第一話
その日は朝から少し気持ちが悪かった。しかし、年末年始と言うこともあり、少しぐらい体調が悪くても「大丈夫だろう」と思って鈴木大登はアルバイトへ向かった。
大学の構内にある掲示板にも「インフルエンザに注意しよう!」とか貼り出されていたことを大登は思い出す。
アルバイト先へ出勤して挨拶すると上司が「おいっ、鈴木、顔色が悪いぞ。帰っていいぞ」と声を掛けてくる。
「そうですかぁ……」
大登も自分がふわっとしている感じに包まれているような気がしていた。
「病院行けよ。休日診療かなんか有るだろうし、診て貰った方がいいよ」
バイト仲間の一人が大登に声を掛けるが、大登の耳には断片的にしか届いていなかった。
大登はワンルームマンションの自室へと戻ったが、その時には既にフラフラになっていた。自室の安っぽい金属製のドアがとても重く感じた。そしてその辺りで意識が無くなった。
遠くから音が聞こえてくる。
目蓋を開けようとしてみるが、その目蓋が重くて見ることができない。
全身に力が入らなくて声を出すことも出来無いし、体中に少し痛みもある。頑張って目を開けてみる。
目の前に顔がある。栗色の髪、オレンジ色の瞳で眼鏡をかけている。
今の大登には自分の部屋に見知らぬ女性がいること、しかも女性が欧米系だと理解することも無かった。
「奥様、目を覚まされました」
その女性が誰かに大登が目を覚ましたことを伝える。
「あら、よかった」
落ち着いた祖母の声が大登の耳に入ってきた。
「電話しても出てくれないし、なにかあったんじゃ無いかって、心配になってたら、アルバイト先から電話来てね、心配って言われたから、慌てて来たわよ。案の定玄関で倒れているし、鍵が開いてなかったら、どうしようかって頭抱えていたわよ。年末年始だから、不動産屋さんは閉まってるでしょうし」
祖母は一気に話すが、大登の脳では半分も聞こえていなかった。何よりも今、自分がどういう状況にいるのか、それすら理解できていなかった。
「なにか食べる?」
祖母は話し続けるが、今の大登には食欲など無い。しかし、祖母は「栄養が無いと治る物も治らないわ」とペットボトルのスポーツ飲料を持ってくる。
大登の本能が「飲みたい」と訴える。勿論、言葉では無く表情で訴えていたが、それを見た女性が祖母へ何かを伝え、マグカップを持ってくる。大登の上半身を起こし、スポーツ飲料をマグカップへ移してからマグカップをゆっくりと大登の口元へと近付ける。
一口、二口と飲んでいく。ゆっくりとだが、マグカップ一杯分を飲んでからまた眠った。
そしてまたどれだけ眠ったのか、大登にはわからないが、目を覚ます。
力は入らないが、それでも身体は動く。部屋の中は真っ暗でどうやら夜のようだ。
「そう言えば……」
年末にアルバイトへ行って体調が悪いから帰宅したことを思い出した。
その後、どうなったのか、頭の中で情報が錯綜している。祖母が居たような気もするが、「ばあちゃんいたよな、あれは夢か……」
はっきりしない。
枕元のスマホを手に取って時間を確かめる。二十三時を過ぎて間もない時間だ。
大登は空腹を感じるし、合わせてトイレにも行きたい。
部屋の電気を点けようとしてベッドから出て立ち上がる。
部屋の灯りを点けると大登の学習机で誰かが突っ伏して眠っている。とりあえず毛布を掛けてはいるが、少しずれている。
「誰?」
そう思った大登だったが、まずはトイレへと行く。
「あ、起きられましたか」
その人、栗毛の女性が話し掛けてきた。
「あ、はい」
返事をしつつ大登はトイレに入り、用を済ませてから改めて栗毛の女性と向き合う。
「すいません、どちらさまでしょうか?」
大登は真面目に聞いてみる。
「そうですね、ひとまず橙子と名乗っておきましょうか」
「ひとまず?」
「本名はマリアンナ・フォン・ニーンブルク=ヒルデスハイムと言います。大登君」
「長いんですねぇ、本名」
大登、少し困惑している。
「ですから、橙子という、日本名を使っています」
「そうなんだ」
大登のお腹が鳴る。
「何か召し上がりますか?」
橙子の問い掛けに「はい」と頷く大登、とりあえず学習机の椅子に腰掛ける。
「おうどんなら、すぐにできますけど、おうどんでいいですか?」
大登は無言で頷く。橙子は冷蔵庫からうどんを一袋取り出す。そしてコンロを点火する。コンロの上には鍋が乗っており、あっと言う間に出汁の香りが部屋へ拡がる。
温まった出汁の中へ直接うどんを一玉投入して一、二分で仕上がったのだろう、橙子は丼へおうどんを移し、大登にの居る場所へと持ってきてくれた。
「そういえば……」
今更ながらに机の上が片付いていることに気付く。そして足元も歩きやすくなっている。
橙子が片付けてくれたのだろうと大登は思うが、一方でこの橙子さんは何故自分の部屋に居るのかさっぱりわからない。悪い人では無いようだが、素性もわからないし、どの様な経緯で自分の部屋に居るのかもわからない。
「あの……」
「お薬を飲まれて、もう一回寝られたらいいですよ」
「そうで無くて……」
「なんでしょう」
「結局、橙子さんは何で俺の部屋に居るんですか?」
この問い掛けに橙子はキョトンとしている。
「あの……、なんで居るのか、わからないんですけど……」
しばしの沈黙、「あぁ、そうですね。寝ておられたから、わかりませんよね」とようやく大登が言いたいことは橙子も理解したようだ。
「奥様に頼まれて、大登君のお世話をしています」
「待て待て待て。待って。俺、奥様とか居ないし!」
「そうですよね。言葉が足りませんでした。私たちにとっての奥様は、大登君のおばあさまに当たる人ですよ」
それを言われて大登は少しだけ記憶を巻き戻してみる。
「そう言えば、最近、ばあちゃんに会ったような気ぃするよな」
橙子は大登の表情が変化するのを黙って見守っている。
大登の記憶は曖昧ではっきりと思い出せない。
「奥様なら、明日の朝にはお越しになられますよ」
橙子はそう言いながら机の上に風邪薬と水の入ったマグカップを置く。
「お薬を飲んで、お休み下さい」
橙子はそう言うが、大登は「もう大丈夫な気がするんだけど」と答えながらスマホの画面を見て驚いた。
「年、明けとるやん!」




