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おうちに帰るミソロジー  作者: かわのながれ
魔王大征伐
101/189

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アークティーアは各勢力の思惑が絡み合う場となり、静かに事態は進行していた。カウツが自身の思惑から組合に接触をしようとしていたように、組合もまたその思惑から独自に動き始めていた。


一台の車がアークティーアに入ってくる。黒塗りの高級車が颯爽と聖都を駆け抜ける。外からその車に乗っている人間をつぶさに把握しようとする者はいない。それでも興味をひかれた何人かが後部座席に身形の良い格好をした三十路半ばの男と小さな影を捉えたかもしれない。


三十路の男には傷があった。額から左目を経由し唇にかけて顎まで至る縦に伸びた古い傷跡だった。その傷跡が強面な印象を与えるものの、男にそこまでの威圧感はない。


小さな影、少年の方のうつむき伏せた顔に差した暗い影はどこか不穏なものを感じさせた。見る者によっては護送される犯罪者に似たものを覚えるかもしれない。


運転席と助手席にはそれぞれ三十路手前の男と二十歳手前の男が座っている。後ろの男と比べればどちらも品がなく見えるだろうが、特に助手席の若い男はイライラとした様子を見せ、目付き鋭く周囲を睨むようにしているので近付きがたい雰囲気を醸し出していた。


車がバラル・マンウェ大聖堂の入り口までやってくる。後部座席から身形の良い男が降りると反対側まで周り扉を開いた。


「降りたまえ」


中にいる少年に降車を促す。殊更に冷たい口調ではないが、決して甘くもない。親愛の情などは感じられない口振りだった。


少年は怯えるように震え、しかし動けずにいた。それは絞首台の前まで連れてこられ、自らの足で登れと言われている、そんな様子にも見えた。


「あ“ー……」


若い男が不機嫌さを隠そうともしない、人を脅す事にしか用をなさない乾いた声で低く唸る。


「うっぜぇな、クソガキが……!手間ぁ取らせんな、殺すぞ……!」


一際強く、少年の体が震える。青ざめた顔が涙を浮かべて今にも死にそうに見えた。


「マギ」


短く名前を呼ぶ声は男を諌めるものであり、明確な怒りが籠もっていた。


しかし、マギと呼ばれた男は抜き身のナイフのような反抗的な視線を妙に力の抜けた体勢で身形の良い男に向けた。


「るっせーなー……本部長さんよぉ……こんな使い捨てのクソガキを甘やかしてどうすんだよ……役立たねえ道具なんざ生きてる価値のないゴミクズだろうが……ああ?」


その言葉に少年が縮こまる。ガタガタと恐怖に震え、噛み合わない歯を不規則に鳴らし出来得る限り小さくなろうとしている様子は消えてなくなりたいと言わんばかりだった。


そんな少年の肩に本部長と呼ばれた男がそっと手をかけた。


「……立ちなさい。そうしなければ始まらない。始まらなければ終わらない。君はいつまでもここで震えているつもりか?」


しばらく少年の体は震えていた。鼻をすする音がして嗚咽も漏れていた。それでもゆっくりと動き始めると地面を確かめるようにそっと車から降りた。


立ち上がった少年の頭をめがけてマギの手が空を切る。それが少年を打ち据える前に本部長がマギの腕を掴み止めた。


「何のつもりだね?」


「しつけに決まってんだろ……ああ?」


「君が言うにはこの子は使い捨てだ。そんな真似をする必要がどこにある?教育とは将来において必要だからやるものだ」


マギが心底うんざりしたように唾を吐き捨てた。


「くだらねえ……何を一端の大人を気取ってんだクソッタレ。これから死なす実験動物に一々配慮してられるか。馬鹿じゃねーの?」


「君が何のためにここに来たのか忘れたか?この子の世話係ではないし、この子の監視役でもない。この子の事は私が担当する。君は口も手も出さないでもらおうか」


顔を酷く歪ませてマギが嘲笑う。


「そうだったな……俺の仕事はアンタの(・・・・)監視だったっけか……クロス・セージ本部長」


クロスが手を離す。そして、何も答えない。黙ったままマギに視線を注いでいる。


マギは底の抜けた盃のように気にすることなくその眼差しを受け止め続けている。いや、受け止めてなどいなかった。クロスを軽んじ相手にしていない。


その虚無に、無意味な意地の張り合いを止めるように咳払いを運転手の男がした。


「とりあえず、中に入ったらどうっすかね。いつまでもここにいたら邪魔だと思うんすよ」


その言葉に周囲を見る。諍いを起こしている余所者を遠巻きに見ている人々の視線がそこにはあった。当然のように好意的なものではなく忌々しげにしているのでクロスは苦笑して少年を自身の方に引き寄せ、マギはチンピラ同然の態度で周囲を睨み返していた。


クロスはそれを制することはしなかった。黙って少年の背を支えながら歩き出し大聖堂へと入っていく。マギも不愉快そうに舌打ちをするとそれに続いて入っていった。


大聖堂の中はカウツ達が来た時と同じようにパイプオルガンの音が響いている。聖歌隊の歌声が少年の耳に届くとうつむいていた視線を上げた。


演奏を終えたアラタールが近付いてきていた。よく知らない大人のその姿が恐ろしくて、再び視線を床に落とす。


「よくぞ参った。歓迎しよう」


遙か高み、空の上から物申すようにアラタールはクロスに言葉をかけた。


「ありがとうございます、猊下」


それを受けてクロスは深々と頭を下げ敬意を表するが、その背後にいるマギは物珍しそうに周囲を眺めるばかりで気にした様子もない。


アラタールは目を細め手に握っていた杖を床に突いた。


「無礼だな」


「申し訳ありません」


「まあ、いい。猿に礼儀を求めても仕方あるまい。それよりその子供が例の?」


「ご認識の通りです」


「そうか」


アラタールが膝を折り、少年の目線に合わせる。俯いたままなので金色の髪が渦巻く旋毛が見えた。その顎を指で押し上げ顔を上向かせると涙で滲んだ青色の瞳がそこにあった。


「少年、名は?」


問われても彼には答えられない。恐ろしくて恐ろしくて言葉にならない声しか出なかった。


何が恐ろしいのか。アラタールにはそれが分かっている。不憫だとも思う。それ故に少年に対する負の感情は少しもない。


しかし、少年の同行者、マギは兎に角堪え性がないようだった。少年の一挙手一投足に苛立ち不快に感じているようで、それを隠すつもりもない。今も、少年に対し苛立ちをつのらせ暴力的な振る舞いに出ようとしていた。


足を一歩踏み出す。口を開け罵詈雑言を浴びせようとしている。しかし、その口から出てきたのは苦悶の声だった。


踏み出した足がクロスによって踏みつけられていた。「テメエ……」と涙目になりながら文句を言おうとしたが口ごもる。クロスの顔を見て気圧されていた。


そのクロスの表情をアラタールから伺うことは出来ない。ただ、滲み出る気配からその怒りは察するにあまりあるものだった。


「ーー黒です」


唐突にクロスがそう言った。


「その子に名前はありません。便宜的にですが黒、と呼ばれています」


少年の顔を改めて見る。金色の髪、青い瞳。黒と呼ばれる要素はどこにもないように見えた。


少年の視線が横に向く。アラタールの視線に耐えかねたのだろう。


名前がない。少年には与えられて然るべきものが欠けていた。そんな誰にでもあるようなものがないという事実が、少年の境遇をよく表していた。


満足に与えられず、奪われてきた。常に被害者で有り続けたからこそ少年はこうなったのだろう。あまりにも不憫に思えた。


それでも、アラタールは少年の未来を救ってやろうなどとは少しも考えてはいなかった。

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