終わりのない絶望、求めたのは一片の光
ヒメナ「ヒメナさんは怒ってマス!」
イサ「それは、見ればわかる」
ヒメナ「では、どうして怒っているのかも、わかりマスか?」
イサ「まあ、だいたいは……」
ヒメナ「どうして取り込み中なら部屋のドアに鍵をかけておかないんデスか!? あれじゃあ、まるでヒメナさんが空気を読めない痛い子みたいじゃあないデスか!」
イサ「そこなのか!?」
なんだ。この不毛な会話は?
「だからね、誤解なのよ」
「ヒメナさん、別に誤解なんてしてませんヨ?」
「だったら、なんでそんな顔してるの?」
「この顔は生まれつきデス」
「そういう意味じゃなくて……。ともかく、私とイサはヒメナちゃんが考えているような関係じゃないの!」
「それじゃあ、そういうことにしておきマス」
「そういうことにしておくじゃなくて、本当に誤解なの!」
先ほどから、目の前で延々と繰り返される同じ会話。
不毛だ。
不毛過ぎる。
だいたい、なんでわざわざこの部屋に戻って来る必要があるんだ?
俺に対する嫌がらせか?
俺はうんざりしながら、ヒメナに必死で弁解しているリリィへ視線を向けた。
リリィは立ったまま、木製の丸椅子に座っているヒメナをなんとか説得しようと頑張っている。
だが、その甲斐もむなしく、ベッドの端に腰掛けている俺を見るヒメナの目は冷ややかだ。
「ちょっと。黙ってないで、イサからもヒメナちゃんにちゃんと説明しなさいよ!」
突然、リリィの矛先が俺へと向かう。
「なんのためにわざわざヒメナちゃんを連れ戻して来たと思ってるのよ!」
なるほど。
俺の加勢をあてにしての行動だったのか。
だが――。
俺は、腰に手を当ていきり立っているリリィに正論を述べた。
「この状態で、俺が何を言っても火に油を注ぐだけだろう?」
断言するが、俺とリリィが束になって掛かっても、口では絶対ヒメナに勝てない。
それは今までの経験からして明白だ。
「それはそうかもしれないけど、でも……」
期待を裏切られ、ムスッとした顔のリリィがつかつかと俺に近寄って来る。
そして、おもむろに俺の左隣に座ると、俺の腕を掴んで自分のほうへ引き寄せた。
「イサはヒメナちゃんに誤解されたままでいいの?」
左手を添えながら、リリィが俺の耳元で囁く。
ヒメナに聞こえないようにというリリィなりの配慮だろう。
しかし、その配慮は逆効果だ。
俺に向けられているヒメナの刺すような視線が痛い。
――どうやらヒメナは、本当に俺とリリィの仲を誤解しているみたいだな。
リリィの言う通り、誤解されたままというのは、いささか気分が悪い。
だが、ヒメナと別れるつもりなら、このまま誤解を解かないほうがいいのかもしれない。
リリィは俺に『イサにだって幸せになる権利はある』と言ってくれたが、それならヒメナにだって幸せになる権利はあるはずだろう?
リリィのことを信じていないわけではない。
もし、俺とヒメナが互いに必要としているのなら、2人で同じ道を歩むという選択肢を模索したかもしれない。
しかし、ヒメナの気持ちがわからない以上、俺のわがままでこのままヒメナを危険に晒すわけにはいかない。
いや、違うな。
俺は怖いんだ。
これ以上、ヒメナに心を許すことが。
これ以上、ヒメナに惹かれていくことが。
深入りするほど、自分が傷ついてしまうから。
「あの~。お取り込み中のところすみませんが、そろそろヒメナさん、失礼してもいいデスか?」
物思いにふけっていた俺は、遠慮がちなヒメナの声で現実に引き戻された。
声の主はなんとも形容しがたい顔で、冷たい視線を送っている。
「ヒメナさんだって、もう15歳の立派なレディですヨ。何も知らない子どもじゃあアリマセン。お互いに合意の上でなら、ヒメナさん何も言いませんヨ。むしろ、何も見てまセン。だから、安心してクダサイ」
訳知り顔で淡々と言いたいことだけ言って立ち去ろうとしたヒメナを駆け寄ったリリィが押しとどめる。
「いやいやいやいや。そうじゃないの! 違うの。待って」
「えっ! 合意の上じゃあなかったんデスか!?」
「そうじゃないけど! いや、そうじゃなくて! あーーもう!!」
忍耐強く説得を試みていたリリィだったが、どうやら限界に達したようだ。
「もうこの話は忘れましょう! ヒメナちゃんは何も見なかった。私とイサも何もなかった。これですべて元通り! ……いいわね?」
ヒメナの両肩を押さえつけながら、リリィが笑顔で圧力をかける。
リリィの脅迫行為に屈したヒメナを眺めながら俺は「力業にもほどがあるだろう」と心の中で呟いた。
「そういえば、ヒメナちゃんは夕食の材料を買いに行ってたのよね? 1人で4人分の食材を買って来るのは大変だったでしょう」
リリィが唐突に労いの言葉をかける。
俺が突然リリィは何を言い出すのかと呆気に取られて見ていると、ヒメナは空気を読んでリリィの強引な話題転換に話を合わせた。
「大丈夫ですヨ。ヒメナさんはこうみえても力持ちですカラ」
リリィの身体と重なっているせいでヒメナの表情は見えないが、声の調子からおそらく作った笑顔を張りつけているのだろう。
「それにたくさん買ってくれたからって、これをおまけで付けてくれたんデスヨ」
「へぇー。良かったわね。よく似合ってるわよ」
「ありがとうございマス」
ヒメナがリリィに何かを見せていることは2人のやり取りから推察できるが、リリィの身体で隠れていて俺のところからは何も見えない。
――よく似合っているということは身につける物なのか?
しかし、食材を買って装飾品(おそらく)をおまけでもらうというのもおかしな話だ。
なんとなく気になった俺は立ち上り、2人に近づいていった。
「あ! イサも見てくださいヨ。どうデスか? 似合ってマスか?」
俺の視線に気づいたヒメナが胸を張ってペンダントを見せびらかす。
そして、その傍らではニタニタと笑ってことの成り行きを見守るリリィの姿が。
「……まあ、悪くはないな」
もしここでうっかり「似合っている」などと言おうものなら、一生そのことでからかわれ続けることは目に見えている。
「ちょっと、イサ。何よ? その言い方」
「いいんデス。イサが女心に疎いことなんて、ヒメナさんはとっくにわかってマス。だから、イサは何も気にしなくていいんデスよ?」
何故だろう?
俺を庇っているはずのヒメナの言葉にやたら腹が立つのは。
「ごめんなさいね。ヒメナちゃん。イサにはあとでよく言っておくから」
「いえいえ。お気遣いなく」
なんで俺がすべて悪いみたいな空気になっているんだ。
そもそもつい十数分前までの険悪な雰囲気はどこにいった。
この2人が特殊なのか?
それとも、女という生き物はすべからくこうなのか?
もし前者だとしたら、俺は女運が悪い。
もし後者だとしたら、俺は一生女心を理解できる気がしない。
「それにしても『生命の石』なんて久しぶりに見たわ」
切り替えの早い女2人が俺を置き去りにして、新たな話題で盛り上がる。
「なんデスか? 『生命の石』って」
「ヒメナちゃんが今身につけてるペンダントの石のことよ。その石、赤くて光ってるでしょ? 古来から赤は血液……つまり生命の色とされていて、光る物は魔を跳ね返す力があるといわれているの。だから、その石は戦地へ赴く家族や恋人によく贈られた石なのよ。無事に生きて帰ってきますようにって、願いをこめてね」
リリィが一気に『生命の石』について説明する。
「この国では、もう長い間戦争なんてないから、今では『生命の石』もただの装飾品として売られてるのね。なんだか、感慨深いわ」
「どういう意味デスか?」
「この国が平和だってことよ」
リリィが微笑を浮かべる。
そして次の瞬間、衝撃的な言葉を口にした。
「私ね。戦争中の国で働いたことがあるの」
「えっ!?」
俺とヒメナがほぼ同時に声を上げる。
「あっ、でも、私がいたのは半月くらいの短い間だけだったけどね」
あっけらかんと言ってのけるリリィに、俺は堪らず追及する。
「どうしてリリィがそんなところで働いていたんだ? そもそも、よくソルが許したな」
「私が自ら志願したのよ。もちろん兄様は大反対だったけどね。リリィが行くくらいなら自分が行くって最後まで言い張ってたし。そりゃあ、もういまだかつてないほどの大喧嘩だったわ」
それでも、最終的にはソルが折れたのか。
いったいどんな説得で、ソルを言いくるめたんだか。
「それで、まあ詳しい経緯は省くけど、私が赤緑の医療団の医師として、とある国の避難民キャンプへ行くことが正式に決まったの。だけど――」
そこで、リリィの顔が曇る。
「正直に言うと、私の考えはすごく甘かったわ。短期間っていうこともあって、ちょっと気楽に考え過ぎてた。私にとっては一時のことでも、彼らにとってはいつまで続くかわからない現実なのよね。行く前には、そんな簡単なことにすら気づかなかった。本当に、私って馬鹿よね。実際に自分が同じ立場に立たないと、何もわからないなんて」
そう言うと、リリィは自嘲気味に笑った。
けれど、続けて。
「だけどね。私は行って良かったと思ってる。この国に居たんじゃ、きっと永遠に気づかないままだったから」
「リリィさん……」
「それにね」
リリィが首にかけた細い銀鎖を手繰り寄せ、金の指輪を手に取った。
そして、指輪に刻まれた正式な印を見ながら、自分に言い聞かせるようにこう呟いた。
「今なら、ご先祖様の気持ちがよくわかる……」
遠い記憶に思いを馳せるように、印をじっと見つめていたリリィがふと顔を上げてヒメナと俺の顔を交互に見る。
「ちょっと長くなるけど、2人とも少し昔話に付き合ってくれる?」
リリィの『語りたい』という気持ちを汲んで、俺とヒメナは何も言わず素直に頷いた。
「昔ね。赤緑の医療団の基になる組織を作った私のご先祖様が生きていた時代は、まだこの国はなくて、この辺りは小さな国の集まりだったのよ」
話が長くなると言うことなので、各々適当な場所に座り直し、それを確認してからリリィがこう切り出した。
「小国同士、互いに争い潰し合っていてね。しかも、人間同士の争いのせいで住処を追われた魔物達がさらに人間を襲ったりとか、もう滅茶苦茶よ。何十年も、人間と人間。人間と魔物。戦争と休戦を繰り返してきたの。きっと当人達にもいつ終わるのかわからないまま――」
俺もこの国の歴史や成り立ちを学んだので、ここまでの話はすべて知っている。
このあと、リリィは何を語るつもりなのだろうか?
「争いばかりでなんの救いもない時代に、私のご先祖様はとある小国の軍医として働いていたの。毎日毎日、傷ついた兵士を治療するだけの日々。そんな毎日が何年も続いたある日、ご先祖様はわからなくなってしまったのよ。自分が何をしているのかを」
そこでいったん言葉を切ったリリィが苦悶の表情を浮かべる。
それでも、リリィは感情を声に出さないよう努めて、淡々と続きを話す。
「自分がしていることは、生きて戻った兵士を再び戦場に戻すだけなんじゃないか。自分がしている行為は、せっかく助かった命を間接的に殺しているのと同義ではないのか。人の命を救いたくて医師を志したのに、今の自分はそことは対極の場所にいる……」
「そんなことアリマセン!」
突然、ヒメナが叫んだ。
「だって、ご先祖様はただ治療をしただけデスよね? 治療を受けたから助かった命だって、きっとたくさんあったはずデス!」
「そうね。私もそう思ってたわ」
ヒメナの気持ちが嬉しかったのか、リリィが微笑する。
「だけどね。たった半月とはいえ、実際に私も戦争中の国で働いてみて、よくわかったの。自分が目の前のたったひとつの命を助けようと手を尽くしている傍ら、戦場では多くの命が失われている。目の前の命は確かに重いはずなのに、すぐ近くの別の場所では命はとても軽いの。しかも、私と違ってご先祖様は軍医だったから、余計にその矛盾を感じていたんじゃないかしら」
リリィが自分の手のひらをじっと眺める。
「それにご先祖様の場合、自分が治療して回復した兵士が今度は遺体となって帰ってくることも珍しいことではなかっただろうし、きっと無力感でいっぱいだったんだと思う」
まるで無力な自分を慰めるように眺めていた両手を組み合わせ、リリィが話を続ける。
「無力感を感じたまま、それでも治療を止めることは出来ず、いつまで続くかわからない現実を生きるしかなかった。それはきっと終わりのない絶望――」
感情的にならず淡々と話す様子が、逆に内容の重さを語っている。
ふと、ヒメナへ目を遣ると、ヒメナは目に涙を溜めて今にも泣き出しそうな表情をしながらも、リリィの話へ真剣に耳を傾けていた。
なんとなく俺も姿勢を正して、リリィの話の続きを待つ。
「でもね。そんな絶望の日々にも終止符が打たれる日がやって来たの」
一転して、リリィの声が明るくなる。
「それは何回目かの休戦中、束の間の平和が訪れた時のことよ。ある日、久しぶりの休暇をもらって街中をぶらついていたご先祖様は、あるひとりの青年と出会ったの。その青年は特徴的な外見をしていて、一目でこの国の人間ではないことがわかったそうよ」
リリィがちらりと俺に視線を向ける。
「その青年はね。ご先祖様に『自分は人間も魔物も仲良く暮らせる平和な国を作りたい』って、そう言ったそうよ」
うふふとリリィが笑う。
だが、それは蔑むようなものではなく、子どもの成長を微笑ましく見守る母親のような温かい笑みだった。
「その青年はほかにも『各地を回って、一緒に平和な国を作ってくれる仲間を探している』『よければ力を貸してくれないか?』そう言ったらしいわ」
「……」
目に涙を溜めるほどリリィの話を真剣に聞き入っていたヒメナだったが、思わず訝しげな顔になる。
当然だ。
休戦中とはいえ、一目で異国人とわかる人間がいきなり「平和な国を作りたい」だの「仲間になって欲しい」だのと話しかけてくるなんて、胡散臭いにもほどがある。
そんな胡乱な青年との出会いが、どうしてリリィの先祖の絶望に終止符を打つことに繋がるのかがわからず、困惑する俺とヒメナにリリィが説明を加える。
「まあ、普通なら初対面の人間にいきなりそんなことを言われたら、大笑いするか、こいつ頭がおかしいんじゃないかと思うだけでしょうね。実際、ご先祖様も初めは青年のことを絵空事を語る単なる馬鹿だと思ってたみたいだし。でもね、不思議とその青年には、人を惹きつける何かがあったの。『平和な国を作るなんて、そんなことできるわけがない。でも、もしかしたら……?』そう思わせる何かが、その青年にはあったのよ」
青年の持つ何かとは、いわゆる『カリスマ性』というやつだろうな。
「もちろん、ご先祖様だって本気でその青年が『争いのない平和な国』を作れるとは思ってなかったと思うわよ。でも、信じてみたかったんだと思う。終わりのない絶望の中に突如として現れた微かな希望に。たとえ、それが雲のように軽く形のない不確かな一片の光だったとしても」
リリィが切ない表情を浮かべながら、胸元で揺れる赤緑の医療団の象徴をぎゅっと握りしめた。
まるで、指輪に刻まれた想いを受け止めるかのように。
「もしかしたら、ご先祖様はただ夢を見たかっただけなのかもしれない。叶うはずのない、途方もない夢を。だけど、その『夢』は数年後、現実のものになったのよ」
ぱっと顔を上げて、リリィが順番に俺とヒメナに視線を送る。
「ただ、建国後もいろいろ大変だったみたい。建国を良く思わない周辺諸国や武器商人なんかが裏で手を回して、青年を暗殺しようとしたり、建国直後で国内が不安定なのを利用して内部から崩壊するよう仕向けたり……。まあ、結論から言うと、それらの企ては悉く失敗に終わったんだけどね」
リリィが両手を広げて肩を竦める。
「ただそれはあくまで結果論。当時としては、いつ青年が暗殺されてもおかしくない状況だったの。そして青年が死ねば、建国したばかりの『平和な国』は一瞬で崩壊してしまう。それは火を見るより明らかだったわ。だから、彼の仲間達は各々のやり方で青年を守ることにしたのよ。腕力に自信のなかったご先祖様は、軍医だった経験や知識を活かして、青年のために小さな医療チームを作ったの。それが今日の赤緑の医療団の基になったといわれているわ」
「それじゃあ、赤緑の医療団はもともとその青年のためだけに作られたんデスか!?」
ヒメナが驚きの声を上げると、リリィがにこりと笑って肯定する。
「そうよ。赤緑の医療団はたった1人のためだけに作られた組織なの。現在では活動の幅を国内だけでなく国外にまで広げてる大規模な組織になったけど、今でもこの組織を作るきっかけになった『想い』は何も変わってないわ」
「えっと。それはどういう……?」
「赤緑の医療団はどこの国にも属していないの。なぜなら、私達が仕えているのは『国』ではなく『個人』だから」
「リリィ。さすがにそれ以上は……」
今まで黙って話を聞いていたが、さすがに俺も内部事情をベラベラと話すリリィを放っておくことができず窘める。
しかし、リリィは俺を一瞥しただけで、すぐに視線をヒメナに移した。
そして、顔中に疑問符を浮かべているヒメナに核心部分を話し出す。
「どこの国にも属さない私達に命令できるのは、昔も今も世界中でただ1人だけ。それなのに、どうして赤緑の医療団はこの国に本部を置いて活動の拠点にしてると思う?」
「リリィ!」
今度は強めに言うが、それでもリリィは止まらない。
「それは、そのほうがただ1人の主を守るのに都合がいいからよ。それにこの国は『夢』だから。ご先祖様が見て青年が作り上げた、理想を具現化したものだから」
そう言うと、再度口を挟もうとした俺に真剣な目を向け、首を横に振った。
――黙っていろということか。
リリィの意図を察した俺は、おそらく何か考えがあるんだろうとしぶしぶ口を閉じた。
何かを決意したリリィには、俺が何を言っても無駄だ。
「えっと。すみません。なんだか頭がこんがらがってきて……。つまり、どういうことデスか?」
「それじゃ、今までの話を整理してみましょうか?」
頭を抱えてお手上げ状態のヒメナにリリィが優しく言う。
「まず、私のご先祖様が『平和な国を作りたい』という青年に出会って協力することにしたって話だったわよね?」
「ハイ」
「そして、青年は『平和な国』を作り、ご先祖様は青年のために赤緑の医療団の基になる組織を作った。ここまでは大丈夫かしら?」
「大丈夫デス」
神妙な顔でヒメナが同意する。
「そう。それじゃあ、赤緑の医療団の主は誰だかわかる?」
「それは……青年デスよね? 『平和な国』を作ったっていう」
「そうよ。だから私達赤緑の医療団は、青年の遺志を継ぐ者と彼の作った『平和な国』を守るために『ここ』にいるの。それがどういうことか、ヒメナちゃんにはわかる?」
「えっと。つまり『平和な国』と『この国』は同じってことデスか? ……アレ? でも、この国を統治してるのは魔王デスよね? それじゃあ、赤緑の医療団の主は魔王ということに……」
戸惑い、困惑したヒメナが縋るような目をリリィへ向ける。
縋るようなヒメナの視線を受けたリリィは肯定も否定もせず、ただにっこりと笑った。
そして静かに。
「平和ってね。望んだだけで手に入るものじゃないの。平和には『力』が必要なのよ。他の国が『この国と戦争をしても割に合わない』と思うだけの『強大な力』が。ただ『強大な力』は同時に恐怖と反発も生むってこと。――ただそれだけなのよ」
リリィもヒメナもそれぞれ思うところがあるのだろう。
真剣な顔で物思いにふけっている。
口を開く者のいない部屋にしばし沈黙が落ちる。
――平和には『力』が必要か。
この沈黙を破るのは忍びなくて、俺もリリィやヒメナを見習って静かに思考する。
同じ内容でも、視点が変わっただけでだいぶ受ける印象が変わるものだな。
俺が知っているのは魔王視点の話だけなので、赤緑の医療団側から見た話はなかなか新鮮だった。
しかし、ひとつだけ異を唱えるとしたら、平和に必要なのは『力』ではなく『代償』だということだ。
――なあ、リリィ。いったい俺達は、どれほどの命を平和の代償にしてきたのだろうな?
俺もリリィも、それぞれ歴代の魔王や赤緑の医療団の罪を背負って生きている。
その生き方については、自分で納得したうえで受け入れた道だから後悔はない。
ただし、何も知らない第三者が俺達の背負うべき罪の巻き添えになることはあってはならないはずだ。
リリィがどんなつもりでヒメナにこんな話を聞かせたのかは知らないが、俺はこれ以上ヒメナを俺の事情に巻き込むつもりはない。
そう改めて決心した時、ヒメナの控えめな間抜け声が部屋の沈黙を破った。
「あの~。すごく今更なんですケド、どうしてリリィさんがここにいるんデスか?」
本当に今更だな。
そもそも何故、今それを訊く?
リリィの話の内容について考えていたのではなかったのか?
相変わらず、ヒメナの思考回路は謎だな。
「どうしてって……。私がいたら嫌なの?」
「いえいえ! 違いますヨ。ただ朝食を一緒に食べた時、今日は夕方までお仕事だと伺っていたものですカラ」
ヒメナが素早く継ぎ足した言葉を聞いて得心がいったらしく、リリィがくすりと笑う。
「お昼休憩をもらったから、ヒメナちゃんと一緒に昼食を食べようと思って戻って来たのよ。でも、ヒメナちゃんは出掛けてていないって言うし、仕方ないからイサと少し話をしてたの。そしたらヒメナちゃんが帰って来たってわけ」
「そうだったんデスか」
ヒメナとリリィの間に、ほのぼのとした空気が流れる。
しかし、俺は今のリリィの説明を聞いて、はたとあることに気づいた。
「なあ、リリィ。時間は大丈夫なのか?」
「時間?」
「あ! そういえば、ヒメナさんが帰って来てからも、けっこう時間が経ってマスね。リリィさん、お昼休憩って何時までなんデスか?」
無邪気に笑いかけるヒメナとは対照的に、リリィの顔が徐々に強張っていく。
「……今、何時?」
そう訊ねるリリィの顔はすでに蒼白だ。
「えっとデスねェ」
リリィの様子からなんとなく状況を察したらしいヒメナが時計を探して周囲へ視線を泳がす。
俺もヒメナと同様、室内に目を向け時計を探す。
壁には掛かっていないな。
柱時計は置いていないし、そうなると残るは――。
俺は壁際に置かれたチェストへ目をやった。
すると思った通り、美しい装飾が施された置き時計が静かに鎮座している。
さて、今の時刻は……。
「ぎゃあああぁぁぁ!! もももももももももうこんな時間!?」
俺が文字盤を読み取る前にリリィの絶叫が耳をつんざく。
「わわわわ私行かないと! ああもう、昼食抜きだわっ」
半泣きになりながら、リリィがバタバタと立ち上がる。
「それじゃ、ヒメナちゃん。夕食楽しみにしてるから! イサもまたねっ」
挨拶もそこそこにリリィが慌てふためきながら部屋を飛び出していく。
その様を、俺とヒメナはなすすべなく無言で見送った。
そして、再び室内に沈黙が落ちる。
沈黙を破ったのは、リリィを心配するヒメナの声だった。
「……リリィさん、大丈夫なんでショウか?」
あの動揺ぶりからして、とても大丈夫とは思えないが……。
「まあ、ソルがなんとか上手く取り成すだろう」
ヒメナの不安を取り除くため、努めて楽観的に振る舞う。
それが功を奏したらしく、ヒメナの顔に笑顔が戻った。
「それもそうデスね」
いつもののほほ~んとした顔で、ヒメナが俺に同調する。
「そうだろう?」
「ハイ。そうデスね」
「……」
「……」
気まずい。
会話が続かない。
いつもなら、放って置いてもヒメナのほうから話し掛けてくるのだが、さすがにこの状況でくだらないお喋りはしづらいらしい。
ここは、俺から何か話題を振ったほうがいいのだろうか?
でも、何を話せばいいんだ?
何か話の種になるものはないかと、部屋の中をぐるりと見回す。
その時、ベッドの枕元に置かれた茶色の紙袋が目についた。
――そうだ。あれは!
「あの~。そろそろ夕食の下拵えをしないといけませんので、ヒメナさんもこれで失礼しますネ」
俺が口を開くよりも先に、ヒメナがこの気まずい空間からの脱出を図る。
「それじゃあ、何かあれば呼んでクダサイ」
「おい。ちょっと待て!」
そそくさと出て行こうとするヒメナをとっさに引き止める。
「なんデスか?」
不機嫌そうな顔で振り向くヒメナに、俺はひとまず枕元に置いていた茶色の紙袋を手に取ると、それをヒメナのもとへ運んだ。
「ほら。忘れ物だ」
そう言ってヒメナに差し出した物は、俺とリリィがベッドで抱き合っている光景を目撃して動揺したヒメナが落としていった、果物がたくさん入った紙袋だ。
それなのに、落とし物ではなく忘れ物と言ったのは、そのほうがやっと落ち着いた感情を逆撫でせずにすむと思ったからだ。
しかし、ヒメナは紙袋の中身をちらっと覗き見ただけで、なかなか俺から紙袋を受け取ろうとしない。
それどころか、不機嫌な表情のまま、俺に紙袋を突き返してきた。
「これは忘れ物じゃあないデス」
ヒメナがキッと俺を睨む。
「これは、体調不良で食欲がなくても果物なら食べられるかもしれないと思って、イサのために買ってきた物デス。だから、忘れ物じゃあアリマセン!」
ぷぅと頬を膨らませて、ヒメナがフンとそっぽを向く。
そして皮肉たっぷりにこう言った。
「どうやら、それは余計なお世話だったみたいですケドね」
――まだあのことを根に持っていたのか。
リリィの勢いとその後の長話でうやむやになったと思っていたが、どうやら甘かったらしい。
「誤解させたことは謝る。だが、ノックをしなかったヒメナにも非はあるだろう?」
「ヒメナさんは、もしイサが眠っていたら起こしてしまうかもしれないと思って、わざとノックをしなかったんデスヨ。まさか具合が悪いと言って寝ていた人が、ベッドの上でちちくり合っているとは、思いも寄らなかったものですカラ!」
ヒメナの言葉の端々に棘を感じる。
どうやら、よほど腹に据えかねていたようだ。
まあ、誤解とはいえいきなり他人の情事を見せられたら怒るのも無理はないか。
仕方がない。
ここは俺が大人の対応を見せてやろう。
「ヒメナ、俺が悪かった。ヒメナは俺のことを気遣って、こうして果物まで買ってきてくれたのに不快な思いをさせてしまって、すまない」
下手に出た俺の言葉を聞いて、ヒメナが驚きのあまり「えっ?」と声を出す。
「もしよければ、ヒメナの買ってきてくれた果物を一緒に食べないか? 朝、麦粥を持って来た時に言っていただろう。買い物から帰って来たら、一緒に昼食を食べようと」
「イサ。ヒメナさんが言ったこと、ちゃんと覚えてくれてたんデスね」
ヒメナの口元が綻ぶ。
「もう、仕様がないデスねェ。いいデスよ。一緒に食べまショウ」
おそらく、ヒメナにも思うところはあるのだろうが、表面上は水に流してくれるらしい。
それから2人でオレンジを食べながら、いつものようにくだらない会話をする。
そして、甘酸っぱい果実をじっくり堪能したヒメナが、夕食の下拵えのために部屋を出て行くと、残された俺は食べかけのオレンジを見つめながら、今後のことについて思いを馳せた。




