。追うしかないな」


「当たり前だ……!」


言うが早いかスオは立ち上がると駆け出した。


一方、ヴァッシュは何とか三体の黒焔獣を退けると自失状態のまま項垂れるヒッツの髪を掴み上向けさせた。


その目は生気を失い、まるで死人のようだ。


「いつまで腑抜けている。さっさと立ち上がれ。戦団員として働け」


「……俺に、何が出来るんですか。みすみす目の前でサガームを死なせて何も出来なかった俺に」


「お前の仕事はお前よりも無力な無辜の民を守ることだ」


「……」


それは正しい道理だったが、ヒッツには届かないようだった。義務感で出来ることなどたかが知れている。ましてや、己の無力を思い知らされた後では尚更だった。


「心が折れたか。友人を殺されたのなら怒りがあるだろう。それを理由にしろ。復讐を志せ。仇を取れ。許せないと心に火をくべろ。燃え尽きるまで止まるな。あるべきものが奪われた事実で身を焦がせ!」


その言葉にどれ程の力があったのか、ヒッツの目が徐々に光を取り戻しーーそして暗くなっていった。暗く、湿った炎が渦巻いている。怒りが死んだ顔をしていたヒッツに活力を与えていた。


「分かりました……。あの女は俺が殺します」


夜の海の、更に底深く沈殿したものが重く淀んだとぐろを巻いてじわじわと周囲に染み渡っていくような鎮痛な声だった。それでいて確固たる意志をうかがわせる悲痛な声だった。


「それでいい。あの女を追え。黒焔獣どもは俺が何とかする」


決して芳しくないそのヒッツの様子にそれでもヴァッシュは良しと背中を叩く。まるでいつか見たものを正しかったと言い張るように。


「……ありがとうございます」


「いけ」


こくりと頷くとヒッツは立ち上がり、走り出した。


それを見送ると、ヴァッシュはため息を漏らして掌握空間を広げるべく術式を展開し始めた。

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