魅了、華麗なる変身
ヒメナ「女の子はみんな、サナギから蝶へと変わっていく生き物なんデスヨ」
イサ「中には、サナギのまま一生を終える者もいるがな」
ヒメナ「イサ。今の言葉で、イサは世界中の女の子を敵に回しましたヨ」
イサ「だが、たで食う虫も好きずきというし、一生サナギのままでいいという物好きもいるかもしれん。――俺は御免だが」
ヒメナ「……最近、少し性格が悪くなったんじゃあないデスか?」
嵐が過ぎ去っていき、部屋に静寂が訪れる。
急にやってきた静けさを享受することができず、俺は居心地の悪さを誤魔化すため、テーブルの上に置いた飲みかけのワイングラスに手を伸ばした。
ゆらゆらと揺れる深紅の香りをぼんやりと見つめると、半分以上も残っているそれを一気に飲み干した。
「……っはあ」
空になったグラスをテーブルに戻し、座ったままの状態で上半身をソファーに預ける。
もしここが魔王城なら「ソファーでのけ反るなんてだらしない」とリクから小言のひとつも聞こえてきそうだ。
久方ぶりに思い出す懐かしい城での生活に思わず笑みが零れる。
だが、それはすぐに自嘲へと姿を変えた。
初めから、わかっていたはずだ。
自分は特別な人間ではないが、特別な存在であることを。
いや。
特別な存在でなければならないことを。
そのためには、他の誰にも心を許してはいけないことを。
魔王とは、この国の平和のためだけに存在している。
この国を守り、この国を愛し、そしてこの国のために死んでいく。
そういう存在だと。
「そんなこと、わかりきっていたはずなのにな」
前髪を片手で掻き上げ、深いため息を吐く。
ヒメナをどうするのか?
そんなこと、考えるまでもない。
俺の身勝手な想いで、俺を取り巻く様々な柵の中にヒメナを引きずり込むわけにはいかない。
ヒメナとは、ここで別れる。
そう明確な答えがあるにも関わらず、あの時考える時間が必要だろうと問うソルに答えを言わなかったのは、きっと自分には心の整理が必要だとどこかで感じていたからだろう。
あの日、ヒメナと出逢わなければ。
あの日、ギトカで別れたままでいれば。
あの日、精一杯の去勢を張って笑顔の下に孤独をひた隠しにしていたヒメナを突き放していれば。
そうすれば、こんな気持ちになることもなかったのだろうか?
脳裏に浮かぶ、ヒメナとの思い出の数々。
まだ出逢ってから半月ほどしか経っていないはずなのに、何故かとても懐かしく感じる。
しばらく様々な思いに耽っていた俺は、突然のノック音で現実に引き戻された。
「イサ。入るよ」
「ああ」
慌てて、だらしなく仰け反っていた体を起こし、ソファーに座り直す。
姿勢を正すと同時に扉が開き、先程リリィに連れて行かれたソルが戻って来た。
だが、部屋に入って来たソルの表情はなんだか複雑な……まるで狐や狸にでも化かされたような、不可解な顔をしている。
「……どうかしたのか?」
「え? ああ…」
俺の問いかけに、ソルが珍しく歯切れの悪い言葉を返す。
「少し……驚いただけだよ」
曖昧な笑みを浮かべながら、ソルが俺の正面に並ぶソファーに腰を下ろす。
そして、やはり腑に落ちないという顔でぼそりと呟いた。
「あのくらいの歳の女の子は、少し手を加えただけで、変われば変わるものだね」
深いため息の中に、わずかに感嘆が滲んでいる。
俺がソルに話しかけようと口を開きかけたまさにその時、またしても突然今度はノックもなしに扉が開いた。
扉のほうへ目をやると、そこには案の定リリィの姿があった。
だが、先程とは違い扉近くに立ったまま、奥まで入って来ようとはしない。
しかもよく見ると、小脇に何かを抱えている。
「今度はなんの用だ?」
もはや、リリィにノックを求めるのは諦めて用件を訊く。
しかしリリィは俺の質問には答えず、にやにやというのがふさわしい表情で「ふふふ」と笑っている。
「おい! リリィ」
「きっとイサ。びっくりするわよ」
てっきり俺は、リリィが小脇に抱えた物で俺を驚かそうとしているのだと思ったが、予想に反してリリィは扉の外に半身を出すと誰かを手招きした。
リリィの手招きで姿を現したのは、1人の少女だった。
リリィに促され、少女がおずおずと室内に入って来る。
少女は襟元や袖、そして腰回りからスカートの裾にかけて走る赤いラインが印象的な真っ白なワンピースを着ていた。
ふんわりと広がった袖口とスカートの裾口には白いフリルがついており、ポイントごとにつけられた小さな白いリボンが可憐さを演出している。
赤い紐が通った赤茶色のブーツも真っ白なワンピースによく合っている。
それに肩くらいまで伸びた栗色の髪を両サイドだけ三つ編みにしているのも可愛らしい。
息をするのも忘れて、俺は目の前の少女に見入った。
恥じらうように頬を赤く染め、ぱっちりとした焦げ茶色の瞳を潤ませた少女は、間違いなく可憐で愛らしい。
しかし、まっすぐ俺へと注がれる視線で秘められた意志の強さが見て取れる。
清楚で可憐。楚々とした美しさの中にも凛とした強さを秘めた女性。
まさに俺の理想がそこにいた。
――いったい誰なんだ? この少女は。
「あの~。……イサ?」
夢心地の俺の耳に、この場にいないはずの人物の声が聞こえた。
――この声は。
思わず声の主を探して部屋中を見回すが、俺の思い描いている人物の姿はどこにもない。
いるのは、ソルとリリィ。
そして――。
「あの~。どうかしたんデスか?」
俺の理想の少女が艶のある桜色の唇を開き、言葉を紡ぐ。
だが、その唇から発せられた声は、間違いなく聞き覚えのあるものだった。
――まさか。
ひとつの答えが頭に浮かぶ。
しかし、どうしてもそれが信じられずに、俺はソファーから立ち上がると、正体不明の少女の目の前まで移動した。
少女の身長は俺の肩下程度しかない。
低ヒールのブーツを履いているので、おそらく150センチくらいだろう。
そして、俺を見上げる焦げ茶色の瞳。
ふわりとした栗色の髪。
薄化粧を施されているが、よく見れば見知った顔立ち。
「ヒメナ……か?」
それでも半信半疑のまま、目の前の少女に呼びかける。
すると少女は、不思議そうに首を傾げると、こう言い切った。
「ハイ。そうデスよ」
いつもの、のほほ~んとした笑顔でそう答える姿を見て、俺はようやく目の前の少女がヒメナだと納得した。
「そうだよな。ヒメナ……だよな」
言いながら、目の前の相手を頭の先から足の先まで、まじまじと見つめる。
確かに一度、この少女がヒメナだと認識してしまえば、どこからどう見てもヒメナにしか見えない。
それなのに、この胸の高鳴りはなんだ?
俺は、いったいどうしてしまったんだ?
「イサ。いつまでヒメナちゃんに見惚れてるのよ」
呆れるようなリリィの声で我に返ると、いつの間に移動して来たのか、戸口付近にいたはずのリリィがヒメナのすぐ横に立っていた。
「まあ。そこまで予想通りの反応をしてくれたら、私としても腕を振るった甲斐があったというものだけど」
謎の茶袋を脇に挟んだまま、リリィがくすくすと笑う。
「そうなんデス! リリィさん、凄いんデスよ!!」
面白そうに笑うリリィの隣りで、ヒメナが力説する。
「リリィさんに買って頂いた服に着替えて、お化粧もしてもらって、それから鏡を見ると、まるで別人みたいになってたんデス!」
「頭だけは兄様にやってもらったけどね」
なるほど。
さっきソルを連れて行ったのは、そのためだったのか。
これでリリィの謎の行動がひとつ解明したわけだ。
残るは脇に挟んだ茶袋の謎だけだが、その前にどうしてもこれだけは訂正しておかなければ!
「盛り上がっているところを悪いが、俺は別にヒメナに見惚れていたわけではないからな?」
そう言った途端、場の空気が一瞬止まり、片眉を跳ね上げたリリィが言い返してきた。
「嘘おっしゃい! それならなんで、あんなに顔を赤らめてヒメナちゃんのことを見てたのよ?」
「顔が赤いのは、さっきワインを飲んだせいだ! ヒメナのことを見ていたのも、いつもとあまりにも雰囲気が違っていたからであって、他意はない」
「ふぅーん」
リリィが俺に疑いの眼差しを向ける。
「そのわりには、ずいぶん長いことヒメナちゃんを見つめていたみたいだけど?」
「それは……ただ、驚いたからだ! だって誰が想像できる? アレがコレになるなんて」
今ならわかる。
さっきソルが狐か狸に化かされたような顔をしていた理由が。
だから、この俺の高鳴る鼓動も純粋に驚きのためだ。
それ以外の要因なんかない。
「だって考えてもみろ。自分のよく見知った者が別人のように変わっていたら、誰だって驚いて注視するだろう?」
「……まっ、そういうことにしておきましょうか」
含みを持たせる言い方をすると、リリィがヒメナの肩を背後から抱いて、にっこりと笑いながら俺を見る。
「それじゃあ、改めて訊くけど、ヒメナちゃんのこの姿を見て、イサはどう思う?」
「どうって…」
「完全にイサの好みでしょ? 清楚で可憐で、なおかつ凛とした女性。苦労したのよ? イサの現実離れした理想を体現するのは」
「……悪かったな。現実離れしていて」
前半の好み云々には触れず、にやにやと笑うリリィにチクリと嫌みを言う。
しかし悔しいが、リリィの言う通り、今のヒメナの格好は、はっきり言って物凄く好みだ。
よくぞ、あの素材をここまでしたと褒め称えてやりたい。
だが、リリィのにやけ面のせいで、何故か素直に褒める気にはなれない。
「……」
「イサ。あの~、ヒメナさんに気を遣わなくてもいいんデスよ?」
俺とリリィに挟まれて、居心地の悪そうな顔をしたヒメナがおずおずと口を開く。
「その。似合ってなければ似合ってないと、はっきり言ってくれていいんデスよ?」
「似合ってないとは言っていないだろう!?」
潤んだ瞳に上目遣いで言われた俺は、思わずそう答えていた。
次の瞬間、はっとして口を押さえるが、すでに手遅れだった。
リリィは相変わらずにやにやしているし、ヒメナも何かを期待するような目で俺を見ている。
居たたまれず視線を逸らしていくと、視界の隅にソファーに座ったままこちらを見ているソルの姿が目についた。
一瞬助けを期待したが、どうやらソルは高みの見物を決め込んでいるらしく、俺の視線に気づいてもわずかに笑ってみせるだけだった。
――この兄妹は本当にそっくりだな。
そんなに俺の狼狽える様を見るのは愉しいか?
とりあえず助けが期待できない以上、自分の力でどうにかこの場を切り抜けるしかない。
俺は覚悟を決めて、逸らした視線を元に戻した。
その時ふと、リリィが脇に挟んだままの謎の茶袋が目に留まった。
「……そういえば、さっきから気になっていたんだが、リリィが持っているその袋はいったい何が入っているんだ?」
やや強引だったかとひやひやしたが、リリィは「あ!」と小さく叫ぶと、脇に挟んだ茶袋を右手で掴んだ。
「すっかり忘れてたわ!」
そう言うと、リリィはヒメナの前に出て来て俺と向き合った。
「イサ。この袋に見覚えある? さっきヒメナちゃんと買い物袋の中身を確認してたら出て来たんだけど」
リリィが右手の茶袋を俺のほうへ差し出す。
「私もヒメナちゃんもまったく覚えがないのよ。だから、一応イサにも訊いとこうと思って」
「そうか。だが、俺にも見覚えはないな……。中には何が入っていたんだ?」
上手く話題を変えられホッとしながら、差し出された茶袋を受け取り尋ねる。
袋は大きさの割に軽く、厚みはほとんどない。
袋越しに触った感じでは、長方形で堅くて薄い物が入っているようだ。
「たぶん中身は本だと思うのよ」
「本?」
リリィの本という言葉が何故か頭に引っかかる。
「中を確認したわけじゃないけど、触った感じそうだと思うの。ねえ、ヒメナちゃん?」
「あ。でも、ヒメナさんは今まで本なんて手に取ったことがありませんカラなんとも…」
ヒメナのその言葉を聞いて、俺は心の中で「あっ!」と叫んだ。
そうだ。
思い出した。
リリィとヒメナが最初の店で服選びをしている時、俺は暇つぶしのために入った古本屋で、たしかに一冊の本を買った。
「悪い。今まで完全に忘れていたが、この袋は俺が買った物だ。騒がせてすまなかったな」
そう言って、俺はリリィから受け取った茶袋をしっかりと抱きかかえた。
そして、念のため2人に確認する。
「ところで、本当に中身は見ていないんだな?」
「見てないわよ。だって気味悪いじゃない? 身に覚えのない袋なんて」
「そうデスヨ。何が入ってるか、怖いじゃあないデスか!?」
「それならいいんだ。悪かったな」
2人の反応を見て、俺はホッと胸をなで下ろした。
この様子だと、2人とも本当に見ていないみたいだな。
ヒメナはともかく、リリィなら「今更童話なんて読んでどうするの?」くらい言うだろうし。
まあ、別に見られていたところで、どうということもないのだが、ヒメナのために童話を買ってやったなんてことがリリィに知れたら、にやにや笑いながらまた俺をからかうだろうことは目に見えている。
それはそれで腹が立つが、それよりもヒメナと別れると決めたからには、これ以上ヒメナに関わらないほうがいいだろう。
そう思ったが故の念押しだったのだが、どうやらそれが裏目に出たらしい。
「何? そんなに見られたらマズい物でも入ってるの?」
俺の取った行動で、逆にリリィが興味を示す。
完全に墓穴を掘ったと気づいた時には遅かった。
まるで酔っ払いの中年男が若い娘に絡むかのように、リリィが下卑た笑いを浮かべて俺を見上げる。
「もしかして、中身は艶本?」
「そんなわけあるか!」
「別に隠さなくってもいいじゃない」
「だから違うと!」
「あの~。『えんぽん』ってなんデスか?」
俺とリリィの口論に、ヒメナがおそるおそる口を挟む。
「ああ。艶本っていうのはね、成人男性なら必ず一冊は持っていると言われる夜のお供よ。おもな隠し場所はベッドの下ね」
「あ~。……だいたいわかりました」
リリィの説明も大概だが、ヒメナも何故その説明でわかる?
しかも、なんだ? その生温かい目は。
にやにやされるのも腹が立つが、哀れみの目で見られるほうがさらに腹が立つ。
「だから、違うと言っているだろうが!」
「だったら、中身はなんなのよ?」
「それは……」
「ほら。言えないじゃない?」
リリィが勝ち誇ったように胸を張る。
ここで袋の中身を出してしまえば、すべて片が付くのだが、そうすると今度はどうして頑なに隠そうとしていたのかを突っ込まれるだろう。
それに、ここまで来たらもはや意地だ。
「ああ、もういい。そう思いたければ、勝手にそう思っていろ!」
いいかげん、言い訳をするのも面倒臭くなった俺は、そう言い捨てた。
そして、リリィの背中越しにこわごわと俺を見上げているヒメナとたまたま目が合い、つい苛立ちをぶつけてしまった。
「ヒメナもいつまでそんな格好をしているつもりなんだ? 少し褒められたからって調子に乗っているんじゃないのか。はっきり言って、目障りだ」
これは完全なる八つ当たりだ。
しかし、これまでの経緯を考えると素直に謝罪する気にもならず、後ろめたさから視線を逸らす。
「ちょっとイサ!」
「いいんデス、リリィさん。やめてクダサイ」
ちらりと横目で見ると、今にも俺の胸倉を掴み掛かって来そうな勢いのリリィをヒメナが懸命に引き止めている。
そして、リリィがヒメナの説得に渋々ながら応じると、ヒメナは無理に笑顔を作り、俺に向かってこう言った。
「あの。ヒメナさんのせいで、イサに不快な思いをさせてしまってスミマセン。すぐに着替えて来ますカラ」
そう言うと、ヒメナは返事を待つこともなく、足早に部屋から出て行った。
「あ! 待って、ヒメナちゃん。私も行くわ」
慌ててリリィもドアへ駆け寄るが、一度も振り返ることなく出て行ったヒメナとは違い、リリィはドアノブに手を掛けた状態で振り向くと、俺を睨みつけた。
「イサのこと、散々からかったのは悪かったと思ってるわ。だけど、悪いのは私でしょ? 何も悪くないヒメナちゃんに八つ当たりするなんて、最低よ。みっともない!」
そう吐き捨てると、リリィの長い深紅の髪が宙を舞い、そのまま俺の視界から消えた。
残されたのは、バタンというドアが閉じた音だけだ。




