打つ杭は誰の物?
固い何かが手首に当たった衝撃で男性は急に意識を夢から現実へと覚醒させられた。
何かと腕を軽く動かそうとするが手の甲と手首をひも状のものでくくり付けられていて動かすことが出来ない、瞼を開いているつもりなはずなのに視界に一向に室内の景色が映し出されることはなく、暗闇がただ続いている。
異常に気付き体を動かすと先ほど衝撃があった右腕に激痛が走りくぐもった声が口元から漏れる、口元を何かしらの道具で固定されており鼻からしか呼吸を行うことが出来ない、段々と意識が覚醒する中今度は左の手首に先ほどと同じ衝撃が走る。
意識が覚醒している男性にはそれが単なる衝撃ではなく何かしらの細く固い鉄状の物体を打ち込まれたものだと認識することが出来た、狂ったように腕を動かすがそのたびに尋常ではない痛みが襲い掛かり痛みに悶えるとその痛みは威力を大きくして男性をなお襲う。
突然襲った痛みに恐怖より混乱が勝ち男性は言葉を発しようとするが冷たい何かがそれを阻み獣の唸り声のように室内に反響し男性は自身がいる場所が自分が寝たはずの室内ではないという事に察しが付く。
男性の自室ならば声が反響することはなく、現在拘束されている部屋よりは広い、狭い小部屋に拘束されているということは解る為自分が何処にいるのか判別付けられない、もしかしたらどこかの地下や倉庫のような所かもしれないと男性は憶測を進める。
男性がこれまで経験してきた痛みをはるかに凌駕するそれは日常生活では決して味わう事は出来ない物で両足からも同様の痛み、そして板状の木に布を巻かれた状態でいるという事を男性は推測し、何故自分がB級ホラー映画の始まりのような目にあっているのかを模索し始める。
思慮に入る前に口元から鍵が開く時の軽い金属音がなり冷たい温度から解き放たれると同時に無駄な息苦しさから解放され男性は口元から勢いよく呼吸を行う。
息が乱れ、若干ながら震えた声が入り乱れているのが耳に入り男性は自分が客観的な視点を持てているのと同時に極度の恐怖、混乱状態であることを理解して額から冷や汗を流し始める。
首を力なく垂らし首元がしまったので慌てて頭をあげて、拘束されているのは四肢だけでない事を確認し落ち着くために今度は意識して呼吸を深く行う。
呼吸を2回した所で男性は前方に何者かがいることに気づき怒鳴り声をあげようとして息を吸い込み、逆上させると何をされるか解らない事に気づいて努めて冷静に、またゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「………そこにいるんだろう? ここはどこで君は誰だ? 何故私はこんな拷問じみた目にあっているんだ」
「昨夜の事を覚えているか」
温度を感じず抑揚のない機会音声が届いき男性は今日始まって最大の恐怖に見舞われた。
その手際の良さ、また昨夜の記憶が無いということではなく、機会音声を使っているという事は自分の特定を防ぐと言う意味でもあるが男性の知り合いで、それに気づかせない為という可能性も浮上したからだ。
極限状態だと思っていた所より上がまだ存在するということに底知れぬ恐怖を抱きつつも務めて冷静に男性は落ち着きを取り戻すため昨夜の記憶を探り始める。
アルコールが抜け切れていない性か頭痛がする中男性の頭に思い浮かぶ景色は行きつけの酒場、無事に研究を今年も続けるために研究室の生徒たちに自分の思う結果に予想出来る危険に対応の有無、またそもそも生徒からの研究テーマや何故取り組もうと思ったかという個人的な事に対する質問を聞き、現段階ではあるが問題らしい問題も無く研究生を連れて行きつけの酒場に飲みに行った、という所で記憶は途切れている。
薄いオレンジ色の電球が照らし出す雑に切られたような分厚い木のメニュー表が壁に飾られていて筆で書かれたような味のある文字に落ち着いた雰囲気が好みで通っていた場所だ、行きつけの店で、しかも生徒がいるのに羽目が外れる程飲酒するというのは男性からしたら考えられない。
また男性にはここまでの恨みを抱かれる覚えも無い、通常ならば定年まじかの年、この年まで生きているからには多少なりとも恨みを買っているのは仕方が無いにしても人権を無視して殺意をぶつけられる程の恨みを抱かれる出来事ならば忘れるはずもない。
しかし、単純に頭のおかしな人物という線もありうる。誰でも良かったという人種で昨夜の事を聞いたのは何の意味もないかもしれない。
頭がおかしいのはあっているが自分の知人で何か意図しない事で悪意を抱かれているという線も捨てきれない、本文は研究者だが教育者でもあるため過去に自分が受け持った生徒かもしれない。思考の奥底に行くほど男性は推測が浮かび上がり答えを思い浮かべることが出来ない。
「…済まないんだが昨夜の記憶は曖昧でね………詳しく知っているのならどうか説明してはくれないかな?」
「腕に釘を打ち込まれていて良くそこまで冷静でいられるな、痛くは無いのか?」
「これで痛みを感じなければそれは無痛病だよ、痛いさ、それで嘆いていれば君は許してくれるのかな? もう一度言うが私は昨夜の事を覚えていない、もし私が今この様な目にあっているのが昨夜に何かあったからなら説明してはくれないかな」
「………いや、思い出せないならそれで良い」
男性からするとそれは非常に分の悪い賭けだったがどうやら成功したようだと痛みの性で普段よりも雑念が混じる脳内で今までの情報を改めて整理する。
まず自分の目の前にいる何者かは非常に理性的かつ人とのかかわりを苦に感じない性格の持ち主だと男性は断定した。
腕に打ち込まれた太い鉄が釘だと解り少し男性の不安が取り除かれる。それと同時に目の前の人物は自分の行いを異常だと断じた、それはすなわち正常な判断を予想しており自分の行っている対応が非常識だと言う認識を抱いているという事に他ならない。
だからこそ恐ろしいのだが、常識を知りつつここまで常軌を逸した行動をとれる人間に男性は未知の恐怖を抱きつつある月並みなセリフが頭の中に浮かぶ。
人間は未知に恐怖を覚える、この言葉の正しさを身をもって知る事は出来ればしたくなかった、そう男性は現実逃避を行いつつ急に激高する性格である可能性は低いとして慎重に交渉を続ける。
いくつかの金属音がなるのを聞きまだいくつかの道具を用意しているのかと男性のYシャツが透け始める。
「出来れば痛い思いをしたくは無いんだが………君は私に恨みでもあるのか?」
「恨みは無い」
「………ふぅ、痛みで意識が遠のいていくのが解る…理由を利かせてくれ、私には心当たりが無いんだ」
「そんなことは知らない、俺はただ仕事で頼まれただけだ」
「なんだと?」
その言葉を聞いて少しだけ感情を相手に伝えてしまったことに男性は失態だと恥を感じて少しでも動揺を悟らせないように幾つかの可能性を考えて行く。
仕事となるとよもや殺し屋なのか、しかし先ほども考えたが殺される程恨まれた覚えが男性には思いつかなかった。
緊張と寝起きの為喉が粘つく唾を飲み込む、水でうがいをしたいと男性は思うがそんなことを言って聞いてくれるはずもない。男性には相手が淡々として物事を進めている理由が良く分かった。
その道のプロだからこそ慣れている、薄皮一枚はがせば苦悶に満ちた顔をさらす羽目になる男性とは違いこの異常な事態を異常と捉えないほどの経験があると推測する。
「大人しくじっとしていろ、殺すつもりは無い」
「…それは吉報だがこのままじっとしていろというのは無理があるだろう? 何をするつもりなのかは教えてもらえないか」
「…普段は守秘義務があるから言わないが、今回は良いだろう、今のあんたの様子を映像でテレビ電話させてもらう、それを依頼人に見せて終わりだ」
「出来れば終わった後に救急車を呼んでは貰えないかな」
不気味としか言いようが無いがまだ傷つくだけで殺されないなら良しとするしかない、それよりも男性の中にはこのような状況を望む知人にこそ恐怖心を抱いていた。
無理やり候補をあげるのならば亜美だろうかと一人の候補を頭の中に思い浮かべた、しかし仲が悪い事はあれど殺意を抱かれる覚えはない。
去年の論文学会に提出したときに抗議をしてきた女性で、研究内容を真っ向から批判し一時期ニュースにも取り上げられる事になったのでよく覚えている。
しかし、相手がその約束を本当に守るつもりがあるのか、また本当に仕事でしているのかという疑問が残る以上楽観的にはいられない、それ以前にこのような状況に置かれて余裕を抱くなど愚かな事をするつもりも男性には無い。
何らかの機具らしき物体を目の前の人物はまさぐる音を聞いて男性は目の前の人物が何者かに指示を受けていることを悟る。
何かを持ち、かと思ったら機具らしき物体に重なるように置く音が周りに響くのを聞いて自分に何かをしようとしているがその何かを男性はあまり理解できていないという事になる。
突然腕に何か掴まれるような感触があり思わず男性は小さく呻く、冷たい温度にツルツルとした大型のゴム手袋であろう感触にそこまで徹底しているのならいっそ清々しさ感じる男性の腕を細いゴムチューブで強く巻いて鉄の留め具をつける。
そこまで来て男性は何かしらの薬品を打たれるのだと理解した瞬間頭の中を恐怖が支配する、しかし暴れまわって目の前の人物を刺激するのは愚策で、何より抵抗したところで阻止することが出来ない。
腕の中に細い異物が入るのを我慢し、数秒間時間が経つと腕に巻かれていたチューブが解き放たれて何かを投与されたと思うと男性の体中から力が抜け、首が閉まらない程度に頭を下げる。
暫くして目の前の人物は手元のスマホから電話を掛けて光が顔にぶつかる、目的の人物につながっるとスマホを拘束されている男性に向け光を放つ液晶の中から男性の聞き覚えのある声が響く。
『ご無沙汰しております山田教授』
「………やはり君か、私の論文がそこまで気に入らなかったか、無駄だ、私の研究には多くの賛同者がいる、変わりなんて幾らでもいるしそもそもこの程度で止まらないよ、既にそんな段階じゃないんだ」
『存じています、しかし山田教授、貴方の研究で無視できない結果が出た場合他の人物はすぐにこの研究を貴方事切り捨てるでしょう』
「無視できない結果…? 一体何をするつもりだ」
目を布でふさがれている性で睨めない事が口惜しく感じている男性にスマホ越しに中傷するような暗い笑い声が響き部屋に反響する。
男性は苛立つのを感じて落ち着くよう自分に言い聞かせ、亜美が言葉を続けるのを待つ。
『所で教授、話は変わりますが貴方は今ご自分が何処におられるか解っておいでですか?』
「解るわけがないだろう、狭い部屋だという事は解るがそれ以上の事は何も解らないよ」
『貴方の研究室ですよ』
「………待て、君は何をするつもりなんだ」
先ほどの質問が男性の口から飛び出す、しかし先ほどとは意味合いが違い今男性の頭の中にはいきつきたくない考えが出ていた。
無意味だと解っているが体を揺らし拘束から逃れようとするが痛みが増すだけで何も変わらない、背中についている木の板が軋む音が痛々しくするだけで現状を良くする手段ではない。
だが男性の行きついた考えに今なっているのだとしたらじっとしていることなど男性には出来ない。
何時も顔を顰めて人を見下した表情や態度で接する男性の取り乱している姿を亜美はスマホ越しにとても愉快そうに明るい声を出して会話を続ける。
『このような結果になってしまい非常に残念です…教授は人類にとって必要な方なのですが、これ以上NHBの実験を許容できません』
「ふざけるな! 貴様私にNHB4型を投与したな!? あれはまだ実験段階に到達していないんだぞ!!! それを動物実験を飛び越して人体実験などと………正気か!?」
『そのNHB自体が問題だと何度もお伝えしたはずです、それを4度も作り変え今なお研究するなどと………新人類などSFの世界でしか存在してはいけないんです』
「これが完成した暁には臓器提供に危険な労働作業、貧富の格差がなくなると言う事を理解したまえ! この計画は人類に対し希望をもたらすものだ!!!」
喚き散らしながら暴れ始めるが男性自身薬品が投与された後ではすでに遅いという事は理解している、あの薬に特効薬など存在しない、そもそも人体実験自体が考慮に入れていない、特効薬があったとしても人間に聞くかどうか、そも実験をしたことが無い薬品に対する特効薬などあった所でどれほど役に立つか解った物ではないが。
胸の鼓動が速くなっていることを男性は自覚しながら呼吸を荒くして暴れまわる、釘を打ってあると言うのに今にも拘束を力づくで外して目の前の人物に飛び掛からんとする勢いで体を激しく揺らす。
『もう人間の言語を理解できるか怪しいと思いますが一応お伝えしておきます、貴方のパソコンには遺書替わりの報告書を保存時手あります、科学者として自分を使い人体実験をすると…』
「ば………か…め」
『私個人としては教授の事を人なりはともかく一研究者としては尊敬しておりました…天才とは貴方の為にある言葉です、しかし貴方は天才だからこそ周りの気持ちに気づけない、無いとは思いますが次の機会があればご自分の生徒をもう少しフォローなさった方がよろしいかと』
そう言い終わると通信は切れてメニュー画面に移り変わった男性のスマホを手に持っていた研究室のノートパソコンの上に置いて地面に卸し、男性に背を向けて白いドアを開けて殺菌室に入る。
背後から聞こえる何か解らない生物の呻き声を聞きながら足早に殺菌室を抜けて白い防護服を脱ぎその場を後にした。




