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箱の中  作者: 夏瓜 竹海
6/9

6(志望校)

  ※


「決して名前を聞かれないように。決して相手の名前を呼ばないように。同様に先生と呼びかけるのもダメです。お二人の関係が分かる様なことも」


「そうまでしなきゃダメか」


「大事を取ってのことです。意趣返しされても困るでしょう」


 町村は白いマスクで鼻と口を覆うと、六〇年代かくやとばかりの大きなサングラスをかけた。

 放課後とは云え、校内でその姿は目立ちに目立つ。

 それからポケットから取り出した割り箸で、その長い髪をくるりと結い上げた。


「周りに誰か姿を見せたらその場で計画は中止します」

 マスクの下で町村は笑ったようだった。「なんだか〈スパイ大作戦〉みたいですね」


 知るか。


 しかし担任の足止めは茉莉の役目だ。

 張り込みなんてドラマだと意外な展開になるものだが、現実は退屈の二文字でしかない。

 無言だし。

 胡乱だし。

 加えてちょっとおトイレにとか云い出すタイミングを逃してしまった。

 警戒水位に達する前に片づかないと、かなり困ったことになろう。

 一部の生業のひとがオムツを使うと云う話はあながち都市伝説でないかもしれない。

 早く終わらないかと、茉莉は願った。


 担任がひとりでその姿を見せたのは、廊下のリノリウムが夕日の朱を鏡のようにはじく頃だった。

 教室に入って、戸締まりを確認してか、暫くして出てきた。


 校舎はすっかりひっそり静まって。

 茉莉は廊下を見渡し、人影がないのを再確認。

 町村を見ると、こくっと頷いた。


 茉莉はゆっくり廊下に出ると、背後から担任に近づいた。

 その腰には、しっかとそれがしがみついていた。

 顔らしい顔はないが、それが茉莉を見たのは分かった。


 自分がそれに気が付いていることを気取られてはならない。

 知らぬ振りを貫き通すのだ。


 とにかく担任の足止めを。


 その時になって、なんと声をかけるか、考えをまとめていなかったことに思い当った。


 アホだ。


 なんのための張り込みだったのか。

 なんのためのおトイレ我慢だったのか。


 ぱた、と担任の歩みが止まる。

 アッ、と思う間もなく、「まだ帰宅してなかったの?」向こうも驚いたようだった。


 ええ、とかうう、とか返答に窮した。しかし担任はにこっと笑う。「ちょうどよかった。いま時間ある?」

「はぁ、」担任の肩越しに、白マスクにサングラスの町村が音も立てずに近づいてくる。


 あの姿は、担任に見られてはまずい。

 色々と。


 担任は云った。「指定校推薦、受けてくれない?」


「は?」


 言葉が耳から入って脳に浸透し、解釈の後、理解に達する速度はいかほどか。

 一体、何を云っているのだろう、このひとは。


「指定校」担任はそんな茉莉に気付いてか、含めるように云った。「志望校、まだ絞り切ってないでしょ?」


 かくっと首を縦にした。

 模試のたび、毎回違う校名を記入している。

 あっちにふらふら、こっちにふらふら。

 強いて云うなら、地元から離れられることが条件だ。


「ちょっと耳に痛いと思うけど、あなた、浪人したら絶対ダメになるタイプ」


「はぁ」まぁ、そうだろうなぁと、否定する要素はない。むしろ、納得してしまった。


「そんな次第で、わたしはあなたの為にひとつ枠を死守しました」

 驚き、口を半開きの茉莉に担任は続けた。「あなたはぜひ進学すべき。見聞を広め、社会に出る前のモラトリアム期間を存分に活用して欲しいと思う。お金のこともあるから、よくお家で話し合って」そして微笑んだ。「ちょっと職権乱用、公私混同かなって思うけど──、」


 その時、さっと担任の背後で町村が動いた。「失礼」


「きゃっ、」


 背を押されつんのめる担任を慌てて支えた。「大丈夫ですか、」


「え、ええ」それから走り去る足音に向かって、「こらッ、廊下を走るなっ」


「すいませ──ん」


 ちっとも反省した声でない。上履きスリッパの足音がパタパタと廊下に反響する。


「まったく、しょうがないわね」


 苦笑交じり、担任は茉莉に謝意を告げながら体勢を立て直す。「今のまち──」


「あのっ」

 茉莉は慌てて担任の言葉に覆い被せるように声を上げた。「指定校ってどこですかっ」


  ※


 町村とは校門で待ち合わせていた。

 髪を下ろしたいつもの姿は、遠目には日本人形を思わせた。


 黙っていればそれなりかも。


 そんな考えがちらりと脳裏をよぎった。


「おつかれさまです」にこっと町村は笑った。


「で、どうなの」


「場所、変えましょうか」


 毎度毎度なんで自分はこの一年とファストフード店通いしてるのだろうなぁとぼんより思った。

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