海原の上にて
青白く染まる月明かりに照らされ、少年の上で一羽のカモメが鳴く。
頭上を旋回してから目の前に降り立ち小首を傾げる。
その動作が猫の様に愛くるしく、人懐っこい仕草の後少年に撫でられ目を閉じる。
ペットの様な仕草を見た後、少年は柔らかい羽毛を撫で、その後手を放してから一尾の小さな鰯を与えた。
器用にくちばしで挟んでから飲み込み、そのまま空に飛び立つカモメを見てから少年は月明かりを見つめた。
青白く光、暗闇の海は底無しに見えて根源的恐怖を駆り立てる。
しかし、その月明かりが優しく見えて少年は真夜中に空を見上げる時間が好きだった。
彼方から運ばれる潮風が少年の顔にあたり目を瞑り、目を開けると先ほど飛び立ったカモメが足元に降りていて口を開く。
「童や童、遅くに何事か」
「明日の漁が気にかかるんだ、どうにも胸がざわついて」
少年がそういうと浅黒い肌を掻いて気まずそうに眼を逸らした。
「ならば舟を出すな、海は人を選ぶものなり」
そういうとカモメは夜空を見上げる。星々が光り輝いていて大きな満月を際立たせるように見えた。
無機質な黒い眼が月夜に反射して少年は唇を尖らせた。
「皆も出る。俺だけ臆病者みたいに残るわけにはいかねえ」
「皆が出るからとて、海が許すとは限らぬ」
少年はカモメに釣られて夜空を見上げた、その月明かりが妙に恐ろしく思えた。
だがそれを素直に認めたくない少年は目を力強く瞑り鋭く息を吐く。
「もう寝る」
そういうと少年は砂浜を歩いていた小ぶりのカニを手に取ってカモメに渡すと器用にくちばしで掴み小さく鳴くと空に舞い上がり夜空の闇夜へ消えていく。
見送ってから少年は一眠りするために家に戻った。
翌日、快晴の青空の元に少年は顔を活からせて小さな古びた木製の舟に乗り込むと手漕ぎの櫂を力強く持つ、周りの少年と同い年の子どもはその様子を見て意地の悪い笑みを浮かべてヒソヒソと話し合う。
見かねた男性が少年に近寄ろうとするが少年は鋭く睨み、男性は少し睨んでから顔を背けて元の位置に戻ると自分に言い聞かせる様に青空を仰いだ。
快晴である、これを晴れと言わずに何を晴れと言うのか。そう断言できるほどの晴れ模様であり昨夜カモメが言ったように海が荒れるとは到底思えなかった。
波風も穏やかで絶好の漁日和、これ以上ないほど万全な状況が整っていた。
とても嫌な予感がするから中止にするとは言えない、少年はそう思い無理やり嫌な予感を生唾と一緒に飲み込んでから櫂を力強く漕いだ。
初めの数分は気を取られていた少年だが浅瀬に付く頃にはそんな不安も消し飛んでいた、それほどに海は穏やかで朝日を照らす太陽が心地よい。
持っていた釣り餌の魚の腸をばらまき、小魚が群がって来たところで網を投じて力強く引く。
いつも父親と漁をしていた少年にとってその重さは計り知れないものがあった、魚の抵抗を感じながら少年は手を黄色に染めながら歯を食いしばり、何とか舟の中に引き入れると少年は網を解いて舟の中に大量の小魚、群れの鰯を入れて満面の笑みを浮かべて雄叫びを上げた。
それから少年は辺りを見回し適当に撒き餌をするが最初の様に上手くいかず、焦ってより沖に漕いでいく。
突然突風が少年を襲い空を見上げるといつの間にか暗雲が少年を見下ろしていた。
意識をしたからか弱く波打つ辺り一面の海原を睨む、昨夜のカモメの忠言が頭に響くような気がして頭を軽く横に振る。
舟に当たる波が強くなりつつある中、自分と同じ沖にいる舟から叫び声が曇天に吸い込まれていく。
急いで手で櫂を動かして陸地に戻ろうとするが波が強く戻れない、周りで漁をしているのは自分と同じ成人仕立ての経験が浅い漁師。
慌てふためく中横転する舟を目撃し少年は泣きそうになりながらも瞼を何度も閉じて涙を内側に抑え込む。
どんどん沖に流され、周りに浮かんでいた舟ももう見かけない、恐らく横転して沈んだか無事に戻ったか、可能性としては沈む方がはるかに高い、周囲はただ黒い海だけがうねっていた。
叫び声が消えて波の音が耳に残り雨が降り始めた時カモメの鋭い鳴き声が頭上から鳴った。
その瞬間自然と舟が動き出し全力で漕いでも戻れなかったのにすさまじい力で陸地に向かって行く。
グングンと進む中少年は荒れ狂う海に耐える様に舟を力強くつかんで頭上を睨む。
ネズミ色の羽を羽ばたかせたカモメは少年の頭上を静かに、しかし力強く一切ぶれずに飛ぶ。
明らかに自然や人の手を超えた超常現象、波を受けて突き進む舟の上でカモメを見つめていると強く前へ投げ出される。
何事かと少年がそちらを睨むと砂浜に突っ込んでいて、周りの大人が驚きながら近づいてくるのを潤んだ視界に移り、自分の両親が焦って近づいてくるのを見て少年は悔しそうに顔を俯かせた。
少年は歯を食いしばり、思わず握りかけた拳をゆっくりと開く。
指先が白くなるほど、力をこめて伸ばした。
そこからくる激情に任せて少年は鯖を一尾掴み、海に投げ捨てた。
風を切る音がして目を見張る、射貫くように鋭く下降したカモメが鯖をくちばしで咥える。
カモメは鯖を咥えると一度だけ少年を見て、ふいっと顔を逸らすと共に羽ばたき、嵐の残る空へとみるみるうちに消えていった。
少年はそれを睨んで力なく肩を落とし、両親から抱きしめられた。
波は何事もなかったかのように浜へ寄せては返した。
そして海の上には、もう一羽のカモメも見えなかった。




