10
夜が更け、レンレセルは闇に包まれても灯りが失せることはない。点々と灯る魔力の光が人の営みを夜に表す。特に、魔術院の敷地は不夜城さながらに明々とした建物が林立している。
窓からのぞく風景はさすがに遠い。手を伸ばして届きそうなどとは間違っても思えない。それでもレンレセルで最も背丈の高い建造物を有しているのは魔術院である。あの聳え立つ強い光がこの国を支えているのだ。
頬を撫でる風が吹いて髪がわずかに揺れる。窓に手をかけて閉じようとしたが、止めた。
キーアの部屋の中は一つのランタンが机の上から暖かな光を灯し照らしているが、仄かに暗い。
椅子に座り机に向かうとペンを取り日記を書く。最近は一行で終わるぐらいに書くことなどなかったが、今日は内容をまとめて書かねばとっちらかった事になりそうだった。ため息を吐く。
「フッフフフ、難儀してるのかなキーア」
悪意なく性質の悪い声がする。アレクトの声だった。銀色の体毛は夜の闇に映える。街の遠い灯りがキラキラと輝かせていた。
「うん。何だか何から書いていいのか分かんなくて」
「魔王の大征伐があるからレンレセルが鎖国を行うというので己のルーツを探りに旅に出ることになりました。ワクワク。でいいんじゃないかな」
「ざっくりしすぎじゃない?」
「君の感情を類推する事自体は出来るよ。でも、それを表現するのは自分自身だからね、どう感じ何を思い如何に決断したかは君自身の言葉を用いなければならない」
「決断か……」
果たしてそう呼ぶに相応しい果断を以て自分は旅に出ようとしているのか。キーアには判断しかねた。どうにも状況に流されている側面は否定しきれない部分がある。
もとはと言えば魔王である。魔王を倒すという話が持ち上がったためにこんな状況になっている。ふと彼女の脳裏で疑問が鎌首をもたげる。何故、今このタイミングでそんな話が出てきたのだろうか。
「ねえ、アレクト。何で今、魔術院は魔王を倒そうとしているの?」
「そうだね。その説明をする前に魔王がどういう存在かは知っているか?」
「凄く強い、何だか化け物だってことくらい」
「よし、何も分かっていないな」
何故か嬉しそうに声を弾ませると、どこからともなく指差し棒とホワイトボードを取り出した。
「魔王とは、この世界で最も強大な力を持つ怪物とされており、霊素獣の区分で分けるならば第六段階に相当すると定義されている」
「うん。とにかく強いんだよね?」
あっけらかんとしたものである。
……キーアはあまり魔術や、霊素に関する授業や知識に対して積極的ではなくよく分かっていないが、そもそも霊素獣の区別は五種、あるいは五段階に別けられる。第六種、第六段階というものは存在しない。すなわち、霊素獣という生物を凌駕する個体であり、魔術院にこれに対して対応可能な魔術師はいない、ということになる。
そういった情報をアレクトは口にしなかった。聞いてもどうせ実感が沸かないだろう事は分かっていたからだ。故にアレクトはニヤニヤと笑いながら話を続けた。
「これまでに魔王の大征伐は魔術院からは十一回、天上方舟教会からは六回行われているが、成功したのは四回だけだ」
「……?ちょっと待って。何で四回もやっつけてるの?」
「魔王は一体じゃない。十体存在する。常に一体だけが活動をしていて他の個体は休眠中だ」
ホワイトボードに十個の丸が描かれ、その内五つが黒塗りにされた。
「……それは分かったけど、何で魔王をやっつけなきゃいけないの?」
「それについて説明する前に、霊素獣については分かっているかな?」
「それはさすがに知ってる。霊素をいっぱい取り込んだら凄い強い怪物になるんでしょ?」
「そう。だから魔術院は世界に満ちるこの霊素量を管理するのも仕事にしてるんだが、魔王は自ら霊素を生み出せる性質を持っているとされる」
「魔王がいると、霊素が増えるから霊素獣がいっぱい生まれてくるってこと?」
事はそう簡単な話でもないが、一面的に見ればその通りであるしそこまで突っ込んだ話をする必要もないと判断しアレクトは首肯した。
「そうだね。そして、魔王は活動時間に比例して生み出す霊素が増大するとされている。今の魔王はかれこれ三百年は活動を継続してるからいい加減霊素の増大が問題視されているわけだ」
「な、成る程……」
「で、現在の魔王は六体目。折り返し地点だってこともあって、いい加減これを征伐する事は魔術院、いや、戦団の悲願といってもいい」
「六体目?やっつけたのは四体じゃないの?」
「一体は自ら滅びを選んだ。魔術院が独力で滅ぼしたのは二体。教会との合同で滅ぼしたのが一体。教会だけで滅ぼしたのが一体で今は六体目だよ」
「……教会もやっつけたの?」
「まあ、教会には教会独自の戦力があってね」
頭の奥がぼうっとしてきた。まぶたが重く、今すぐ横になりたいという欲求が湧いてくる。今まで自分には関係ないからと気にも止めずにいたことが雪崩を打って襲い掛かってきたような錯覚さえ覚えた。この情報量を処理できるほどキーアは頭がよくないと自覚していた。
「ゴメン。何だか眠くなってきたよ。話はまた今度……」
「そうかそうか。まあ、仕方ないな。うん。不勉強な君のために今後は都度説明していくことにしよう」
そう話すアレクトの声音はとても楽しそうだった。
「そうね、お願いね……」
ベッドに倒れこみながらキーアは言うと、そのまま眼を閉じ眠りに落ちていった。
「お休み、キーア。よい夢を」
アレクトの声が遠く、子供を寝かしつける親のように穏やかな調子で意識を溶かしていった。




