初めての殺人事件
「自殺…ですか?」
室内には全部で四人、応接用の机を挟み、支倉と秘書、その向かい側に依頼者が座り、その脇に並べられたデスクで一人が事務作業をしている。依頼者はとある企業の社長秘書だった。
黙々と判を押し、電卓を叩き、キーボードを打つ事務員の隣の机は今、緊迫感に包まれていた。
「ええ…警察もその方向で捜査を進めているようなのですが…どうにも納得いかなくて。」
「といいますと?」
支倉は興味深そうに息を吐いて続きを促す。
「理由が見当たらないんです。大手との商談ももう少しでまとまりそうで、むしろ業績も上向きでしたし…プライベートでも何かある様子ではありませんでした。」
「つまり、自殺を装った他殺ではないかと疑っているわけですね?」
あごを撫でながら何かを考えているように見える支倉の代わりに、隣の秘書が改めると、依頼人は黙って頷いた。
「…社長は非常に温厚で前向きな方でした。自殺なんて考えるはずないような方なんです。どうか、調査をお願いできないでしょうか…。」
しばし、静寂が場を支配する。数秒してからようやく沈黙を破ったのは、意外なことに後ろにいる事務員だった。
「… 一度、現場に行ってみたらどうでしょうか。百聞は一見にしかず、と言いますし。」
再び静寂。先ほど発言した事務員のタイピングの音が事務所に響く。しかし、次の静寂はそう長く続かなかった。沈黙を破ったのは支倉の思い切りのいい声。
「それもそうですね。ご依頼、お引き受け致します。警察の方にもご連絡をお願いしますね。明日、オフィスに伺いますので。」
依頼人ははっと息を呑み、深々と頭を下げた。
「とうとうウチにも殺人事件が舞い込むようになったんだねぇ…」
先ほどまでそこにあった真摯で誠実な探偵の姿は既になく、感慨深げに呟く口調は随分と軽い。これが噂の新人探偵、支倉友則の正体である。
「感慨にふけっている場合ではないですよ友則先輩。本当に大丈夫なんですか?殺人事件なんて首突っ込んじゃって。」
秘書、改め後輩の十津川晴乃の問いかけに、支倉は顔をしかめ、しかし口調は変えずにこの場にいるもう一人に目をやった。
「ま、なんとかするしかないでしょ。それに大丈夫さ、ウチにはなんたってエースがいるからな。な、雅臣?」
話を振られた事務員、改め探偵の吉佐雅臣は少し苦笑を含んで口を開いた。
「…エースなんかじゃない。ただ友則が苦手な事務作業と頭脳労働を受け持ってるだけだ。」
「とは言え、ここがこれほど評判立ってんのはやっぱ雅臣の力があってこそだからねぇ。ま、俺の経営手腕が物を言ってるとこもあるんだろうけどさ。」
支倉は遠回しに馬鹿にされていたことなど露知らず、このドヤ顔である。実際のところ経営面はほとんど吉佐の事務作業で賄われているのであって、支倉は全くと言っていいほど貢献していない。十津川はそんな先輩をつまらなそうな、侮蔑するような目で見るだけで、何も口にしなかった。スルーを決め込んだらしく、何も言わずに給仕室へ向かった。
「…どうしてすぐに返事を返さなかったんだ?いつもの友則なら二つ返事で快諾しそうなものだが。」
探偵の"片割れ"である吉佐からの質問を受けると支倉は一瞬動揺した様子を見せるが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「そりゃ、事件を解けるか解けないかはウチの事務所の"頭脳"である雅臣にかかってるからねぇ。キミの反応を見ていたということだね、ウン。」
しきりに頷いている支倉を見る吉佐は既に彼の本心を見透かしていた。
「…どうせ雰囲気出したかっただけなんだろ?」
「バレた?」
今にも てへっ☆ と言いそうな支倉を見て、吉佐と十津川は拍子抜けのため息をついた。