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箱の中  作者: 夏瓜 竹海
1/9

1(訃報)

   箱の中


 町村志織がその鳴き声に気がついたのは多分に夜半過ぎのことだった。


 高校の二年生に進級してひと月。

 連休はごろごろ過ごす腹積もりで、だから初日から出された課題をせっせと片づけていた。

 ちょうど区切り良く、少し夜風にでも当たろうかと窓を開け、それをきいた。


 囁くようなその声は、かすかな風に乗ってきたものだろうと思ったが、どうにもおかしい。

 部屋の明かりにひかれた虫が網戸にでも張り付いたか、しかしカーテンをめくって何もないのを認めるより先にはたと思い当たった。


 志織はぺろっと小さく舌を出し、机の一番下の引出しを開け、それを覆い隠すように置いた小物や書籍だのをどかして取り出した。


 藍色で五センチ角の、もとはチョコレートかクッキーが入っていた小箱。

 ミューズ紙に銀の箔押し。

 十字にかけられた白いサテンのリボンは、V字カットにされた先が少しほつれていた。


 手の中で箱が鳴いた。

 そして小さく震えた。


「結局、何が出来たんでしょうねぇ」


 志織は独りごつると、広げた参考書の上に小箱を置いた。

 まるで身震いするかのように箱が揺れ、また鳴き声がする。


 きぃいぃ。きぃいぃ。


  ※


 進学して初めての帰省は重い気持ちのまま終わった。

 こどもの日と云うのも偶然でない。

 横田茉莉はそう思った。


 恩師の訃報は母からの電話で知った。

 ゴールデンウィーク。

 一転して、連休であること呪った。

 「帰ってくるんでしょう?」母の声音に、みじんの疑いもなかった。


 入学早々、学内のトイレでケータイが水浴びをした。


 もともとリストと呼べるほどの登録件数のない電話帳、それを契機にまっさらにした。

 だから同窓の連絡先を誰一人として知らない茉莉には、ほんのひと月前に見送ってくれた担任が、今度はいつどこで送られるのか知る手だてはなかった。


 が、そんなことはどうとでも出来る話だ。


 本人が望むのであれば。


 たとえば母校に電話するとか。

 たとえば地元で見知った顔を手当たり次第に捕まえるとか。


 けれども茉莉はそれをしなかった。

 二泊して下宿へ戻ることにした。


 学業が理由になるのは学生特権。

 昼前に実家を逃げ出したはいいが、日の高いうちにぶらぶらと下宿へと戻る気にもならなかった。


 どこかで時間を潰そう。

 電車に乗るのはそれからでいいや。


 着替えと小物を詰め込んだドラムバックを抱えて駅前の商業ビル、テナントをひやかし歩いていると、ばったり町村と再会した。


 いや、違う。


 町村はここで茉莉と会うつもりでそれを望み、そのためにここにいたのだ。

 すべて町村の予定だったのだ。


 記憶の中の町村は、いつも長い黒髪を重たげに垂らしたままにしていたが、今日は綺麗に結い上げていた。

 簪なんか挿して。

 明るい色でまとめた私服も相まって、たいそう健全なティーンに見えた。


 彼氏でも出来たのかな。

 洒落っ気とは無縁のだと思っていたのに。


 違った。


 簪だと思ったそれは割り箸だった。そ


 れで外出とかどうなんだ、塗り箸ならまだしも。


「センパイ」町村は親しげに声をかけてきた。「奇遇ですね」


 それは絶対に違う、と思ったが口にはしなかった。


 町村は茉莉の荷物を見て、「お帰りですか?」


 うう、とかああ、とか生返事をしていると、「時間あります?」


 逡巡して、結局、頷いた。

 一階のドーナツ店に連れられた。


 各々、トレイをテーブルに置き、向かい合って座った。

 食欲は無かったが町村がチュロスを選んでいるのを見て、オールドファッションのドーナツをホットコーヒーと一緒にオーダーした。


 ドーナツとコーヒーカップ。


 このふたつが同じ物であると教えてくれたひとはもうこっちには居ない。

 小さく、ため息がこぼれた。


 一方、町村はそんな茉莉に構う風でもなくチュロスをもくもくと嬉しそうに頬張っていた。


 頬杖をつき、茉莉はちょうど一年前に対面の女と出会ったのだとぼんより思った。


 町村は、偶然と必然の境界を曖昧にする。


 幾分、重たい気持ちを胸に憶えながら視線を窓の外へ向けた。

 駅に隣接した商業ビルの一階、ファストフードの店内は北向きのせいもあって、心なしか薄暗かった。

 一方で、交差点を挟んだ向こうにある公園は、植えられた樹木の新緑が瑞々しい。


 初夏の日差しは高校時代、廊下から見えた保健室の洗い立てのシーツを思い起こさせた。

 風を孕み、光をはじいて、綺麗であることと清潔であることの違いを感じたものだった。


 あの日、茉莉は日直だった。


 書き上げた日誌を職員室へ届けるその入り口で、出てきた女子とぶつかりそうになった。

 慌てて後ろに飛んで、どうにか避けた。


「これは失礼」


 ふわっと長い黒髪が揺れる。


 ちっとも心のこもっていない謝罪にむっとした。

 胸元のリボンに赤のライン。

 一年だ。

 文句を云う先を制された。「横浜センパイでしたっけ?」

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