7(思慕)
茉莉はホットコーヒーにスティックシュガーを半分と、クリームを入れかき混ぜた。
町村はバーベキューソースにチキンナゲットを浸していた。
ふたりのトレイの間には白いサテンのリボンが十字にかけられた五センチくらいの藍色の小箱があった。
菓子箱であったろう、はた目にはお洒落な紙器に見えた。
「ふたつ質問があるんだけど」
「どうぞ」
「その中にいるの?」
町村はナゲットを右手でつまみつつ、空いた左手で小箱を突きつけてきた。「どうぞ」
受け取るのに迷いがなかったと云えば嘘になる。
なにより気味が悪い。
しかし町村は気にしたようでなく、左手をぐいぐい近づける一方で、もぐもぐナゲットを食べる。
茉莉は観念して小箱を手にした。
手に乗せた瞬間、中に何かいるのは分かった。
カタカタと揺れ、中からかすかな鳴き声がする。
それは小学校の時分、男子が休み時間に捕まえてきたカミキリムシを思い起こさせた。
虹色の複眼と長い触角。
顎をギチギチすり合わせながら首を縦に横にと振り、捕らわれた指の中から逃れようと鳴き続けた。
怖気が走る。
こんな風に鳴いてたんだ。
中のモノがカリカリと箱の内側を引っかくのが分かった。
町村はナゲットを食べると、次のひとつに手を伸ばした。「テーブルに戻していいですよ」
すぐさま云われた通りにした。それから少し、身を引いた。「なんでリボン?」
「封印です」
「……大丈夫なの?」
町村はふたくちでナゲットを食べると、紙ナプキンで口元を拭った。「みっつめですね」
「大丈夫なの?」
「まぁ大丈夫じゃないでしょうか」
「なにその曖昧な返答は」
「お札なら信用しました?」
「リボンよりは」
「絶対なんてないですよ?」
あーもう。茉莉は思った。面倒だ。「で、それ、どうするの」
「ほっときます」
「は?」まさか、と茉莉は思った。
「えっ」どうして、と町村は素で驚いている。
「燃やすとかじゃないの?」
「なんで燃やすんですか」
いやその。「供養?」
「あー」なるほど、なるほど。
町村は納得したかの様に頷く。「暫くこうしておいて、薄めるって云うんですかね、いずれ空になると思います。もしくは薄まったところで開封してもいいかなぁとか」それからぽいっとナゲットを口に放り込んでもぐもぐ。
小箱はカタカタとかすかに動いている。
きぃきぃ、きぃきぃ、鳴き声がする。
「とりあえずこれ以上、大きくなることはないと思いますよ」
箱はずっと鳴き続けていた。
別れ際、町村は小箱を自分の制服のポケットに入れながら、またひとりごとのように云った。「どうしてこ
れが先生に取り憑いたんでしょうねぇ」
それを最後に、茉莉は在学中、町村に会うことは無かった。
次に町村に会ったのは、半年以上の時が経っていた。
高橋こずえが死産となった子供と一緒に送られた後だった。
※
ふと、窓の外に目をやり、茉莉は呟いた。「なんで先生だったんだろう」
「しあわせって不思議なものでしてね」
「あんたっていつも訳知り顔ね」
「まぁそう云うキャラだと思ってください」
「で、しあわせがなんだって?」
「祝福するのは吝かでないし、それに水をさすなんてもっての他。でも、なんかもやっとした気持ちがどっかにあったとしたら──程度によりますけどね──嫉みとか妬みとか、そうと気付かず発生しやすいものではあると思うのですよ」
「誰かが先生に嫉妬したって云うの?」
「親とうまくいかない、勉強が追いつかない、部活でレギュラーはずされた、思うように音が出ない──なんだってあるでしょう、最近カレが冷たいだとか」
「そんなの誰だってあるでしょ」
「そうですよ。だから、なんです。そこへきらっと彗星のごとく現れた吉事慶事。ああいいなぁ、先生しあわせそうだなぁ嬉しそうだなぁ」
「普通じゃん。ひとのしあわせ祝って何がいけないのよ」
「そうです。普通なんです。普通だから、よもや自身があずかり知らぬところでそんな嫉みだとかと云った感情を持ち合わせていただなんて思いもよらないことなんです」
「無意識ってこと?」
「思慕の念の裏返し、ですかね。積極的に人を嫉んだりするのって、存外しんどいですよ」
ふぅ、とわざとらしくため息をついてみせる。「もっとも自分を高めようとするのも大変ですが」
「まるで相手を引きずり落としたいみたい」
「そう云う部分もないとは云いませんよ。誰だって大なり小なりそう云う感情は持ち合わせているとは思います。ただ、そう云う気持ちは長続きしない」
「余程の覚悟がないと、ってことね」
くふっと町村は微笑む。「センパイは飲み込みが早くて助かります」




