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人目をはばかり用意された一室に移動した二人はテーブルを挟んで相対していた。どちらにも気負った様子はない。
……それもおかしな話で、本来ならカウツはもっと慌てふためき取り繕うのに必死になっていいはずだった。そうでないというのが既に異常で、ビチューはその理由を判断しかねていた。
交渉に足るだけの材料、あるいは自暴自棄。いずれにしても足元の覚束ない綱渡りをしている。その自覚があるのか否か。
先に口を開いたのはカウツの方だった。
「こちらの事情は概ね把握されている、という事でいいでしょうか」
平坦な声だった。アークティーアまでの道中で話した時にはもう少し気安い口調だったようにビチューには思い出される。
あるいは少なからず緊張しているのかもしれない。ただ一見したばかりではうかがい知れないものが所作の中に隠しきれず現れているやも、と思えば少しは可愛げもあった。
「そうですねえ。そこのところのすり合わせもしたいですねえ。俺には動機までは分かりませんから」
話し合い、交渉事ならば全ての情報をさらけ出しテーブルの上に置いてやり取りするなどということは出来ない。より良い条件で話の決着をするためには相手より多くの情報を持っているに越したことはないからだ。
とはいえ、ビチューにカウツと交渉する気はない。その権限が自分にはないと分かっているためでもある。
だから、カウツが何を言おうがどんな条件を持ち出そうがそれを理由に断り、場合によっては拘束する。そこまで考えていた。
「そうですね」
カウツの視線はテーブルの隅を見つめていた。そこに何があるわけでもない。視線の置き場に困ってそうしただけだった。
「お話しておくことがいくつかあります。そうだな。二つ……いや、三つだな」
「お伺いしましょう」
「第一に、こうしてビチューさんに話しに来たのはビチューさんの責任を取り除くためです。勝手に進めれば、結果はどうあれビチューさんの責任問題になる」
「それはありがたい配慮ですが……最初の話がそれですか?」
カウツは黙って頷いた。
もっと直接的な、言ってしまえば保身に繋がる話をするとビチューは考えていた。例えば既に魔術的な仕掛けを施していて自分を拘束するつもりならそれを使って逃げ果せるとか、そんな話をされると思っていた。
カウツが続けて話し出す。
「第二に、俺には魔術院を裏切るつもりはありません。最悪、目的さえ達成すれば拘束されてもいいと思っています」
「それはどう受け止めていいんでしょうねえ」
苦笑して言う。そもそもからして組合幹部との密談などさせるわけにはいかない。少なくとも自分の独断では許可を出せるわけがなかった。
しかし、カウツはそれを見越したかの様に続けた。
「そして、第三に俺はビチューさんに許可を求めようとは思っていません。トトミー団長に話を通すつもりでいます」
「……どうやって?連絡を取ろうにもレンレセルにいるトトミー君と話なんておいそれとはできませんよねえ」
遠距離にいる相手と連絡を取る方法、通信魔術にはいくつかの種類がある。空間掌握による位置指定を行った上での直接通話と霊流を利用した間接通話である。前者は対象を限定したものであるため、受信者が自動的に気付く事が出来る。しかし、空間掌握をしなければならない関係上その範囲は狭い。超遠距離での通話には向いていない。
後者は世界中に張り巡らされている霊流に情報を転送し受信者側がそれを拾い上げる事で連絡を取るというものである。こちらは長距離通信が可能ではあるが対象が限定されないため傍受の危険性がある上、能動的に受信者側が拾い上げなくてはならない関係上、通信に気づかれない可能性もある。
勿論、魔術院では万が一の事態を想定した体制は整っているが、傍受の危険性があるために内密の会話などはまず不可能だった。
しかし、カウツはそれに対しても首を横に振ってみせた。
「連絡は取れます。その用意もしてあります」
「……本当に?それはどうやってですか?」
「少し、お待ちを」
その言葉と共に中空から抜け落ちてくるように金色の槍が現れる。一瞬、ビチューも警戒するが、カウツは槍を自分の頭に当てると魔術を展開した。
「……聞こえますか?」
呼びかける声はビチューに向けられたものではなかった。ここにはいない誰かに向けたものであった。
「……ええ、すいません。カウツです。今、アークティーアにいます。そうですね、説明をする前に少々お待ちいただけますか」
誰かと喋るように独り言を口にしていたカウツが腕を伸ばすとアレクトがカウツの頭から降りていき腕を伝ってテーブルに移動する。
アレクトに向かって槍を傾け、魔術式を発動すると、アレクトの体が電流でも走ったように小さく震えた。
普段からウサギらしくもない人間臭い表情を浮かべるアレクトからそういった一切の色が消えた。まるで人形のように棒立ちになったアレクトの口が機械的に開いた。
『……何がどうなっている?頼むから分かりやすく説明してもらえるか?』
それは、どうやっているのかビチューには分からなかったがアレクトから聞こえてくるのはレンレセルにいるはずの戦団長トトミーの動揺を隠しきれていない声だった。
「トトミー君ですか?」
『その声はビチューさんですか。一体どういう状況なんですか、これは』
「そうですね。今、俺の前でカウツ君の連れてるウサギ、あのウサギから君の声がしているという状況ですね」
しばしの沈黙、その意味するところは読み取れないが何とも言えない表情をしたトトミーの様子は想像できた。
『……魂を基点とした情報の転送か』
ポツリと呟くように出てきた言葉にカウツが頷く。
「そうです。例の論文の応用ですね」
サーティマ予想の証明に関する論文の事を言っているとビチューにも分かった。魂という個人情報の集積体をポイントマークにする技術とその方法論。
そしてその実践方法を今見せられている。一見すれば容易く見えるが、その方法論の確立が出来なかったからこそサーティマ予想は長きに渡り証明されてこなかった。
その難題の証明によって技術革新が始まろうとしている。それを目の当たりにしていた。
この技術が確立され汎用化の目処が立てば魔術院の活動範囲は劇的に変化する。下手をすれば黒庇山脈越え、それどころか未開拓の東部大陸の開拓さえ視野に入る。
その未来の訪れに身震いさえしそうだった。歴史の変わる瞬間に立ち会っているのかも知れない、その衝撃故に。
しかし、カウツは涼しい顔をして続ける。
「先日、お会いした時にトトミー団長の魂にマーキングを施しました。この通信はそれを利用したものとなっています」
『……つまり、君としては最初からアークティーアまで移動してから何らかの話を私とする腹積もりだった、と考えていいのかな?』
「そうなりますね。レンレセルで話せば、俺はここに来る事さえ許されなかったでしょうから事後承諾、なし崩しを狙っていたと言わざるを得ない」
成程、と納得する。確かに組合との交渉をするにしてもカウツを場に出すかどうかは別の話であり、内容次第ではあるが若すぎるカウツを交渉役にしない可能性は高かった。
『それで?どういった話をしたい?』
「組合の穏健派と取引をしたいと考えています」
『……具体的にどういった取引をするつもりなのか聞かせてもらおう』
探るようなトトミーの声にカウツが頷き、その目的と交渉材料を答えた。そして、その交渉が成功すると思わしき理由、リスクとリターンまで。
そのあまりの内容にトトミーは勿論、ビチューも唖然とする。言葉が見つからず何を言っていいのか分からないといった様子であった。
『……待て。待て待て待て。ちょっと待ってくれ。いくら何でもそれは……いや、確かにその通りではあるんだが。しかし、それでも不確実すぎる……しかし』
「本来ならば、ユアマト院長も交えた話にするべきでした。ですが、それは院長の立場を考えれば中々危うい話になるでしょう」
『……むう』
トトミーが唸り声を上げる。
容易には受け入れられず、さりとて一蹴することも出来ない。二者択一、メリットとデメリットを鑑みてその判断の難しさに頭を悩ませていた。
静観しているビチューの内心も複雑だった。カウツの提案内容に関して彼自身にとってもどうでもいい事と見過ごせない事の二つが入り混じり、リスクを考慮すると天秤をどちらかに傾けさせるのが難しい。
……そのどうでもいい理由がルプス派にとっては重要なのだ。カニス派に押され勢力を取り戻したい戦団と防衛省上層部にとってこれは渡りに船と言わざるを得ない。
だからこそ、恐らくは承認される。ビチューはそう読んでいた。
『……とりあえず待ってくれ。上とも話してみる。連絡は……』
「時間指定をしていただければ、こちらから」
『……了解した。それでは、また一時間、いや二時間後に頼む』
そうして、通信は途切れた。アレクトがハッとしたように体を震わせて意識を取り戻し、カウツの腕を伝って定位置に戻っていく。「上手く出来たかい?」「まずまずだな」と短いやり取りを見てビチューが納得したように頷いた。
「成程、たしかにこの方法なら君を介さず話をまとめることが出来ず、更には連絡手段を君が独占することでやり取りの主導権を握ることが出来る。お見事ですねえ」
「ありがとうございます」
「ただ、ちょっと強引すぎる。後先考えたらこれは間違いなく尾を引きますよ」
この一件でカウツに対する信頼は大幅に下がったことだろう。何をしでかすか分かったものではない。今後はより監視体制が強くなるかもしれない。そういった事を考えれば決して手放しで褒められるような内容ではない。
しかし、カウツは首を振ってそれを否定した。
「後先なんて考える必要はありません。俺の目的はここで達成する他ないんですから」
そう言い切った表情には何の色も浮かんではいなかった。




