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俺が魔王で、勇者が……ヒメナ!?  作者: かんな月
ルニガッセ編ーー1日目ーー
26/41

消せない傷、過去の過ち

イサ「過ちを犯したら、どうすればいいと思う?」

ヒメナ「すべてを認めて罪と向き合うほかありません。過去は変えられませんカラ」

イサ「ずっと『痛み』を抱えて生きていけと?」

ヒメナ「そうデス。『痛み』を抱えて生きていくということこそが『償い』デス」

イサ「……重いな」

 静寂の中、俺はしばらくその場に立ち尽くし、固く閉ざされた扉を見つめていた。

 つまらない意地でヒメナを傷つけたこともそうだが、リリィの吐き捨てていった言葉に胸が(うず)く。


「悪いのは私でしょ?」

「何も悪くないヒメナちゃんに八つ当たりするなんて」


 リリィは言外に「どうして自分に当たらないのか?」と俺を責めていた。


 ――そんなこと、できるわけがない。


 俺の脳裏にあの日の光景が鮮明に蘇る。

 魔王城の渡り廊下で倒れたまま、ぴくりとも動かないリリィの姿が。

 あの日の、胸から流れ出すリリィの鮮血は、今でもはっきりと覚えている。


「やっぱりまだ、リリィのことは許せないかい?」


 背後からいきなり声をかけられ、思わず振り向く。

 そこには、さっきまで傍観を決め込んでいたソルがいつものように微笑を浮かべて、ソファーで優雅にくつろいでいた。


「……許すも何も、むしろ許しを乞わねばならないのは俺のほうだろう?」


 あの日、俺は酷く苛ついていた。

 2ヶ月前にあった嫌な出来事を引きずっていた俺にとって、やたら煩くまとわりついてくるリリィが鬱陶しくて堪らなかった。

 そして、八つ当たりした結果が、あの光景だ。


「それに、許せないのはソルのほうではないのか?」


 ソファーに座るソルのほうへ歩み寄りながら、俺は率直に尋ねた。

 故意ではないにしろ、俺がリリィに大怪我を負わせたことは事実だ。

 一時は命の危険さえあったと聞く。

 幸い、今は元気にしているようだが――。


「まだ、あの時の傷跡が残っているのだろう?」


 あの日、鮮血に染まったリリィを、俺はただ呆然と眺めていた。

 何が起こったのか、わからなかった。


 いや。

 わかりたくなかった。

 頭が考えることを拒絶していた。


 俺が、ぴくりとも動かないリリィの傍らで、馬鹿みたいに突っ立っていると、大きな物音を聞きつけソルがやって来た。

 すぐにリク、カイ、クウの3人も駆けつけて来て、慌ただしくリリィの応急処置に取りかかる。

 しかし、リリィの怪我は応急処置でどうにかなる程度のものではなかったらしく、すぐ赤緑の医療団に応援を頼み、魔王城でリリィの緊急手術が始まった。


 それから数日後。

 いまだ、リリィの意識は戻っていなかったが、容態が安定したことと、赤緑の医療団の本部近くにある自宅のほうが何かと安心だからという理由で、リリィは自宅へと搬送されて行った。

 その後、風の便りで無事リリィの意識が戻ったことを知ったが、俺は何もしなかった。

 リリィに会って謝らなければ、とは思っていた。

 謝罪の手紙も何度も書こうとした。

 だが、そのたびに浮かぶのは、数ヶ月前にあった、あの嫌な出来事。

「化け物」と口々に叫び、石を投げつける村人達の、俺を見るあの恐怖と嫌悪の入り混じった目。


 もし、謝っても許してもらえなかったら?

 もし、リリィまで俺をあんな目で見るようになったら?

 そう思うと怖くて、俺は何もできなかった。


 それが11年前の話だ。

 以降、俺はリリィを避け続け、今日この街で偶然出会うまで、こんなに長くリリィと顔を合わせることはなかった。


「リリィだって、心の奥底では、俺のことを許してはいないのだろう?」


 今思うと、買い物に行く前、俺と2人の時にリリィが言っていた、俺に『言わないといけないけど、ずっと言えなかったこと』というのは、このことだったのではないだろうか。

 俺に対する恨みつらみを言おうとして、躊躇った。

 そういうことなのだろう。


「たしかにリリィの胸には、あの時の傷跡が今も残っているよ」


 ソファーに座ったままの状態で、傍らに立つ俺を見上げながら、ソルが穏やかに話す。


「だけど、リリィの心はリリィにしかわからない」


 口元に微笑を浮かべ、優しい眼差しを俺に向ける。


「それに当事者であるリリィが何も言っていないのに、第三者である僕が何かを言う資格はないよ」


 穏やかな雰囲気に騙されそうになるが、ソルは俺の問いに対する答えを言及していない。

 ただ、事実をありのまま答えただけだ。


「ソル。俺はソルの本音が聞きたいんだ。俺のことを許せないか? それとも、俺が怖いのか?」


 真剣な目でソルに訴えかける。

 ソルはしばらく俺の目をじっと見つめていたが、突然ふっと目を閉じた。

 そして再び瞳が開かれた時、ソルの顔からは笑みが消えていた。


「……怖いよ。初めて会った時、イサはまだたったの8歳だったのに、僕は9つも年下の子どもに本気で恐怖した。いや、幼かったからこそ怖かった。どんな些細なことで『力』を使われるか、わからなかったから」


 感情を押し殺すように淡々と話すソルの言葉が胸にじわじわと浸透していく。


「もちろん、イサが良い子だということは何度も接するうちにわかったよ。だけど一度抱いた恐怖は、そう簡単に消えはしない。いくら年月を重ねても、いつも心のどこかに(トゲ)のように刺さって抜けないんだ」


 ソルがそっと自身の左胸に手を添える。


「だけど、リリィは違う。リリィは初めからイサと対等だった。いつイサが『力』を使うのではないかとはらはらしている僕を尻目に、リリィはいつだって本気でイサとぶつかってきた。そうだろう?」


 まっすぐ俺の目を見て、ソルが続ける。


「リリィはあの頃から少しも変わっていない。もし何かイサに対して溜め込んでいる感情があるなら、隠さずイサにぶつけてくるはずだ」


 そう言うとソルは、ふっと笑った。


「だから僕はこの件に関して、何も言う気はないよ。……だけどあの時、もしリリィが死んでいたら、僕は差し違えてでもイサを殺そうとしただろうね」

「それが本音か?」


 ソルにとって、優先すべきはリリィの気持ちで、自分の感情は後回しということか。


「俺のことを許してはいないが、リリィのために今まで通り接していると?」

「……頭ではわかっているんだよ。あれは不幸な事故だったと。だけど人間の感情なんて、そう簡単に割り切れるものじゃないだろう?」


 訴えかけるようなソルの目。


「だから、僕に許しを乞う必要はないよ。許しを乞うことは勇気がいることかもしれないけど、許しを乞われ、それを許すほうもまた勇気がいるんだよ。そして僕は、一生その勇気を持てないだろうからね」


 自嘲気味に笑うソルの奥深い心の闇を垣間見た気がした。


 ソルは一生、俺を許さないだろう。

 そして一生、俺を恐れ憎み続けるのだろう。

 それでも、ソルはずっと俺の側にいるのだろう。

 側でずっと俺を支え続けるのだろう。

 ただ、リリィのためだけに。


「……そうか。正直に答えてくれて、礼を言う」

「もったいないお言葉、傷み入ります」


 ソファーから立ち上り、形だけの微笑を作ると、ソルが右手を胸に当て、優雅にお辞儀をした。

 すると、ソルの胸元で何かが揺れてキラキラと光る。

 顔を上げたソルの胸元には、銀鎖に通った銀色の指輪が揺れていた。

 赤緑の医療団の証であり、いにしえの想いと誓いが刻まれた指輪。


「そこまでリリィのことが大事なら、どうして金の指輪をリリィに継がせたりしたんだ?」


 別に話を逸らそうと思ったわけではなく、ただ純粋に湧き出た疑問が口を突いて出た。


「そもそも正式な印が刻まれた金の指輪は、もともとソルが継ぐはずだった物だろう。だからこそ、俺のもとへ挨拶に来たんじゃないのか?」


 正式な印が刻まれた金の指輪は魔王の主治医の証であり、赤緑の医療団の最高責任者の証だ。

 幼少時より優秀で、一族中から次代の赤緑の医療団を背負って立つと期待されていたソル。

 そして、幼くして次期魔王となった俺。

 俺達が出会ったのは必然であり、その時点でほぼ互いの地位は決まっていたはずだ。

 だが、2年前に金の指輪の後継者として俺のもとへ挨拶に訪れたのは、何故かリリィのほうだった。

 もちろん驚いたし、すぐにでも理由を問いただしてやりたかったが、いくら魔王といえども余所のお家騒動に口を出すことはできない。

 それに、大怪我を負わせた負い目からリリィと長時間顔を合わせたくなくて、早々に謁見を切り上げた。

 そしてそれきり、気にはなっていたが、理由を訊く機会がないまま、今日に至る。


「……リリィがそれを望んだからだよ」


 俺の2年越しの疑問にソルが口元に笑みを浮かべて答える。

 しかし、その笑いはどこか物悲しい。


「僕は反対したんだよ。リリィには(しがらみ)に捕らわれず、自由に生きて欲しかったから」


 金の指輪を継ぐということは、強大な権力を手に入れるということにほかならない。

 だがそれは、その権力に見合った責任や義務を負うということだ。

 それに現在だけでなく、これまで赤緑の医療団が行ってきたことすべてを背負わなければならない。

 良い面も、悪い面も、すべてを。


「それでも、リリィが望んだから。だから僕は手を貸した。――イサだって知っているだろう? リリィが一度決めたら、絶対に折れないってこと」


 たしかにソルの言う通りだ。

 昔からリリィは、一度本気で決めたことは何があっても途中で投げ出したりしなかった。

 だけど――。


「そもそもリリィは、何故金の指輪を欲したりしたんだ?」


 金の指輪を持つ者は、さまざまな面で優遇されるし、特権もあるが、それでも赤緑の医療団のすべてを背負うことを考えれば、割に合わないはずだ。

 それにリリィの性格からして、あまり権力に興味があるとも思えない。

 それなのに、何故?

 俺のさらなる疑問にソルは一瞬驚いた様子だったが、すぐに冷静さを取り戻して、こう言った。


「それは簡単なことだよ。……だけど、僕の口からは言えないな」

「どういうことだ?」

「知りたいのなら、リリィに直接訊けということだよ」


 そう言うとソルは、にっこりと優雅に笑った。

 今までの経験上、ソルがこういう笑い方をした時は、これ以上何を訊いても無駄だ。


「……わかった」


 諦めてソルに背を向ける。

 しかし間髪入れず、背中に投げつけられたソルの言葉が俺を引き戻した。


「だけど、これだけは言っておくよ。リリィはいつだってイサの味方だ。たまには衝突することもあるかもしれないけど、それだってイサを思って(ゆえ)のこと。……『あの日』のこともね」

「それはどういうことだ?」


 振り返った俺に、ソルは含みのある笑みで答える。

『あの日』というのは、間違いなく俺がリリィに大怪我を負わせた日のことだろう。

 だが『あの日』のリリィの行動が俺のためだったというのは、どういうことなんだ?

 ずっと避けてきた『あの日』のことを回想する。


『あの日』は、朝から苛ついていた。

 いや。『あの日』だけでなく、あの頃の俺はずっと苛ついていた。

 原因は、はっきりしている。

『あの日』より2ヶ月前にあったあの事件。

 俺の初陣の日だ。

 俺は『あの日』よりさらに前の、すべての元凶になった日へと思いを馳せる。


 その日は、12歳になった俺が初めて魔王としての仕事を任された日だった。

『魔王としての』とはいっても、当時は先代魔王が生きており、俺はまだ次期魔王という立場だ。

 その俺に魔王の仕事を任せたのは、おそらく俺が本当に魔王となった時困らないよう、今のうちから経験を積ませておこうと考えたのだろう。


 仕事の内容は魔物退治。

 群れからはぐれた魔物が一匹、たびたび人里を襲っているので、それを倒すというものだった。

 はっきりいって、それほど難しい仕事ではなかったが、初めての任務に初めての実戦ということもあり、お目付役としてカイが同行した。


 結論からいうと、魔物を倒すこと自体は思った通り、難しくはなかった。

 むしろ、こんなものかと拍子抜けしたくらいだ。

 ただ、問題だったのは、翼竜で魔物の被害にあっていた村にやって来た時、ちょうど魔物が村を襲っていたこと。

 そしてそのまま何も考えず、村人達の目の前で『力』を使って魔物を倒したことだ。


 今なら、いくら魔物が村を襲っていたとしても、そのまま村の中で戦わず、どこか人気のない近くの草原や岩場にでもおびき寄せて戦えば良かったと思える。

 そうすればそれ以上、村を壊すことも、村人達を恐れさせることもなかった。

 ただ当時の俺は、そこまで頭が回らなかった。

 魔物を倒すために使った『力』で、村人達の家や畑をめちゃめちゃにしていたなんて、まったく気づいていなかった。

 そして無事、魔物を退治し、振り返った俺を待っていたのは、村人達の『恐怖』と『嫌悪』の眼差しだった。


 いや。

 当時の俺は、自分へと向けられる村人達の感情を言葉に表すことができなかった。

 もちろん、良く思われていないだろうことは、肌を刺すような視線で気づいていたが、その感情の名が『恐怖』や『嫌悪』と呼ばれるものだと知ったのは、ずいぶんあとになってからだ。

 それくらい俺は、甘やかされた環境で育てられていた。


 初めて向けられる大勢からの悪意に圧倒された俺は、足がすくんでその場から一歩も動けなかった。

 頭の中が真っ白になり、自分が何をすべきかも、もうわからない。

 ただ雑音だけが、やたらと耳に響いてくる。

 その雑音の中から、誰かの小さな呟きがはっきりと聞き取れた。

「化け物」と。


 その言葉を皮切りに、まるで感染するかのように「化け物」という呟きが全体へと広がっていき、それはやがて大勢の叫びへと変わっていった。

 そして誰かが小石を投げつけると、それを合図に、また皆が一斉に石つぶてを手にする。

 俺はとっさに防御の型を取り、攻撃に備えるが、石つぶての雨が俺のもとに届くことはなかった。

 気づくと俺はカイの腕の中にいた。

 今まで静観を決め込んでいたカイが、全身で俺を石つぶてから守っているのだと気づくまでに、少し時間がかかった。


「カイ……」


 乾いた唇から、なんとか声を絞り出す。

 その呼び声に反応して、俺に覆い被さっていたカイがわずかに体を離し、俺の顔を覗き込む。

 その瞬間、誰かの投げた石つぶてがカイの側頭部に命中した。

 かすかな呻き声を上げ、苦痛に歪むカイの表情。

 目の前で、流れ落ちていく鮮血。

 きっと体中の血が沸騰するというのは、こういう状態をいうのだろう。

 真っ白だった頭の中が、今度はどす黒い赤に支配される。

 その時、俺を支配していたモノは、間違いなく『怒り』や『憎しみ』と呼ばれる感情だった。


 俺は別に村人達から感謝されたかったわけではない。

 褒めて欲しかったとか、何か見返りを求めていたわけでもない。

 ただ、喜んで欲しかった。

 ただ、それだけだったのに――。


 体中がカッと熱くなり、目の前が真っ赤になる。

 そして次の瞬間、俺の意識はぶっ飛んだ。




「イサ様!」


 鋭い声と頬への痛みで俺は正気を取り戻した。


「……カイ?」


 痛む頬を無意識にさすりながら顔を上げると、明らかにほっとした様子のカイが俺を心配そうに見つめていた。


「良かった。正気に戻られたのですね」

「……俺は、何を?」


 頬をさすりながら、まだ完全に覚醒していない頭を働かせる。

 たしか魔物を退治して……。


 そうだ。

 そしたら、村人達が石を――。


「カイ。怪我は? 大丈夫なのか!? ――なんでこんなことを!」


 キッと石を投げてきた村人達の群れを睨む。

 だがそこに、村人達の姿は影も形もなかった。

 左右を確認すると、村人どころか、さっきまでそこにあったはずの家や畑までもが忽然と姿を消していた。

 正確にいえば、家は瓦礫に、畑は抉られ、ただの土の塊になっていた。


「これは、いったい……」


 そう言いながら、心のどこかでわかっていた。

 これはすべて、自分がしたことだと。

 だけど、信じたくなかった。

 認めたくなかった。

 目の前の惨状が自分のせいだとは、思いたくなかった。

 俺が茫然と突っ立っていると、カイが俺の視界を奪うように覆い被さってきた。


「帰りましょう。イサ様」


 ぎゅっと抱きしめられる。


「……村人達は?」

「みんな逃げました。……だから、帰りましょう」


 カイの優しさに涙が零れそうになる。

 そして俺は、そのままカイに身を委ねた。

 その後、どうやって魔王城まで帰ったのかは思い出せない。

 全身が酷く重くて、俺は気絶するように自室のベッドへ倒れ込んだ。



 それから数日後。

 カイの怪我は「この程度の傷なら3日もあれば治りますよ。人間と違って魔物は回復が早いですから」という本人の言葉通り、頭の包帯が取れて、すっかり元気になっていた。

 それについては心底ホッとしたが、何日経ってもあの日の失態を咎められないことに、俺の心は沈んでいた。

 おそらくは、当時の魔王とリク・カイ・クウの3人が俺の失態の後始末をしてくれたはずだ。

 忙しい彼らにそんな手間をかけさせたのに、俺になんの咎もないのは、今回のことで、俺に失望したからではないのか。

 もしかしたら、時期魔王として不適格だと見なされ、ここを追い出されるのではないか。

 そんな考えが後から後から浮かんでくる。


 そして俺は、そんな考えを打ち消すように、今まで以上に勉学に勤しんだ。

 もともと、あの失態の日からろくに眠れていなかった俺は、文字通り寝る間も惜しんで勉強した。

 目を閉じると、村人達の狂気の目が、変わり果てた村の惨状が、俺を責め苛んで、眠れなかったから。



 それから2ヶ月後の『あの日』。

 相変わらず、眠れない日々を送っていた俺の疲労は最高潮に達していた。

 いくら知識を増やしても、いくら鍛練を積んでも、常に焦燥感が襲ってくる。

 まるで、出口の見えない迷路に迷い込んでしまったような焦りや不安、苛立ちが当時の俺を支配していた。


 そんな時だった。

 リリィがソルを伴って、俺を訪ねて来たのは。


 魔王城にやって来たリリィは、着いたその瞬間からやたらと俺にまとわりついてきて、熱心に外へ遊びに行こうと誘ってきた。

 初めは俺も鬱陶しいと思いつつも、軽く流していた。

 だが、余りにもしつこいうえに、無神経なリリィの言葉に、ついカッとなって、とうとう渡り廊下を歩いている時「いいかげんにしろ!」とまとわりついてくるリリィを強引に振り払った。


 次の瞬間。

 まるでゴム(まり)のようにリリィの体が跳ね上がり、少し離れた所に落下した。

 衝撃で2、3度リリィの体が小さく飛び跳ねる。

 そして、その後は、ぴくりとも動かなくなった。


 俺は血を吐いて、ぐったりしているリリィの姿を思い出しながら、目の前で微笑んでいるソルへと意識を向けた。

 その気配に気づいたのだろう。

 ソルが微笑みを維持したまま、ジッと俺の顔を眺める。

 その目は、表情とは裏腹に少しも笑っていない。

 だが、先程の回想で結局答えを見つけられなかった俺は、ソルに「やめろ」とも「見るな」とも言えず、この居心地の悪さに堪えるしかなかった。

 ソルは、しばらく無言のまま俺のことを眺めていたが、突然ふっと薄く笑った。


「ねえ、イサ。どうして『あの日』、リリィはイサに会いに行ったと思う?」


 子どもに諭すような口調で、ソルが俺に問いかける。


 ――どうして『あの日』、リリィが俺を訪ねて来たか?


 そう問われてみれば、たしかにリリィの突然の来訪は不自然な気がする。

 小さな頃はそれなりに会っていたが、10歳を過ぎてからはだんだんリリィとは疎遠になっていった。

 べつに喧嘩をしたとか嫌いになったとかではなく、互いに立場を理解し始めたということと、性差がはっきりしてきたということも理由だ。

 ただし10歳以降も、ときどき手紙のやり取りはしていた。

 だから、完全に疎遠になったというわけではないが、それでも普通いきなり俺のところに訪問しようという気になるか?


「頼まれたからだよ」


 俺の答えが出る前に、ソルがあっさりと解答を口にする。


「わざわざ僕達の邸にやって来て『最近イサが塞ぎ込んでいるから元気づけてやって欲しい』と、ある人に言われてね」

「……ある人?」


『ある人』というのが誰なのか引っかかったが、それよりもソルの次の言葉が衝撃的で、そんな些細な違和感は、どこかへと吹き飛んでしまった。


「その時に僕達は、イサの塞ぎ込みの理由も聞かされたんだよ」


 ドクンと、心臓が飛び跳ねたのがわかった。

 まさか、ソルやリリィがあの村での出来事を知っているとは思わなかった。

 だが、それならなおさらリリィの突然の来訪に説明がつかない。

 いくら頼まれたとはいえ、あの妹大事なソルがリリィを少しでも危険にさらすような真似をするはずがない。

 もし、リリィが俺の所に行くと言っても、ソルが全力で止めたはずだ。

 それなのに何故?


「僕だって、リリィを行かせたくはなかったよ」


 まるで、俺の考えを読み取ったようにソルが言葉を返す。


「今だって、もし『あの日』に時間が戻せるのなら……って、そう思うよ」


 感情を押し殺そうとしているのはわかる。

 それでも言葉の端々から滲み出る後悔と悲しみの念は隠しようがない。


「だけど、こうも思うんだよ」


 無理に作った哀しい微笑を俺に向けて、ソルがゆっくりと口を開く。


「もし『あの日』に時間が戻せたとしても、僕にはリリィを止める(すべ)がないんじゃないかって」

「それは、どういう……?」

「僕はリリィをイサの所へ行かせたくなかった。だから『行く』ときかないリリィを何度も何度も説得して、思いとどまらせようとしたんだ。でもリリィのある一言で、僕にはリリィを説得させるだけの言葉はないと悟ったよ」


 ソルが悲痛な面持ちでリリィの言葉を俺に伝える。


「あの時、リリィはこう言ったんだ。『兄様。私はイサのことを大切な友達だと思ってる。その友達がひとりで苦しんでいる時に助けられなくて、何が友達なの?』って。――返す言葉がなかったよ」


 ――リリィがそんなことを?


「その後は、イサも知ってのとおり、僕の口先だけの薄っぺらい言葉では、真剣なリリィの想いに勝てず、2人してイサのもとを訪ねたというわけだよ。リリィとしては、イサを外に連れ出して、気分転換をしてもらいたかったみたいだけど、結果的にはそれが裏目に出て、あんなことに……」


 ソルがそっと目を伏せる。

 おそらく、大怪我を負ったリリィの姿を思い出しているのだろう。

 俺の胸をじくじくとした痛みが襲う。

 ずっと、リリィに対して感じていた痛みがさらに強くなる。

 それは、きっと――。


「どうして今、俺にその話をしたんだ?」


 俺は心のどこかで、ずっと『あの日』『あんなこと』が起きたのは、リリィにも非があったからだと思っていた。

 そう思うことで、少しでも自分の罪から逃れたかった。

 あの村の惨状が、心無い村人達の自業自得だと、頭の隅で思っていたように。


「俺を許せないのなら、何故すぐに話さなかったんだ? そしたら俺は――」

「……時間が必要だと思ったから」


 顔を上げ、ソルが真っすぐ俺の目を見据える。


「もし、リリィが亡くなっていたら、きっとすぐにでも、イサに話しただろうね。あの頃の酷く不安定だったイサに、真実を真正面から受け止めることができるとは思えなかったから。でも、リリィは生きていた。だから僕は真実を秘匿しようと決めたんだよ。リリィの大切な友達を守るためにね」


 そう言うと、ソルはわずかに微笑んだ。


「だけど、いつかは『あの日』の真実を伝えようと思っていた。誤解されたままだとリリィが可哀想だしね」

「それで今話したのか?」


 こくりと、ソルが頷く。


「あれから、10年以上も経つ。イサも心身共に成長しただろうし、変わろうとしている今なら、すべてを受け止められるだろうと、そう思ったんだよ」

「変わろうとしている? 俺が?」

「自覚はないのかな? だけど『あの日』以来、城に引きこもっていたイサが、どんな理由であれ、外へ行こうと思った。それは心の奥底で、このままでは駄目だと気づいていたからじゃないのかな?」


 ソルの言葉が、ゆっくりと俺の中に広がっていく。

 たしかに俺は『あの日』以来、城の外に出るのが怖かった。

 いや。誰かと係わること自体が怖かったのかもしれない。

 また理不尽に傷つけられるのではないか。

 また理不尽に傷つけてしまうのではないか。

 それなら、独りきりでいい。

 もともと、魔王として生きるしかない俺には、友達も、誰も彼も、必要ない。

 そうやって、幾重(いくえ)にも虚飾の鎧を着込んで武装していたんだ。

 自分の弱さを隠すために。


 それから月日は流れ、時が少しずつ俺の心を癒やしてくれた。

 先代魔王の死後、俺が魔王の任を継ぎ、忙しく働いているうちに、虚飾の鎧は少しずつ剥げ落ちていった。

 そして、俺が城を出るきっかけになった、リク・カイ・クウとの口論。

 売り言葉に買い言葉で、後に引けなくなった俺は、剥き出しになった『弱さ』を隠すために、言葉通り城を出た。

 残念ながら、それが真実だ。


「ソル。俺が城を出たのは、変わろうとしたわけではなく、ただ自分自身の弱さから逃げ出しただけなんだ」


 俺は偽りのない気持ちを正直にソルへ伝えた。

 おそらく、失望の色で陰るだろうと覚悟して、ソルの顔に視線を向ける。

 しかし、何故かソルは笑っていた。


「やっぱり、変わったんだね。いや、成長したと言ったほうが正しいかな?」


 ソルが嬉しそうに微笑む。


「以前のイサなら口が裂けても、自分のことを『弱い』とは言わなかっただろうね。だけど、自分の『弱さ』を自覚することが『強さ』への第一歩だよ。そしてイサは、その一歩を踏み出すことができた。――彼らの後押しがあったとはいえね」

「なんの話だ?」


 意味がわからず、ソルに問いかける。

 しかし、ソルは聞いているのか、いないのか、そのまま話を続ける。


「さすが、長年イサを間近で見て来ただけのことはあるよ。たぶん彼らは、ずっと待っていたんだろうね。可愛い子には旅をさせよっていうし」

「旅?」


 その言葉で、バラバラだったパズルのピースがぴたりと合わさる。


「まさか、あいつら……!」


 俺の脳裏に、リク・カイ・クウ、3人の姿が浮かぶ。


「そしたら、あの口論も?」


 どこかで、違和感は感じていた。

 突然増えた仕事量と、突然非協力的になったリク・カイ・クウに。

 でも、それは俺を追いつめて、魔王城から旅立たせるための布石だったのか。


「つまり、俺はまんまとあいつらの策略に嵌ったわけだ……」


 一連の流れがすべてあの3人の企みによるものなら、俺に翼竜を使うなと言ったことも理解できる。

 翼竜がいれば、町から町へ簡単に移動ができるし、道中、盗賊や魔物に襲われる心配もない。

 つまり、誰とも接しなくても、事足りてしまうのだ。

 だからこそ、俺が徒歩で城を出て行くように仕向けたのだろう。


「先代の魔王様方はよくお忍びで出かけられては、そこの住民達との交流をとても大切にされていたそうだよ。だからイサにも、人との繋がりを大切にして欲しいと思ったんだろうね」


 ソルが穏やかに微笑む。


「そのために彼らは、イサの心身が成長するまで我慢強く待っていて、いざその時がやって来たら、心を鬼にして、イサを魔王城から送り出したんだろうね。もしかしたら、人との交流以外にも、肌で自分の治める国を感じて欲しいという意図もあったのかもしれない」


 これが、ソルの考える『彼らの意図』か。

 だがそれだと、ひとつ腑に落ちないことがあるのだが……。


「なあ、ソル。そうだとしたら、魔物の活発化は何故なんだ? 今の話だと、それについての説明がつかなくないか?」

「それは……。おそらくだけど、魔王という秩序を完全に失えば、これよりもっと酷いことになると身を(もっ)て知ることで、イサに魔王としての役目をしっかりと意識して欲しいという思いがあるんじゃないのかな?」

「つまり、人との交流を大切にしつつも、己の役目は忘れるなというわけか」


 なんて、難しい課題なんだ。

 正直自信がない。

 だけど、俺はそれをしなければいけないんだ。

 この国のために――。



「ねえ、イサ。そろそろお腹が空いてきたんじゃないかい?」


 決意を新たにした俺に、ソルがいきなり話題を転換する。


「どうやら話し込んでいる間に、すっかり日が落ちてしまったみたいだよ」


 そう言って、暗くなった窓へ目を向ける。

 そういえば、ずいぶん長い間、ソルと話をしていた気がする。

 ソルとの会話に集中していたせいで、今まで部屋の中が薄暗くなっていたことにも、まったく気がつかなかった。


「明かりをつけようか? それともすぐ食堂に行くかい? リリィ達を誘って」

「……なんでリリィ達も」

「先に食べるなら、一言僕に声をかけていくよ、リリィは。……それに仲直りするなら、早いほうがいいだろう? さっき、ヒメナちゃんに酷いことを言って、リリィまで怒らせていたみたいだし」


 笑顔で当て(こす)られ、ムッとする。

 しかし、事実である以上、反論はできない。


「……ヒメナに情を移すなと言っていたくせに」

「情を移すのと、自分の非を謝罪することは違うよ」


 ぼそっと呟いた俺のささやかな抵抗は、すぐソルによって一刀両断された。

 そして、俺達は薄暗い部屋を後にした。

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