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おうちに帰るミソロジー  作者: かわのながれ
レンレセルから
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1・プロローグ

 それは霊素の濃い青ざめた夜だった。


 深い深い森の深奥で碧い霧のような霊素が満ちている。


 より深くへ誘う幻想的な光景にはどこか不釣り合いな汽笛の音が鳴り響く。青白い闇を切り裂き、魔力列車が力強く鋼鉄の車輪を回し、煙突から透明感のある緑色の煙を燻らせている。


 折り重なる木々の間と間に闇を孕んだ森の中を、騒がしく鋼鉄の塊が走り抜けていく。風になびいて擦り合わせる草木やその影に隠れた虫の音、ホーホーと寂しげに鳴くフクロウの声が列車のがなり立てる騒音にかき消される。


 列車は恐ろしいほど静かな夜の闇に一時の喧騒をもたらし、また風のように過ぎ去っていった。


 魔術師たちの国、レンレセルは恐るべき不滅の大森林を入り口に据えている。昼日中でも鬱蒼と暗い森だと評判だと言うのにこんな夜更けとあっては尚更である。


 幽霊物の怪その他の何か底知れないものが潜んでいそうな人外の地。闇の中で目を光らす何かが潜む、そんな気配を醸し出す。不気味な程に暗いその道中に魔力列車が照らし出す明かりだけが確かな領域だった。


 列車は長い旅を続けてきた。一月にも及ぶ大陸の端から続いた長い長い旅の終わり、ようやく故郷へ帰って来たと安堵の気持ちもある一方で運転士は気が気でなかった。


 闇夜の隙間に目を光らせる。そこに潜むかもしれない影に怯えているようだ。霊素が濃い、ということは霊素にあてられた獣どもが霊素獣に変質をきたし現れるかもしれない。そうなれば厄介である。場合によっては列車を止めなければならないし、乗客や貨物の安全を確保しなければならない。


 それ自体は実のところ問題ではない。列車には霊素獣と戦える第三種交戦資格を持った護衛魔術師が搭乗する決まりがあり、霊素獣との遭遇それそのものはこれまでの旅路でも度々あったことである。問題なのは不滅の大森林、レンレセル国内での車両停止という事態である。


 車両を停止する度に当然遅延が発生し、その理由をまとめた報告書を提出しなければならない。レンレセル国外での遅延であれば列車や乗客、貨物に影響がなければ然程細かい内容でなくてもいい。適当に書きやすい理由でもーー例えば野性動物の群れが横断していたとかを書いておけばいいが、レンレセル国内での霊素獣による遅延となるとそうもいかず、手間が増えるのだ。


 やれ、種類種族変質状態遭遇時間から撃退までに要した時間、被害報告に果ては分布からの所見から今後の対策案まで求められる。これは護衛の魔術師も書かなければならないので国外であれば当然結託してなかったことにするがレンレセル国内での遭遇ともなると「目」があるためにそうもいかない。


 昨今の国際情勢から大陸を横断するような列車の運行は難しく、数年に一度、一月程もかけて西の方舟大陸から古都大陸の中南部レンレセルまでの大陸大横断が行われる。今回の運行がそれにあたる。この大事業に交代制とはいえ運転士の疲労感は著しく、さっさと帰って解放されたいというのが偽らざる本音であったことだろう。


 早くホームに着いてくれ。車掌は勿論乗務員一同が祈るような気持ちでソワソワとし始めていた。彼らの気持ちを乗せて列車は走る。


 その想いが届いたのかどうか、列車の周辺にポツンポツンと侵入灯のような光が点り始めた。これは入国の際に列車に異常がないかを検知するためのシステムだ。これに引っ掛からなければそのままレンレセル市内(・・)に入ることが出来る。ここまで来れば最早霊素獣は出てこない。


 ほっと息をついたその時、運転席にけたたましい音が鳴り響き、車両に対して停止命令が出されていた。慌ててブレーキをかけると摩擦音が耳障りに響き、少しずつ減速してやがて完全に停止した。


 突然の事態に乗客達がざわざわとどよめいている中、乗務員一同は肩を落としてため息を吐いたり己の不運を嘆いて首を振っていた。


 さて、車両に異常があれば大変な問題だ。霊素獣の比ではない面倒が発生する。点検の問題や安全保障の面から新たな規則が制定される可能性すらある。そうなれば一時の面倒事から継続的な面倒事へと発展する。想像するだけで気が滅入るというものだった。


 せめて軽微な問題であれ。信仰するもののない心中で虚しく祈る。


 様々な責任を背負い面倒事を直近に控えた車掌が青ざめた顔で車両停止の理由を確認すると、入国申請のない者が車両に搭乗している点灯パターンを示していた。


 げっ、と思わず声に出す。車両の問題よりも下手をしたら面倒な事態だったからだ。


 休憩中の乗務員も動員して直ぐ様乗客の入国申請のチェックが行われ迅速な調査の結果、全ての乗客に問題がないことが分かった。となれば今度は貨物に潜んだ密入国である。こちらも直ぐに確認が行われた。


 ただ、貨物室内に隠れ潜んでいるような輩を向こうに回してとなると危険が伴う。車両の護衛に就いていた魔術師の立ち会いを要した。慌てて搭乗員が護衛の魔術師が待機する詰め所に向かう。


 魔術師はーー正確に言えば車掌も、それどころか乗客のほとんどが魔術師であるから護衛の魔術師はーー若い男だった。だがこれがまた実に判断に困る容貌をしていた。髪は老人のように白く、黒いロングコートを纏う体は見るからに華奢であり、細い腕や手などは骨ばっていて病人にさえ見えるという、とても戦闘要員とは思えない風体をしている。更に、どういうわけか七、八歳くらいの子供を連れていた。少しくすんだ金色の髪に覇気のない弱々しい印象を受ける子供だった。


 とても頼りになりそうには見えない男だが、とはいえ既にその手腕はこれまでの道中で確認している。こんな風体でこの男は超人的な戦闘能力を持った怪物である。それが分かっているからこそほんの少しの緊張を伴い慎重に話しかける必要があった。事情を伝えると男は億劫そうに立ち上がりどこか覚束ない足取りで子供の手を引いて歩き出すと、貨物車へ向かった。


 子供を連れてていいのか尋ねると「目を離すのは良くないので」と咳き込みながら答えた。子供は紅葉のような手で魔術師の肉の薄い手を握ったまま俯き黙りこくっていた。強さは知っているが、その散見されるあらゆる要素に今更ながらの不安を覚えつつも今にも倒れそうな魔術師の後に続く。気分はまるで看護師か介護人だったことだろう。


 件の貨物車は既に乗務員達に囲まれていた。爆弾でも囲むように、おっかなびっくり手出しを出来ず遠巻きにしているが、幾人かは健気にも震える手で杖を取り出し万一の事態に備えているようだった。


 無用の気遣い、覚悟か責任感の現れに魔術師はヒラヒラと風に飛んでいきそうな手を振って、気負う必要はないと呑気な態度を見せると胸の辺りにまでその手をやった。下に向けられた掌からやにわに茫洋とした光が現れた。光は次第に強さを増し、目を刺すような黄金色の槍が子牛か子馬が産まれるように掌からずるりと抜け出て現れた。その柄尻が地面に突き立つ少し手前でしっかと握られる。


 魔力列車、大陸大横断の運行はレンレセルが一手に担っている関係上、乗務員は全員が魔術院学部を卒業した魔術師である。しかし、レンレセルに生まれたものは皆、魔術院学部に就学し成績の如何を問わず魔術師という肩書きを持つ。だから彼らは魔術師ではあるが、魔術を主とした専門分野ではなく一般業務に携わっている魔術院の一般職員であり、魔術知識や能力は国外の非魔術師に毛が生えた程度でしかない。


 その彼らでさえ魔術師が出した槍の異様さには息を呑んだ。そこに存在するだけで言葉に出来ない圧力を感じる存在感を放っている。形のある嵐、押し寄せ砕ける前の波涛。抗うことを許さない自然の脅威にも似た、止めどないエネルギーが金色の槍という形をなしている。覇気のない男には不釣り合いのそれは強力な魔術であった。


 暴風にも例えるそんな槍を余りにも無造作に軽く前に差し出すと貨物車全体に青色に輝く夥しいまでの幾何学模様が浮かび上がった。


 魔術とは、意味ある形に適切な魔力を注ぐ事によって発動する術式の事である。魔術的に意味のある形、それが図形であれ音であれ動作であれ、その形式には拘らない。ただその魔術としての複雑さは規模や魔術構成式の数に比例する。そしてその軽々しく使用された魔術が規模も使用される構成式の数も軽くかじった程度にすぎない乗務員達にも明らかに規格外だと見て取れた。そんなものを片手間に成す異常なまでの魔術制御能力に戦いていると若き魔術師はなんてこともなさそうに、ふむ、と鼻を鳴らした。


「三輌目だな」


 ボソリと呟き夢遊病者のような足取りで三輌目の貨物車両に近づくと「開けてください」とまた幽鬼のごとく呟いた。乗務員が慌てて鍵を開けると男は水に揺蕩うクラゲのように音もなく浮遊して少年と共に中に入り込んだ。その所作は全く自然なもので空に浮いたことが当たり前の事だと勘違いしかねないものだった。


 それに続いて中に入ると、ろくな灯りの点いていない貨物車両の中で男は、一つの荷物の前で柳の下の幽霊のように佇んでいた。その荷物はやや大きめの旅行鞄といったところで、よくよく見れば青色に輝いている。


 これに誰かが入っているとしてその鞄は、人が入るにはいかにも窮屈そうで、余程小柄でなければーーそれこそ子供でもなければとても入ることは出来そうにないように見えた。魔術師が確認をとるような視線を乗務員に向けた。乗務員が思わず喉を鳴らしながら頷くと、それを受けた魔術師が鞄にコツン、と槍を当てる、するとまるで目に見えない誰かが代わりにそうするようにロックが外れ鞄が開いた。


 中を見た魔術師が息を呑んだ。手を繋いだままの少年もまた驚いたように体をすくませていた。乗務員も恐る恐る近づくと、魔術師がそれを制止する気配もなかったので鞄の中を覗きこんだ。


 そこには、痩せ細った少女が胎児のように丸まって詰め込まれていた。栗色の髪、肌着同然の薄いワンピース。そこからのぞく細い細い手足。そんな触れればあわや壊してしまいそうな少女の体を青色に輝く幾何学模様が螺旋状に取り囲み、正しく壊れ物を扱うかのように収納されていた。


 少女の瞳は閉じていて意識はなさそうだった。魔術的に何らかの処置が施されているのは明白だった。事情を聞くのは難しいだろう。魔術師は槍を掲げ瞳を閉じると何事かブツブツと呟き始めた。レンレセルの魔術院に連絡を取っているのだろう。


 取り敢えず切った張ったの騒動は無さそうだ。ホッと胸を撫で下ろす乗務員たちがそれぞれの仕事をするべく改めて動き出す。


 その間も少年は少女を見つめていた。卵から孵った雛が親鳥を見るような目で少女を見つめていた。


 それは霊素の濃い夜だった。空を覆う霊流はその向こう側にあるという星の大海を隠し、人が運命を見通す事が出来ないように星の一つも見ることは出来ない。


 二人の少年少女の未来もまた、同様にしてそうだった。


 それでも時は流れ行く。


 そうしてそれから十年の月日が流れた。

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