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神殿に訪れた二人を待ち構えていたのは不規則な生活を送るせいでくたびれた様子を見せるトーカであった。
「こんばんは。クロスさん。わざわざ来てもらってすいませんね」
トーカにあてがわれた机は山のように重なる資料で乱雑としており、トーカ本人も目は落ち窪み、やや乱れ油っぽくベタついた髪が不潔さを醸し出している。着ている白衣もよれよれになっていてその役割を放棄していた。
クロスが思わず顔をしかめる。すえたような臭いがする気がした。
「トーカ女史。君、入浴はしているかね?」
思わず質問から入る。それに対してトーカは視線を明後日の方向に向けて頭をかいた。
「何日か前にしたような気がします」
思わず口元が引きつる。事も無げに女子力という単語を投げ捨てたような発言に「一日一度は入りなさい」と忠告せずにはいられなかった。
それに対しトーカは「はあ」と気のない返事をしたかと思えば、
「皆、寝ろと言ったり風呂に入れと言ったり食事をしろと言ったり要求が多すぎませんかね?一日は二十四時間しかないんですよ?」
と、いかにも理不尽なことを言うなと言わんばかりの態度で一般的なそれとは違う感覚を露呈した。
価値観の違いに圧倒されながらも流されまいと気を取り直すため一つ咳払いをして見せる。
「君のスケジュール管理能力についてはマネージャーでもつけるべきかもしれない。それはさておき相談があるそうだな」
「ええ、まあ」
ちらりとクロスの背後で不機嫌そうに顔を歪ませているマギに視線をやる。それに気が付いてマギが恫喝するようにポケットに手を突っ込んだまま上体を前に出した。
「ああ?俺がいるとなんか困んのかコラ」
品性の欠片もない言動にして振る舞いである。元はストリートチルドレンだったとはいえ早い段階で組合に拾われ研究畑が長いトーカはあまりこういった輩には慣れていないのだろう。たじろいだように半身を逸らすと上滑りした口調で返答する。
「べ、別に文句はないけど……なんですか、このチンピラは」
助けを求める視線にクロスが二度三度と首を横に振る。
「気にしないでくれたまえ。君に危害は加えさせない」
マギの視線が剣呑さを維持したままクロスに向く。鎖に繋がれていない狂犬のような男を柳に風と一顧だにしない。
「……まあ、いいや。誰かついてくるかもとは思ってたし。それでここについてなんですけど」
そう言ってメモを指し示す。わら半紙のようなそれに幾つかの方程式や魔術図形が書かれていた。
「ここなんですけどね」
一瞥して、即座に眉をしかめる。確かに専門的な知識の必要なものではあったが、そこにトーカが悩むような内容は一つもなかったからだ。
マギも覗き込むが中身を理解できていないようで関心なさげにすぐ首を引っ込めた。
トントン、とトーカの指が二度机を叩く。
「いいですか、意見をうかがっても」
トン、とトーカの指が一度だけ机を叩く。
「駄目ですか?私も少し困っているんですよ」
その言葉にしばし目を閉じてクロスは腕組みをした。二の腕を人差し指で二度叩いた。
「そうだな……私も本職ではないから適切な意見を提供出来るかは分からないが」
二言三言、助言をするとトーカは鼻を鳴らした。
「実はその辺りはここに来てる魔術院のカウツっていう戦団員に話を聞いてもらいまして」
トントンと二度、続いてトンと一度机を叩く。
「カウツ……聞いたことがあるな。若くして戦団入りした天才だろう?」
トントンと二の腕を二度叩く。
「そうです。彼によると……」
メモに絵や図形にも思える文字が書き込まれていく。それは魔術文字だった。本来魔術図形は三次元的な性質を持つため二次元に表すことが難しいが、これを二次元に落とし込んだものを魔術文字という。
修得難易度は高く、必要不可欠というわけでもないため扱えるものはさして多くはない。
クロスはそれを一瞥して難しそうに眉根を寄せてから二の腕を叩こうとして迷うように指を止めた。
しかし嘆息し、二度指を叩くと腕組みを解いた。
「成程。では、これに補足するとしてこういうのはどうだろうか」
クロスもまた魔術文字を書き込んでいく。そして最後に数字を書き込んだ。トーカはそのメモを受け取りまじまじと眺めると満足そうにメモを畳み、ポケットに仕舞い込んだ。
「ありがとうございます。参考になりました」
「………………まあ、大したことはない」
まぶたを閉じて思案する。言葉を選んだ末に出てきたらしいそれは特筆するところのない無難な返答だった。
「何だ、終わったのかよ。つまんねえことに手間暇取らせやがって」
腐すようにマギがぼやく。それに対する反応は眉をひそめ、あるいは白けたように無表情だった。
はあ、と息を吐いたのはどちらだったか。ふう、と息を漏らしたのはどちらだったか。いずれにせよ互いに一拍おいてからどちらともなく向き合い切り出した。
「まあ、じゃあ、そういうことなんで。お手数おかけいたしました」
「ああ、では引き続き励んでくれたまえ」
踵を返し、クロスがその場を後にする。それに頭を下げて見送るトーカとに視線を交互にやって忌々しげに舌打ちすると乱暴な足取りでマギも去っていった。
二人の姿が見えなくなるとトーカは一度胸の辺りに手を置いて懐にしまったメモの存在を確かめた。紙の擦れる音がしてそれを確かめると小走りに目的の場所へと向かう。
目的の部屋の扉は開いていた。中には多くの人々がひしめき各々の作業に集中している。その中に目当ての姿を見つけた。青色の頭の上に銀色のウサギを乗せたその姿は嫌でも目立つ。
針金のような体を椅子に委ねてカウツは手に握ったペンでカツカツと机を叩いていた。
「順調?」
「エネルギー効率の問題で少々難航してる。ヴィンギロトのシステムを考えると再設計さえ必要になってしまう……」
「今更それは難しいでしょ」
「機体の制御に使用される霊素量も狂っている。こんなものをたった一人に任せようという仕様がそもそもおかしい。それに付随する問題点も挙げればきりがない。計画初期から分かりきっているだろうに、何だこれは。爆弾でも作っているのか?」
「まあ、ねえ。明らかにおかしな事してるんだけど、それで火入れは成功してるのよね。教会もこっちには見せない手札があるんでしょうね」
「……まあ、そうなんだろうな」
目を閉じて、何かを考えるかのように少しの間口をつぐむ。
そして、目を開き改めてトーカの方を向いた。
「それで?例の件か?」
トーカは頷き、懐にしまったメモを渡す。それに目を通してカウツもまた頷いた。
「ありがとう。セッティング、助かった」
「……どういたしまして」
トーカの書いた魔術文字の意味は交渉がしたいという旨を書いたもの。
対してクロスが書いた魔術文字はそれを了解した内容と、時間と場所を指定したものであった。




