異世界探偵の被害者当て ~あなたは『誰を』殺したのか~
懐かしい夢を見た。遠い幼い日の思い出。
孤児院の中庭で小さな女の子が泣いている。白い毛織のワンピースが泥で汚れ、膝や手には薄くすり傷が出来ている。
その傍には気まずそうに佇む男の子。そして、修道服を纏った先生。
「あらあら。『誰が』『誰を』『どうしたの』?」
先生が私を手当てしながら優しく訊ねた。
「『あっくん』が『私』を後ろから『突き飛ばしたの』!」
男の子を指さし、私が答える。
「しょ、証拠はあるのかよ? ただ、転んだだけじゃねーの!?」
彼は慌てて口を挟んだ。
「あるもん! あっくんの手の痕。私の背中にもあるはずだもん!」
「2人で庭の手入れをお願いしていましたからね。あっくんの手にも泥がついたままですし、それがみーちゃんの背中にもあれば、証拠になりえますね」
先生は優しく私の頭を撫でながらそう言った。
「あるよね?」
「助け起こした時に付いたんだろ!」
私は先生に服の背を見せる。あっくんは顔を青くしながら叫んだ。
「助け起こすときに背中に両の掌の痕が付くなんてことはありえませんね? 普通ならば腕や肩を握るはずでしょう?」
「いや、でも……だって、こいつがさ……」
言い訳をするようにあっくんがうな垂れた。
「秤の神の名において。被害者であるミーティアに代わり、保護者たる修道女が立証します。犯人『アルタイル』は被害者『ミーティア』を『後ろから突き飛ばし怪我を負わせた』。証拠は先ほど挙げた通り。動機は……おそらく口喧嘩か何かでしょう」
先生は中庭の中心にある頭像に向かって祈りを上げ、問う。
「審理の口よ、これは真ですか?」
「真である。秤の国の法に則り、罪に問うか?」
頭像は厳かな声音で応えた。
「いいえ。ですが、彼を叱らねばなりません。了承いただけますか?」
「是とする。汝の天秤が揺らぐことのないよう努めよ」
――――――――
『審理の口は全てを知るが、真理は語らぬ。人の子よ、正しく悪を証明せよ。法に則り、罪の重さにふさわしき罰をその天秤に乗せるであろう』
この国の祖たる秤の神の言葉だ。
法治国家リブラ。またの名を裁判国家。ある側面においては神治国家でもある。
「私は別に探偵になんてなりたくなかったんだけどなぁ……」
法廷の待機室で私は今回の事件資料を見ながら溜息をついた。ファンタジーな世界に転生して探偵になるなんて思ってもいなかった。
今世ではミーティアである私は、前世ではミステリ小説が好きな女だった。
ミステリ好きといっても、ミステリマニアでもなく、賢明な読者でもなく、シャーロキアンというわけでもない。
トリックはおかずで、メインは登場人物の人間関係と宣うようなエンターテイメント型の読み手であったのだ。探偵役と相棒役のじれったい関係性や、犯人の妄執的であったり、時として悲劇的な動機に心を躍らせていただけだった。
「よぉ、探偵殿。調子はどうだ?」
資料を読みながらも現実逃避をしていると、騎士制服を身に纏ったアルタイルが部屋に入って来た。
夢の中の記憶とは違い、私よりも頭3つ分くらい上背がある。
「ノックくらいしてよ」
無神経な幼なじみは図々しく対面の椅子に座った。
「別にお前しかいないなら構わないだろ。で、今回はどうだ?」
頬杖をつきながら私の顔を見つめる彼。幼い日の憎たらしい態度は変わらないまま、体だけは大人になったように思える。
「どうだも何も。3審目で急に呼び出されるとか酷くない?」
審理の口は1つの事件に対して3回しか答えない。偶然の一致かもしれないが、前世の裁判制度を思い出させる。
「政治的な配慮、だそうだ」
「それって私が証明しちゃったら、危なくない?」
資料に書かれている被疑者は、そこそこ上位の貴族家の男。トリックも何もないシンプルな殺人だが、被害者が不明。ただ、その一点だけを指摘せねばならない。
指摘できなければそれは罪に問われない。
1審目も2審目も被害者を特定できずに、裁判は流れた。
審理の口は曖昧な証明を認めない。それ故に、この国は戸籍制度や身元確認がしっかりとしている。
被害者が不明な理由は、首なし死体だからだ。科学的知識が発達していないこの世界において、血液型の特定や検視といった部分はあまりにも拙い。
戸籍がしっかりしていようと行方不明者は出る。頭部がないだけで個人の特定は難解になる。
「危なくないさ」
自信満々に彼は言う。彼のたくましい腕や、生気溢れる顔には、訓練で受けたであろう生傷がところどころに見てとれた。
「何でよ」
「俺がいるだろ?」
「ばーか」
こいつはいつだってそうだ。幼い頃から泣き虫だった私を、前世を思い出して半狂乱になった私を、孤児院が潰れ体を売ろうとした私を、全力で守ってくれた。
それでいて、お互いに何もないのだ。
その関係が心地よいし、そしてどこか心苦しい。
行政に許可された娼婦以外は婚前交渉を認められていない、という免罪符もあるけれど。
「で、どうなんだ?」
アルがもう一度問いかけてきた。
別に立証に失敗しても探偵にペナルティがあるわけではないが、今後の営業に支障が出るのは間違いないだろう。
むしろ、立証に苦戦するような事件のほうがはるかに少ないのだが。
「資料だけじゃ特定できないわね。遺体、見れる?」
書類から顔を上げて、彼に訊ねる。事件の死体は審理が終わるまでは、法廷の安置室に保管してあるはず。そこでは秤の神の加護により、腐敗が進むことはない。
「鑑定魔法でも使うつもりか?」
「あれ、役に立たないじゃない」
この世界には僅かにだが万人が使える魔法が存在する。といっても、トリックに使えるような万能さもないし、事件を解決に導くような力もない。あれば日々の生活が捗ります、という具合でしかないのだが。
「野営のときとか便利だぞ」
と、アルタイル。君、座学苦手だもんね。せめて、市場で売られている果物や野草程度は覚えておいて欲しい。幼なじみとして恥ずかしいから。
「専門的な知識が求められる時には意味がないのよ、アレ」
一言で言えば、100人にある事柄を訊ねたときにその大半が正解するような情報を与えてくれる魔法だ。つまり、林檎をミカンと間違えないような、その程度だ。
死後何時間だの、死亡原因だの、遺体のDNAから個人特定だの。そんなことができるミラクルなものではない。
「じゃあ、何しに行くんだ? これ以上の絞り込みはできないんじゃないか?」
資料にある被害者候補は残り3名。それ以外の名前には線が引かれている。
騎士団の動員による市内の在籍確認と、鑑定魔法による年齢層や人種の特定、そして1審と2審の敗北によって絞り込まれている。
「んー、確度が高い情報を得に、かな」
本当は死体なんて観察したくないんだけど。
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白い部屋に佇む1つの遺体。
血の匂いもなく、殺されたという凄惨さもそこにはない。
冷たい静けさだけがそこにあった。
「現場で見る機会がなかったのは幸運かしらね」
私はアルタイルを扉近くで待たせて、死体へと近づいていく。
何となく、現代アートのマネキンやゴシックドールのようだと感じてしまうのは被害者に失礼だろうか。
「あるかな……?」
首の断面は見ないようにしながら、私は視線を巡らせる。
遺体には触れないように。うん、あった。
おそらく、彼女にしかないであろう徴。
「わかったのか?」
いつの間にか、彼は私の隣に来ていた。無遠慮に遺体を眺めている。
「見ちゃだめよ」
小さい頃は一緒にお風呂入ったりしたなぁ、と関係ないことを思い起こす。
「死体なんていくらでも見てる」
「そういう意味じゃないんだけどな」
しまった、こいつに微妙な女心なんて期待してはいけないのだった。
「で?」
「彼女が誰か、を特定する情報の強度は高くなったよ。ま、十分だとは思うけどね」
私は記憶の片隅にある資料を思い出す。
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騎士団資料より抜粋。
当該殺人事件においての被害者候補は3審時点で3名にまで絞り込まれた。
彼女らは事件以前からの行方不明者でもある。
候補A:17歳、未婚。下級貴族。
Aは下級貴族の娘であり、学生であった。一般市民の男と恋仲であると噂され、駆け落ちしたとされている。半年ほど前から行方不明であり、捜索願いが出されている。
駆け落ち前には貴族階級の婚約者がおり、その人物は当事件の容疑者の血縁でもあった。
候補B:21歳、既婚。一般市民。
Bは市内に住む一般市民である。職業は酒場の女給。1ヶ月ほど前から、酒場の常連客に付きまとわれており、同僚や夫に相談していた。それに関しては今のところ騎士団に被害届けは出ていない。
殺人事件の2週間ほど前から行方知れずである。また、子供ができないことで、町医者に通っていたという。
候補C:24歳、未婚。一般市民。
Cもまた市内に住む一般市民である。職業は登録済みの娼婦。
娼婦という職業柄、様々な客との交流もあり、最も多くの証言が得られた。客層は貴族から一般市民、登録外市民も含まれる。
記録上、最後に仕事をしたのは1年前。連絡が取れなくなったのは2ヶ月ほど前である。
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さて。上位貴族の嫡男氏。あなたは『誰を』殺しましたか?




