食事、それぞれの価値観
ヒメナ「食事とは楽しく美味しく食べるモノですヨ♪」
イサ「食事とは生きるために必要な栄養を摂取するモノだ」
ヒメナ「1人で食べるよりも2人で食べた方が美味しいデスよね♪」
イサ「何人で食べようが味なんて変わるわけがない」
ヒメナ「……イサって人生の半分は損してますヨ」
――疲れた。
夕刻になり、ようやく労働から解放された俺は小屋に戻ると、そのままベッドに倒れ込んだ。
明かりをつける気力もなく、室内は薄暗いままだ。
今すぐにでも眠ってしまいたいほど、肉体は疲労しているはずなのに、何故か頭が冴えて眠ることが出来ない。
そのため、考えたくもないことが次々と頭を過ぎっていく。
初めに思ったことは、俺が昼に食べた食事量と、その代償として働いた仕事量が一致していないんじゃないか、ということだった。
――明らかに過重労働だ。
だが、今更そんなことを言ったところで、どうしようもない。
ハァ、とため息が漏れる。
そういえば、俺が城を出て来たのは、リク・カイ・クウが俺に過重労働を強いたからだったな。
たった1ヶ月前のことなのに、何故か懐かしくさえ感じる。
リクはきちんと俺の代理として、政務を執り行っているのだろうか?
カイはむやみに魔物が人間を襲わないように牽制しているのだろうか?
クウは……きっといつも通り、城内を忙しく走り回っているんだろうな。
――そろそろ潮時、か。
体を反転させ天井を眺めながら、この1ヶ月間を反芻する。
城を出てから、だいぶ自由を謳歌することが出来た。
だから、もう十分だ。
それだけで俺は、また魔王として生きていくことが出来る。
――帰ろう。魔王城へ。
物心ついた時から、すでに魔王城でリク・カイ・クウに育てられていた俺にとって、帰る場所はそこしかない。
魔王として生きる術しか、俺は知らない。
大きく息を吐き、上半身を起こす。
俺が色々と考えている間にすっかり日が落ちたらしく、室内は暗くなっていた。
ドアの隙間から差し込む隣の部屋の光がやたら眩しく感じる。
おもわず目を細めるとタイミング良くドアが少し開き、光の帯から小娘がひょっこりと顔を出した。
ベッドに腰掛けた状態の俺を確認すると、小娘はわずかしか開けていなかったドアを全開にして俺に話し掛けてきた。
「今日はお疲れ様でした。正直ここまで使えるとは思っていなかったので、とても助かりました。アリガトウゴザイマス」
礼を言っているのか、馬鹿にしているのかわからない言葉を口にしながら、小娘がぺこりと頭を下げる。
「えー、それでデスねェ」
顔を上げてから小娘が言葉を続ける。
「食事の用意が出来たんですケド、よかったら一緒にどうデスか?」
そう言いながら小娘が俺に笑顔を向ける。
――こいつ……馬鹿なのか?
どうせまた『タダ飯食えるほど世間は甘くない』とか言って俺を働かせるつもりなのだろう。
1度目はともかく、2度目も騙されるほど俺は馬鹿ではない。
「断る」
「お腹、空いてないんデスか?」
戸口に立ったまま、小娘が不思議そうに小首を傾げる。
――あれだけ働かされて、腹が減らないわけが無いだろう!
だが怒鳴る労力も惜しく、無言で小娘を睨みつけるに留めた。
「……もしかして、食事をしたらまた働かされるとか思ってるんデスか?」
しばしの沈黙の後、小娘が核心を突いた。
「……」
「なァんだ。それなら心配いりませんヨ♪ 今日はよく働いてくれましたから、サービスしときマス。金を払えなんてケチくさいことは言いませんヨ」
にこにこと笑いながら、小娘が俺を手招きする。
「さァ、早く食べましょう。せっかくの食事が冷めちゃいますヨ」
――嘘くさい。限りなく嘘くさい。
小娘の親切には、必ず裏がある。
それはこれまでの行いから容易に想像がつく。
――今度はいったい何を企んでいるんだ?
俺は身じろぎひとつせず、慎重に小娘の様子を窺った。
その態度で小娘は、俺がまだ完全に小娘の言葉を信用していないことに気づいたらしく、急に不機嫌になり、口を尖らせた。
「そんなに私の言うことが信じられまセンか!?」
「……逆に問うが、これまでの行いからどうして俺がお前を信用できると思えるんだ?」
反論する気も、言い返すつもりも無かったが、つい口から本音が漏れてしまった。
俺の言葉に小娘はますます口を尖らせて、頬をぷーっと膨らませる。
「もぅ、いいデスよ! 人の親切が素直に受けられない人には、何も食べさせてあげまセン!!」
そう言うと小娘は、くるりと俺に背中を向けた。
何故、小娘が怒るんだ?
むしろ怒るべきは、騙されてこき使われた俺の方だろう?
「ちょっと待て」
あまりの理不尽さにおもわず呼び止めると、仏頂面をした小娘がゆっくりと振り向いた。
「何デスか?」
「言っておくが、お前が気分を害する要素は何ひとつとして無いからな」
大人気ないとは思ったが、意識が戻ってから今までの間に我慢に我慢を重ねてきたモノが溢れ出した。
「一度手酷い仕打ちを受ければ、次から慎重になるのは当然だ。疑うのは尤もなことだと思うが?」
立ち上がり、小娘を直視する。
小娘も無言で俺を睨み返してくる。
その場の空気が一瞬で張り詰める。
しばらく睨み合っていたが、先に小娘が視線を逸らし、例ののほほ~んとした空気を身にまとってから再度、俺と視線を合わせる。
「もぅ、しょうがないデスねェ」
のほほ~んとした笑顔を浮かべながら、小娘が近付いて来る。
「そんな遠回しに言わなくても、やっぱりヒメナさんの手料理が食べたいと素直に言えばいいじゃないデスか」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。
――どういう思考回路をしているんだ? こいつは。
「人間、お腹が空くと怒りっぽくなっていけませんネ。私はもう気にしてませんカラ早く食べましょう♪」
そう言うと小娘は微笑みながら俺の腕を掴み、隣室へと引っ張る。
予想外の展開に、すっかり毒気を抜かれた俺は抵抗する気にもならず、小娘にされるがまま隣の部屋に歩いて行った。
調理場を備えたこの部屋には、木でできたテーブルと4脚の椅子が置かれており、テーブルの上には小娘の言っていた手料理が並んでいる。
部屋の明かりは、柱の引っ掛けに吊るされたランタンのみ。
だが、あまり広くはないこの部屋の明かりとしては十分だ。
「さァさァ、座って下さいヨ」
小娘が4脚ある椅子のひとつを引き、俺に座るよう勧める。
仕方なくその席に着くと、小娘はそれを確認した後で、ちょうど俺の真向かいに当たる席に座った。
――何故わざわざそこに座る?
このままだと食事の間中、小娘と顔を突き合わせることになる。
それは大変不快だったが、これ以上小娘と揉めて余計な労力を使いたく無かったため、我慢した。
「さァ、いただきましょう♪」
にこにこしながら小娘がそう言ってきたので、テーブルの中央に置かれたバスケットに入ったパンに手を伸ばす。
だがその手は、パンを掴む前に小娘によって叩かれた。
突然のことに一瞬何が起こったのか把握できず、手を伸ばしたままの体勢で固まる。
「食べる前に、何か言うことはありまセンか?」
怒った様子の小娘が俺を見据える。
「お昼の時は、行き倒れるくらいお腹が空いていたようデスから大目にみましたケド、今回は見逃しませんヨ!」
――何を怒っているんだ?
小娘の言わんとしていることがわからず、首を傾げる。
その様子に小娘は、ますます不快感を露わにする。
「どうして『いただきます』の一言が言えないんデスか!?」
責めるように小娘が俺に言う。
「何だ? その呪文は?」
小娘が何を責めているのかわからず、率直に思ったことを口にした。
すると小娘は一瞬きょとんとして、今度は怪訝そうな顔を俺に向ける。
「……もしかしてとは思いマスが、イサは『いただきます』という言葉を知らないんデスか?」
「だから、何なんだ? その呪文は!?」
「……本当に知らないんデスね」
はぁ、とわざとらしく息を吐き、信じられないといった面持ちで小娘が話し掛けてくる。
「『いただきます』というのは、食材になってくれた命に対して、敬意を表す言葉デス」
真剣な面持ちで、小娘が言葉を紡いでいく。
「パンの材料の小麦だって、スープに入った野菜や豆だって、少し前までは生きてたんデスよ。その命を私達は『いただく』んデス。いただいた命のおかげで私達は、今こうして生きていくことができる。その気持ちを表す言葉が『いただきます』なんデス。だから次からは忘れちゃあ、いけませんヨ」
最後の方は、柔らかな笑顔を俺に向けながら諭すように話した。
――『命をいただく』?
自然と視線がテーブルの上に置かれた料理に向けられる。
俺にとって食事とは、生きるために必要な栄養を摂取するため、毎日・毎食必ず用意されている物という認識しかなかった。
だから、考えたことも無かった。
皿に盛られた料理の材料ひとつひとつにも命があるなんて。
それどころか、少し前までは生きていたということすら知らなかった。
いや、気づこうともしなかった。
おそらく小娘に言われなかったら、一生気づかないままだっただろう。
城での生活を思い返す。
毎回食事のたびに、カイの作った四季折々の料理がテーブルの上を埋め尽くすほど大量に並べられていた。
もちろん、そのすべてを平らげることなどできる筈もなく、満腹になった時点で残りの料理は下げさせた。
その後、下げられた料理がどうなっていたのかなんて、気に留めたことも無かった。
――帰ったらしっかりと確認しなくては。
城のことなら、何でも知っていると思っていた。
だが実際には、こんな些細―ササイ―なことすら知らなかった。
それが真実である以上、あの3人に何を言われても仕方がない。
自分の無知さ加減に自嘲する。
――まさかこんな小娘に教えられることがあるとはな。
苦笑しながら目の前にいる小娘を眺める。
小娘は訳がわからず、怪訝な顔をしている。
「何、笑ってるんデスか?」
「いや、何でもない」
苦笑を納めて答える。
「そうデスか? じゃあ、今度こそいただきましょう♪」
そう言うと小娘は、両手を胸の前で合わせて目を閉じた。
「いただきます」
「……いただきます」
小娘のしたことを真似て、俺もその呪文を口にした。
その様子を見て満足そうに微笑むと小娘はバスケットに入ったパンをひとつ手に取り、俺に話し掛けてきた。
「せっかくの焼きたてパンが少し冷めちゃいましたネ。でも、ヒメナさんお手製のパンは冷めても美味しいんデスよ」
そう言うと小娘は、そのままパンにかぶりつき、幸せそうな表情を浮かべた。
――えっ!?
呆気にとられて、呆然と眺める。
パンに限らず、どんな料理でも一口サイズに切り分けず、かぶりつくことは行儀が悪いことだと躾られた俺にとって、いきなりパンにかぶりつく小娘の行動は衝撃だった。
――何故、大口を開けて食べるんだ?
もしかして田舎では、ああして食べるのが習慣なのか?
だが仮にそうだとしても、俺はあんな下品な食べ方をするつもりは毛頭無い。
俺は小娘にかまわず、手に取ったパンを一口サイズにちぎり、口に運んだ。
その間も小娘は、うまうま言いながらパンにかぶりついていく。
パンにかぶりつく小娘の表情は何故か、とても幸せそうだ。
まるでこの世の幸福を独り占めしているような、恍惚とした顔をしている。
「どうして、そんなに幸せそうな顔をしているんだ?」
パンを食べる小娘の表情があまりにも満ち足りたものだったため、食べ方よりもそちらの方が気になって訊ねた。
すると小娘は口の中の物を飲み込んでから、のほほ~んとした笑顔でこう言った。
「美味しい物を食べたら、自然と幸せな気持ちになるんデスよ。……イサは違うんデスか?」
「たかがパンだろう? 何もそこまで…」
「何言ってるんデスか!? その『たかがパン』すら満足に食べられない時だってあるんデスよ? 美味しいパンをお腹いっぱい食べられる。それが幸せじゃなかったら何だっていうんデスか?」
その言葉に俺は、はっとして息をのんだ。
『美味しいパンをお腹いっぱい食べられることが幸せ』
そう言われても、城を出る前の俺には理解できなかっただろう。
なぜなら、本当の意味での空腹感というものを俺は知らなかったのだから。
空腹で行き倒れた時、初めて『ひもじい』という言葉の本当の意味を理解した。
そしてそれがどれほど辛いものなのかも。
「……つまらないことを訊いた。忘れてくれ」
ばつが悪く、小娘から視線を逸らして、ぼそっと呟いた。
「私こそ、色々うるさく言ってすみませんでした。これでこの話はおしまいデス。やっぱり食事は楽しく食べないといけませんよネ♪」
小娘の弾んだ声に思わず視線を向けると、にこにことした笑顔が返ってきた。
その後、食事が再開されたが特に問題はなかった。
あえていうなら食事の間中、小娘が一方的にどうでもいい話を話し続けていたぐらいだ。
「ごちそうさまでした!」
「……ごちそうさまでした」
食事の前に呪文を唱えた時と同様に、胸の前で両手を合わせる小娘の姿を真似て、食事中に小娘から聞かされた新たな呪文を口にした。