500円の彼女②
その2です。次回完結します。
「あの500円玉の人ね!帰り道一緒とか衝撃的だね(笑)」
茜ちゃんからの返信はすぐに帰ってきた。やっぱりさみしいんだ。「どこまで一緒なんだろう」なんて返信を打ちながら、僕は公園を右に曲がる。左に曲がれば僕の家がある。
できるだけ足音を立てないように男の後をつける。20メートルくらいの距離を常に開けるように気を付ける。男はまだ後ろを振り向く気配はない。20メートル間隔で置かれた街灯の光は、月の光なんてなくても十分に道を照らしている。夜道がいつも以上に明るく感じる。
もしあの男が闇の組織の一員ならば、僕はバレたら変な薬を飲まされるのだろうか?
茜ちゃんにも送ってみる。このネタわかるかな?
男は突き当りを右に曲がる。曲がった先には階段があったはずだ。僕は見失わないよう少し速足で突き当りまで向かう。額に汗がにじみ始める。おろしていた袖を肘あたりまでまくる。突き当りまで来たら、すぐには曲がらず、手前のフェンスに一度身を隠す。
もし泳がされていたとしたらどうしようか。男の姿が見えなくなると不意に不安が襲ってくる。曲がり角を曲がったら男が待ち伏せをしているかもしれない。汗が首筋を伝いシャツの中へ落ちていく。鼻から深く息を吸ってみる。心臓の音が体中に響く。
僕はゆっくりと顔だけのぞかせてみる。男は20段ほどある階段をほとんど登り切っていた。相変わらず後ろを振り向く気配はない。僕は男が階段を上りきるのを見届けてから階段を上り始める。一段一段慎重に足を運ぶが、その間に男の姿はどんどん小さくなっていく。ポケットの中でバイブが鳴るがさすがに無視するしかない。10段登りきったところから、1段飛ばしで登りはじめる。足音が砂利を踏む音とともに鳴る。
階段を登り切ると、男との距離は最初尾行していた時より5メートルほど開いてしまっていた。僕は鼻から荒い息を出しながら追いかける。シャツを脱いでしまいたかった。男との距離を元に戻しながら、スマホを見ると時刻は0時45分を回っている。男の家は案外僕家から近所ではないようだ。茜ちゃんからは工藤新一のスタンプが送られてきていた。僕はふっと笑いながら、既読をつけずににスマホを閉じる。
男が一つ先の十字路に差し掛かった時、十字路の右の道から警官が歩いてきた。夜のパトロールだ。男は警官に軽く会釈をしてそのまま十字路をまっすぐ歩く。警官もこの時間に帰るサラリーマンにわざわざ話しかけはしない。警官がやってくる。僕はスマホを取り出して警官を見ないよう歩みを進める。脇の下が じわっとにじむ。
「君、大学生?」
対策むなしく警官が話しかけてきた。20代後半くらいのマッチョな男性だ。僕はスマホから顔を上げ、ハイと返事をする。補導される年齢じゃない。悪いことは、多分、していない。
「こんな時間まで何してたの?」
「バイト帰りです。夜勤だったので」
警官の横から男の姿を見ようとする。男は二つ目の十字路を左に曲がった。警官が歩きスマホがなんとかと注意をしているが、頭に入ってこない。太ももが速く歩き始めたいとうずうずしている。学生証の提示を求められたが、財布の中に入っているため、応じることができなかった。警官から疑いのまなざしを向けられたが、名前と年齢、大学名を伝えると仕方ないといった様子で解放してくれた。僕は駆け足で男の後を追う。ここまで来て逃したりはしたくなかった。視界が涙でぼやける。今日はことごとくうまくいかない。
二つ目の十字路を左に曲がると、正面に二階建てのアパートが一軒。そこで行き止まりだ。他に家はない。白塗りのさびれたアパートだ。築30年くらいはたっているだろうか。入口には「グリーンハイツ」と書かれた看板が打ち付けてある。郵便受けを見る限りでは、101号室から203号室まで部屋があるようだ。
男はこの6部屋の中のどこかにいるはずだ。1階と2階それぞれ1部屋ずつ明かりがついているから、そのどちらか。できるだけ近いところまで迫ってやりたくて、明かりのついた部屋を回ってみる。102号室の標識は字がかすれているが、ギリギリ「斎藤」と読み取れる。茶色のドアに、ボタンだけが付いたインターホン、黒い鉄格子の付いた小窓が付いているさびれた玄関。今日、この時間帯に明かりがついていなければ決してこのドアの前で立ち止ることはなかっただろう。
今度は201号室に向かう。鉄の階段は1段登るたびに、カン、カンと音がアパート中に響く。足音はもう、どうでもよかった。201号室の小窓は空いていた。部屋の中からはテレビから流れる笑い声が聞こえる。標識に名前はない。きっとこの部屋ではないな。僕は201号室に向かってお辞儀をして、階段を下る。
500円の男の正体は、グリーンハイツの102に住む斎藤という者だった。これだけわかれば調査結果としては十分じゃないか。そもそも最初の目的は男がどんな所に住んでいるのか知ることだった。目的は達成されたじゃないか。僕は自分に言い聞かせる。斎藤はさびれたアパートに住みながら500円集めに明け暮れる哀れな男。日々いろんな店で嫌われながら500円玉を集め、帰りの公園でその日の収穫に喜びに浸るかわいそうな男だ。そこまで考えてみると、今日の出来事も許していいような気がしてきた。
僕は再度102号室の前に足を運ぶ。小窓近くの照明は消えていたが、ほんのりと奥の部屋の明かりが漏れている。おやすみなさい、斎藤さん。ドアに向かってお辞儀をしてから来た道を引き返す。夜風が僕を通り抜ける。汗はすっかり乾いていた。僕はもう一度袖を下ろす。空を見上げてみるが、雲はまだ晴れていなかった。茜ちゃんへの返信どうしようか、僕はポケットからスマホを取り出してみる。時刻はもうすぐ1時になろうとしていた。
入口にまで来た時、背後で扉の開く音がした。




