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おうちに帰るミソロジー  作者: かわのながれ
魔王大征伐
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「顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」


心臓が跳ね上がり口から飛び出すのではないかと思った。


体を震わせ、いっそ大袈裟に見えるほど素早く振り向くとケレブリアンは声をかけてきた同僚にぎこちない笑みを浮かべて返した。


「だ、大丈夫です。ええ、ごめんなさいねご心配かけて」


そうは言うがケレブリアンの顔色はよくない。化粧でごまかしているが眠れずにいたのだろう、目の下には隈があり佇まい一つ見ても常と比べて隙があり、全体的に活力を感じられない。


あからさまにおかしいその様子を訝しみながらもそれ以上は深入りせず「それならいいのですけど……」と離れていく。


その姿を見送り溜まりに溜まった呼気を吐き出すと化粧台に向き直り鏡に写った自分の姿を見る。


酷いものだった。


見目だけではなく、動揺が自分の視界を曇らせているのが自覚出来る。何もかもが薄っぺらく見えて自分が着ている修道服も大聖堂の厳かな空気も、世界に貼り付けられた書割のようだ。


これまで生きてきた人生は何ら保証されたもののない不安定な球体の上にあったもので、少しだけ背伸びしてみたらそうだと分かって転ばないように気をつけなければならないのだと今更になって気が付いた。


ケレブリアンの心情はそんなところだった。


本来ならば自らを支える信念、あるいは正しさが背中に通っていた。だから迷いはあれどそれを思い出すたびに背筋を伸ばして胸を張ることだって出来た。


それがポキリと音を立てて折れてしまった。今の彼女にとってこの世界はあまりにも恐ろしいものだった。


よくもこんな世界で平然としていられるものだーーそうなると呪詛のように思考が暗闇に閉ざされそうになる。これは良くないと自覚はある。しかし、己を支えてくれるものがないから心の中はいつだって不安に苛まれ苦しくならざるを得ない。


ケレブリアンは潔癖すぎた。世界に汚れ一つ、一滴の汚濁が混じるとたちまちそれが広がってしまった。そういったものがあるのは知っていた。自分とはある程度無縁だと信じていた。そうではなかったから居心地悪く落ち着かない。


それさえも彼女は分かっている。自己分析は出来ていた。思っていたより心弱い自分に愕然としながら彼女は助けを求めて、しかし何を信じたらいいのか分からなくなっていた。


フラフラと覚束ない足取りで彼女は歩き出した。夜風にでも当たりたくなった。そしてそのまま風に砕けて散ってしまえばいいとさえ思っていた。


夜闇は深く、灯火はゆらめく。一時の明るさはしかし見上げた夜空には及ばない。魔王の結界のみならず教会の力によって覆われたアークティーアの空は深くて暗いのに閉ざされている。伸ばした手は届かず心は乱れ助けを求める声は響かない。


八方塞がりだーー子供のように泣きじゃくりたい気持ちが少しだけ目尻に現れる。


「どうしましたか?ケレブリアンさん」


心配する声がして、慌てて涙を拭うとそこにいたのは聖鈴騎士エオメルだった。


「エオメルくん……」


声が上擦り、涙が溢れそうになる。不甲斐なさだとか不憫に思う感情だとか、そういったものがないまぜになって留め置けなかった。


「何か悲しいことでもあったんですか」


年上の女性が涙を流していることに少なくない衝撃を受けながらも放っておく事は出来ずハンカチを差し出しながらエオメルは近付く。


ケレブリアンはエオメルのそのまだ幼さを残した容貌に、ただ悲しくなってそのハンカチを持った手を包み込み膝を折ってさめざめと泣き出し祈るように頭を垂れた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


「え……ええ………!?ど、どうしたんですか、本当に……」


突然の事態にエオメルはとうとう狼狽してしまった。しかし、激流の中しがみつくみたいに自分の手を握る握力が強くも弱く、言いようのない儚さを感じて気が付けば胸の中に収めるように抱きしめていた。


「大丈夫です、何も怖いことなんかないですから。誰も責めたりなんかしませんよ」


少年には人生経験が足りないから上手にする方法なんて一つも思い当たらなくて、ただ泣き咽ぶ目の前の人を慰めたくて守ってあげなくてはならないと思った。


その頭をなでる手のひらが、少年にしてはゴツゴツとしていたけれどあんまりにも優しくてケレブリアンはその瞬間、確かに心慰められていた。


しばらくそうして、落ち着いたケレブリアンを伴って中庭に移動する。並んで縁石に腰掛けるとポツリポツリとケレブリアンが話し始めた。


「ご、ごめんなさいね……おかしなところを見せてしまって……」


「いえ。事情は分かりませんけど、そういうことってありますよね」


「ありがとう……」


礼を口にすると不思議と落ち着いてきた。気が付けば謝ってばかりだったからだ。


そうなると心の内を曝け出して吐き出したくなってきた。理解してもらいたい、共有したいという繋がりが欲しくなっていた。孤独であることから逃れたくなって、気が付けばつらつらと話し出していた。


「あのね……エオメルくん。私は今、ちょっと自信をなくしてるんだと思う。何だか、信じてたものが全然思ってたのと違くて、私は今まで何をしてきたんだろうってなってるの……」


「誰かに裏切られたとか、手酷く扱われたとかそういう事ですか」


「裏切られた……そうね、裏切られたっていうのが一番近いかも。でもね、私が勝手に抱いてたイメージと違う側面を見せられて私は勝手に辛くなっているだけなんだと思う……」


「……」


エオメルは言葉を返さなかった。少し考えて言うべき言葉を探しているようだった。


「私にとって大切なものだったのに、私がそれを信じられなくなったら……私、私、どんな顔して生きていけばいいのか分からなくなってる……」


自分で言っていて、どんどん深みにはまっていくのを理解していた。底なし沼にはまって手を伸ばして足掻いてみるけど取り付く島もないから沈むに任せるしかない。


情けないと思う、みっともないと思う。まだ十代も半ばの少年に晒すような姿じゃないと思っていた。


しかし、ケレブリアンにとってこの話をしなければならない対象はエオメルを始めとした人々なのだ。


どうか許してください、とこの期に及んで彼女は訴えていた。


そして、そう訴えられたエオメルは少しだけ困ったように唸ってから、意を決したように膝を叩いた。


「えっとですね、ケレブリアンさん。これ内緒の話なんですけど、誰にも言わないでもらえますか?」


「内緒の話……?」


「ええ。ちょっと人に聞かれると困るなーって思うので」


はにかんだように言いながら、言質を待つエオメルにケレブリアンはそっと頷く。エオメルは「よかった」と小さく口にすると立ち上がった。


「実は僕ですね。神様とか信じてないんですよ」


とんでもないことを言われて、ケレブリアンは時が止まったように思えた。


「鈴の森で暮らしてて色々と教えてもらいましたし、方舟教典の言うことはいいことだと思いますよ。でも、僕は何か違うなって思っていたんです」


「か、神は実在していないって……?」


「いえ、多分いるんでしょうね。僕が信じていないのは神様のいる、いないじゃなくて神様の言うことを僕はあんまり信じていないんです」


「そ、それは……」


「不敬ですか?そうですよね、そう思います。でも神様って僕達を作ったのはあくまで自分の目的のためじゃないですか。僕達を作ったのが何かやりたいことがあってそうしたんなら、多分神様って全然完璧とかじゃないんですよ」


「神が……完璧ではない……?」


「ええ。完璧だったら、僕らなんて要らないはずですから」


それは青天の霹靂じみた言葉だった。常に正しく間違わず、人々に道を指し示すのが神だとケレブリアンは考えていた。だから方舟教典には感銘を受けたし、円環教典もまた人々にとって為すべき道筋だと思えていた。


だけれども、神が完璧でないのなら。時には間違いだって犯すのであれば。


今こうして現実との齟齬に苦しんでいる自分もまた本当は間違っていないのかもしれない。


「僕は鈴の森で暮らしてた頃にある本を読む機会がありまして、そこに出てくる登場人物が大好きで、そいつは周囲から見たら色々と迷惑な奴で、時には間違えもするけれど自分の信じたものを、自分の考える正しさに従う。僕はそういう風に生きようと思いました」


「それは……」


独善的じゃないのか。そう思いながらも否定出来なかった。


今、正しいはずのものが間違っていて、自分という未熟な存在の思考なんて取るに足らないものでしかないと理性は告げているのに、それを必死に否定したい自分がいるのを隠しきれないからだ。


「神様が言うから正しい、じゃなくて自分の中の倫理観が正しいと感じるものを僕は選んで生きていきたい。その判断のために起きる全ての結果を自分の責任にしたいんです」


晴れ晴れとした笑顔で彼は言った。


美しい、と感じた。


教会の道理を説くならば論外のはずのその言葉、姿勢が、今まで信じてきたものより遥かに素晴らしく、美しいものに思えた。


「そっか……自分が正しいと思うことを、か」


背筋に一本の芯が出来た気がした。


たとえそれが幻なのだとしても、今自分を助けてくれるそれは何よりも力強かった。


「ありがとう」


そう言ってケレブリアンは立ち上がった。


「何かお役に立てたなら良かったです。あの、くれぐれもこのことはご内密に……」


「うん。分かってる。本当にありがとう……エオメルくん」


ケレブリアンは笑顔を浮かべた。何か心に決めたような強い強い表情だった。


二人がそうしている間にも時が過ぎていく。


チクタクとどこかの部屋では時計の針が時を刻む音を立てている。特に大きな音でもないその音が、最初に聞こえてきたのは他に何の物音も立っていなかったからだろう。


マギの意識が覚醒しようとしていた。体が軋むように痛い。床に寝転んでいたせいだろう。妙に重い頭のモヤを振り払うようにかすかに首を動かし瞼を開けると、目の前に不機嫌そうな顔をした男の髭面があった。


「うおっ!?」


「ようやくお目覚めか、マギ」


その声は呆れ果てたように冷たく小馬鹿にしたもので、少なくない怒りを孕んでいた。


そういった態度を取られればクロスにそうしたように激高し掴みかかるのがマギという男だったがその男は例外の一人だった。


「ソーダさん……なんでここに……」


ソーダと呼ばれた男はカウツとスナで口論になった男であった。三十路を半ばも超えた風体、所々薄汚れた砂漠用の肌を露出しない服。あまり清潔感がないので教会においてはミスマッチではあるが、それは今更だった。


しかし、あまり歓迎されないのも本当で普段はスナにいて組合の人間の送迎などを任されて大聖堂に入ってくることは稀であった。


そのソーダが何故かいる。そしてクロスがいないのに気が付いた。


「あ、あの野郎は……」


「本部長ならお前らが説教中に眠りこけたからと別室を借りて寝ているぞ」


「野郎、勝手なことを……」


マギの立場を無視した振る舞いに苛立ち舌打ちしながら毒づくが、ソーダはそれを鼻で笑った。


「馬鹿。お前らが仕事中に眠りこけるのが悪いんだろうが」


言われて言葉に詰まる。その通りだとおもったからではない。ソーダに対して反抗的な態度を取れる程、マギの胆力は優れていないからだった。


「ちょっと酒場にいたら本部長に声をかけられてな。お前らがそのザマだから代わりに面倒見てくれって頼まれたんだよ」


「す、すんません」


「自覚が足らないんじゃないのか、ああ?お前いつまでチンピラのまんまなんだ。そんな野郎に何の仕事を任せられるってんだ」


「……」


奥歯を噛みしめる。心中はクロスへの怒りと現状への不満でいっぱいだった。


その様子を眺めながらソーダは嘆息する。いくらなんでも説教されて寝こけたという話もあるまい、おそらくは眠らされたのだろう。そう推察していた。


(説教中に魔術言語を混ぜて気付かれずに眠らせたのだろうが、それにしたって簡単に眠らされすぎだ……イヤになるな)


その感情が表情に、目に現れていたのだろう。ソーダの顔を覗き見たマギの中で何かが切れた。


あの野郎、あの野郎が……想像の中でクロスを叩きのめし、涙を流して許しを請う姿を思い浮かべても気分は一向に晴れない。


なんでもいい。このイライラを吹き飛ばしてやりたい。


そう考えながらマギはどす黒いものを溜め込んでいた。

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