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降り注ぐ魔力弾の嵐の中で獣が立ち上がる。体格に比して細くも見える四つ足と、肉付きのよい胴体に不自然に大猩々のような胴体が繋がっている。
大地に突き立つ四つの足。その足を上回る巨木のような二本の腕。見る者を恐怖させる凶暴な面相。
空を仰ぎ、咆哮をあげた。空間がたわむ。咆哮に合わせて波打つ大気が強かに大地を打ち据えてひび割った。
刹那、獣の姿が消える。ユガにふっ、と影が射す。目の前に、人馬獣がいた。その手にはどこから現れたのか巨大な剣があった。高く掲げられたその剣が右から左へと薙ぎ払われる。腕と、剣が通過したその空間はまるで世界から削ぎ落とされるように思えた。
その進行上にいたユガがまるで子供の癇癪でさらされる玩具のように吹き飛んだ。大きな岩にぶつかり、その岩が衝突の衝撃で三々五々に破片を散らばらせた。
「ユガさん!」
サガームとヒッツの絶叫に応えはない。
人馬師が吠える。人とも獣ともつかない、異様な咆哮であった。
遠く離れたスオやキーアにさえその威容は伝わってきた。キーアがぺたん、と腰を抜かし座り込んでしまう。先程の群れなす霊素獣の方がまだ耐えられた。
今はもう、恐怖にすくみ震える膝を隠すことが出来ない。
「な、何あれ……何あれ!」
上ずった声は悲鳴に近い。ヒステリックと捉えられても仕方がない程に抑制の利かない感情の発露だった。
「第四段階霊素獣類型人馬獣、ちょっとまずい相手かもしれないね」
アレクトの声にも笑いがない。慌てる様子こそないものの余裕を見せていられるような状況でないことがありありと伝わってきた。
「……」
言葉が出てこない。スオの喉頭はひくひくと動いているのにまるで思うように動いてくれない。震える膝を叩きつけたい。呼吸をするので精一杯の喉を締め付けてやりたい。役立たずの心を打ち据えてやらなければならない。
落ち着かない指先を丸めて固める。握り拳に必要以上の力を込めた。皮膚に食い込む爪が血を滴らせるのを気にせず全霊を以て額にその拳を叩きつけた。
「ス、スオ?」
「アレクト、逃げ出すべきか?」
震えを圧し殺した冷たい声だった。必要とあれば全ての犠牲を許容する。そういう決意が滲んでいる。だが、アレクトは首を横に振った。
「余計に動かない方がいい。あそこにいる連中は腐っても戦団だ。戦ってどうしようもないなら一般人を逃がす方向で動くだろうーーそれに」
一拍置く。
「あの男は準第四種交戦資格保持者らしいからね。きっと何とかするさ」
絶望の最中にあって希望は一際強く輝く。何の保証もないのだとしても、それにすがるしかない。
人馬獣がゆっくりと身体を動かす。次の獲物を探しているのか二対の瞳が金色に輝き周囲を見渡した。
その目に、赤色の球体が映る。静電気を纏ったようにジジジとか細く鳴いていた。
<力を定めよ>
声が響く。吹き飛ばされたはずのユガはいつの間にか立ち上がり、その掌に先程と同じ魔術図形を展開していた。
再び黒いドームを展開し球体が破裂する。その内部が灼熱の地獄へと変貌する。それをどうすることも出来ず眺めるだけのサガームとヒッツの二人の脳裏に声が響いた。
『サガーム、本部に連絡。第四種霊素獣類型人馬獣が出現。現場判断に基づきこれの殲滅に移行する。ひいては応援を要請する』
『は、はい!』
『ヒッツ。お前は俺の援護を頼むわ。野郎の隙を作るから狙えるところで魔力弾を撃ち込め。ある程度の指示はするけんども多分余裕はあんまねえ』
『は、はい。しかし、俺程度の魔力弾で第四種の霊素獣をどうにか出来るか……』
『ばかたれ。弱気になってんじゃねえ』
呆れたようにユガの声が叱咤する。
『お前らは訓練を修了し戦団試験も突破した。魔術院がお前らを一端の戦団員として認めたんだ。あんまり魔術院をなめんなよ』
『……っ、了解しました!』
ドームに亀裂が走る。音をたててひび割れていく。そして力任せに引きちぎられるとドームが砕けるように破裂した。
煤けた人馬獣が目を光らせる。四つ足が地面を蹴った。
『足止めは俺がする。隙を見て野郎の存在領域を丸裸にするからそこにぶちこんでいけ』
ユガの姿が消える。響きあう衝突音。人馬獣の剣をユガの右手に握られたメイスが受け止めていた。
「馬ぁ鹿力……がっ!」
膂力の差は圧倒的だった。剣を受け止めた右手があまりの威力に痺れ、思わずメイスを落としそうになる。
視界の端で人馬獣が左手を掲げるのが見えた。その手には斧のようなものが握られている。
<広がれ我が世界!あるべきものを現せ!>
声と共にユガを中心とした空間が広がる。その中に無数の青黒い球体が現れた。
人馬獣の左腕が振り下ろされる。ユガの身体を挟み込むかのように斧は左から右へと薙がれた。ユガに防ぐ素振りはない。斧がユガの身体を両断した、かに見えたがそこにあったのは上下に真っ二つになった黒い球体であった。
『やれ!』
ユガの声が響く。ヒッツの杖が魔術図形を描くと周囲に五つの魔力弾が形成され、更にその魔力弾の前にサークルが浮かび上がる。
発射、そしてサークルを通過すると魔力弾が一際大きく、そして速くなった。通常に倍する速度の魔力弾が動きを止めた人馬獣に降り注いだ。
巻き起こる爆発、命を奪うには十分すぎる威力を持ったその攻撃を受けてなお、
「無傷……!」
次弾装填。魔術図形が再び展開される。が、人馬獣の動きが速い。姿の見えなくなったユガからヒッツへと狙いを変え飛び掛かる。
「どこ行く気だ、ゴリラ馬ぁっ!」
だが、その頭上からユガが落ちてくる。メイスが、その脳天に刺を突き刺す。いや、その手前で止まっていた。見えない障壁がユガの奇襲を防ぎ攻撃を届かせない。
「分厚い存在領域だな、おい!」
魔術図形が展開する。メイスを青い光が包み込み、それが削岩気のように回転する。メイスと人馬獣の間に存在する障壁が音を立てて削れていく。
人馬獣が吠えた。人馬獣を中心に緑色の空間が広がる。その圧力にユガが吹き飛ばされた。
空に投げ出されちらりと見えた地上で、人馬獣の両手に弓矢がつがえていた。莫大な霊素が矢尻に集中していく。
食らえば死ぬ。直感した。
『サガーム!連絡は!』
『終わってます!三十分で増援が来るそうです!』
『ヒッツ!』
『はい!今すぐ叩き込みます!』
『違う!俺が射たれたらでかいのをぶちこめ!今はやらなくていい!』
『し、しかしそれでは……』
『後で説明するから準備しろ!二人ともだ!』
『……っ!了解!』
矢が放たれる。星の光を散らしたような目映い閃光と共に熱量に歪んだ空間が焦げていく。瞬きにも満たない刹那、空中にあって身動きのとれないユガの身体に何の容赦もなく突き刺さった。
ーーいや、それは幻である。矢が貫いたのは黒い球体。ユガの姿はそこにない。
魔術、変換転位。展開された空間内に無数の球体を配置。攻撃を受けた際に球体と術者の位置を変換する魔術である。いかな致命の一撃だとしても、球体のある限りユガは傷一つ負うことはない。
状況を理解できない人馬獣の脇腹に鈍痛が走った。いつの間にか移動していたユガのメイスが人馬獣の脇腹を強かに打ち据えていた。
「ようやく、存在領域を削れたな」
サガームの周辺に五つの球体が浮かび、槍のように尖った魔力弾に向けて接続されている。その魔力弾の先端に魔術陣が展開されていた。ヒッツが先程使ったものと同じように加速による威力向上を促す魔術である。魔力弾の威力を底上げするために分割された魔術が一つの魔術として完成されていく。
「くたばれ」
球体が吸い込まれるようにしぼみ、巨大化した魔力弾が放たれる。魔術陣を通過し、速度を増したその魔力弾は全速を以て人馬獣へと差し迫る。
人馬獣の反応速度は異常だった。光や雷にさえ対応しかねない速度で来る魔力弾を迎撃せんといつの間にか手に現れていたハルバードのような武器を振るう。
その軌道は魔力弾を確実に迎撃するものだった。しかし、
「……!?」
曲がった。ハルバードをすり抜け明後日の方向へ飛んでいく。
「へえ」
改心の手応えを確信していた人馬獣の呆気ない空振りに動揺する耳へ、感心したような声がした。
「やるじゃん、アイツら」
魔力弾は人馬獣を避けサガームの対岸、ヒッツの方へ飛んでいた。ヒッツの正面には凪いだ湖面のような鏡が現れていた。
その鏡が魔力弾を受け止めた。飲み込まれるように魔力弾が鏡の中に消える。そしてすぐさま吐き出されるようにして魔力弾が鏡から発射された。
ただ鏡から吐き出されただけではない。更に増幅され威力が上昇している。人馬獣の全身を飲み込む程の魔力の奔流。
自身の力だけでは足りない。一人で足りないなら二人でやればいい。未熟な二人が足りないなりに足掻いた一撃。
意識の外から飛来する光の奔流に今度は反応さえ許されず人馬獣が飲み込まれ、大爆発を起こした。




