村娘、森に入る
──と、思いきや始まらなかった。
「ちょっと何処行くんですか!?」
一緒に行ってくれると言ったはずのお兄さんが私とは全く別の方向へと進もうとしていたのを慌てて止める。行くと見せかけて私を安心させてからこっそり逃げるつもりだったらしい。全く油断も隙もない。しかし、お兄さんは何故か可愛らしく首を傾げている。それ、もうやめて。可愛いから。
「ま、おう……の、城だ…ろう……?」
「魔王城には行きますけど、そっちには森しかないですよ」
「こっ…ちが……早い」
「でも魔物も出ますし、こんな時間から森に入るなんて自殺行為ですよ」
お兄さん? ちょっと待ってお兄さん? お兄さんは完全に私を無視して森に入ろうとしている。え?本当に行くの?お兄さん強いの知ってるけど本当に行くの?
「ちょっと待ってください! 私のことちゃんと守って下さいね!!」
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「お兄さーん、本当にこっちで合ってるんですか?」
「知…らぬ……」
予想外の返答に思わずポカーンと口を開ける。森に入ってからそんなに時間は経っていないが、日も暮れ始めて辺りは薄暗くなっていた。どうしよう、早まったかもしれない。お兄さんが森へ入ろうとした時に全力で止めなかったことが、非常に悔やまれる。
「あの、せめて朝になるまで待ちませんか? 暗い森を闇雲に彷徨っても更に迷うだけですよ」
お兄さん、お兄さん。怖い顔で迷ってなどおらぬとか言っても、説得力無いですよ? 私を睨んでいるお兄さんを微笑ましい気持ちで見つめてしまいそうになったが、何とか耐えた。お兄さんにこれ以上不機嫌になって貰っては困る。お兄さんに見捨てられるイコール私の死だからだ。なので大人な私はそれを表に出すことはせず、別の方向から攻めることにした。
「それにお腹もペコペコだし、体もクタクタです。今日はこの辺で休みましょう!」
そう言うと、何故かお兄さんは酷く驚いたような顔をした。「人間は腹も減るし、疲れるのか」等と可笑しなことを呟いている。
「いや、お兄さんも人間でしょう?」
思わずそう突っ込むとお兄さんは、キョトンとしてパチパチと目を瞬かせた。短時間でお兄さんの色んな表情が見れたなぁ。眼福です。ありがとう。
「……そう、だ…な……」
……そう、で…しょ…。
またつられてしまった。お兄さんのこの喋り方には真似したくなる魔法が掛かっているのかもしれない。お兄さん魔法使いだし。
「そん、なも…の……な、い」
口から出ていたらしい。失礼しました。お兄さんはここで休むことに決めたらしく、その場に座り込んだ。普通は洞窟などの雨風凌げる場所を探すのでは? そう伝えるとお兄さんは不思議そうな顔で疲れているのだろう?と指先1つで結界を張ってしまった。雨風が凌げるだけでなく、防火防寒防音三拍子揃った優れものらしい。道に迷ってもお兄さんのハイスペック魔法使いぶりは健在である。
まぁ、とりあえずこれで翌朝まで私の安全が確保されたのならば、と意気揚々と村人達から無理矢理渡されたリュックを開ける。ある作戦に取り掛かることにしたのだ。題して、お兄さんの胃袋を掴め作戦だ。料理だけは他人様に胸を張って自慢出来る程度には自信がある。お兄さんに末永くこの旅に付き合って貰えるよう全力を尽くす所存だ。
「……あれ?」
リュックを漁っていた私は、とんでもない事実に気づいた。というか、気づいてしまった。自分でも顔がサァーっと青くなっていったのが分かる。
調理道具が1個も入っていない。
鍋の1つも入っていないのだ。
ちょっと待って。ちょっと待って。私は頭を抱えた。恐らく調理道具はかさばるし、荷物になるからと入れられなかったのだ。これを準備した村人の気遣いに違いない。でも、あんまりだと嘆く。お兄さんの胃袋を掴め作戦が始まる前に終わってしまった。
はぁーと溜め息をつきながら、食料袋を取り出す。いつまでもここで沈んで居ても仕方がない。調理道具があろうと無かろうと食事は摂らなければ。旅はまだまだ続くのだ。腕を振るう機会もいつか訪れるはず。そう言い聞かせて私は食料袋を開いた。
「え? 生肉……?」
そのまま食べられて日持ちするものが入っていると思っていたので、予想外の食材に目が点になる。村ではほとんどのお肉が日持ちするよう加工されてしまう為、生肉は滅多にお目にかかれない貴重な食材だ。村に居た時なら小躍りしながら喜んだであろう。村に居た時ならば。
調理道具もないこの場所で生肉をどうしろと?
私は再び頭を抱えた。これを準備した人間に軽く殺意が芽生えるレベルである。もしかしたら見つけられなかっただけで、調理器具が入っているのかもとリュックを漁るが、入っている訳もなく。火をおこす為の火打石すらなかった。こんなことになるなら、隣村の村長主催のサバイバルキャンプ教室に通っておくんだった。いや、違う。そういう話ではなくて……。
他に何が入っているのかと、食料袋を漁る。すると人参5本と大根1本そして謎のキノコが2個が出てきた。
「え? まさかこれだけ?」
そんな馬鹿なと食料袋を逆さにして何回振っても何も出てこない。無言で袋を揺すり続ける私をお兄さんが怪訝そうな顔で見つめている。しかし、今の私にはお兄さんのことを気にしている余裕がない。
「詰んだ……」
両手両足を地につけて、ガックリと頭を垂れた。調味料なども勿論入っていなかった。人参、大根はともかく、このキノコは生で食べられるのだろうか。生肉は論外なので食料袋の中にお引取り願った。そして試しにキノコを齧ってみた私はそっと食料袋に戻す。無理だ。これは食べられない。そもそも食用のキノコじゃ無いのでは?と思うくらい食感も味も最悪だった。 残った人参と大根、どっちがマシかを真剣に悩んでいると、まだ怪訝そうに私を見つめていたお兄さんと目が合った。
「お兄さんが居た!!」
お兄さんが居た!! 大事なことなので2回言わせて貰った。私では火をおこすことも出来ないが、スライムを燃やしたお兄さんだったら魔法でちょいちょいのはずである。生肉だって謎キノコだって、魔法でちょいちょいのはずである。まぁ、謎キノコは焼いても食べられない可能性が高いが。
私が生肉を差し出すとお兄さんは嫌そうな顔をしながらも、いい感じにこんがりと焼いてくれた。さっそく勇者の剣を鞘から抜き出し、お肉を食べやすいサイズに切り分けていく。
「さすが勇者の剣……。すごい切れ味」
しかも汚れ知らずである。何度お肉にその身を入れようと、白い光を放つ刃は綺麗なままである。複雑そうな顔で勇者の剣を見つめるお兄さんの視線には気付かないふりをする。
「よし こんなものかな?」
勇者の剣を鞘に戻して、小さくなったお肉をお兄さんに勧めたがお断りされた。そんな気はしていたので、気にせずお肉に齧り付く。そして私は首を傾げた。不味くはない。美味しくない訳ではない。でも何かが物足りない。
「やっぱり調味料が欲しい……」
しょんぼりと頭を下げた私に白い小さな瓶が差し出された。よく見ると中に白っぽい粒が入っている。これ塩!?と聞くとお兄さんが首を縦に振った。もしかしてコショウとかも出せちゃったりします?と聞くと、コショウが差し出される。
「もしかして出来上がった料理とかも? ってさすがにそれは無理かぁ」
あははと笑っていると、食欲を刺激する香りが漂ってきた気がした。いやいや、そんなはずは……と首を振っていると、目の前に大きなテーブルと椅子がドドーンと現れた。テーブルには見たこともないような豪華な料理が所狭しと並んでいる。
「え……」
持っていたお肉がポロリと転げ落ちた。思わずお兄さんの顔を見上げると、ものすごいドヤ顔をしていた。さあ、早く食べろとその目が語っている。ぎこちなく頷いた私が椅子に座ると、お兄さんは満足気な様子で私の向かいに腰を下ろした。
食後のデザートに至るまで大変美味しかったです。
こうして私の胃袋はお兄さんにガッチリ掴まれた訳だが、夜はまだ長い。しかし、寝るには早い。そこで私はお兄さん相手に世間話を始めたのだが、ごく稀にしか返事がないし、それも一言二言程度である。私の大きな独り言になっていると言っても過言では無い。
「それで、うちの姉がプロポーズされて……ってお兄さん? どうしたんですか?」
銅像ですか?とでも聞きたくなるくらいピクリとも動かなかったお兄さんが、可愛らしく首を傾げていた。もうそれやめてって言ってるじゃん。可愛すぎるってば。
「お前…は……?」
「……ん?」
さり気なく鼻に手を当てて鼻血チェックをしていた私は質問の意図が分からなくて困惑する。しかしお兄さんは私の答えを待っているかのように、じっと私を見つめている。えーっと、さっきまで何の話してたんだっけ。
「プ…ロ、ポー……ズ」
「あぁ、プロポーズの話ですか。プロポーズっ!?」
お兄さんプロポーズって言葉全然似合わないですね。違和感しかない。いや、今それはどうでも良くて……。お前はプロポーズ? プロポーズってなんだったっけ? えーっと? つまり、どういうこと?
困りきった私はお兄さんへと顔を向けるが、お兄さんは完全に聞く体制に入ってしまっている。自分でどうにかするしかないと、いつも休みっぱなしの頭をフル回転させる。
『お前は? プロポーズ』ってお兄さんは言った訳で。私はプロポーズどころか告白されたこともないし、私が結婚してないことはお兄さんも知ってるはずだ。私を魔王の嫁にしてやるとか言ってたし。お兄さんが言葉足らずなのは間違い無い。つまりだ、つまり。これに言葉を補足するとしたら……。
『お前は? (どんな)プロポーズ(をされたいのか?)』
これだ!! これに違いないっ!!
こんなに完璧な推理を導き出してしまうとは……。自分の才能が恐ろしい。って違う。今は私の才女っぷりを褒め称えている場合ではなかった。お兄さん聞きました? 聞いちゃいましたね?
「むふふふ……」
おっと、思わず乙女らしからぬ不気味な笑い声を零してしまった。私の笑顔が太陽のように輝いていたのだろう。お兄さんが眩しそうに目を細めた。「急に笑い出した、キモ…」的な感じで、本日二度目のドン引きしているように見えるのは気のせいだ。気のせいったら気のせいだ。私はキリリと表情を引き締めた。
「良いでしょう、お兄さん。そこまで言うなら語ってあげましょう!! まずは第1章、理想の告白からです!」
そうして私は理想のデートから子どもは何人欲しいかなどに至るまで、満足するまで話し続けたのである。