揺れる心、ギトカ到着
ヒメナ「ようやくギトカに到着デスね」
イサ「……長かったな」
ヒメナ「ここでお別れデスね」
イサ「そうだな。これでようやく静かになりそうだ」
ヒメナ「最後くらい別れを惜しんで下さいヨ!」
小娘のせいで、俺は結局一睡もできないまま、朝を迎えた。
鶏の鳴き声が、寝不足の頭に響く。
それだけでも十分最悪な気分だというのに、その後起きてきた小娘に目の充血を指摘され「さてはヒメナさんの寝顔に見とれてたんデスね?」と、ぐふぐふ下品な笑いをされたら殺意が芽生えても仕方がないというものだろう。
勿論、頭を多少締めつけるだけで勘弁してやったが。
小娘の態度は昨日となんら変わらない。
まあ、小娘は俺が起きていたとは知らないのだから、当然と言えば当然の反応だ。
――何も聞かなかったことにするか。
相変わらずの、のほほ~んとした表情をしている小娘を見ながら、そう決めた。
小娘の態度が変わらない以上、俺の方から話を切り出すことはない。
どうせギトカで別れたら、もう2度と会うこともないのだし。
そう判断した俺は、昨夜のことには一切触れないことにした。
そして表面上は何も変わらないまま、宿で朝食をとり、リズ村を出発した。
夕暮れ時に着いた村でまた一泊し、そして翌日の昼前にようやくギトカに到着した。
「うわァ~! おっきい街デスねェ」
街の大門を通り抜けるまで、ギトカの大きさに目を丸くして、口をあんぐり開けていた小娘がようやく驚嘆の声を上げた。
「さすがギトカですネ! 建物がいっぱいデス! それに人も大勢いますヨ!!」
小娘が興奮した様子で、落ち着きなくギトカの街並みを眺める。
ずっと田舎村に住んでいた小娘にとっては、初めて見る都市が物珍しいのだろう。
たとえ、王都の様子を知っている俺にとっては、珍しくもない光景だとしても。
「あまりキョロキョロするな。田舎者だと思われるぞ」
俺が忠告すると、小娘はすぐに反応して顔を正面に固定した。
ギトカは物流の拠点だけあって、ざっと見渡しただけでも露店が軒を連ねている。
露店の前を行き交う人々も様々で、中にはこの辺りに住んでいる者ではないと一目でわかるような者も少なからずいた。
物が集まる所には、人も集まるということなのだろうか?
「イサ」
小娘に名を呼ばれ、俺は視線をそちらに向けた。
俺の注意が自分にきたのを見届けてから、小娘が言葉を続ける。
「そろそろお腹が空きまセンか? まずは腹ごしらえをして、それからイサの髪を好条件で買ってくれる人を探しまショウ!」
そう言ってにっこりと笑う小娘は、とてもいい顔をしていた。
食事の後、小娘の行動は早かった。
目星をつけた商人(食事の前後、近くの席にいた者と何やら話をしていたので、その時情報を仕入れたのだろう)を手当たり次第まわり、そして今、俺の目の前で白熱したバトルが繰り広げられている。
小娘が交渉中の相手は、30過ぎくらいの痩せ形の男だ。
その男と小娘の間に置かれた算盤の珠が次々と弾かれていく。
互いに本気の真剣勝負だ。
その異様な空気を察したのか、気づくと俺の2~3メートルほど後ろには人垣ができていた。
――――――。
――――。
――。
小娘が交渉を始めて、早1時間と30分。
そろそろ決着がつきそうだ。
「これでどうだ!」
痩せ形の男が金額を提示した算盤を小娘に見せる。
俺には髪の相場という物がわからないが、人垣から思わず声が漏れるほどの金額は提示したらしい。
だが小娘は、にっこりと笑顔を浮かべながら、指先で珠を1つ弾いた。
男の顔が可哀想なくらい引きつる。
それでも小娘は笑顔のまま、無言の圧力をかけていく。
そのままの状態で、しばらく時が止まった。
「わかった。……交渉成立だ」
長い沈黙の後、ようやく痩せ形の男が敗北宣言を口にした。
交渉前と後では5歳ほど老けたのではないかと思われる商人の男とは対照的に、小娘の笑顔はますます光り輝いている。
「ありがとうございマス」
嫌みなほど良い笑顔で、交渉相手に勝利宣言をすると、小娘は自分の荷物の中から万能ナイフを取り出し、それを手にしたまま俺の傍に寄ってきた。
「イサ~、お待たせしました♪」
語尾を弾ませた小娘が、手にした万能ナイフを俺に差し出す。
――これをいったい、どうしろと?
一応、差し出された万能ナイフを受け取ったが、小娘の意図がわからず、ただナイフの刃を見つめる。
すると小娘が更に近寄ってきて、背伸びをしながら俺に耳打ちしてきた。
「早く髪を切って下さいヨ。こうしてる間に相手の気が変わったらどうするんデスか!?」
――なるほど。このナイフはそういう意味だったのか。
小娘の言葉ですべてを理解した俺は、左手で自分の髪をまとめ、右手に握ったナイフで髪をばっさりと切り離した。
掴みきれていなかった髪の何筋かがはらはらと地面へ落ちる。
「ほら」
左手に握った自らの髪を差し出すと、小娘は笑顔で受け取り、揚々と商人の元へ運んで行った。
小娘は「あっ、代金は2袋に分けて下さい。均等にデスよ」などと商人に注文をつけた挙げ句、せっかく均等に分けた袋の中身を少し移し替えてから、痩せ形の男に感謝と別れの言葉を告げた。
男がすべてを諦めたような微笑を浮かべて、小娘に手を振る。
それに応えるように頭を軽く下げた後、両手に代金の詰まった皮袋を握って、小娘が駆け寄って来た。
「ハイ。こっちがイサの分デス」
そう言うと小娘は、右手に握っていた方の皮袋を俺に差し出した。
「おい、ちょっと待て。何故俺にこちらの袋を渡す?」
「え? いらないんデスか!?」
「そんなわけないだろう! 俺が言っているのは、何故中身を減らしたほうの袋を俺に寄越すのかということだ」
小娘は気づかれていないと思っていたかも知れないが、俺はこれまでの経験を踏まえて、小娘が妙な動きをしないよう細心の注意を払っていたんだ。
魔王であるこの俺がそう何度も、たかが小娘如きに出し抜かれてたまるか!
――勝った。
そう確信した瞬間、小娘がにやりと笑い、勝ち誇った意地の悪い笑顔を俺に向けた。
「何故って、そんなの決まってるじゃないデスか。ヒメナさんが出した、イサの分のミニアル村からギトカまでの旅費を返してもらっただけデスよ」
「……確か、俺の髪の売上を半分取る代わりに、ここまでの旅費を全額出すという約束じゃなかったか?」
「だから、ここまで来るのに掛かった費用は、すべてヒメナさんが負担してあげたじゃないデスか? ……でも、後でその分を回収しないとは、ヒメナさん一言も言ってませんヨ」
俺が呆気にとられていると、さらに小娘が「ヒメナさん初めに言いましたよネ? 『タダ飯食えるほど世間は甘くない』って」と追い打ちをかけてきた。
たしかに言っていたな。
むしろ、何度その台詞を聞かされたことか。
俺が苦虫を噛み潰したような顔をすると、小娘は腹が立つほどにこやかな笑顔で再度右手の皮袋を差し出した。
「わかって頂けたようで良かったデス。それで、これはどうするんデスか? 要りマスか?」
「要るに決まっているだろう!」
小娘の右手から皮袋を引ったくる。
「まさかとは思うが、必要以上に天引きしていないだろうな?」
「そんなことしてませんヨ。ヒメナさんは『親切・丁寧・正直』を常に心掛けていますカラ」
小娘が右手を胸に当て、誇らしげに言い放つ。
――どの口がそれを言うか。
俺が顔を引きつらせていると、小娘がくるりと身を翻した。
その反動で浮き上がった小娘の栗色の髪が俺の視界に映る。
「それじゃあ、ヒメナさんはもう行きますネ。イサもお元気で」
顔だけこちらに向け短い言葉を告げると、小娘は俺に背を向けて歩き出した。
――えっ?
突然のことに、心臓がひときわ大きく飛び跳ねる。
確かに小娘とは、ギトカまでの付き合いだと決めていた。
俺としても、こんな小娘とは早く別れたいと思っていたはずだ。
それなのに、呆気なくやって来た別れに戸惑っている俺がいる。
無意識に遠ざかっていく栗色の髪へと手が伸びる。
だが、栗色の髪はするりと俺の指をすり抜けていった。
「ちょっと待て!」
空―ムナ―しく宙を掴んだその瞬間、俺は反射的に叫んでいた。
慌てて口を塞ぐが、一度吐き出してしまった言葉を戻すことはできない。
俺の叫びに小娘が振り返り、怪訝な表情を浮かべる。
「まだヒメナさんに何かご用デスか?」
用なんかない。
しかし、わざわざ呼び止めた以上何か言わなければ不自然だ。
「その…………ああ、そうだ。この後、お前はどうするつもりなんだ?」
何か言わなければと絞り出した台詞は、なんの面白味もないものだったが、これ以外の言葉は残念ながら浮かんでこなかった。
特に返事は期待せず、小娘の反応を待つ。
小娘は俺の言葉を聞くと目を大きく見開いたが、すぐにいつもののほほ~んとした仮面をつけた。
「ヒメナさんがこの後どうするかって? そんなの決まってるじゃあ、ないデスか。ヒメナさんは魔王を退治して、名実ともに勇者になって、魔王が溜め込んでいたお宝で、一生左団扇でウハウハで暮らすんデス」
――なんだ? ウハウハって。
しかし、夢を打ち砕くようで悪いが、城の宝物庫には小娘が想像しているような金・銀・宝石は入っていない。
あるのは歴史的価値のある物だけだ。
しかも宝物庫の鍵はカイが管理しているから、この俺ですら理由が無い限り立ち入ることができない。
いや、そんなことは今どうでもいい。
それよりも気になることは――。
「魔王退治に行くのは『肉が食べられなかったから』じゃ、なかったのか?」
たしか小娘の魔王退治の動機は、こんなふざけた理由だったはずだ。
それが何故、魔王の財宝で豪遊することに変わっているんだ?
俺の疑問に、小娘が相変わらずのほほ~んとしながら答える。
「そうデスよ? ヒメナさんからお肉を奪った魔王に怒りの鉄槌を下してやるんデス。その後にこれまで苦しめられてきた分、楽をして何が悪いんデスか? 魔王を退治した者の当然の権利デス」
やはりこの小娘ただ者ではないな。
雑魚魔物にすら逃げ出したくせに、まだ魔王を倒す気でいる。
俺には到底真似できない。
……真似できるとしても、する気はないが。
「それだけあれば、当分生活に困らないだろう? 馬鹿なことを言ってないで、おとなしくその金を持ってミニアル村へ帰れ」
小娘が握っている皮袋を指しながら冷たく言い放つ。
「お前の実力では魔王を倒すどころか、王都ルノオンに辿り着く前に死ぬぞ。わざわざ命を無駄にすることもないだろう?」
そうだ。
先程の俺の不可解な言動は、仮にも恩人である小娘をむざむざ死なせるのは忍びないと思ってのことだ。
きっと、そうだ。
そうに違いない。
話しているうちに自然と頭の中で先程の不可解な行為が整理されていく。
それに気を良くした俺は、つい余計な一言まで口に出した。
「それに村ではお前の帰りを待っている者もいるんだろう?」
俺が何気なく言ったその言葉を聞いた瞬間、小娘の表情が変わった。
さっきまでの、のほほ~んとした笑顔から一転して、きつく引き結ばれた口元と見開かれ潤んだ瞳を下へ向け、聞き取れるか否かという小さな声で小娘がぽつりと呟いた。
「帰りを待っててくれる人なんて……」
――え?
俺が動揺していると小娘が顔を上げた。
そこにはいつもの、のほほ~んとした笑顔があった。
「ヒメナさんのこと心配してくれるんデスか? 嬉しいデス」
いつもの笑顔、いつもの口調で、小娘が軽口を叩く。
「今……」
「だけど、心配はご無用デス! ヒメナさんは強運ですカラ!!」
何か言いかけた俺の言葉を小娘が強引に遮る。
「だから何も心配はいりまセン!」
俺へと向けられるきつい眼差しが、まるで「何も訊くな」と訴えているようで、俺は口を閉ざすよりほかになかった。
その様子を見た小娘は、無理に作った笑顔を微笑に変え、最後の言葉を口にした。
「ここまで一緒に旅が出来て楽しかったデス。イサがどこに行こうとしているのかは知りませんケド、無事に辿り着くよう祈ってマス。じゃあまた、縁があったら会いまショウ」
そう言い残すと、小娘は踵を返し、雑踏の中へと消えていった。