村娘、魔王城へ辿り着く
次の日、野宿したにしては意外と快適な目覚めとなった私は、元気に朝からお兄さんと森を彷徨っていた。お兄さん、朝食もご馳走様でした。大変美味しゅうございました。いや、本当に。もうお兄さん抜きでは生きていけないかもしれないと思うレベルで胃袋を掴まれてしまった気がする。そろそろお昼時、昼食はいったい何が出るのだろうかと考え始めた頃、私とお兄さんは遂に森を抜けることに成功した。
「やったー!! やっと……って、え?」
しかし、そのことを喜ぶ間もなく視界に入った目の前の光景に私は「まさか……」と固まる。
「いやいや、そんなはずは……。うん。無いよ。無い無い」
目を瞑り、指で軽く眉間を揉む。
きっと幻覚だ。そうに違いないと言い聞かせながら、再び視線を戻すが目の前には先程と全く同じ光景が広がっている。3度見ならぬ5度見をして、ようやくこれは現実なのだと受け入れる。そのくらい目の前の光景が信じられなかったのだ。しかし、まだ「そんな馬鹿な……」と疑う気持ちもある。私は真実を確かめるべく恐る恐る口を開いた。
「もしかしてこれが魔王城だったりしちゃいます……?」
目の前にあった大きな建物を指差してお兄さんに尋ねると、無言で頷かれた。そうですかー。魔王城だったりしちゃいますかー。私は目の前の建物をじっくりと観察する。建物だけでなく木々や草花に至るまで全て真っ黒で、禍々しいオーラを放っている。……うん。確かに魔王城だと言われれば納得せざるを得ない見た目である。
私とお兄さんは幾多の困難を乗り越え──、ることなく魔王城に着いたらしい。なんと、森を抜けたら目の前が魔王城だったのである。わぁ、びっくりー。
いや、まぁ、お兄さん森を抜けた方が早いって言ってたけどさ……。早いとかいうレベルじゃなくない? 村出たのも昨日なんだけど。持たされた地図とも全く場所が違うし。全く予想もしていなかった近さに開いた口が塞がらない。
「えー……」
いまいち現実が受け入れられない私を置いて、お兄さんは魔王城の中へと入って行ってしまった。「ここオレの家Yeah!!」的な感じの軽い足取りで行ったけど大丈夫なのだろうか。今からお兄さんを追いかけようにも、勇者の剣を装備した村娘が歓迎される訳がないので入っていいものかと悩む。狼の群れに飛び込む兎のようなものだ。襲われようものなら、あっさりあの世に旅立つ自信がある。というか、その自信しかない。
「……」
命が惜しい私は大人しくこの場所で待つことにした。お兄さんを見捨てたのではない。戦略的撤退ならぬ戦略的待機である。
ほら、お兄さん魔王の知り合いって言ってたし。万が一何かあった場合に、私が居ても足手まといになるだけだし。
誰に聞かせる訳でもなく、一生懸命自分の中で言い訳をしながら、勇者の剣をギュッと胸に抱きしめる。
いざとなったらこれを投げつけて逃げよう。そんな我ながら情けない決意をしている間に魔王城の中からお兄さんが出てきた。その後ろには執事っぽいロマンスグレーの素敵なおじ様が居る。超絶イケメンなお兄さんの横に並んでいても絵になるくらいの素敵度である。「イケおじ!!」と叫びそうになった口を慌てて抑える。
こんな優しそうなおじ様に「なんだコイツ…」的な顔で見られたらショックで死ねる。私がおじ様に向かって精一杯の愛想笑いを浮かべようとすると、すぐ目の前まで来ていたお兄さんに両頬をガっと片手で挟まれた。
「なんの…真似だ……?」
「何ってイケおじ…ゲフンゲフン。そちらの方にご挨拶をしようと思って」
「イケ、おじ……?」
「とても素敵な魅力をお持ちのおじ様達の総称です!」
拳を握り締めながら力強くそう言うと、不愉快そうにお兄さんは、スっと目を細めた。何故か分からないけど、機嫌を損ねてしまったらしい。私は非常に焦った。前は魔王城、後ろは魔物が出る森である。こんなところでお兄さんに見捨てられた私の末路は──。考えるだけでぶるりと身体が震える。どうしようと視線を彷徨わせていると、私とお兄さんの間に入ってくる影があった。
「魔王様、わたくしもご挨拶させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
おじ様がそう言うと、お兄さんは気に入らなさそうに「ふんっ」と顔を背けたが、私の両頬から手を離した。そして「好きにしろ」的な感じで腕を組む。さすが魔王様。そんな仕草も絵になりますね。って、ん?
魔王様……?
今、魔王様って言った? 言ったよね? お兄さんが魔王? なんだろう。驚きよりも「やっぱりそうだったんだぁ」感がすごい。あんまり考えないようにしてたけど、薄々そうじゃないかなぁとは思ってた。日が暮れる時間に躊躇なく森に入るし、何か堂々と魔王城に入って行くし。やっぱりそうなんだ。えぇ……。
「ありがとうございます。お初にお目にかかります。わたくし魔王様にお仕えしております、レルヴァと申します。差し支えなければお名前をお伺いしても?」
「あ、はい。えっと…なまえ…名前…あ! アンナといいます」
恥ずかしい。お兄さんのことを考え過ぎて、自分の名前が忘却の彼方へ飛んで行ってしまっていた。しかしレルヴァさんはそれを気にした風も無く、可愛らしいお名前ですね、と微笑んだ。その顔のあまりの素敵ぶりにさっきの失態なんてどうでもよくなってきた。最高級のイケおじ笑顔ご馳走様です!!
レルヴァさんの笑顔にうっとりしていると、レルヴァさんは筒状に丸められた大きな紙を取り出した。なんだなんだ?と見つめていると、レルヴァさんは右手で自らの胸をぽんっと叩いた。
「僭越ながらわたくしが魔王様とアンナ様の結婚式までのお手伝いをさせていただきます」
「……ん?」
「なるべくアンナ様のご希望に添えるように努力しますが、時間が無いのでダイジェスト版とさせて頂きますね」
「え? ちょっとレルヴァさん?」
「では、まず第一章【理想の告白】の最終節【2人きりのロマンチックな場所で手を繋ぎながら、告白】からいきましょう。さあ、魔王様。アンナ様のお手を」
「待って待ってレルヴァさん!」
「アンナ……」
戸惑う私をまるっと無視したレルヴァさんに促されたお兄さんが私に近づいてくる。いやいやいやいや! 急にそんなこと言われても!! 身体から心臓が飛び出してしまうのではないかと心配になるくらい、羞恥と期待で胸がドキドキしている。あと半歩進めばぶつかってしまうような距離でお兄さんが立ち止まった。そして徐ろにお兄さんは右手を私の方へと伸ばしてくる。お兄さんの手が私の右手に触れるのを直視出来なくて、私は目を逸らした。
ん? いや、ちょっと待てよ?
違和感を感じた私はお兄さんに掴まれた右手をまじまじと見つめた。
「まさかの握手!!」
ドキドキ損である。この状態で何を言うつもりなのかと、少々冷めた目でお兄さんを見つめても仕方の無いことだと思う。
「我が…魔王だ」
知ってます。
「お兄さん。告白違いです。私が欲しいのは愛の告白であって、唐突なカミングアウトじゃないんです」
まぁ、どうせそんなオチだと思ってたよ。握手してきた時点で薄々分かってたよ。ちくしょー。
「我の…方が……歳上だ」
誰と比べてるの……? いや、そもそもこれは何の告白? 私の冷えた視線には気づかないのかお兄さんは、やり切った感を出している。レルヴァさんも感極まった感じで、うんうんと頷いている。駄目だ。もう。
「さすが魔王様です。では次に参りましょう。第二章【理想のお付き合い】の第三節【時間をかけて、ゆっくりと2人の仲を温める】ですね」
何をするつもりかと思わず身構えてしまった私は悪くないと思う。絶対ろくな事にはならない。私の勘がそう告げている。お兄さんの一挙一動を注意深く観察していると、突然抱き締められた。
え!? ちょっとお兄さんっ!?
これは予想外の展開である。さっきみたいな肩透かしを食らうものだと思っていたばかりに、動揺が隠しきれない。そもそも私みたいな未婚の村娘がこんなことに対する免疫なんてあるはず無いのだ。頬が熱を帯びてきたのが自分でも分かる。今私の顔は真っ赤だろうなぁなんて、他人事のようにぼんやりと思った。
抱き締め返すようにそっと両腕をお兄さんの身体へと回してみると、一瞬で全身の血が沸騰したような感覚に襲われた。
あぁ、お兄さんと触れ合っている部分が熱い…………
「ってホントに熱い!! お兄さん熱いです!! 火傷します!! 2人の中じゃなくて、2人の仲です!! 2人の身体を物理的に温めるって意味じゃありません!!」
死ぬかと思った……。
相変わらずやり切った感を出しているお兄さんと、「恋の炎は火傷するくらいに熱いものです」等と分かったような顔で頷いているレルヴァさんを睨みつける。
「次に行きましょう。次は最終章【理想のプロポーズ】から第三節【片膝をつき、手を取って口付けプロポーズ】ですね」
ここまで来れば、流石に私も学習する。絶対絶対ろくな目には合わない。今度こそ警戒を怠らないと決めて、勇者の剣を握りしめた。
そんな私を不思議そうに見つめていたお兄さんがすっ、と片膝をつく。そして私の左手を掴むと思いっきりお兄さんの方へと引っ張られた。「へ?」と疑問に思う暇もなく、お兄さんの厚い胸板が鼻先に迫る。お兄さんの身体に飛び込むようにして倒れこんだ私の両頬が再びガっと片手で挟まれた。
呆然としている間に目を閉じたお兄さんの顔が近づいてくる。あ、肌綺麗……って、そうじゃないでしょ! 私っ!! もしかして、もしかして、キスされる!? そう気づいたところでしっかりと掴まれた顔はびくともしない。お兄さんの綺麗な顔が迫ってくるのを見ていられなくて、私は目を閉じた。
唇に自分のものでは無い熱を感じてどのくらい経ったのだろう。その熱が離れ、掴まれた頬が自由になったところで目を開くと、お兄さんの綺麗な瞳とぶつかった。
「結婚…して……くれ」
こうじゃない。私は片手に持っていた勇者の剣を放り投げて、両手で顔を覆った。もっと優しく私の手を取って欲しかったし、キスするのだって私の手の甲で良かったのに。こうじゃない。こうじゃないのにドキドキしてしまう。顔が上げられないから文句も言えない。ずるい……。
返事は?と可愛らしく首を傾げるお兄さんに無言で頷く。だからそれ可愛すぎるから止めてって言ってるじゃん……。
「では最後に、最終章【理想のプロポーズ】の最終節【愛を囁く】ですね」
その声にレルヴァさんも居たことを思い出す。ということは、つまり、さっきのキスも見られていた訳で……。ますます顔が上げられなくなった。もうやめて欲しい。あまりの恥ずかしさに死ねそうである。
動けない私の耳元にお兄さんが口を寄せた気配を感じる。私はこの幸せとも苦行とも取れる時間を耐えるべく身を硬くした。
「あ…い……」
「愛を囁くって言うのは、耳元で愛って囁くことじゃないですぅーーー!!」
私は顔を覆ったまま全力で叫んだ。
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「ふふっ」
「ははうえどうしてわらってるの?」
3歳になった可愛い可愛い私の息子がこてんと首を傾げた。本当に私のお腹から出てきたのか疑わしいレベルの可愛さである。
「ちょっと昔のことを思い出していたのよ」
「ふーん。あ! ちちうえだー」
息子よ。聞いたのならもうちょっと興味を持って頂きたい。どうでもいいと言わんばかりの勢いで父親の元へと駆けていく息子に少し寂しい気持ちになる。でも、嬉しそうに息子を抱き上げる父親の姿に、まぁいいかと思い直す。
紅茶をひと口飲んで再びふふっと笑った私を、すぐ側まで来ていた親子2人が不思議そうな顔で見つめている。
「ねぇ、旦那様。私に愛を囁いてくださいな」
私の突然のお願いに、今は私の旦那様となったお兄さんが驚いたように目を瞬かせた。しかし、私が両手で顔を隠すと、ふっと笑って私の耳元へと口を寄せる。
「愛…している……」
うっかり勇者の剣を抜いてしまった村娘がイケメン魔法使いと出会った結果、とても幸せになりました。
勇者の剣は魔王城の調理場で活躍中。
〜ちょっとした人物紹介〜
アンナ(19)
18歳でほとんどの女の子が嫁に行くため、非常に結婚に焦っていた。面食い。
お兄さん(?)
暇つぶしに散歩してたらアンナに遭遇。そろそろ跡継ぎをとせっつかれていたので、「面白いからまぁいいか」と何となく連れ帰る。思いのほか気に入った様子。