C級ハンターの放浪ドラグーン
王都リグレディアの王城を飛び出してから今日で二日目。
通常よりもずっと高高度で南西に飛行している私たちの眼下には、太陽に照らされて特有の奥行きを見せる雲海が遥か彼方まで広がっている。
『ティフ、そろそろ降下しよう。高度を百まで落として』
『了解です姫様!』
私が騎竜に念話で指示を出すと、彼女はすぐに返事をして滑空体勢に移行した。
きっと王都では騎竜と共に消えた私を探して騒ぎになっている事だろう。私だって申し訳ないとは思うが、両親も前々から私の放浪癖は分かっていただろうし、置き手紙にも思いを綴ってきた。これ以上私に出来ることは無い。
ゆっくりと高度は下がり続け、やがて私たちは白い海原の中に潜り込んだ。途端に視界が真っ白に染まり、明るい緑の鱗に覆われたティフの背中以外何も見えなくなる。加えて細かい水滴が全身に纏わりついて私の自慢の銀髪も湿り気で癖が出てしまう。
私は堪らず片手を手綱から離し、髪が風で勢いよく靡いているのを押さえた。
『姫様、ちゃんと掴まっていないと危ないですよ!』
『ごめんごめん、髪が鬱陶しくて。ところで、ティフ』
『なんでしょう?』
『姫様呼びはもうやめて』
『ええっ、何故ですか!』
私が念話を伝えるとティフは驚いた様子で背中の私の方を見つめてくる。
確か昨日も言った筈だが、忘れているのだろうか。
『私、もう姫じゃないから』
『そんなことありません、姫様は姫様です! 私は姫様の専属騎竜として共に過ごし、姫様が幼い頃から全てを捧げてきたのです!』
『ちょ、分かった。分かったから、空中で暴れないで』
ティフは自分がいかに私を思っているのか伝えるため、翼を羽ばたかせ全身でアピールしてくる。
それにより速力が減少した私たちの身体はガクッと地面に引っ張られ、白かった視界が見る間に薄暗くなった。
竜でさえ平衡感覚の狂う雲中でそんな芸当をして平気なティフは流石と言うべきか。
『でもこれから先、その呼び方だと私のことを嗅ぎつける連中も居るかもしれない。あの窮屈な生活はもう御免なんだ』
『追手など全て返り討ちにすれば良いじゃないですか』
『火種をばら撒くな。私がやりたいのは逃亡劇じゃなくて、普通の旅なんだ』
ティフの純粋で的外れな返答に私は頭を抱えて説得を続ける。
私はこの旅のために一年もの間準備してきた。あまり計画を立てるのは得意ではなかったが、それでも私なりに万全の態勢を整えたのだ。妙なところで足がついて計画が頓挫するなんてことは避けたい。
『姫様がそこまで言うのでしたら、アルフェルナ様とか?』
『おいおい本名が良いわけないだろ! 私はこれからはリーナという名前の、スラム出身のハンターになるんだぞ』
『仕方ないです、ではリーナ様と呼ばせて頂きます』
『 様 も駄目だ』
『くっ、流石に呼び捨ては許容できません、リーナ姐さん』
『頑固竜め……それで構わない。ほら、雲を抜けるぞ』
私がティフに何か言うのを諦めた頃、私たちはようやく分厚い雨雲を突き抜けた。
眼下には広大な草原が広がっていて雨季に現れる沼地も何箇所か見つけた。また正面向かって左側には連なる山々が雲に突き刺さっていて、右側の遥か向こうには海が見える。
そして正面、街道が敷かれた先には雨によって白く靄が掛かっている巨大な都市壁が確認できた。
あそこが私たちの最初の目的地である交易都市ウーランだ。首都リグレディアから南西の方向にあり、さらに西の沿岸部にある大都市エテロロとちょうど中間に位置していることから、貿易の中継拠点として発展を遂げたんだそうだ。
物も人も情報も集まる、私たちの旅の始まりとして十分な都市だ。
『ティフ、左に進路を取りながら降下。街道から少し離れたところに着陸して』
『了解です姫……リーナ姐さん!』
◇◆◇
「んぐ、ウーランへの侵入成功、ここまでは計画通りだ」
地上に降りて白のフード付きローブに着替えた私は、肉の串焼きに齧りつきながら石畳の街道を歩いていた。
雨だと言うのに周囲には数多くの出店が並んでおり、人通りも王都に負けるとも劣らない。そしてすれ違う人々はみな談笑したり急いでどこかに向かったりと、私たちを気に留める様子などない。
私はこの雰囲気が大好きだ。私も言葉遣いや細かな礼儀作法なんて忘れて自由に行動が出来るから。
「この肉、すごい美味いな」
「きゅ〜♪」
城では食べられない肉汁の滴る肉に舌鼓を打っていると、首に掴まるティフもフードの中から首を伸ばして美味しそうに肉に食らいつく。彼女は元々の姿では目立つので、魔法により姿を仔竜に変えているのだ。
「んむっ……よし、腹ごしらえもしたし、まずはギルドに行こうか」
『リーナ姐さん、ハンターギルドに参加するのですか?』
「そうそう。ライセンスを貰って、私たちは完全に別の身分を手に入れる。そうなれば自由の身だ」
私は残りの肉を全て頬張ると串を炎魔法で燃やして塵にした。それからフードを深く被り直すと、周囲の建物より一回り大きく、赤と白のレンガで建てられたギルド役場に向かって歩みを進めていく。
大きな都市に入るには身分証の類が必要だが、私は王族紋が刻まれた短刀しか持ってない。なので今回は商隊の目を盗んで荷物に忍び込み、そのまま検査を抜けて街への侵入を果たした。
こういうことは得意だが万が一のこともあるので、まずはウーランでハンターライセンスを取ろうと考えたのだ。あれは街の出入り程度なら身分証として機能するから、私たちの旅の足とするには最適なのだ。
「お邪魔しまーす」
ギルド役場に着いた私は両開きの扉を引いて中に入る。そこには各々の武器を担いだ男たちが多く集まっており、テーブルや掲示板の方から様々な声が飛び交っていて外の通りよりも騒がしい。
私はフードの中で首に掴まっているティフを腕に抱え直すと、受付のようなカウンターがある場所に歩いていく。
「おいおい、ここは嬢ちゃんの来るような場所じゃないぜ」
「道に迷ったんじゃねーのかぁ?」
「早くママのところに帰んな〜」
その途中でハンターと思われる男たちから茶々を入れられるが、それも別に気にすることなくカウンターに向かった。
私たちの今の姿はまともな武器も身につけていない、ただの少女と使い魔の仔竜だ。場違いと言われるのも仕方ない。
「きゅー! ギュルル!」『あいつら! 姫様のことを侮辱しました! 許せませんっ!』
ただしティフは頭にきたようで、私が先に彼女を腕に抱え直していなければ彼らに飛び掛かっていただろう。加えて私の姫様呼びも復活しているが、幸いにも仔竜状態の彼女の念話は私にしか聞こえない。
「こらこら暴れるな。なんとか抑えてくれ」
『で、ですが……!』
「私のために怒ってくれてるのは分かるが、ここで騒ぎを起こしたくない」
「グゥルル……」
私の懐でパタパタと暴れるティフを小声で宥めるとやがて唸りながら大人しくなった。
慣れるまでしばらくはティフから目を離さないようにしなければ。私はそう肝に銘じると、カウンターの向こうに居る短い茶髪の少女に声を掛けた。
「こんにちは」
「こんにちは、お嬢ちゃん! 今日はどんなご用件でしょうか!」
「ああ、ハンターライセンスを取りに来たんだが、スラム出身で身分証明はない」
「ライセンスの取得ですね! ちょっと待っててください〜」
私が手短に要件を伝えると、彼女は頭上から覗く猫耳をピョコッと動かして準備を始める。
街中でも見かけたが、彼女らは獣人という種族だ。身体能力が高く勉強は苦手な傾向が強いため、貴族や王族の間では差別意識が残っている。
私が権力者を嫌う理由の一つだ。私だって獣人みたいなものなのに、それは例外にするのも自分勝手な権力者の言い分で気分が悪い。
そんなことを考えていると、猫耳少女が一枚の紙とペンを私の前に差し出してきた。
「はい、これに必要な情報を書いてください! あ、代筆は必要でしょうか?」
「必要ない、自分で書ける」
渡された用紙には名前や年齢、戦闘方法などを書く欄があるが、特に難しいことはない。私は素早くペンを走らせて欄を埋めてしまうと、カウンターの少女に返した。
「んーっと……はい! リーナさんですね、特に不備などは無いようです! では、カードをお作りしますので、その間に実力判定を受けてください!」
「実力判定とはなんだ?」
「えっと、ギルドの役員と軽く手合わせして、ランクの初期値をCからEのどれかで設定するのです!」
なるほど。一律のランクで始めるのではなく、実力のあるハンターは最初から高ランクに行かせて効率化を図っているわけか。
書類を書くだけと思っていたから少し焦ったが、なんてことない。普通に終わらせてライセンスを取ってしまおう。
「判定場はあちらです! そちらの専用の武器を持って向かってください!」
「分かった」
私は猫耳少女が指した武器置き場に向かうと、ティフを首の後ろに戻して少し長めの木製の剣を右手に取った。それから少し振ったり回してみたりして感触を確かめる。
少し軽過ぎる気もするが、支給品にしては悪くない。十分だろう。
『リーナ姐さん、少しは手加減しましょうね』
私はティフに応える代わりに風切り音を鳴らして剣を振り、隠れて練習を重ねた過去を思い出す。
今日から私アルフェルナは、この国の王女ではなくティフと一緒にハンターとしての生活を始めるんだ。
私は新たな人生への期待に心を踊らせて、判定場へと続く扉を開けた。




