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魔装乙女は死にきれない












「――ただ、キミに生きてほしいだけなんだ」


















 ◇◆◇


 初夏の陽気の中、緑の香りが風に舞う。不規則に乱立する武骨な照葉樹の群れの合間を、比較的背の低い草木が埋める。そんな森の獣道を、二人の少女が歩いていた。


「あー。もうノイン、歩くの疲れたぁ」

「我慢なさいな、大好きな魔導師様のためでしょ」

「それはそうだけど」


 かたや、いかにも村娘然とした服装の少女だった。自分をノインと呼んだ彼女は、長く伸ばした黒髪を下の方で緩く結んで。つぶらな瞳に丸い鼻。背丈も合わせて十五歳くらいにしか見えない少女は、まるで長旅の途中のような、大きい背嚢を背負っている。

 隣を歩く人影は、声から女性であり、背丈からノインと同じ年の頃と推察することしかできない。暑そうなローブをきっちり着込んで、フードを目深に被って顔を隠す。リアンと呼ばれた彼女は、荷物を全てノインに背負わせているのか身軽だった。


「これで『災厄の子』じゃなかったらどうしよ」

「今回の災厄は魔物の大量発生。正直、微妙ね」

「でも、本当にいっぱいいるよ」

「でも? てんで弱いじゃない」

「あー……」


 何気なく、ノインが右腕をふりぬいた。その手に貫かれる、一匹の獣。


「ツノウサギ、駆けだし冒険者にだって殺せるわ」

「そうなんだぁ」


 額に角を生やしただけの、ただのウサギ。ノインは腕を軽く振って、その死体を投げ捨てた。ただのウサギと違うのは、流血のないこと。それは、周囲の魔素を吸って生きる魔物の特徴だ。彼女たちの歩いた後には、死肉だけが敷き詰められていく。


「手伝わなくていいの?」

「だって、せっかく魔導師様に貰った腕を使えるんだよ?」

「……ま、私は楽だからいいけど」


 ノインがうっとりと見つめる、自身の右腕。それは服装に反して、騎士もかくやという装甲に覆われていた。黒く、鈍く。しかし必要最小限の金属板の群れが隙間なく覆う。しなやかに、芸術を感じさせつつも、けして少女に似つかわしくない。


「やっぱり、魔導師様ってすごいよねー」

「そうね。ほんっとに素敵」

「ほんとほんと! ノイン、魔導師様のためなら死ねるよ!」

「……ばかね、皮肉よ」


 最後に吐き捨てられたリアンの呟きは、戦闘に戻ったノインの耳には入ってないようだった。リアンはつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「そういえば、リアン聞いた?」

「聞いてない」

「まだ何も言ってないのに」


 リアンの声は冷たいが、だからといってノインの話を無視することはなかった。呆れのため息こそ零すが、何かしらの相槌は返していた。そうして、まるで姉妹のように話す二人。けれど、リアンが立ち止まって片手をあげた瞬間、ノインまでもが声をひそめる。草木に阻まれた、その向こう側をリアンは見据えていた。


「おめでとうノイン、ハズレよ」

「ハズレなのにおめでとう? なんで?」

「私にとっては、ハズレってだけ」

「……えっ、結局どっち?」


 小首をかしげるノインを尻目に、リアンは獣道を外れて草むらを先導してゆく。


「――とまれ!」


 それは、開けた場所に出た瞬間だった。

 背の低い草が風に揺れ、中央に一本の大樹が我が物顔で枝を広げる。その根元に、少年がうずくまっている。

 気弱そうな少年だった。その衣服には乾いた血がこびりついている様だったが、隠すように彼を囲う存在があった。


 唸り声。


 それは威嚇だ。少年を包み込むように伏せていた獣が身体を起こす。その大人を優に超す体格を覆う、流れるような金色の体毛。彫刻じみた顔から牙をむき出しにし、ゆらりと尾が揺れる。


「あー、キツネさんだぁ」

「あら、カクリヨね。こんなところで珍しい」

「何を話してる! 言っとくけど、こいつは強いぞ! だから、帰れ!」


 余裕綽々の二人に、少年は震える声で叫んだ。ずり落ちる衣服を抑える手が強く握られ、それをカクリヨと呼ばれた魔物があやすように舐める。


「帰りたいのは山々だけど。ほら、ノイン、あれが災厄の子よ」

「わーい! あとはあれを殺すだけだね!」


 ノインは右腕をぐるぐると回し、浮かれた歩調で少年に歩み寄る。より低くなる、カクリヨの唸り声。


「や、やめろ! ほんとに死ぬぞ!?」

「だいじょうぶ。ノイン、魔導師様のためなら死ねるから!」

「は……? 何を言って……」

「残念だけど、そんな子よ」


 ノインの言葉を信じられない。そんな様子でリアンに視線を向ける少年に、彼女は肩をすくめて返事した。

 カクリヨのつんと立った耳が揺れる。ノインが足を止めた。もはや、たったの数歩で拳が届く。

 腰を落とし、右腕を引いて構える。臨戦態勢。カクリヨは唸りをさらに低めてそれに答えた。

 ぼうっ、ぼうっ、と。冷たく青い光を伴って。カクリヨの周囲に鬼火が灯る。


 一つ、二つ、三つ。


 そして、四つ――


「やぁっ!」


 ノインが飛び掛かる。迎撃する鬼火は流星の尾を引いて。それでも彼女は加速を緩めない。

 着弾、しかし握りつぶす。

 彼女の黒い右腕は、焦げすらつけさせず鬼火の一つを握りつぶした。次弾をはたき落とし、回避し、その下を滑りぬけて。


「とった!」


 ノインが潜り込んだのは、カクリヨの腹の下。続く一拍の間は、弓を引き絞るのにも似て。解き放たれた拳は、カクリヨの無防備な身体を突き上げた。突き上げた、はずだった。


「あれ、いない?」


 ノインの一撃を受けたカクリヨの姿は、霧が晴れるように掻き消えていた。いくら血液の流れない魔物であっても、そんなことはあり得ない。素早く構えを戻し、ノインは油断なく周囲を見渡す。かさりと、ただの葉が落ちる音すら、少年には張り詰めて聞こえていた。

 その緊迫の中で、リアンが動く。


「其は暴く者」


 詠うように言葉を紡ぐ。そして、彼女はフードを取った。

 お世辞にも整えられているとは言えないみじかな赤髪が広がり、空よりも澄んだ空色の右目。それらの美しさを全てかき消して、彼女の鋼鉄の左眼窩は存在した。装飾品ではない。白皙の肌と地続きの、黒い無機質。中心では、ルビーをはめ込んだような深紅の瞳が、切れ長の瞳孔を収縮させる。


「光を求め、闇に潜む

 故にその瞳はあらゆるを見た」


 彼女が一節を唱えるごとに、その瞳は妖しい光を強め。


「さぁ、墓守の灯火を以て王墓を暴け

 その罪過を以て正義を暴け」


「索敵魔術、パスファインダー」


 赤い閃光が辺りを包み、カクリヨが高く鳴く。リアンの瞳の光が弱まった頃には、ノインの背後に立つカクリヨの姿があった。


「流石リアン!」

「いいから、早く片付けなさいな」


 喰らいかかるカクリヨ。迫るその牙の群れをノインは右腕でかちあげた。そのまま、前腕を喉に押し当て、残る左腕で首を抱きすくめ、固定する。


「ありがと、キミも魔導師様へのお土産にするね?」


 そうノインは囁いて。


 ーーばつん。


 肉を裂き、骨を断つ音。彼女が抱きすくめたカクリヨの首がずれて。そのままどさりと落ちた。


「……な、なんだよ、その腕」

「えへへ、キレイでしょ!」


 無邪気に笑う少女の腕を見て、少年は言葉を失っていた。その前腕から張り出した、コウモリか何かの翼みたいな、曲線を描く刃。ノインが刃を撫でれば、呑み込まれるように彼女の前腕の中に消えていく。そして、楽しそうにカクリヨの死体を右腕で突き刺し始めた。


「さ、もういいでしょ。一緒に来てもらえる?」


 リアンはいつの間にか、少年の目の前に立っていた。ただ静かに、告げる。少年は何かを言いかけてから、下唇を噛む。そして、怯えた目でリアンを睨み上げて、言った。


「嫌だ! 僕の周りには魔物が集まるんだ! どうせすぐに次が来る!」

「別に、次が来てもノインが殺してくれるわ」

「どうせいつかは負けるだろ!」

「あら、もしかして、私達を心配してるの? なら、余計なお世話ね」


 リアンが自嘲気味に笑った時、彼女の足元に何かが転がってきた。その黒っぽい何かを見て、リアンはそれを少年に蹴って寄越した。少年はそれを拾い上げてから、声にならない悲鳴を上げて投げ捨てる。リアンは楽しそうにくすりと笑って、それを受け止め。


「何やってるの、まったく」

「あー、びっくりしちゃって」


 リアンが振り返った先に、カクリヨが立っていた。首を失ってなお、鬼火で作った頭に挿げ替えて立っていた。そしてその足元には、ノインの身体が踏み敷かれている。


 その身体には、首から上がない。


「それよりも、彼はあなたが生きてる方が信じられないみたいだけどね」

「えー、ひどーい」


 リアンはそう言って、自分が抱えていたものを足元に置いた。それは、ノインの首。吐き気をこらえる青ざめた少年を見て、のんきに笑う彼女だった。


「一つ、誤解を解いてあげる。私たちは人間じゃない。魔装乙女エインヘリヤよ」

「えいん、へりや……?」

「私たちはね、死体人形なの」


 少年は言葉を失って、カクリヨの足の下、ノインの身体を見やった。その身体はたしかに頭がないが、しかし流血もなく。骨や気管の断面だけが綺麗に見えている。それは、まさに精巧な人形のようで、少年は不快感そのままに嘔吐した。

 リアンは、それを紅い瞳に映す。人差し指で、その鋼鉄の眼窩と生身の境をなぞり、少年に背を向けた。


「人間の死体に、生きた魔物の身体を継いで。魔導師様のために動く戦闘人形。私たちは死に損ないであり、同時に生き損ないでもある」


 だから、安心しなさい。憎々しげにリアンは続けた。


「魔装乙女は、死にきれない」

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