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黒を引き渡し、クロスとマギはあてがわれた部屋にいた。蝋に灯された火が揺らめきながら室内を照らしている。クロスは机に向かい黙々と書類を片付け、マギはそんなクロスを退屈そうに眺めている。
ペンの走る音だけがする部屋の息苦しい沈黙に耐えかねたのはマギの方だった。
「なあ、本部長さんよ」
「なにか?」
空に呼びかけるような気のない呼びかけに、クロスは同じように気のない返事をした。そして、それを互いに気にも止めない。
「アンタ、穏健派なんだろ?だってのに何でこんな仕事をしてんだよ」
「こんな仕事とは?」
とぼけたような返答にマギが苛立たしげに頭をかいた。
「すっとぼけんな。あのクソガキを運んできたことに決まってんだろーが。人道云々とか言ってるテメーらが人身売買をしていいのかって聞いてんだよ穏健派」
クロスの手が止まる。ペンが置かれ、振り向いた。
「本意ではないが、ガトーの意向を蔑ろにするわけにもいかない」
「だったら派閥も何もないもんだろうが。反抗期みてーに穏健派とか言ってねえで素直に媚び売ってご機嫌伺いしてろよ」
挑発的な言葉に、クロスは昼間のようにはしなかった。ただ、何かを憂うように目を伏せると音もなく吐息を漏らしポツポツと言葉を紡ぎ始めた。
「……我々組合の主戦力は概ね過激派に揃っている。人々が霊素獣の脅威にさらされずに済んでいるのはその戦力のおかげだ」
突然そんなことを口にするクロスに戸惑いながらも、自らの存在価値を認めた降伏宣言と受け取ったマギが弱者をせせら笑う。
「わかってんじゃねーか」
声がやや弾む。含みを持たせながら得意気に言い放つが、クロスは「だが」と言葉を継いだ。
「組合の社会を構築しているのは穏健派だ。行政をはじめとしたインフラはその多くが穏健派によって成り立っている」
「ああ……?」
雲行きが変わったことを察して途端に期限を悪くするチンピラを気に留めることもなくクロスは言葉を続けた。
「過激派は重要な役割を担っているが、穏健派も同様にして必要だ。ガトーはそれを理解しているから私を本部長に据えた」
「だから何だってんだよ。お前らも頑張ってるから認めてくださいってのか?」
クロスの首が左右に振れる。理解力の乏しいチンピラに言葉を尽くさねばならない面倒を感じながらも態度に出さず説明を続けた。
「穏健派のトップである私に地位を与えることで穏健派に配慮していると示し、その私が組合長の意向に従順に従って見せることでガトーが手綱を握っている事をアピールしている。両陣営の不平不満を抑えるのに必要な措置だということだよ」
言葉の意味を咀嚼しているのだろう、難しそうに眉根を寄せるマギであったが、やがて都合のいい情報だけ抽出したのだろう厭味ったらしい顔付きで見下すように顎を反らした。
「つまり、アンタは組合長の操り人形ってわけだな?」
「否定は出来ないな」
言葉を選ばない確認に、クロスは訂正するつもりはなかった。感情の揺れ動きもなく口にしたその態度はマギの癇に障った。
あるいは、クロスがどうあろうと好意的には受け取れないのかもしれない。感情が先走って相手への嫌悪を発露することしか頭になかった。
「はっ。気取りやがって。情けねえしダセえ野郎だ」
吐き捨てるように侮蔑の言葉を投げかけるがクロスは気にした様子もなく仕事に戻ろうとする。その余裕のある態度が本当にマギの癪に障って仕方がなかった。
昼間、あれだけ食って掛かってきた男が今は別人のように冷静だった。その態度の急変が理解出来ず、しかし自分が侮られ軽んじられている事はひしひしと伝わってくる。事実はどうあれマギにはそう感じられた。それが我慢ならなかった。
「おい……」
声を荒らげようとしたその瞬間、扉を叩く音が室内に響いた。クロスが立ち上がり、相手に要件を尋ねると「お手紙です」と返事があった。
扉の下から差し込むよう指示すると白い便箋が舌をのぞかせるように床を這って現れた。それを拾い上げ中身を改めるとそっと懐にしまい込んだ。
「何だったんだよ」
「こちらから出してる研究者の一人から顔を出してほしいと要望があった。何やら研究で詰まっているところがあるので相談に乗ってほしいとのことだそうだ」
「ふん……そうかよ」
顎を反らし、手をのばす。天井に向けた掌が不揃いに曲がった五本の指と共に暗に便箋を差し出せと要求していた。
クロスはそれに冷たい視線をやった。だが、何も言わず懐にしまい込んだ便箋を取り出すとその手に乗せた。マギは受け取った便箋に目を通すとその中身はクロスの言う通りのものだった。
「内通でもされたらかなわねえからな」
悪態をつきながら便箋を返す。
「内通か」
便箋を懐にしまいながらクロスが呟く。
「私は組合の未来を重んじる。であればそんな軽率な真似はしないだろう」
マギが苛立たしげに舌打ちする。
「いちいち持って回った言い方しやがるな?クソうぜえ」
「そちらのご機嫌伺いをしなくてはならない理由もないからな。お互い、鼻持ちならないのだから歩み寄る努力には意味がない」
「喧嘩売ってんなら買うからかかってこいよ」
誘うように手招きする。その短慮かつ浅薄な仕草に一瞥くれると無視して扉を開いた。
「おい、どこ行くんだよ」
「相談を受けたのだから勿論相談を聞きに行くとも」
マギの方を見ることもせず部屋を出ていく。何度目かの舌打ちをするとマギもそれに続いた。




