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宿はなるべく安いものを選んだ。路銀はカウツから結構な額を貰ってはいたが豪遊する程にはないし、するつもりもない。
そういうわけでスオとキーアの二人で一室をとった。大分おかしな生き物であるアレクトを連れていることにはさすがにいい顔をされなかったが何かあるようなら弁済をするということで手を打ってもらえた。
部屋は二人用でベッドは二つ。安宿とはいえセンティーア、狭くはあっても汚くはなかった。
倒れ込むようにキーアがベッドに横になった。漏らすため息がその疲労の程を思わせた。
「せめて外套を脱いだ方がいいよキーア。だらしのない女になりたくないならね」
母親のようなことを言うが、もっともだと外套を脱ぐ。
「お風呂にも入りたい……」
「ないよ。安宿だからね。タオルで我慢しなさい」
はあい。と答えると受付で受け取ったタオルで腕や足を拭き始めた。
慌ててアレクトを抱えてスオが部屋を飛び出した。廊下に出るとため息をつく。
「恥じらいがない……」
「思考が鈍っているんだろう。大変だったからね。これで君ら二人が飯事を始めて甘酸っぱい青春劇でも見せてくれるんならそれは楽しいんだが」
「やなこった。俺も疲れてるんだ」
「そうか、でもスオ。お前はまだ休めないぞ。これから授業のお時間です」
「……ああ。俺も聞きたいことがあるからそれは望むところだ」
「いい心がけだ。じゃあ、どうするかね、受付のとこにテーブル一式あったからそこいこか」
受付でテーブルを借り受け授業が始まった。
「さて、スオ。今日の戦いだけどどう思った?」
「レベルが違うと思った」
「その通りだ。今の君では間違いなく殺される。では、君が殺されないためにはどうしたらいいかな?」
少し考える。もしあの霊素獣と戦うことになったら。正直勝ち筋が見当たらない。それでもなお、奇跡的な条件が揃ったとして。
「魔術の火力を上げる?」
霊素獣の防御力はその存在領域の強固さにある。肉体の頑丈さもさることながら、本来人間も持つ魔術を展開できる領域に過ぎない存在領域が霊素獣においてはまるで魔術障壁の如く強力な守りと化している。
相手に効果がなければどんな好条件も意味がない。ダメージを与える事が出来るのが最低条件かとおもったのだが、
「三十点。極めて奇跡的な条件下でのみ針の穴を通すようなこれまた奇跡が起これば生き延びるかもね」
正解ではなかった。他の手を考えてみる。
「……何らかの方法で動きを止める?」
「その後、どうする」
「……逃げる」
どう考えても勝ち目がない。全うな手段で勝てないなら逃げる他ない。
半ば思考停止した発想だとスオは思ったが、アレクトはニヤニヤと笑いながら頷いた。
「五十点だね。そう。どう足掻いても勝てないから逃げる。それは間違いない。だが、奇跡的に拘束に成功しても時間はそう稼げない。あの男、ユガが拘束を試みたけどほとんど時間を稼げなかったろう?」
そういえば、と思い出す。黒い球体を自身の周囲に集めてその球体から黒い蕀のようなものを出して両腕を拘束していたが、ほんの数秒で引きちぎられていた。
仮に、スオが同じように魔術で拘束を試みても全く無意味かもしれない。
「逃げるのは正しい。方法が違う……ということは囮を使うとか、視界を塞ぐとか?」
「それだけじゃ足りないね。今の君では全霊を以て逃げねばならない。それでも逃げられるかどうか怪しい」
一つでは足りないなら、複数の魔術で対処しなければならない。だが、魔術一つ使うのさえ間に合うかどうか分からない。にも関わらず、二つも三つも魔術を使う余裕があるとは思えない。
「先に魔術を用意してから戦いに臨むしかないのでは?」
言ってはみたもののこれは酷い矛盾だった。今は遭遇した際にどうやって逃げるのかの話をしてるのに魔術を用意してからぶつかりに行くのでは理屈が合わない。だが、
「はい。正解。先に逃げるための魔術を用意する。それが今の君に出来る最善です」
意外な返答だった。
「いや、自分で言っておいてなんだけど、それは矛盾してないか?戦わないために戦う準備をするなんて」
「そりゃ、相手を見つけてから準備をして姿を晒すような真似は意味がない。要するにだ、相手や自分がいかなる状況にあろうが対応できるように常々準備しておくんだよ」
「それはーーどうやって?」
「あの黒い球体を見ただろう。あれは複数の魔術を仕込んだ物体だよ。事前に用意して簡単かつ即座に決められた魔術が発動出来るようにしていたんだ」
「あれは言語魔術で作ったんじゃなかったのか?」
「言語魔術はそこまで便利じゃない。あんなものを、即座に作り出せるなら誰も魔術図形なんて面倒なもの習わないだろ?」
「言われてみれば……」
魔術とは、意味ある形に適切な魔力を注ぐことで発動する技術であり学問である。その意味ある形は様々で学問として特に隆盛なのは図形学だ。図形学は魔術のスタンダードであり、これを、極めた者は未だかつていない。
何故なら、魔術図形は理論上あらゆる現象を引き起こすことが可能だからである。
その広範な可能性から魔術図形学は他の魔術理論よりも研究が盛んになっている。それをひっくり返すほどの利便性があるはずもなかった。
「言語魔術は簡単な魔術、あるいは他の魔術式の強化や補助に使うしか出来ない。あの戦いでは掌握領域の拡大、魔術の威力増強や範囲設定、魔術の切り替えに使っていたね」
「魔術言語学は俺も習ったけど、難しくて単位を修得するのが精一杯だった。今からでも覚えた方がいいかな?」
「覚えるにこしたことはないけど、今は優先順位が低いかな」
「今は、か。今は魔術の準備が最優先?」
「そうだ。本来は戦団に正式配属になってからの話なんだけどね」
「……それはまたーー何で?」
「第三段階霊素獣の討伐をクリアした魔術師は訓練生として基本魔術の熟練と身体能力の強化、それに基本的な戦闘技能の修得を求められる。何故なら基本が身に付かないまま小手先の技術を覚えると後々伸び悩むからだ」
どちらの方が地力がつくか、という話である。基本が疎かになっていればその上にある技術は不安定なものとなる。
「……じゃあ、俺はあまり良くないことをしようとしてるのか」
「仕方ないね。今、君に必要なのは敵を打倒する力じゃなくて生き延びる術なのだから」
「……実際、あんな化け物に遭遇することは有り得るのかな」
「あるかないかで言えばほぼないね。だけど今回がそうであったように何があるかは分からない」
第四種霊素獣。その威容を思い出す。
試験で倒した第三種霊素獣を倒すのに、スオは自ら禁じ手とした手段をとった。そうしてなおギリギリの勝利だった。
第四種霊素獣の力はその比ではなかった。もし、あんなものと他に頼るものがない時に出会ったら、果たして自分はキーアを守りきる事が出来るのだろうか?
そう思わずにはいられなかった。




