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「バッカ!もうバッカ!なんであんな真似したの!?あんな危ない人に、何かされたらどうするの!?」
「いやいや、ゴメンゴメン。ついつい舌が動いちゃったよ。本当にゴメンね?」
全力で公園を離れ、足に来たのだろう街灯に抱きつくキーアの肩が上下する。
窮地を脱し、肩で息をしながら目尻に涙を浮かべるキーアの剣幕は大分真に迫っていたが、対するアレクトといえばまるで適当な調子であった。
「でも大丈夫だったよ、きっと。ワンパンでKO出来たね!」
「そんな怖いこと出来るわけないでしょ……」
「ふはははは。うん。君に出来るわけないね、いや、実のところあの娘の顔を見ておきたかったのさ」
「……何で?」
「んー。死相が浮かんでそうだったからね。ありゃあ危ないよ。顔、覚えといた方がいい」
「私が覚えてたら、向こうも覚えてそうで何かイヤなんだけど……」
とはいえ、その顔は簡単には忘れてしまうことは出来そうになかった。落ち窪んだ瞳、土気色の肌、乾いた唇。死相、アレクトの言葉は実に的を射たものだった。まるで死人のような恐ろしい顔だった。
特に目だ。虚ろであり、焦点があっていないようにも見えた。何を見ていたのか、何が見えているのか。あるいは何も見ていなかったのかもしれない。だからこそ平気で他者を害することさえしそうな気配があった。
「取り敢えず今日は宿に戻ろうか。バスにでも乗ろう」
「うっ……」
バスと聞いてたじろぐ。レンレセルでも度々使っては来たが、魔術師の国で数少ない例外と考えればこそ魔力を生成出来ず降車ボタンも押せない自分に納得できたがセンティーアという外国でみそっかすになるのは恐ろしかった。
「こちらのバスは全て運転手の魔力で賄われているから君が気にすることは何もないだろ?」
「それはそうなんだけど……」
もしも、ボタンが反応しなかったら、と思うと躊躇いさえする。レンレセルを出ても自分は駄目なんだと突き付けられるようで。
「仕方のない娘だな。では、ボタンは代わりに押そう」
「……いいよ、そんなことしないで。私が自分で押す」
出来る限り甘えたくはない。特に、こんな何でもないことで、心弱い理由で気軽にアレクトに頼りたくない。
「そうかい。じゃあバスで帰りがてらこの国の歴史についてでもレクチャーしてあげようじゃないか」
そうしてバスに乗り込む。奥側の席に座ると窓の外を眺めながら流れるようなアレクトの観光案内が始まった。
ーーセンティーアはかつて魔王大陸から逃れてきた人々ーー時に魔術師も含んだ流浪の民がたどり着いた地だと言われている。
一体何から逃れてきたのか。
魔王だね。魔王は人間を管理していたが、その支配に嫌気の差した人々がその手を逃れこの地を目指し遥々旅をして来たらしい。
ではこの地に何があったのか。
古都大陸を縦断する白鹿川か、黒庇山脈の鉱物資源か。それともセンティーアの右目か。
何故、センティーアの右目が出てくるかって?これは宗教関連の話でね。魔王大陸を出た人々は二つに別れている。すなわち方舟大陸に向かった集団と古都大陸に向かった集団だ。何故別れたのか……宗教の違いではないかと言われていてね。方舟大陸に向かった人々が自らの聖地をアークティーアと名付けたように、この地はセンティーアと名付けられた。この類似性はかつて人々がこの地を聖地としたからではないかと考察されているわけだ。
そして、センティーアに着いた人々はどうも右目を中心にした生活基盤を形成していた節がある。センティーアの北西には人が暮らしていた形跡があるのさ。次第に現在のセンティーア中心部に移行していったようだがね。
しかし、魔術師がレンレセルへその拠点を移すとセンティーアの右目は生活基盤の中心から離れていき、遂には貯水湖に改造されてしまった。
何が言いたいか分かったかな?つまり、センティーアの右目を神聖視していたのは魔術師であるかもしれない。ということだ。
ほら、見てみるがいい。あそこに見えるのは誓約の樹と呼ばれている彫刻だ。
魔術師が国を去る際に作られたと言われている。何のための誓約なのか……一言で言えば分からない。ただ、まあ、これから魔術師がいなくなるというタイミングで作られたのだから、これからは魔術師に頼ることなく自分たちで頑張っていこうね、という目的で作られたというのが一般的だね。
……色々と不確かなことがあるのはね、暗黒時代のせいだね。歴史的史料が一切合切処分されてしまっていろんな事が分からなくなってる時代だ。この時代に失われた魔術知識や技術も多いと言われている。人間はバカだからねえ。どうも視野狭窄に陥りやすく、やることが極端だ。だから簡単に何でもかんでも捨ててしまう。
暗黒時代を過ぎ去ると、レンレセルとの交流は密になっていた。交通網が整備され往き来は比較的容易になっていたようだ。こうなってくると魔術技術が流れてきて生活に染み込んでくる。従来の動力、水力や石炭などはまだまだ活躍の場があったが、支部が設立され魔術師が住み着くようになると依存度は否が応にも増していきそれが当たり前となっていった。
センティーアはレンレセル化の一途を辿っていた。しかし、この国は立地の関係から様々な国の様式を取り込みレンレセル一色には染まらず逆にその文化を送り込むようになっていった。
そう、今のレンレセルは割とセンティーアに毒されていてね。魔術師が宗教的な側面を失っていった理由の一つとされている。
それがいいことか悪いことか……一部の人々は歯噛みしているだろうさ。堕落したとね。
何にせよ、この国とレンレセルはお互いに多大な影響を受けた間柄なんだよ。
今後、レンレセルがセンティーア化していくのか、センティーアがレンレセル化していくのか……それは分からないけど君の今後を占う意味でもこの国の動向には注目した方がいいーー
一通り話し終わったアレクトの講釈を咀嚼して、キーアは口を開いた。
「でも、鎖国するんでしょ?レンレセル」
「そうだね。だが、逆に言えば鎖国している間はこの国はこの国のままだ」
「私はセンティーアで暮らしていけばいいってこと?」
「それも択の一つだよ。今すぐ決めることはない」
「……うん」
小さく頷く。そもそも、この旅はキーアの出自を確かめる旅なのだ。そうして自らの生き方を定めるための旅であり、まだ始まったばかりだった。何もかも決めつけるには早すぎた。
バス内の放送が、降りるべき場所を告げた。そっとボタンに指を這わせる。
一瞬の躊躇いの後、力を込めてボタンを押し込んだ。
バス内に軽く弾むような音が響いた。




