31・第一の獣
そしてセンティーアを出る日がやって来た。
にも、関わらずキーア、スオにアレクトの二人と一匹は街を散策していた。まだ時間はあるということで軽く散歩でもしようとキーアが言い出したのだ。
センティーアの中心部ともなると人出は多く賑わっている。老若男女がそれぞれの目的地に向けてぞろぞろと歩いていた。
人出は車も目立った。センティーアの道は歩道と車道に別けられ少なくない数の車が往来を行き交っている。
この二日でキーアはまるで地元のように振る舞い、いくつかの店では馴染みの客のように店員と笑顔で会話をしていた。
おまけといってあれこれ貰うものだからキーアだけでなくスオまで両手一杯に荷物を抱える羽目になっていた。
「センティーアって凄いよね、色んなものがあって目移りしちゃう」
「……いつの間にこんな馴染んだんだ?行く先々でおまけしてもらって」
「色んな所で少しお話してただけだよ。皆優しいよね」
屈託のない笑顔を浮かべる様子にスオの気持ちも安らいだ。
元々キーアは愛想の良い娘である。さもなければ魔術師の国で鬱屈に沈んだ生き方しか出来なかったが、生来のものか友人達のおかげか、あるいはカウツやスオのおかげかもしれない。とにかく人好きのする性格に育ってくれた。
どこに行ってもやって行けるだろう。これは生半可に魔術が使えることなどよりよっぽど重要な資質だ。
……あるいは、カウツはキーアがこう育ったからこそ外に出ることを許可したのかもしれない。だとしたら、問題があるのはキーアより、よっぽど自分の方なのかもしれない。そうスオには思えた。
勝手に自己嫌悪に陥るスオを他所に機嫌良く歩くキーアの目にどこかで見たような二人の姿があった。
妙に深刻そうに顔を曇らせているが、それはサガームとヒッツの二人だった。
「こんにちは。先日はありがとうございました」
「ああ、君たちは……」
朗らかに話しかけるキーアと違って二人の顔は暗い。明らかに何かあった様子だった。
ケラケラとキーアの頭の上から笑い声がした。
「戦団の魔術師がそんな暗い顔をして、民衆を不安がらせるぞ。まったく情けないな!」
「アレクト!失礼でしょ!」
「ああ、いやうん。その通りだ。すまないな」
「いえいえ、ごめんなさい……!もう、アレクト、あんたも謝りなさい!」
「うむ、ほぼ初対面に対して失礼だったな!メンゴ!で、何があったね。下着ドロでも出たのかね」
「それだったらまだ良かったんだがね……」
「……あの、まさかユガさんの身に何か」
スオが恐る恐ると聞くが、いや、と否定された。
「そうじゃない。ユガさんは安静にしているよ……そうじゃなくてね、君たち、確かキレイに行くつもりだったね」
「ええ、まあ、はい。そうですが」
「便が運行中止になるかもしれない」
「え、ええ……!?」
「な、何でです?」
驚き戸惑う二人に対してアレクトはふむ、と鼻を鳴らして顎をさすった。
「霊素獣か」
それはひどくさっぱりとしていて、予期していたものが起きた、といった口調だった。
「……よく分かったな、何で分かった?」
鼻をならす。
「先日の霊素獣の群れが大行進していたが、まあまあない光景だからな。霊素獣は霊素を餌とする。故に霊素の濃い場所に居つくし捕食するのも霊素の多い霊素獣だ。先日のあれは強い霊素獣も弱い霊素獣もいっしょくたになっていた。捕食者と一緒に行動する被捕食者がいるわけない」
はっ、とした。スオも霊素獣の生態くらいは知っている。先日の光景は言ってしまえば蛇と蛙が一緒に行動していたようなものだ。あまりにも不自然だった。
「にもかかわらずまとめて動いていた、ということはそれ以上の存在から逃げていたから、としか考えられない」
つらつらと語るウサギにポカンとした顔を浮かべるが、直ぐ様我に返り首肯した。
「その通りだ。西の森に極めて強力な霊素獣の存在が確認された。調査班が確認に行ったがあまりの霊素量に近付くことは危険と判断され討伐班が赴くことになったんだ」
ぶるり、と身を震わせた。先日の第四段階の霊素獣を思い出す。あれと同等か、それ以上の存在がいるかもしれないというだけで恐ろしくなってくる。
だが、幸いにも今回は当事者になることは無さそうだった。
良い方に考えよう、気付かれずに列車に乗ってて遭遇するより遥かにいい。そう考えることにした。
「じゃあ、一日か二日は列車が出ないって事ですか」
「恐らくそうなるな」
「そうですか、二人はどうされるんですか?」
「本当はレンレセルに帰る予定だったけど、念のためセンティーアに残るよ。もし何かあった時に避難誘導くらいはしないとね」
「成る程……ん?どうしたキーア」
スオの呼び掛けに肩をびくりと震わせる。
「あ、ごめん。ちょっと見覚えのある人がいて……」
恐る恐るといった様子で視線だけを動かしてその人物を示した。
ブロンズで出来た誓約の樹、力強く根差すその下に一人の女がいた。
手入れのされていないボロボロの髪。死人のごとき土気色の肌。生気のない目。
人造湖公園で見た女だった。
「あの人が、どうかしたのか?」
「ちょっとね、何かされたって訳じゃないんだけど……」
……見れば着ている服も以前見た時と変わらない。同じ服をずっと着ているのか、きちんとして見えた服装も、よれよれとしてだらしなく見える。
ブツブツとうわ言を繰り返している様子も相変わらずで非常に近付きがたいのも同様だった。
……道行く人々もその異様に怖じ気づいたように避けている。人混みの中でまるで台風の目のようだった。
「……確かに怪しげだけど、まあ、関わらなければ」
そう言った瞬間、ぐるりと女の目が動いた。その視線はスオ達をーーいや、魔術師のロングコートを捉えていた。
「くひっ」
ひきつったような笑い声がした。鶏が首を絞められたような声なのに、そこには残酷で、悪意に満ちた響きしかなかった。
「……っ」
思わず後ずさりする。背中にキーアを庇う。その視線に触れただけで爛れてしまいそうな気がしたからだ。
「あはーはーはーはーははーはははー……。もういいだろうが……アタシは飽き飽きしてんだよ……もう、一刻も早く見てえんだよぉ……」
吐く息は障気の如く、毒々しくおぞましい。そんな呼吸で紡がれる言葉に邪気のないはずもない。
良くないことが起きる。その予感がした。
その場に居る誰もが不穏な気配を察知しながら、しかし、危機感が足りなかった。
逃げるべきだった。離れるべきだった。私は危険ですよとこれだけ主張しているのだから。
だが、もう遅い。
女が体を揺らす。仰け反って細い首と脆そうな喉をさらす。
「来いよ」
短く、そして致命的な言葉がそこにあった。
カタカタと音がした。何だろうと見たスオは自分の足が震えているのに気がついた。
どさり、と何かが落ちた音がした。振り返るとキーアが両手に抱えた荷物を落としていた。そして、蒼白な顔をして膝から崩れ落ちそうになっていた。
慌てて抱き止めると、足に力が入らず二人揃って地面にしゃがみこむ形になってしまった。
「何で」
バタバタと同様にして倒れこんでいく音がする。周囲の人々がまるで糸を切られた人形のように力なく崩れ落ちていく。
救いを求めるようにサガームとヒッツを見る。
二人は倒れていなかった。だが、大量の汗を流しながらガクガクと震える足で必死に立っていて、それが精一杯のようだった。
視線は女ではなく、空に向いていた。
見てはいけない、と本能が告げた。
見なければならない、と理性が告げた。
ごくり、と喉を震わせて石のように固い首を空に向ける。
そこには光輝く何かがいた。
人智の及ばぬ神聖なものが、畏れ多くも舞い降りるなら、その翼を借りるのではないか。
そういう類いのものに思えた。
しかし、それは決して慈悲など持ち合わせてはいない。人の常識にとらわれることない、とらわれる必要のない存在だからだ。
輝く翼を持つ巨大な鷹のようなそれは、ゆっくりと舞い降りて誓約の樹に止まった。
見て、理解した。
第四種霊素獣を見た時、恐怖を感じた。これは違う。
これは死だ。
第五種霊素獣、輝翼鳥。
死がセンティーアに舞い降りた。
「ああ」
気だるげなうめき声がした。
「クッソ長かったわ。ゴミどもが。つまんねえことに付き合わせてアタシの時間を浪費させやがって。地獄を始めていいんだよな?」
誰に問いかけたものかはうかがい知れない。そして、女自身もその問いに対する答えを求めていないようだった。
右手を水平に掲げる。その指先が西を指し示した。
輝翼鳥がゆったりと何気ない様子で首をそちらに傾けた。その嘴の先に僅かな光が灯ると雀が鳴くような音と共に光が走った。
細い細い光が一瞬にしてセンティーアを駆け抜けていく。その光はセンティーアの西端、西舷梯駅にまで辿り着くと、轟音を立てた。
着弾の瞬間、光が膨張し、一瞬にして全てを吹き飛ばし蒸発させた。なおも光は膨れ上がり飲み込むようにして西舷梯駅は消滅した。
もうもうと煙が上がる。何があったのか、そこにいるもの逹には見えなかった。遠すぎたのだ。
ただ、察した。音と悲鳴が瞬く間に押し寄せる波のように届いてきたからだ。
センティーアは混乱に包まれようとしていた。すぐにでも西舷梯駅の消滅は全域に伝わるだろう。
そして理解する。
ここからセンティーアのどこにでもあの怪物は死をもたらすことが出来る。逃げ場などない、という事を。
「ああ。いい響きだ。心底たまんねえな、おい」
甘美なものに酔いしれるように身をよじらせながら女が歌う。
スオはカチカチと震える歯を止めることができず、ただ同じように震えるキーアの体を抱き締めていることしか出来なかった。
ヒッツは立っているのがやっとだった。思考は何も働かない。恐怖で埋め尽くされ死にたくないという事しか考えられずにいた。
……サガームを見る。
サガームもまた震えている。いつ壊れてもおかしくない。だというのに、この友人は足を一歩、前に踏み出していた。
「……っ」
サガームとヒッツは学部時代からの友人である。何となく一緒につるみ、何となく一緒に戦団試験を受けた。そして今も一緒に居る。
だというのに、ヒッツには今、サガームの事がまるで理解できなかった。何故、前に進めるのか。一体どんな心の強さがあればその勇気を持てるのか。
やめろ。
そう言いたかった。
心底から死んでほしくない。
思い返せば、この友人こそはヒッツにとってかけがえのない友だった。
「やめろ……」
声はサガームのものだ。絞り出したような声は無限の勇気に支えられた男の声だ。
「ああ?」
軽薄な声だった。不愉快そうにねめつける視線が殺意に満ちている。蟻を踏み潰すように人を殺す軽々しい悪意そのものだった。
「何故、こんなことをする」
「うるっせえな……やりたいからに決まってんだろうがよ……頭わりいなカスが」
「こんな、虐殺を……人殺しが何で出来るんだ!」
「オーケストラだよお」
「オーケストラ……?」
「人が死ねばさあ、どいつもこいつも悲鳴をあげんだろ?それが大量のカスどもでやればさあオーケストラじゃんか」
くつくつと笑う。肩を震わせて、楽しそうに笑顔を浮かべながら。
「最っ高のミュージックだろうが……」
悲鳴は続いている。恐怖は伝播し、波のように広がりサラウンドのように耳朶を打った。
それを美しいとは思わなかった。何の罪もない人々が害され脅かされている。許せないというその怒りが身を焦がす。その激情は内なる恐怖を焼き払おうとしていた。
「次はさあ、あのクソでっけえ水溜まりの壁をぶっ壊そうか……ばあーって水が流れてきてさあ、何でもかんでも洗い流してくれると思うとゾクゾクするわ……」
考えることはなにもしなかった。体が勝手に動いていた。
線を引く。
魔力弾が形成される。許されざるものを討つべく発射されようとしたところで、
水風船が弾けたような音がした。
ヒッツの顔に赤いものがふりかかる。あまりにも量が多いものだから、顔が真っ赤に染まっていた。
赤く染まった視界の中で、友人の姿が失われていたことに気がついた。
友人は、勇気ある友人は、その上半身を消し飛ばれて下半身しか残されていなかった。
ぐらりと力なく下半身が崩れ落ちる。
赤い血だまりに、物言わぬ友人だったものが転がっていた。
頬に爪を立てる。血が吹き出るほどにかきむしった。
声もなく、絶望に満ちた悲鳴が響いた。
女は笑っていた。さも愉快そうにーー




