新たな旅立ち、別れと手紙
ヒメナ「長かったルニガッセ編もようやく終わりが見えて来ましたネ」
イサ「そうだな」
ヒメナ「次はいったいどんな町なのか楽しみデス♪」
イサ「楽しみなのは町ではなく、どんな名物料理があるのかだろう?」
ヒメナ「そうとも言いマス」
これでよし。
わかりやすいよう応接間のテーブルの上に今朝書き上げたばかりの手紙を2通並べて置く。
できれば手紙ではなく、直接ソルとリリィに挨拶をしたかったのだが、昨夜は2人とも戻って来ず、徹夜で働いた2人に私的なことで時間を割いてもらうのも気が引けたため、仕方なく手紙に想いを綴った。
手紙を置いた俺はやることもなく、ソファーへ腰を下ろす。
荷物は昨夜のうちにまとめてあるし、身支度もすでに済んでいる。
朝食も先程済ませたし、あとは身支度を終えたヒメナが呼びに来るのを待つだけだ。
俺が一息ついていると、ノックの音がして待ち人が姿を現した。
「イサ。お待たせシマシタ」
「ああ。支度ができたのか?」
そう言って、入口に目をやった俺はしばし固まった。
「ヒメナ。その格好……」
「あっ、わかりマスか? 一昨日リリィさんに買ってもらった服のうちの一着デス。さすがにすべての服を持って行くのは無理ですケド、旅でも着れるようなシンプルな物を数着もらって行くことにしたんデス。あっ、心配しなくても持っていけない服や靴や鞄は、旅が終わって落ち着くまでリリィさんに預かってもらえるよう、すでに話はつけてありマス」
あいかわらず、抜け目がないな。
それにしても、いったいいつリリィとそんな話をしていたんだ?
「新しくなったのは服だけじゃあないんデスヨ。ほらっ、足元を見てクダサイ。革靴デスよ、革靴! やっぱり革靴はいいデスねェ。木靴と違って足が痛くなりません! これなら今まで以上によく歩けますヨ」
ヒメナが軽やかにその場でくるりと回ると、その反動で革紐で結われた胸元の赤い石が躍る。
俺の視線に気づいたのか、ヒメナがニコッと笑いながら胸元の赤い石を俺に見せつける。
「『生命の石』は持ち主の身を守ってくれるんデスよね? だから、これで安心デス。もしかしたら、一緒にいるイサのことも守ってくれるかもしれませんヨ」
赤い石を握りしめながら、ヒメナがのほほ~んと笑う。
あまりにもいつも通りなので、そのまま流してしまいそうになるが、もしかしたらヒメナは俺に気を使ってくれたのかもしれない。
『生命の石』が守ってくれるから、道中何があっても大丈夫だと。
「ヒメナ。これからもよろしく頼む」
「ハイ! こちらこそ、よろしくお願いしマス」
改めて挨拶を交わし、いざ出発という段になって、ヒメナがテーブルの上に置かれた2通の手紙に目を留めた。
「イサ。あの手紙はなんデスか?」
「ああ。ソルとリリィに宛てた手紙だ。世話になった礼と王都ルノオンへの旅を続ける旨が書いてある。このまま黙っていなくなったら、失踪したと思われるかもしれないからな。余計な心配をかける必要はないだろう」
俺が説明してやると、何故かヒメナがハッとした表情をする。
「どうかしたのか?」
「ヒメナさんも手紙を書きマス」
真剣な目を俺に向ける。
「手紙を書くって……。今からか?」
言外に匂わせた「時間が掛かるんじゃないのか?」という非難を察して、ヒメナが言葉を付け足す。
「手紙といっても、ほんの一言書くだけデス。すぐ終わりマス! ヒメナさんもソルさんとリリィさんに、ちゃんとお礼を伝えたいんデスヨ」
ヒメナがこういった礼儀を重んじていることは知っていたし、ここまで食い下がられては仕方ない。
「わかった。紙とペンを持って来るから少し待っていろ」
隣室へ行き、俺も今朝使った特別室備えつけの少し上等な紙と羽ペンとインクを手に取ると、応接間のテーブル上に運んだ。
「ほら。これを使え」
「ありがとうございマス」
紙とペンの前に座るとヒメナが嬉々として、ペンを手に取る。
そのまま、書き始めるのかと思いきや、何故かペンを手にした状態で固まり、そろりと俺の顔を見上げる。
「どうかしたか?」
「あの~、手紙ってどう書けばいいんデスか?」
「どうって、自分の書きたいように書けばいいだろう?」
「イエ、そうではなくてデスね。その~、手紙を書くうえで決まりのようなものはありマスか?」
そういえば、これまで読み書きができなかったのだから、当然手紙を書く機会も読む機会もなかったわけか。
ヒメナの成長が目覚ましくて、そんな初歩的なことすらすっかり忘れていた。
「そうだな。厳密にいうと手紙は、前文・主文・末文・後付けというのが基本構成だ。前文には頭語・時候の挨拶・安否を尋ねる挨拶、主文には起語に続いて本文を、末文には結びの挨拶・結語を書き、最後の後付けには手紙を書いた日付と自分の名前を書くのが一般的なのだが――。
まあ、今回は手紙というより書き置きに近いから、最初に宛名を書いて、次に用件、最後に自分の名前を書いておけばいいだろう」
ヒメナが理解不能な顔をしていることに気づき、途中で説明を変える。
そして、書き置きの書き方の一例を書いてヒメナに手渡した。
「ナルホド。こんなふうに書くんデスネ」
穴が空くほどじっくりと俺の例文を確認すると、ようやくヒメナがペンを動かした。
ヒメナが初めて自分の名前を書いた時のことを思い出し、俺はある程度時間が掛かるだろうと覚悟していた。
しかし、その覚悟が杞憂に終わるほど、短時間でペンを置いたヒメナが満足そうな顔を俺に向ける。
「お待たせしました。さァ、行きまショウ♪」
ウキウキと足取り軽く歩き出すヒメナを微笑ましい気持ちで眺める。
ヒメナの後を追って部屋を出て行く際、ちらりと見たヒメナの手紙には、わかりやすく丁寧な文字が並んでおり、ヒメナの日々の努力が表れていた。
まだ朝早いというのに街の中はすでにざわついている。
しかし、この街を訪れた時のような陽気さは感じられない。
おそらく昨日の事故がまだ影響しているのだろう。
「なんだか、寂しいデスね」
祭りの後片付けをしている人達を見つめながら、ヒメナがぽつりと零した言葉に哀愁を感じつつ、先を急ぐ。
外壁に囲まれたルニガッセには東西南北にそれぞれ大門があり、そこのいずれかを通らないと街への出入りができないため、当然ながら俺達もそのうちのひとつに向かう。
「イサ。大門が見えて来ましたヨ」
ヒメナがそう言って大門を指差したのとほぼ同時に俺達を呼ぶ声が遠くから聞こえた。
俺とヒメナが振り返ると、さっき俺達が歩いて来た方向から、深紅の髪を振り乱して、片手を振りながら近づいて来る1人の女性の姿が目に入った。
「リリィ?」
「リリィさん!?」
俺とヒメナの声が重なる。
「良かったー。まだ大門の外に出てなくて」
ここまで走ってきたらしく、俺達に追いついたリリィがハァハァと肩で息をする。
「大丈夫デスか? リリィさん」
「もう! なに挨拶もなしに出て行こうとしてるのよ!? もう少しで会えないところだったじゃない!」
「ス、スミマセン。さんざんお世話になっておきながら……」
「あ、ヒメナちゃんに言ってるんじゃないのよ。私は薄情者のイサに言ってるの!」
リリィが怒りのこもったキツい眼差しを俺へと向ける。
リリィに睨まれた俺は、そんなこと意に介さず平然と言葉を返した。
「よくここがわかったな」
「手紙を読んだのよ」
不機嫌そうな声でぶっきらぼうに答えが返ってくる。
「もう、びっくりしたわよ! 旅館に戻ったら、イサもヒメナちゃんもいないんだもの。手紙を見つけて、王都ルノオンへ向かうなら、おそらくここを通るだろうと当たりをつけて追って来たのよ。あー! こんなに全力で走ったのは久しぶりだわ。はぁ、苦しい」
どこで息継ぎをしているのかわからないほど一気にまくし立てると、ハァハァと荒くなった呼吸を整える。
リリィの呼吸が落ち着いた頃合いを見計らって、ヒメナがそろそろと口を挟む。
「あの~。ところでリリィさんは、どうしてヒメナさん達のあとを追って来たんデスか?」
場を和ませるためか、ヒメナがいつもののほほ~んとした顔で笑う。
「もしかして、わざわざヒメナさん達の見送りに来てくれたんデスか?」
「まあ、それもあるけど……」
曖昧な笑みを浮かべると、リリィが俺へと視線を移す。
「兄様からイサへ伝言と預かり物があるの。私はそれを渡しに来たのよ」
「預かり物? それに伝言とは?」
「その前にひとつだけ確認させて頂戴」
リリィが俺とヒメナを交互に見やりながら、確認事項を口にした。
「一緒にいるってことは、イサとヒメナちゃんは、この後も2人で旅をするのよね?」
「ハイ。そうデスよ」
相変わらず、のほほ~んとヒメナが答える。
「とりあえず、王都ルノオンまではご一緒する予定デス」
「そう。……決めたのね」
リリィがぼそりと切なげに呟く。
しかし、すぐそんな一瞬の表情などなかったかのように、いつもの元気なリリィの顔に戻っていた。
「それじゃ、確認も済んだところでイサに兄様からの伝言を伝えるわね。えっと、ヒメナちゃんと一緒だから、こっちの伝言ね」
『こっちの』ということは、ヒメナと別れた場合の伝言もあったのか。
用意周到だな。
「面倒だから、兄様の言葉をそのまま伝えるわね。一度しか言わないからちゃんと聞いときなさいよ。
『イサがこれほど愚かだとは思わなかったよ。ただ、一生に一度くらいは愚かになってみるのも悪くないかもしれないね。愚かだとわかっていながら、愚かな選択をするのなら、中途半端に放り出すような真似は絶対にしないように。とことん愚かになるといい。そうなって、初めて見える物があるかもしれないよ』
以上。ちゃんと伝えたわよ」
「すごいデス。どうしたら、そんな長い伝言を覚えられるんデスか!?」
ヒメナの驚きの声を彼方に聞きながら、俺はソルの言葉をゆっくりと噛み締めた。
――愚かな選択か。
たしかにそうかもしれない。
いつかソルが言った通り、このままヒメナと一緒にいれば、どちらも傷つくことになるかもしれない。
それでも、俺はまだヒメナのことを『良い思い出』にはしたくないんだ。
たとえそれが酷い傲慢だとしても。
せめて、ヒメナのほうから俺の手を離すその時までは。
「それで、預かり物というのはなんだ?」
本題を忘れてヒメナと雑談を始めたリリィに用件を切り出す。
「ああ。忘れてたわ。……はい。これ」
そう言ってリリィがブラウスの胸ポケットから、銀鎖の通った銀色の指輪を取り出した。
――その銀色の指輪、見覚えがあるぞ。
リリィから受け取ったそれには想像通り、赤緑の医療団の本来の印とリングの内側に『ソルトリアリンクス』という文字が刻まれている。
「この指輪」
「そう。兄様の指輪よ」
俺の言葉を遮るようにリリィが言葉を被せる。
「ここでの事故のように、この先なんらかの事件に巻き込まれて、身元確認される事態にでもなったら、今のイサには自分の身を保証してくれる物なんてひとつもないでしょ。だから、もしそんなことになったら、その指輪を見せて『この指輪の持ち主が自分の身元を保証する』って兄様の名前を出すといいわ」
「申し出はありがたいが、指輪がないとソルが困るのではないか?」
「その点は心配いらないわよ。今回兄様が医師として来たのは、あくまでトラブルがあって人手が足りなかったせいだし、最近は研究室にこもって実験ばかりしてるから」
「しかし、この指輪は身分証がわりでもあるのだろう。いくら赤緑の医療団の施設内とはいえ、指輪がないと不便ではないのか?」
「赤緑の医療団で兄様の顔を知らない人間なんていないわよ。それどころか兄様は有名人だから、少しでも赤緑の医療団と縁のある人間なら兄様の名前と顔は大抵知っているでしょうね」
「ソルさん、目立ちますからネ」
さり気なくヒメナが会話に加わる。
「そうなのよ。容姿はもちろんのこと、若くて才能に溢れ、人望も厚く、すべてにおいて優秀。非の打ち所がない、まさに『天才』とは兄様のためにあるような言葉よ。おかげで、どこに行ってもすぐに人だかりができるわ」
「凄いデスねェ。それでソルさんが来ると騒ぎになるから、リリィさんがソルさんの代わりに伝言と指輪を預かって来たんデスか?」
「……私と兄様じゃあ、信用度が全然違うのよ」
つまりどちらか抜けるなら、ソルを置いていけと言われたわけだ。
いくらリリィが金の指輪を継いだとはいえ、まだ2年。
幼少時から将来を嘱望され、数々の功績を残してきたソルと比べると、どうしても見劣りしてしまうのは仕方がないか。
「きっと皆さん、リリィさんのことをよく知らないだけデスヨ。リリィさんのことを知れば、きっとすぐに信用してくれマス。ヒメナさんが保証しますヨ」
「ありがとう。ヒメナちゃん」
少し沈んでいたリリィがヒメナの励ましで笑顔になる。
「もう! ヒメナちゃん大好き!!」
「リリィさん!?」
突然抱きしめられたヒメナが戸惑いの声を上げる。
往来で大胆に抱き合い、道行くすべての人々から注目を浴びている2人を冷ややかな目で見ていたが、このままでは埒が明かないのでやむなく声をかけた。
「もうその辺にしておけ。皆が見ているぞ」
「はいはい」
リリィが煩わしそうに返事をすると、ヒメナを解放した。
「ヒメナ、そろそろ行くぞ」
「ハイ!」
「リリィ。ソルに伝えてくれ。『厚意に甘えてしばらく指輪を借りる』と。それと『どこまで愚かになれるのかはわからないが、選んだ道を後悔することだけはしない』とな」
「たしかに伝えておくわ。それとヒメナちゃん、ちょっと待って」
離れて行こうとするヒメナを呼び止め、リリィがポケットから取り出したある物をヒメナに握らせた。
「なんデスか? これ。……笛みたいですケド」
「そうよ。私達、赤緑の医療団が連絡用に使ってる笛よ」
手にした親指ほどの大きさの笛を不思議そうに眺めるヒメナにリリィが説明する。
「その笛を吹くと、赤緑の医療団で飼い慣らしている連絡鳥――あ、鳥っていっても翼があるものって意味で、実際には鳥じゃないのもいるんだけどね。まあ、とにかく、一番近くにいる連絡鳥が来るわけよ」
仕切り直すようにリリィがコホンと咳払いをする。
「連絡鳥には体のどこかに通信筒がついてるから、その中に連絡事項を書いた紙を入れて空に放してあげて頂戴。その連絡鳥が所属している赤緑の医療団の支部または関連施設に届けてくれるわ。そこからさらに必要なら本部や他の支部に送られるの。もし道中、何か困ったことがあったら、いつでも連絡して頂戴。ヒメナちゃんからの連絡は最優先で私の元に届くようにしておくわ」
リリィがにっこりと微笑む。
つられてヒメナもにっこりと笑う。
「ありがとうございマス。何から何まで、本当にありがとうございマス」
「いいのよ。そのかわり、イサのことお願いね。ほら、イサって少し世間からずれてるところがあるから心配で」
「お任せクダサイ。ヒメナさんがしっかりついてますカラ」
どこからそんな自信が出て来るのか、ヒメナが自分の胸をどんと叩く。
「ほら、もう行くぞ」
終わらない不毛な会話が延々と続きそうな気配を察知して先手を打つ。
「リリィ。ソルにもよろしく伝えてくれ。行くぞ、ヒメナ」
「ハイ! リリィさん、また会いまショウ」
「ええ。また会いましょう」
大きく手を振るリリィに見送られながら、俺とヒメナはルニガッセを後にした。
目指すは、王都ルノオンだ。




