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神の声

 ロラン・ルークが初めて“声”を聞いたのは、神暦974年、彼が3歳の時だった。


「“声”がきこえたんだ」


 ロランは自分の金髪(プラチナブロンド)の頭を指して言った。


「“ この左手で 世界(みんな)を救いなさい ”って」


 ロランが差し出した手を見て、彼の母親は悲鳴をあげた。

 なぜなら彼の左手には大きな穴が空き、鮮血が噴き出していたからだ。 


「だいじょうぶだよ、おかあさん」


 ロランは微笑むと、血まみれの左手を天にかざした。


 左手が淡い光に包まれる。

 出血が止まり、肉が盛り上がり、最後に皮膚が再生されて左手の穴を塞いだ。


「ぼくの左手は、“いやしのほのお”に、なったんだ」


 再生された左手には ── 炎を纏った剣十字 ── 絶対神ヴァルスの聖印が刻まれていた。


 ロランは信じた。

 “声”は全知全能の神=ヴァルスの“声”だと。

 “声”に従い“世界を救う”ことが自分の使命だと。


 彼はヴァルス教団の神官となり、ヴァルスの左手で、多くの人々の命を救った。


 そして17年の月日が流れた。


── 神暦991年4月9日 正午 フラルメル王国 ──


 イザール教区 ヴァルス神殿 ── の、はずれにある四阿(あずまや)のような小さな祠。


 「(ヴァルス)の左手」、ロラン・ルークは祠でひとり、日課となる神の祈りを捧げていた。


 周囲には祈りを捧げる神官も信者たちもいない。

 墓所と隣接するこの祠は葬儀の際に使われるのがほとんどで、日々の神への祈りでは使用されないからだ。


 ロランはこの場所で祈りを捧げることを好んだ。

 なぜなら墓場は、彼が救えなかった命が埋葬されている場所。自分の未熟さと向き合える場所だったからだ。


 その時だった。

 17年前のあの時のように、ロランの頭の中に “声” が響いたのだ。


 “エヴァを救え” 


「エヴァ…………エヴァ・フランツ!?」


 ロランの脳裏に、幼くも美しい銀色の髪と褐色の肌をした修道女の姿が映し出される。


 エヴァ・フランツ。年齢は13歳。

 幼いころ流行り病で両親を失い教団に保護された孤児で、そのまま入信して女修道会に入り、神殿に隣接する修道院で他の修道女たちと共同生活をしていた。


 ロランとも面識がある。

 ヴァルス教団は減少する神聖魔術師の確保のため、修道会に属する神官でも神聖魔術師候補生ならば特例として、他の組織の神官と研究・交流をすることを許可していた。


 白魔術教会に属するロランも講師として何度か女修道院に招かれたことがあり、その際エヴァへ神聖魔術の直接指導や訓練を行っている。

 エヴァは妄信的ではあるが熱心なヴァルスの信者であり、優れた頭脳とずば抜けた集中力を持っており、ロランは将来有望な神聖魔術師になるとして彼女の素質と将来性を高く評価していた。

 過去形で語ったのは、彼女がすでに亡くなっていたからだ。


 病死ではない。事故死でもない。

 エヴァは3日前の4月6日の早朝、神殿の尖塔の最上階から身を投げ、自らの命を絶ったのである。


 ヴァルスは自ら命を絶つ行為「自裁」を厳しく禁じている。


 前代未聞の不祥事にヴァルス教団は揺れた。


 イザール教区の最高責任者で聖騎士の称号も持つペール司教は「遺憾の意」を表明したし、本来立ち入りが禁止されている尖塔の鍵を持っている司教秘書官、女修道院の院長は更迭された。


 一般の信者にこれ以上動揺が広がぬようロランたち神官には箝口令がしかれ、エヴァの遺体は秘密裏に埋葬されたのだが……………。


「“声”に従うことこそ我が使命」


 ロランは自分の診療室に戻ると、白魔術教会の神官たちに向かって宣言した。


「修道女エヴァ・フランツを蘇生する」



── 神暦991年4月11日  午前2時 ロランの診療室


「ふー」


 砂時計の最後の一粒が落ちた瞬間、ロランは椅子の上に倒れるようにして座り込んだ。


 10時間に及ぶ遺体修復作業、24時間の祈りを終えて、さすがのロランも精神と肉体に疲労を感じていた。だが、心は充足感に満たされていた。


 ロランの目の前のベッドには、エヴァ・フランツが白い清潔なタオルに包まれて眠っていた。


 燈台の蝋燭の明かりが彼女の銀色の髪と褐色の横顔を美しく照らし出す。


 彼女の静かな寝息に合わせて、慎ましい胸の膨らみがシーツを上下させていた。


「ははは………やったぞ」


 エヴァの蘇生は成功した。


 墓を暴き、遺体の全身を水で洗い、聖水で清める。

 幼い少女の身体に小さな刀を入れ臓器を取り出し、薬液で洗い腐敗・損傷した部位を切除、神聖魔術で修復後もとの位置に戻す。

 粉砕され変形した骨と皮を繋ぎ合わせ縫合、継ぎ目を「ヴァルスの左手」で跡形もなく消し去る。


 遺体の修復作業だけで10時間かかった。


 問題はここから。

 霊界から魂を呼び戻し、元の身体に定着させる「蘇生術の祈り」だ。


 蘇生術の祈りは、身体に魂が定着されるまで終了してはいけない。その間術者は高度で精密な神聖魔術の祈りを唱えつづけなければいけない。


 ロランは単独で24時間祈り続け、それを成功させた。


「まったく、我ながら無茶をするよ」


 エヴァ・フランツは蘇生した。

 残念ながら、腐敗と損傷が激しすぎた右腕だけは再生できなかったが、他の部分は完璧に再生できた。


 だが、これで事件は解決とはいかない。


「扉には鍵はかけていませんよ」


 ロランは背後の扉に向かって言った。


「……………………」


 静かに、そして重く診療室の扉が開かれる。


 そこにはヴァルス教団でも高位の神官しか身に着けられない紫の法衣を纏った、たくましい壮年の神官戦士の姿があった。


「来られる頃だと思っていました、ペール司教」


 背後を振り返りもせずロランは言った。


「なぜ私が来るとわかったのかね?」

 

 ロランからは見えなかったが、ペール司教の声は顔と同じく無表情だった。


「なぜ? それはボクが言わなくても、司教、あなた自身が知っているのではないですか?」


「………………」


 ペール司教は沈黙した。

 代わりにロランは口を開く。


「エヴァの遺体を見て驚きましたよ。高い塔から飛び降りた際に出来たと思われる傷や骨折、それ以外にも複数の完治した、古い傷がありました」


 エヴァの遺体には全身に複数の痣があった。そして骨格には完治した古い骨折の跡が複数件。おぞましい事に未熟な女性器にも人為的につけられた傷があった。


「エヴァ・フランツは男たちに性的虐待を受けていた。それも幼い頃から何度も何度も繰り返しおこなわれていたのでしょう」


 しかしエヴァは修道女だ。

 修道院で他の修道女と共同生活している彼女に通常、男性が接触できる機会はない。


「…………ですが、彼女は神聖魔術師候補として修道院から外出し、ヴァルス神聖魔術の書が収められた図書室に出入りしていた」


 ロランは椅子から立ち上がり背後を振り返った。


「イザール教区の神聖魔術の粋が集められた図書室の扉の鍵……………そして彼女が飛び降りた尖塔の最上階へ通じる扉の鍵…………それは全て、独立した神官が所持している。ですが、イザール教区には一人だけ、すべての鍵を管理している人物がいる」


 ロランの青い瞳がペール司祭を貫いた。


「イザール教区最上位神官にして最高責任者、ペール司教、あなたです」


「………………」


「ヴァルスの正義と真実の右手にかけて……ペール司教、あなたは4月5日からエヴァが転落死した4月6日の早朝にかけて、どこでなにをしていましたか?」


 ロランがヴァルスの聖印を掲げる。


「今から神聖魔術 “真実の口” を発動します。その上で証言ください」


 ペール司教の口は動かない。


 神聖魔術 “真実の口” は、術をかけられた者は真実を口にする事はできるが、虚言や偽りは口に出来ず沈黙を続けることになる。


「ぐあああああああああああああああああ」


 答える代わりにペール司教は爆発した。

 長い法衣の下に隠し持っていた剣を抜き、ロランに向かって襲いかかる。


 ザンッ!!

 剣がきらめき、空気が裂けた。


「ぐぎゃあああああああああああああああ」


 ペール司祭の絶叫が響いた。

 ロランが傍らに置いてあった剣を抜き、電光石火、逆にペール司教の腕を切り落としたのだ。


「ぐ、あ、ががが…………腕が…………わたしの腕がぁぁぁ」


「先に剣を抜けば勝てる、とでも思いましたか?」


 ロランは剣を鞘に収めながら言った。


「ボクは神聖魔術より、剣のほうが得意なんですよ」


 ペールは膝をついた。

 激痛と敗北に自らの作った血だまりに高貴だった頭を垂れる。


 事件は解決した。

 “声”にしたがい、ロランは“エヴァを救った”。


「……………これで解決かな」


「してないわ」


 突如、ロランの背後から女の声が響いた。同時に銀の閃光が煌めき、ロランをかすめ、床にひざまづくペール司教の胸を貫く。


 ドサリ。

 銀の剣に貫かれて、ペール司教は悲鳴をあげる間もなく死んだ。


「ニンゲンなんて、ぜんぶ死んじゃえばいいのよ」


「エヴァ?」


 ロランは見た。

 エヴァ・フランツの右腕が銀の剣になっているのを。そして剣には“ヴァルスの聖印”が輝いているのを。


「エヴァ? わたしはもう、エヴァじゃないわ」


 エヴァだったナニカは言った。


「わたしはヴァルスの右手。ニンゲンを滅ぼし、この世を再創造する事がわたしの使命」

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