23
「やったか……!?」
息を潜めて見ていたスオの喘ぐような声がした。
「いやあ、無理だろ。あれで倒せるようなら第四種に指定されない」
アレクトの言葉は悲観的な声質を含んではいなかった。ただ物を知らない子供に現実を語るような声だった。
そしてアレクトは正しい。
煙立つ爆発跡には獣の姿があった。千切れかけた左腕、吹き飛んだ左前足、抉れた胴……生きていることが生物として不自然な程の致命傷。
しかし、霊素獣にとってこれは致命傷足り得ない。
全身を霊素の光が包み込む。瞬く間にその傷が回復していく。
「どうやったら倒せるの、あんなの……」
「さて」
震えるキーアの声にアレクトは目を伏せた。
「霊素獣を滅ぼすにはその霊核を破壊する必要がある。そこに届きうる一撃を果たして放てるかな」
その尋常ならざる怪物ぶりに、それはとても困難に思えた。スオやキーアだけではない。サガームとヒッツもまた、その人馬獣の強靭さに言葉をなくしていた。
先程の魔術は二人にとって一番の決め技、最大の一撃であった。
それが通じなかった。その事実は何か芯になっていたものがポッキリと音を立てて折れてしまった。そんな気がした。
手が、上手く力を入れられない。何をしたらいいのか、判断が難しい。ただ、戦わなくてはいけなかった。歯を食いしばる。自分を支えるものがなくても立たねばならなかった。
『お前ら、よくやった。大分消耗させられたから俺がゴリゴリ削って殺すわ。お前らは後はまた上手いこと隙を見てぶちこむ準備をしておけ。まあ、むずかしいだろうけんども』
優しい声だった。弱った心が揺さぶられる。
『あれだ。世の中には若い内には出来ないことが幾つかあって、そういう壁はえらく高く見えるもんだからしんどくなったりするけど心配すんない。お前らは同じ高みにいつか来れる。それまでは俺たちがお前らを守ってやるさ!』
ユガが加速する。砲弾のように飛び出して人馬獣へ躍りかかった。対する人馬獣は一歩、飛び退くように後退すると、手に持ったハルバードを無造作にユガへと投げつけた。
杖で一線を引く。魔力弾が飛んだ。ハルバードに衝突し爆発する。その煙の中に大きく斧を振りかぶった人馬獣がいた。ユガは攻撃を避けない。
落雷のような一撃と共に両断。しかし、そこにあったのは黒い球体、直ぐ様に人馬獣は斧を横に振るった。衝突音、横合いから飛び掛かるユガの一撃が防がれた。
「ちっ」
舌打ちと共に身を引く。追撃を逃れようとする動きはしかし、新たに産み出された投擲槍による追撃を逃れられない。再び黒い球体が身代わりになるが人馬獣の動きは素早い。一直線に駆け抜けるとそこにあった黒い球体が次々と破壊されていった。
魔力弾が飛ぶ。直撃する前に斧が弾いた。開いた腹に潜り込むようにユガが飛び込みメイスを振るう。
回復し元通りに復元した前足がまるで足下の小石を蹴るような容易さでユガを蹴りつけた。またも黒い球体に変じる。
……球体の数が少なくなってきた。ユガの姿を視界に収めた人馬獣が追撃に飛び掛かる。
斬撃を防ぐ、続く攻撃をかわす。隙を見て一撃を叩き込む。かわしきれず黒い球体が弾ける。一進一退といえば響きはいいが決め手に欠けるユガが少しずつ追い込まれていく。
一連の動きはあまりに高速、そして縦横無尽に飛び交う両者は既に目で追うのは常人には不可能に近い。サガームもヒッツも辛うじて追えてこそいるものの攻撃を挟むことは出来ずにいた。
「くっそ……何で何にも出来ないんだ、俺は……!」
「考えろ、畜生、考えろ……!このまま無様に突っ立ってるだけで良いわけがない……!」
戦場を見る。無残に荒れ果てたそこで揺蕩う黒い球体の数は見るからに減っている。必然的にユガがどこに現れ、人馬獣がどこへ行くのか限定され始めていた。
『サガーム、サガーム!分かるだろ、俺達が動きを捉えるんだとしたらその瞬間しかない!』
『分かってる、分かってるよ、やるさ!』
一線を引く。魔力弾が手の中に生じた。
そして更に幾つかの魔力図形を描く。複数の球体が現れ、魔力弾に接続されていく。
『ーー俺が止める。追撃は任せた』
黒い球体は片側に寄っていた。ユガが意図的にそうしていたのだろうというのは想像がついた。
ユガがまた、人馬獣の斬撃を受けた。球体が変じ、ユガの位置が移る。
位置は既に限定されている。どこに行くのか、大体想定された。人馬獣にも、サガームにも。
地を蹴る人馬獣の向かう先は視界にあるユガの下へ。その姿をサガームの目が捉えた。
予期された挙動に魔力が猛る。増幅器と化した魔力球が輪転し、魔力弾がその威力を限界まで上昇させる。
(これでは殺しきれない……でも、足止めくらいにはなる!)
指先から魔力の接続が絶たれる。放出の気配は様々な感情を引き起こす。恐怖、怒り、なかんずく使命感がものを言った。その魔力弾には殺しきれないと理解していながら、明瞭な殺意を滲ませ不細工で獰猛な一撃となった。
その一矢は人馬獣の意識の外をついた。何故か、既に人馬獣にとって狩る時間に入っていたからだ。手詰まりになりつつある目の前のユガ、必殺の一撃が決め手にならなかったサガームとヒッツ。既に消化試合と化していた。判断力に劣る、獣の油断であった。
高速で動く獣の頭部に魔力の光が突き刺さる。存在領域が削れていく。頭部の半分が焼け焦げた。それは本来不可能な一撃、ユガが誘導し、それに気付いた二人によって成し得た執念。
それを無駄にしようなどと誰も思わなかった。
思わぬ一撃は致命には至らなかったが人馬獣の体を揺らし、動きを止めた。ある程度回復した存在領域を削りきるには火力が足りない。停止した人馬獣に魔力弾が降り注ぐ。
人馬獣の思考が人間に程近ければその抵抗をせせら笑い、痛罵を込めて小賢しいことを罵っていたかもしれない。
つまり、また油断している。
ヒッツが続けて放つ魔力弾、降り注ぐそれさえも飛び上がって回避したその頭上にユガの姿があった。
その周囲には黒い球体が集まったいた。
<切り替われ、黒い棘、拘束せよ>
残された黒い球体からしなる植物の枝のような黒い鞭が飛び出す。人馬獣の四肢にまとわりつき、空中にあってその巨体を磔にした。
高速で杖が動く。複雑精緻な魔力図形が描かれる。ユガの手に膨大な魔力が集中していく。それはまるで嵐を手の中に収め封じたような巨大な力だった。
<滅びを定めよ、またこれを繰り返すべし>
人馬獣の腕が膨張した。黒い棘がその太い腕
に食い込み赤い血を滴らせ緑色の煙を噴出させた。その傷を意に介することなく腕は拘束を引きちぎる。
その両手が変形する。鎧のような籠手が腕と拳をまとい、その尖端には爪が伸びていた。
ユガの手と人馬獣の爪が激突した。
極彩彩を極めた光が舞い散る。圧倒的な力の奔流に圧し負けたのは人馬獣の方だった。爪がゴリゴリと音を立てて削れていく。存在領域の防御など最早あって無きが如くユガの手は無慈悲に人馬獣を破壊していく。
螺旋状に回転する魔力の光が使用によって劣化する度に強化を繰り返し衝突によってひしゃげ、脆くなるばかりの人馬獣を圧倒する。
人馬獣の両の腕が吹き飛んだ。首筋に突き立てた拳が肉を割る。
金切り声が轟く。明白な死を間近に迎えた恐怖と絶望のわななきだった。
そして、悪足掻きでもある。暴発する霊素の発散がユガの体を強かに打ち付ける。
人馬獣の存在領域が度重なる攻撃で削られていたように、ユガの魔術障壁もまたこの一撃のために限界まで削られている。
皮膚が裂け、血が吹き出し骨がミシミシと悲鳴をあげている。特に腕は深刻だった。あと数秒もそのままでいれば折れる、どころか吹き飛びかねない。既に指は破裂し手そのものがなくなりかけていた。
それでも攻撃をやめない。ここで退けば終わりだと分かっているからだ。
『お……前らぁっ!もう一発叩き込め!もう、霊核が露出すっからぶっ飛ばせ!』
『し、しかしユガさん、もう転位魔術はないじゃないですか……!』
『そ、そうですよ!巻き添えにしてしまう……!』
『いいから俺ごとぶっ飛ばせ!だーいじょうぶだって………!なん、とかっ!逃げっからぁっ……!』
嘘だ。瞬時に悟った。この上司はここで命を捨てる気だ。
『そっちに行って直接霊核を叩きます!』
『止ぁ……めとけ!野郎、自爆しかねねえぞ……!死体が増えるだけだ……!』
『しかし……!』
『俺のことなら気にすんな……っ!戦団に入った以上、誰かのために命を懸けるのはしょーがねえ話なんだよ……!』
『……!』
『普通の生活を営む人たちのために!ちょっと不必要な程度に強くなっちゃった俺達が!そういう眩しいもんを守るために!』
腕が折れる。おかしな方向に曲がるそれを魔力で無理やり固定してなおも人馬獣を深く深く抉っていく。
『そういう生き方を!戦団って言うんだよ!』
霊核が露出する。ユガの左腕が吹き飛んだ。右腕だけでは霊核を砕くには足りない。
「アレクト!何とか出来ないのか!?」
スオの悲痛な声が響いた。見ているしかできない少年の顔は真っ青で、今にも泣き出しそうだった。
「どうなってるの……?あの戦団の魔術師さん、大丈夫なの……?」
身体強化の魔術が使えないキーアはどうなっているのか分からない。しかし、スオの様子から喫緊の事態に差し迫っていることには気がついてしまった。
そして、二人の助けを求めるような声にアレクトは、
「無理だな。助けには入れない」
ただ、そうとだけ答えた。
サガームが吠えた。一線を引く。魔力弾が形成された。
『サガーム!?』
『畜生、畜生畜生畜生畜生畜生畜生クソッタレーーーーーーーーーーーーーーー』
震える指が指差す。涙で滲んだ視界が焦点を求めてまばたきをする。人生において最も苦しい選択に吐き気を催した。魔力弾が発射される、その刹那。
『……気持ちよく酔っ払っているな』
見知らぬ声がした。
そして、空と地面にサークルが現れ、
『まあ、よく持ちこたえた』
細い、一筋の赤い光が空と地を繋ぎ、その最中にあった人馬獣の霊核を両断した。
「ーーーーーーーーーーーーーー」
人には聞こえない周波で人馬獣が吠えた。断末魔だったのだろう。
さらさらと砂のように体が崩れていくとやがて霊素は空に舞い上がり霊流に帰っていった。
「………………………あ」
誰の声だっただろう。突然の展開に呆けて漏らした声に違いなかった。
残されたユガが墜落する。左腕は千切れ飛び右腕は腕の形状をとどめていない。そして全身が血まみれであった。
地面に衝突するその前に、そのズタボロの体がゆっくりと速度を落とし空中に静止した。
「よお……遅かったな……」
「いや。止めを刺すには完璧なタイミングだった。そうだな、よくやったと誉めてやる」
「……へっへっへ。口の減らねえ奴だにゃー……ヴァッシュ」
その、新たに現れた魔術師の姿をスオの目が捉えた。講義棟の前で見たバッツの兄、ヴァッシュのそれだった。




