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おうちに帰るミソロジー  作者: かわのながれ
魔王大征伐
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店を出て、寮へと戻る。その道すがらに見上げる夜空には当たり前のように一つの光もない。この空は霊流に覆われ魔王によって封じられている。今を生きる人間の誰もが見たことなどないが、空の向こうには宝石のように煌めく星々があり中でも恒星なる星は夜を払い昼をもたらすほどに光り輝いているという。この空からの光を魔王の封印は受け止めて地上に届けているということを、その実感はなくとも知識としては学んでいた。


ケレブリアンは詳しいことを知らないが、そのためにその他の星々の明かりを集める事で夜中であってもある程度の光量があるため人々は夜中に光がなくとも夜目が利くのだという。


この空の向こうには至天の円環が在る。そこに至る事が円環派の、いや、教会の宿願である。


ヴィンギロト。教会で長らく進められ、遂に名付けられたその計画は至天の円環へ至る嚆矢ともいうべきものである。


何らかの理由があって、ここ数年で計画は進行し、そのために内外の知恵を集めてさらなるスケジュールの短縮を目指している。これは教会にとって苦肉の策でもあったはずだった。方舟の造船は本来教会の秘中の秘である。


それが他の勢力に開陳されたということは、ヴィンギロトの造船にある程度の目処がたった、ということでもある。


ともすれば性急にも見える円環派の動きは方舟派の猜疑を招いた。


使命が果たされるのは喜ばしいことである。だが、そのために犠牲になるものを見過ごすことはできない。円環派は間違っても邪魔をされたくないはずで、方舟派に隠した後ろめたい何かがある。それは確信に等しいものであった。


だからこそ誰も彼もが表裏にわたって慌ただしくし始めている。その目まぐるしさにケレブリアンもまた思考の淀みを来たしていた。それが疲れという形で表出していた。


ため息を吐く。それと共に力が抜けていき肩を落とすと、視界の端に白い影が見えた。亜麻色の髪を泳がせるようにたなびかせながら、白い服を着た小さな影が大聖堂に入っていく。


「子供……?」


自問するように呟くと自然にそちらへ足が向く。


跡を残すように白い影は大聖堂を駆けていく。何か得体のしれないものに囚われている錯覚を覚えながらケレブリアンはそれを追う。やがて白い影は中庭に辿り着くと石ころのようにしゃがんで丸まっていた。


少し考える。驚かせないように近付きその様子をうかがう。その子供ーー少女は、小さな手をいっぱいに広げ何かをなぞるように地面に這わせていた。


余程集中しているのか、ケレブリアンに気づく様子はない。少女の前に移動すると影が出来たせいか電流でも走ったかのように震え、その顔を上げた。


「あ……」


赤い、蕾のような唇が開き、未成熟な声が漏れ出た。その顔にあるのは呆けたような表情で、状況が理解できていないようだった。


白い服はまるで病人にあてがわれたもののようだ。妙に現実味のない存在感が儚さを感じさせた。それだけに、かける言葉を少し悩む。


「今晩は、お嬢ちゃん。こんな時間に何をしているの?」


出来る限り優しく、怖がらせないように笑顔でそう言った。


少女はハッとしたように体をすくませると視線をあちらこちらへ泳がせる。


「ご、ごめんなさい」


「どうして謝るの?何か悪いことでもしたの?」


「ええと……多分」


要領を得ない言葉にケレブリアンは少女の立ち位置を考える。


何故、多分なのか。こんな夜更けに子供一人で家を出ているのなら明白に悪い事だ。危ないから出歩くなと真っ当な家庭なら教える。しかし元々大聖堂に来ていたのなら話は別だ。どこそこに立ち入ってはいけないと言われているなら中庭に来ていることは立入禁止区域というわけでもないから別に悪いことではない。あまりうろちょろとするなと言い付けられているなら成程これは悪い事だろう。


そもそも、そういった判断力さえないという可能性もあった。いずれにしても、正す必要があるのなら導いてやるのが先達の仕事である。


「お父さんか、お母さんと一緒に来たの?」


「オトーサン?オトーサン……いないよ」


いない。そのニュアンスには「ここにはいない」ではなく「自分にはいない」という意味があるのは明白だった。


藪蛇だったか、そう思いながらも続けて聞く。


「……お母さんは?」


「知らない」


当たり前のように首を横に振る。それは父親についてと同じ意味を持つ言葉だった。


嫌な予感がした。


このアークティーアで両親のいない子供がこんな時間に大聖堂にいる。それは少し考えにくい状況だった。アークティーアは福利厚生において制度がそれなりに確立しており孤児は両親を失った時点で代わりの保護者がなければ施設に入れられる。施設を抜け出して大聖堂に来ている可能性もなくはないが、その場合は聖歌隊に連絡が来てすぐに見つけられる。


何故なら聖歌隊の歌はアークティーアにいる人間がどこにいるかをマーキングするために行われている歌唱魔術だからだ。不穏な動きがあれば、立入禁止区域に出入りがあれば誰がどこにいるか即座に分かるようにアークティーアにいる者全てにかけられている。


にも関わらずこんな時間に親のない子供が大聖堂にいて何の連絡もない。これはおかしなことではあった。


探し求めていた闇を見つけた感触がする。ただ、いざその深淵を覗こうという段階に至って僅かな躊躇を覚えた。


見通しのつかない道の向こうに待つものが、何も知らずにいた自分とその周囲に何をもたらすのか。その未知が胸のうちにある不安の種を膨らませていた。


その一切合切を打ち捨てる。


少女の顔を見る。何も理解していない顔。この世にある理不尽をそうだと知らない姿。そのあどけなさが貪られている可能性に恐れと焦りを覚えた。


もし、この子が。その想像に、ここで何もせず見捨てたとしたら、その後の自分はどうやって生きていけばいいのだろうと思うからだ。


「ねえ、お嬢ちゃん。何をしていたの?」


内心の様々な動揺をなるべく隠してまた聞いた。声は震えていなかっただろうか。焦りを表してはいなかっただろうか。……高圧的に感じられる声音ではなかったろうか。


ケレブリアンは細心の注意をはらって話しかける。その甲斐あってか少女はどこかとぼけた顔をしているが、不信感だとか警戒心だとかは持っていないように見えた。


「んーとね……お部屋に戻ろうとしてた」


「……お部屋?」


こくりと少女が頷き、また地面に指を這わせた。


「ここらへんにね、お部屋の入り口があって探してたの」


言われてケレブリアンも地面に指を這わせてみた。やや水気を含んだ土がその指の腹を汚すのが分かるばかりだった。


少し考える。少女の言葉をそのまま信じるならば、秘密の部屋への入り口が隠されているのだろう。中庭にそれがあるのだとして何故今まで誰も気づかなかったのか。


地面に座り込んで調べるような人間はここにはいない。中庭の管理は庭師がしている。庭師は知っていて、それを口止めされている……それはありそうだった。


あるいは、特別な方法で隠されている。例えば魔術などで。


「あった」


少女が短く告げる。覗き込んでみたそこには横一文字の小さな溝があった。普通に中庭を利用していておよそ気付くことはないだろうし、気付いたとして特に気にすることもないだろう。少女がそこにポケットから取り出した銀色のカードを挿し込むと石臼をひくような音がして地面が四角く落ち窪みスライドするようにずれるとそこに深い穴が現れた。


穴には梯子がかけられていて降りられるようになっていた。覗き込んだ穴の深さは決して浅くはないが、底が見えないという深さでもない。温暖色の灯りが穴の中には灯っており危険性をそこまで感じはしない。


こんなものが大聖堂に存在していたのかとケレブリアンが呆気にとられていると少女は慣れた様子で梯子を伝って降りていく。その姿を見て自分も降りるべきか戸惑っていると石臼のような音が響き穴が塞がろうとしていた。思わず手を突っ込むとスライドは途中で止まり再び穴が開いていく。


どういう仕組みなんだろうと不思議に思いつつも意を決し穴を降りていく。無機質な甲高い音が空洞に響く。見上げれば穴は塞がっていた。唇を噛んで最後まで梯子を降りると奥へ奥へと誘うように横穴が続いていた。横穴には等間隔にオレンジ色に光る平べったい照明が埋め込まれていた。


少女は既に小走りで先に進んでいた。置いていかれないように付いて行く。その道は大人が通るのに十分な幅があり、少し体をずらせばすれ違うことも出来そうだった。適当に掘ったような穴ではない。アーチ状に掘られたそれは機械的な程に整っていて相応の工事が行われた事がうかがえた。


しかし、そんな工事をしていればいくらなんでも誰かが気付きそうなものである。にも関わらず、知られていないのだから竣工したのはだいぶ昔のことなのだろうと予想も出来た。


やがて突き当たりまでやってくるとやはりと言うべきか梯子がかかっている。少女は小さな手と体で梯子を昇っていく。


短い旅の終わりに地上への帰還を果たすべくケレブリアンもそれに続く。一番上まで来ると少女は天井に向かって手を伸ばしていた。おそらくスリットにカードを差し込んだのだろう。今度は金属の擦れ合う耳障りな音が響き天井が開く。その先は薄暗かった。穴の中のほうが明るいくらいである。


少女が梯子を登り穴から外に出る。ケレブリアンもそれに続いた。頭を出したそこは静かで暗く、しかし、機械の駆動音と闇の中に浮かび上がるような色とりどりの光がポツポツと控えめに点滅していた。


「ここは……?」


周囲を見渡しながら呟くと、少女が機械に近付きパネルに手を当てるのが見えた。パネルに白い光が走り紋様を描くと眠りから覚めるように照明が順々に点灯していく。


それは摩訶不思議な光景だった。ケレブリアンの人生において似たようなものすら見たことがない。そこは機械で構成された部屋だった。壁一面に機械があり、とりわけ大きく目立つ場所にガラス窓にも似た黒い何かが嵌め込まれていた。機械は巨大な生物のように規則正しく呼吸を繰り返しうねりあげるような音を響かせている。


機械の化け物の腸に収められたような気持ちになってきて落ち着かずにしていると、袖を引く力に気付きそちらを見ると少女がじっ、とケレブリアンを見つめてカードを差し出していた。


「これは……?」


「あげる」


「でも、これがないとお嬢ちゃんがさっきの道を通れないんじゃ……」


少女は亜麻色の髪を振り回すように否定した。


「これはお姉ちゃんの。私のはこれ」


そう言ってもう一枚カードを取り出してみせた。確かにまったく同じもののようだった。


「これは、どうして?」


「さっきの道を通ったから、この子がくれた」


「この子?」


少女が頷き、踵を返すと走り出した。


突然の行動に思考が追いつかないまま少女を反射的に追いかける。


鋼鉄のーー恐らくは異なる材質で出来た通路を走る。足裏に感じる硬さが見知らぬ感触をしている。薄暗いのに光量が足りないということのないそこをしばし走ると右側の壁が食い破られたように大きな穴を開けていた。少女はそこから飛び降りたようだった。ケレブリアンもそれに続く。


飛び降りたそこは短い草が生えていた。石造りの白い床、白い石柱が並び松明が掲げられている。よく見知った教会の建築様式。どこかの建物の中に出たようだった。


少女の姿を探すとすぐに見つかった。小走りに白い法衣を着た白髪の男に近付くと飛び込むようにしがみついていた。その男をケレブリアンは知っている。


「船渠長……?」


ケレブリアンに呼ばれた男は皺だらけの顔をケレブリアンに向け、年老いた犬のような瞳でその姿を捉えた。


「来訪者か……聖歌隊の……」


「ケレブリアンです、猊下」


「猊下はやめてもらおうか。拙僧には似つかわしくない……」


「失礼しました、船渠長。先ずは突然の無礼をお詫び申し上げます」


恭しく頭を下げると船渠長はか細い吐息を漏らす。一つ一つの動作に大変な労力を要しているように見えた。


「よい、この子……アルウェンが連れてきたのであろう」


少女、アルウェンの頭を水気のない手が撫でる。


「アルウェン……それがその子の名前ですか?」


船渠長が頷く。


「この子はここで生まれた。親と呼べるものはなく、拙僧が教師の真似事をし、いくばくかの自由を与えている……」


「その子はいったい……」


「運命の子である。教会が長らく必要としていた鍵である……」


「それは、至天の円環に至るための?」


声が、知らず険のあるものになっていた。


船渠長はそれに気付いてか、気付かずか先程と同じように頷いた。


「後ろを見てみるがよい」


背後にあるものは、先程出てきた何かである。そういえば何だったのだろうかと振り向くと、そこにあったのは長方形の巨大な箱であった。長い年月を経て劣化した金属の巨大な箱であった。元は深緑をしていたのであろうそれは所々破損し焼け焦げ往時の姿、それが潜り抜けてきた激しい出来事を脳裏に浮かばせた。


「こ……これは……まさか」


直感的に理解する。それを直接的に見たことはない。しかし教典を通じてその姿を伝えられてきた。だからこそ、それがそうなのだとケレブリアンには理解出来た。


そして、船渠長もそれを察したのだろう。いかにもと頷き続けて言った。


「そう、それこそが我らの神器、この土地に我らを運び降り立った神より賜りし方舟である……」

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