神様から望みを聞かれて答えたら聞き間違えられたお話
久しぶりに家から出た。深夜のコンビニで買い物をして帰る途中……トラックにはねられた、みたいだ。
みたいだって言うのは、俺はなぜか上空から見下ろしているような視点で、壁に突っ込んだトラックだけが見える。
ぶつかった瞬間のことは何となく覚えているから、俺は間違いなく生きていないだろう。
そう、俺は死んだ。そう自覚した瞬間、上下の間隔が消えた。左右もわからなくなった。
そうして視界が暗転して……時間の感覚もなくなる。これが死か。圧倒的なまでの感覚にその身を任せ、俺は消えていった……はずだった。
「いらっしゃーい!」
やたらめったら陽気な声が響く。
そこには長い黒髪をなびかせて振り向いた女性がいた。真っ赤な瞳に、血の気がないと思えるほどに白い肌。
整った顔立ちはこの世の者とは思えない雰囲気を醸し出す。
「へえ、勘がいいんだね」
「え?」
「そう、私は……あんたらの概念で言うところの神様ってやつだ」
「お、おう」
何言ってんだコイツ?
「何言ってんだって言いたいのもわかるけどね。事実だからしょうがないじゃない」
心が読まれた!? そう思った瞬間、神様(?)はその秀麗な顔をニヤリと笑みの形に捻じ曲げる。
「ふふ、秀麗って。あんたいくつよ?」
「えっと……今何年ですか?」
「令和二年、のはずよ?」
「あー……じゃあ三二、かな」
「ふうん。ところでさ、何を血迷って家から出たの? おかげでイレギュラーな死人が出ちゃって面倒な仕事が増えたじゃないかこの野郎!」
なんで俺は怒られてるんだろうか。まあ、年月の感覚がなくなるほど引きこもってたのは事実だ。
「……グッズが、ほしいものがあったんだ」
「へえ。それってこれのこと?」
神様の手元にポムッと音を立ててモフっとしたぬいぐるみが現れた。それは、人気アニメ作品で主人公が飼っている犬を模したもので、俺が子供のころ飼っていた犬にそっくりだった。
「ああ、もう、いちいち一人の人間に触れるもんじゃないわね。引きずられそうだわ……。あんた。このまま死んで消えるのと、もう一回人生やり直すのと選ばせてあげるって言ったら?」
「え? 生き返れるの?」
「んー、あんたはこの世界ではもう死んじゃったからね。神様の辞書にも不可能って文字はあるのよ」
「ってことは……異世界に?」
「おお、話が早いわね。そうそう、それそれ。何となくそういう気分だから大サービス。一つだけ能力をつけてあげるわ!」
チート。何とも心躍る単語である。昼夜関係なく読みふけっていたweb小説は俺の中にもう一つの俺を作り上げていた。そのもう一人の俺がノータイムで叫んだ。
「全てを屠る力をくれ!」
「……いいの? そんなんで」
「いいに決まってる!」
「わかったわ。今からあなたが望んだ力を授けます。で、そのまま転移してもらうから。よろしくね」
「おう、俺は天下を取るんだ!」
「天下って……まあいいけど。んじゃいくわよ!」
そう神様は宣言すると、どこからともなく巨大なハリセンを取り出し、俺に向けてフルスイングした。
「なんでやねーーーーん!?」
シバかれた俺がツッコミを入れるという何とも言えないオチを残して、俺は新たな世界に旅立った。
頬に柔らかく濡れたものを押し付けられている。それは何やら動いていてやたらくすぐったい。
目を開く。顔の左半分にもふもふふわふわした感触があった。
目線をそっちに向けると、グレーの毛皮が見える。
ガバッと起き上がると「キュッ!?」っと驚いたような鳴き声が聞こえた。
そこにいたのはウサギだった。グレーの毛皮がふかふかだ。耳もピーンと立ってこちらに向けている。そして、きょとんとした目でこちらを見上げてきた。
そして今いるのが異世界だとはっきりと理解させるものがあった。ウサギの額から鋭い角が生えていたのだ。
あれが刺さったら死ぬっていうくらい鋭い先端は、陽光を反射させてきらりと輝いた。
そんな物騒なもんをこっちに向けているウサギの眼は果てしなくつぶらで、なんとなくキラキラしている。
「キュ?」
鼻を鳴らしたような声をあげて、コテンと首を傾げた。……限界だった。
驚かせないように手を差し出す。腹ばいになって目線を合わせた。差し出した手に……ウサギはちょこんとあごを乗せてきた。……手触りがやばかった。これがラビットファーか! と心の中で絶叫する。
「よーしよしよしよしよし」
片手はそのままあごの下において、もう片方の手で背中を撫でる。ゆっくりと手を動かすと、最初はキュッと丸まっていた背中が伸びてきた。
「長っ!?」
ウサギって身体伸ばすと長いんだな……。そしてなんか「きゅー」とか気が抜けたような声を出しつつ、身体がゴロンとひねられた。
へえ、腹の毛は白いのか。うおおおおお、また背中側と違ったモフモフ感が……。
その手触りのすばらしさに我を忘れて撫でまわした。もうもふもふもふもふと。
ウサギは身体を伸ばして脱力しきっている。こんな野原のど真ん中で野生を忘れ過ぎじゃないかい? と思うが、この手触りに俺も我を忘れた。
もふもふもふもふもふもふぐるるもふもh……。
ん? なんかもふもふの間にノイズが混じったような……?
気づくと周囲をオオカミのような獣に取り囲まれている。目をランランと光らせ、飢えているのかよだれを垂らしている。ウサギとか人間なんかこいつらからすれば被捕食者。美味しい餌にしか見えないのだろうか?
「ぶー!」
唐突にウサギが元の姿勢に戻り、ずだんと足踏みをした。不満げに鼻を鳴らしている表情は、さっきまでの緩み切っていた様子はなく、なぜかイラついている雰囲気を漂わせている。
「おいおい……」
ぐるるがるると威嚇してくるオオカミどもに、ずだん、ずだんと足踏みをする。ウサギはあまり声を発しないようだ。その分地面を足で叩き、音を立てることで威嚇している。
その音は腹に響くような重い音で、ウサギの大きさからは考えられないほどだ。そして、破局は訪れる。
「ぶー!」
大きく鼻を鳴らしたウサギが弾丸のように跳躍した。
「ギャウン!?」
その額から生えたツノは見た目通りの鋭利さでオオカミの首を貫いた。跳躍から着地したウサギは次々、ひと跳ねごとにオオカミを屠っていく。
その光景を俺は茫然と見ていることしかできなかった。
時間にしてどの程度だろうか。俺たちを取り囲んでいたオオカミの群れはすべて物言わぬ骸となった。
あたりに立ち込める血の臭いがこれが夢ではないことを示している。返り血で真っ赤に染まったウサギは、プルプルと体を震わせると、元の毛並みを取り戻し、恐怖に身動きが取れない俺に体をすり寄せてきた。
「キュ?」
先ほどまで殺気を振りまいていたとは思えないほどのつぶらな瞳で俺を見上げてくる。そして撫でろと言わんばかりに体を押し付けてくる。
「なんなんだ……」
俺は絶望的な気持ちでウサギに手を伸ばす。あの角は一突きで俺の命を奪い去るだろう。しかし、愛嬌を振りまくこのウサギからはそんな雰囲気は一切感じられない。
恐る恐る伸ばした手に自ら身体をスポッと収めるように飛び込んでくる。その手触りはやはり極上で、我を忘れかけたが、何とか踏みとどまる。
周囲を見渡すと死屍累々と言ったありさまで、血の臭いを嗅ぎつけてほかのケモノがやってくるかもしれない。
指を口に含んで頭上にかざす。そうして風向きを感じ取ると、俺は風上に向けて歩き始めた。周囲は見渡す限りの平原で、まるっきり平坦というわけではなく、若干の起伏がある。
俺が今向いている方角がどちらかはわからないが、その先は緩やかな登りとなっており、坂の頂点が視界を遮っていた。
そうして、俺は斜面を駆け上がる。草を踏みしめる柔らかな感触と耳元で鳴る風の音。抱き上げたウサギはでろーんと脱力している。俺の手の中が気に入った様子だ。
ここがどんな世界かはよくわかってない。とりあえずモンスターがいるということは理解した。どんな人間がいるのか、魔法はあるのか、それこそ魔王はいるんだろうか。
俺は勇者じゃない。俺の能力もよくわからない。わかってないことばかりだ。
駆け上がった先はまた草原が広がっていた。見えなかった先の景色を知ることができた。
そしてふと気づく。草がない、地面がむき出しになっている場所があり、それは俺の目の前を左右に伸びている。
「これは……道だ!」
そうとわかればその道沿いに歩く。どっちへ行くかはウサギが向いている方角にした。なんだかんだ言って命の恩人だしな。このまま進めば、どこかにたどり着いたり誰かに出会うことになるんだろう。
なんだか楽しくなってきた。先ほどまで抱いていた恐怖も忘れ、俺は道の景色に心を躍らせる。
そうしてしばらく歩いていると、行く先から誰かが歩いているのが見えた。俺は大声をあげてそちらに向けて駆け出した。