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500円の彼女③

これで完結です。

 目が覚めると、僕は照明の付いていない薄暗いリビングの中で、椅子に縛り付けられて座っていた。ロープで腕と足、それから手首まで椅子の後ろで縛られてしまっている。何度か殻を動かそうとしてみたが駄目だった。


 部屋の中を見渡してみる。目の前には閉ざされたふすまがあり、中からは明かりが漏れている。右手にベランダへの窓があり、左を見ると、僕のすぐ横に小さなテーブルがあった。僕は何が起こったのか状況を思い出してみる。後頭部の鈍い痛みとともに記憶が少しずつよみがえって来る。



 アパートを出ようとしたとき、後ろでドアの開く音がした。ぎょっとして後ろを振り向いたらドアから斎藤が出てきた。それから走って逃げようとして……。何で殴られたかまでは記憶にないが、血は流れていないようだし、金属バットなどではないだろう。殴られたという事実がそれでなくなるわけではないけど。


 記憶の中にいる斎藤はほのかな笑みを浮かべていた。まるでここまで来ることを待っていたかのように。斎藤の顔を思い出すと腕が鳥肌を立った。


 部屋の中の時計は1時30分を指していた。つかまってからそう長く時間はたっていなかった。助けを求めて大声を出そうと思ったが、さっきの斎藤の事を思い出すと声が引っ込んでしまった。次は何をされるかわからない。これから拷問でもされるのだろうか、家までついてきたことの罰を与えられるのだろうか。笑みを浮かべながら人を殴る男だ、何をされてもおかしくない。口の中が震えてカタカタ音を鳴らす。


 10分ほど時間がたった後、ふすまが開いた。斎藤が中から現れた。彼はさっきと同じ紺のスーツを着ているように見えたが、よく見るとそれはタキシードだった。公園で見かけた時はスーツだったはず、着替えたのだろうか。斎藤は椅子に縛り付けられている僕の事を見てにやっと笑う。


「僕を捕まえていったいどうするつもりですか?」


 僕は震えた声で斎藤に訊ねる。斎藤は無視してこちらに近づいてくる。口の中の震えが増していく。斎藤は椅子の後ろにまわり、椅子の背もたれの部分に手を付けた。このまま押し倒されるのだろうか、恐怖で体が支配される。


 しかし、斎藤は、よいしょと声を出しながら椅子をふすまの方へと押し始めた。初めて聞く斎藤の声だった。椅子はギギギと音を立てながらゆっくりとふすまの方へ進んでいく。僕はただ動きに身を任せることしかできない。ふすまとリビングの間にはふすまを開閉するための溝があり、そこでようやく止まった。


 ふすまの奥は畳の部屋になっていて、向こう半分が赤いカーテンで閉ざされていた。こちら側の半分にはタンスが置かれており、布団が敷かれていて、脱ぎ捨てられたスーツが上に散らかっている。斎藤は部屋に入るとカーテンの方へ向かった。一度僕の方を見て、一気にカーテンを開く。カーテンの奥は金色に光り輝いていた。蛍光灯の光が壁に反射して部屋が金色にかがやく。僕はまぶしさに目を狭める。


 部屋の明るさに慣れてきたころ、やっと光の正体がわかって来た。壁一面に500円玉が張り巡らされているのだ。窓の前のカーテンにまですべて張りつめられている風景はまさに異様だ。光の中で立っている斎藤の姿は不気味さを通り越して神々しさを漂わせていた。壁の上から下までいったい何枚あるのか数えてみるが、だんだんと目が痛くなってくる。これまでに見たことのない量の500円玉に僕は言葉を失う。きっと今日集めた500円玉もどこかに張り付けられているのだろう。


 向こうのスペースの真ん中に、台が一つ置かれている。斎藤の腰ほどまでの高さの台だ。台の上には赤いクッションが置かれている。斎藤はクッションの上から何かを取った。やっぱり500円玉だ。恍惚とした目で手にした500円玉を見つめる斎藤は、甘い香りを漂わせていた。斎藤は500円玉を自分の顔に近づける。そして次の瞬間、彼は500円玉の表面に熱いキスを交わした。僕は反射的にはっ?と声を出してから、眼を見開いたまま固まってしまった。


 彼はコレクターなんかじゃない。500円玉を集めていた目的はそんな優しいものではなかったんだ。彼は500円玉に恋をしている、それも熱烈に。10秒ほどの熱いキスを終えると、斎藤は胸ポケットに入っていたハンカチで500円玉を綺麗にする。それからまだうっとりとした表情で僕の方に顔を向ける。僕は肌がさっと立ち上がった。斎藤から神々しさは消え去り、今は得体のしれない不気味なオーラしか感じ取ることができない。


 なぜ僕がこんなものを見せつけられているのか。熱いキスを見せられたからと言って、僕が斎藤に何をできる?


「もういいですか?」


 僕はかすれた声で尋ねるが、斎藤は首を横に振る。目が熱くなるのを唇をかみしめてぐっとこらえる。


 斎藤は500円玉をクッションの上に戻すと、こちらに近づいてきた。今度こそ殺されるのかと思ったが、彼は僕の横を通り抜けリビングに向かう。斎藤はリビングから椅子をもう一脚持ってくる。部屋の左端、ちょうどタンスの前にその椅子を配置させ、その上にBluetoothのスピーカーを置いた。こんな深夜に何を流すつもりなのか。今度は斎藤は部屋の片づけを始めた。布団の上のスーツをハンガーにかけ、布団をたたんでリビングに持っていく。


 カーテンのこちら側半分をすっきりさせると、今度はそこに赤いフェルト布を敷き始める。部屋の半分が金色の壁、もう半分が赤い床という、なんとも豪華な部屋が完成した。斎藤は完成した部屋を見てうんうんとうなずく。もう一度僕の方に顔を向けると、僕に殴りかかった時と同じ顔で僕に笑みを飛ばして来た。部屋の照明が小さい橙色に変わる。斎藤は500円玉の置かれた台まで戻るとスマホから何かを流し始めた。


 ザーザーという音が部屋に響く。斎藤が深呼吸をしている。何かが始まる。しばらくすると、それが人の声に変わった。


「新郎、あなたはここにいる新婦を、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、妻として愛し、敬い、いつくしむことを誓いますか」


 片言の日本語だった。思わずえっと声を出してしまう。しかし僕の声は斎藤の耳には届いていないようだ。


「誓います」


 斎藤は力強く答える。重く、どっしりとした声だった。


「新婦、あなたはここにいる新郎を、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、妻として愛し、敬い、いつくしむことを誓いますか」


 答えはない。ただ斎藤がいつくしむ瞳で新婦を見つめているだけだ。


「それでは、二人の誓いのキスを」


 斎藤は新婦を優しくクッションから抱き上げると、さっきよりも甘い、誓いのキスをした。BGMがゼクシィのCMでよく聞くものに変わる。僕は自分の置かれている状況がやっと理解できた。僕は二人の愛の証人なんだ。二人の永遠の愛の始まりを見届けるために今僕はここにずっと座らされている。この結婚式が斎藤の一人だけの思い込みにならないように。もしかしたら、夢の中で啓示があったのかもしれない。


「結婚するなら誰かに見られていたい」と。


 新郎新婦のキスは1分ほど続いていた。新郎の唇は新婦を離そうとしない。新郎は眼を閉じているが、そこには僕に対しては決して見せない優しさがあふれていた。この愛は新郎の愛が尽きるまで続くだろうし、そんなことは決してないのだろう。僕は我慢していた涙が急にあふれ出して来た。急に視界が潤み始める。男からは、もう恐怖は感じられなかった。きっとこの涙は、もっと別の感情の何か……。スピーカーのBGMが終わると二人の結婚式も無事に終了した。


 解放されたとき、時刻は2時24分を回っていた。あたりはまだ肌寒い夜の気配に包まれている。じんじんととしびれが残っている手首を見るとさっきまでの事が夢ではなかったのだと実感する。


 結婚式が終わった後、斎藤はあまりにもあっさりと僕を解放した。ふすまの扉を閉めた後の彼は、コンビニで出会った時と同じ、無口で無表情な男に戻っていた。


「お幸せに」


 部屋を出る直前、玄関まで僕を追いやる斎藤にささやいてみた。言わないわけにはいかない気がしたから。やっぱり返事はなかった。僕は閉められた玄関の前でお辞儀をして立ち去った。アパートを出る途中、扉の開く音がしたような気がした。


 再び公園に戻って来た。斎藤が座っていたベンチに僕も腰を下ろしてみる。彼はここで愛を誓っていたのだろうか。誰にも理解してもらえない恋の試練を乗り越えようと誓いを立てていたのだろうか。それともいつ愛が結ばれるのかわからない恐怖に身を震わしていたのかもしれない。


 僕はあんな風に誰かを愛せるのか。さっきまで熱かった目が、まだあの時の衝撃を記憶している。スマホを開いてみると、好きだった女の子たちのラインをまだ開いていないままでいた。どちらもスタンプで終わっている。斎藤の結婚式の事を思い出すと、僕の抱いてきた思いがどれもちっぽけなものに思えてしまった。僕が必死につかもうとしてきたなにかは、多分愛などではなかった。愛と呼ぶにはあまりにも軽すぎた。たった少しの試練で思いが全て吹き飛んでしまうくらい。


「ごめんね、さようなら」


 二人にそう返信して、ラインをブロックした。明日、財布を取りに行くついでにユニフォームも置いてきてしまおう。斎藤に渡した僕の500円もちゃんと取り戻さなくちゃ。もう一度、ゼロから誰かを愛してみたい。今度は試練の大波に耐えれるくらい強くなって。


 公園を出て今度は左に曲がる。水たまりに映る夜空からは星が顔を出し始めていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

別の作品もありますので、そちらの方もよろしくお願いします。

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