不安定な心、ソルの忠告
ヒメナ「はぅ! 今なんか背筋に悪寒が……」
イサ「風邪か?」
ヒメナ「いえ! 例えるなら、蛇に睨まれた蛙のような気分デス」
イサ「それは……誰かに狙われているということか?」
ヒメナ「そうかもしれません。きっとヒメナさんの美貌に嫉妬してるんデスよ」
イサ「……たぶん、気のせいだ」
やっと……、やっと戻って来た。
嬉しさのあまり、うっかり涙がこぼれそうになりながら、俺は豪奢な佇まいをした建物を見上げた。
つい数時間前、初めてこの高級旅館を見上げた時には青かった空も、今ではうっすらと茜色に染まっている。
――まさか買い物ひとつに、これだけ時間を使うとは。
「イサ~。どうかしたんデスか?」
「何やってるの? 置いて行くわよ」
たそがれていた俺にリリィとヒメナが声をかける。
俺は2人の問いかけに返事をすると、両手いっぱいの荷物を落とさないよう、ゆっくりとあとを追いかけた。
「ヒメナちゃん。今日は買い物に付き合ってくれてありがとう。楽しかったわ」
「ヒメナさんのほうこそ、色々な物が見られて楽しかったデス。お菓子もごちそうになりましたし、ありがとうございマス」
特別室へとつながる廊下を歩いている俺の耳に、リリィとヒメナの弾んだ声が飛び込んでくる。
本来なら、俺の少し前を歩いている2人の姿も見えるはずなのだが、今は俺の頭近くまで積み上がった箱が邪魔で見ることができない。
しかし、話の内容や声の調子で、2人が仲良く並んで会話をしていることだけはわかった。
2人のたわいのない話を聞くともなしに聞きながら歩いていると、突然前方からカチャと扉の開く音がした。
「お帰り。買い物は楽しかったかい?」
「兄様!」
「ソルさん!」
リリィとヒメナがほぼ同時に声を上げる。
「ただいま、兄様。よく私達が帰って来たのがわかったわね?」
「声が聞こえたからね」
まあ、あれだけ大声で話していれば、部屋の中まで聞こえるだろうな。
そう、俺が心の中で悪態づいていると、ソルが苦笑混じりに俺の持つ大量の荷物について言及してきた。
「それにしても、ずいぶん買ったんだね。買い物荷物でイサの顔が見えないよ」
「あ! 兄様。そのことなんだけど、あとで邸のほうにこの分の請求がくるから、支払いお願いね」
「……手配しておくよ」
わかってはいたが、本当にソルはリリィに甘いな。
ここは、兄として「大事な指輪をこんなことに使うな」とリリィを一喝すべきところだろう。
リリィがあんな性格になった責任の一端はソルにあると、俺は思うぞ。
「あの~」
ソルとリリィのやり取りを黙って聞いていたヒメナが突然、遠慮がちに口を開いた。
「なぁに? ヒメナちゃん」
「あの、まずは荷物を部屋に置きまセンか? ……イサ、重そうデスし」
控えめなヒメナの提案を聞いて、リリィとソルが思い出したように俺へ声を掛ける。
「そうだね。まずはその荷物をどうにかしようか」
「あっ、それじゃ、私の部屋に入れておいて頂戴。私は少し兄様と話があるから」
「……この状態の俺に、部屋の扉が開けられるとでも?」
「それじゃあ、ヒメナさんはイサについて行きますヨ。扉もばっちりお任せクダサイ」
色々言いたいことはあったが、大量の荷物を抱えた状態で、この兄妹とやりあう元気は残されていなかったため、俺は黙ってリリィの言うことに従った。
ヒメナが開けた特別室の扉を通り抜け、部屋の隅に抱えていた荷物をまとめて置く。
ようやく自由になった両腕を軽く振って解放感を満喫していると、ヒメナがいつもののほほ~んとした笑顔で俺の労をねぎらった。
「イサ。お疲れ様でした」
「本当にな!」
深く息を吐き、応接間に置かれたソファーの中央にドカッと座る。
「まったく。よくもまあ、あれだけの買い物ができたものだな。何を買ったら、あんな量になるんだ?」
「す、すみません」
俺の愚痴に何故かヒメナが恐縮した様子で謝る。
「ヒメナが謝ることはないだろう?」
「それがデスね。イサが持っていた荷物のほとんどはヒメナさんの服なんデス」
「……は?」
俺の機嫌がさらに悪くなったのを感じ取って、ヒメナが慌てて言い訳をする。
「あ、あの。別にヒメナさんがリリィさんにおねだりしたわけじゃあないんデスよ? むしろ『こんなにたくさん悪いデス』って断ったんですヨ!? だけど『私がヒメナちゃんにこれを着てもらいたいの! だから気にしないで』と言われたら、それ以上は断りづらくてデスネ……」
珍しくヒメナが口ごもる。
そして意を決したように俺の正面のソファーに座ると、まっすぐな目で俺を見据えた。
「それで、イサに相談なんですケド、このままありがたく頂戴しておいたほうがいいと思いマスか? それとも、今からでも返しに行ったほうがいいデスか?」
真剣な中に不安の色が見え隠れする。
おそらくヒメナは、これまでリリィのようなタイプとは会ったことがなかったのだろう。
だから、さすがのヒメナも正しい対処法がわからず、リリィと付き合いの長そうな俺に相談してきたということか。
――リリィと一緒にいる時は、そんな素振りなんてまったく見せなかったのにな。
誰とでもそつなく付き合えると思っていたヒメナの思わぬ一面を見て、なんだか微笑ましく感じる。
それに、ヒメナが初めて自分から俺に頼ってきたことも嬉しくて、思わず口元が綻ぶ。
「イサ?」
怪訝そうなヒメナの呼びかけで、はっとした俺は、わざとらしく咳払いをして、なんとかその場を取り繕った。
「そうだな……」
そう言うと、俺は慌ててヒメナの問いに対する答えを探った。
リリィは、悪い奴ではないのだが、なんというか……。
そう。
自分の欲望に忠実なんだよな。
そのかわり、一度本気で決めたことは最後までやり遂げるし、そのための努力は惜しまない。
一途といえば聞こえはいいが、ようは直情型で周りが見えず、そのせいで時に暴走するということだ。
自分の感情に素直だからこそ、相手に対して良かれと思ってやったことが、ことごとく裏目に出る。
そんなことも間々あるわけだ。
そしておそらく、今回もそのパターンなのだろう。
「……あって困る物でもないし、ありがたく貰っておけ」
少し考えてから、ヒメナに答えを返す。
「それにリリィの性格なら、返品したりするほうが逆に傷つくと思うぞ?」
「そう……デスか」
しばし、難しい顔で考え込む。
そして、考えがまとまったのか、ヒメナがいつもののほほ~んとした顔を俺に向けた。
「ありがとうございマス。それじゃあ、リリィさんのご厚意に甘えてありがたく頂戴することにしますネ。リリィさんへのお礼、何にしまショウかね~♪」
ヒメナが楽しそうに、お礼は何がいいかとあれこれ独り言を言っていると、突然ノックもなしに扉が開き、リリィが入って来た。
「何話してるの? 楽しそうね」
「リリィさん!」
「……部屋に入る時には、ノックぐらいしろ」
「そんな細かいこと、いいじゃない?」
俺の苦言をあっさりと流して、リリィがつかつかとソファーに座る俺達に近づいて来る。
「そんなことより、ずいぶん楽しそうだったけど、何話してたの? 私も混ぜてくれない?」
「それが……。残念ながら、ちょうど話が一区切りついたところなんですヨ」
ヒメナが本当に残念な顔をしてみせる。
そののち改めて、傍らに佇むリリィへ話題を振る。
「リリィさんは、ソルさんとのお話はもう済んだんデスか?」
「ええ。言いたいことは全部話してきたわ」
リリィが見る者すべてを惹きつける優美な笑みで答える。
それから、はたと思いついたように、ヒメナにこう言った。
「さっき、ちょうど話が一区切りついたって言ってたでしょ。だったら、これからお着替えしない? ねっ、いいでしょ?」
相手に判断をゆだねているようで、ほぼ強制に近いリリィのお願いに、俺もヒメナも断る術がなかった。
「――それで、追い出されたってわけだ? 大変だったね」
出迎えたソルが面白そうにくすくすと笑って、俺を揶揄する。
そんなソルを一瞥して、俺は何も言わず隣室のソルの部屋に上がり込み、応接間の長椅子に仰向けに寝転がった。
「さすがのイサもリリィと好きな娘には弱いみたいだね?」
「……悪いが、今の俺にはくだらない冗談に付き合ってやれるほどの元気はない」
「……どうやら、そうとうお疲れのようだね」
不機嫌さを隠さない俺の声を聞いて、ソルがからかうのをやめる。
「何か飲み物でも用意しようか?」
「……ああ。頼む」
寝転がったまま、俺が気だるく返事をすると、ソルの動く気配がして扉を開閉する音が聞こえた。
そして、静かな部屋に1人取り残された俺が、どうしてこんな理不尽な状況に陥ったのかを考えていると、結論が出る前にソルが戻って来た。
「いいワインがあったから貰って来たよ」
長椅子に寝転がったままの俺にも見えるように、ソルがワインのボトルをかざしてみせる。
それを見て、ゆっくりと起き上がった俺に、ソルがグラスに注いだ赤ワインを手渡した。
グラスから漂う芳醇な薫りを楽しんでから、ワインを一口頂く。
奥深い味わいを舌で堪能して、ほぅと一息つくと、俺は、ワインボトルをテーブルの上に置き、はす向かいの一人掛けのソファーに腰掛けたソルに話しかけた。
「ソルは飲まないのか?」
「いつ呼び出されて救護所に戻らないといけないか、わからないからね」
ソルが残念そうに肩をすくめてみせる。
「だが、一杯くらいなら支障はないだろう?」
「一杯しか飲めないのなら、夕食の時に飲みたいからね。今は我慢しておくよ」
そう言って、ソルが微笑する。
「そういうわけだから、僕のことは気にせずどうぞ」
「ああ……」
そう言われても、この状況だと飲みづらいこと、この上ない。
しかし、せっかくソルが持って来てくれた物を残すのも気が引けて、グラスの中のワインをちびちび飲んでいると、不意に声をかけられた。
「そういえば、聞いたよ。イサ、家出して来たんだって?」
ぶふぉとワインを吹き出しかけたが、すんでのところでなんとか堪えた。
「なっ、なんでそのことを!?」
「さっきリリィから聞いたんだよ」
ソルがにっこりと笑う。
――リリィのやつ!
怒りがこみ上げてくるが、リリィに話した以上、遅かれ早かれソルの耳にも入ったはずだと自分自身に言い聞かせて、なんとか怒りを鎮める。
「……リリィからどこまで聞いたんだ?」
「たぶん、イサがリリィに話したことはすべて聞いたと思うよ」
「そうか」
一拍おいてから、リリィとのやり取りを踏まえて、ソルに尋ねる。
「リリィが言うには、俺の家出から魔物の頻発まで今回起こったことすべて、リク、カイ、クウ3人の企みによるものらしいのだが、ソルはどう思う?」
「そうだね……」
少し考えてから、ソルが紫紺の瞳でまっすぐ俺を見据える。
「リリィの考えはあんがい的を射てるかもしれないね」
そう言うと、ソルは柔らかな微笑を浮かべ、ぽつりと呟いた。
「僕にはなんとなく、彼らの意図がわかるような気がするよ」
「本当か!? あいつらはいったい何を企んでいるんだ?」
ソルの爆弾発言に思わず身を乗り出す。
しかしソルはそれを片手で制して、にっこりと綺麗に笑った。
「人に聞いた答えほど身につかない物はないよ。大切なことほど自分で答えを探さないと、ね?」
物腰は柔らかいが、要は自分の頭で考えろというわけか。
この様子だと、俺が何を言っても答えを教える気はなさそうだな。
手に持ったままのワイングラスを無駄にぐるぐると回すたび、赤い液体が中でゆらゆらと揺れる。
目に痛いだけの下品な赤ではない。
それはまるで、ソルやリリィの髪色のように深みのある美しい紅。
「……リリィには甘いくせに、俺には厳しいんだな」
思わず口から零れた愚痴に、ソルが素早く反応する。
「それは心外だな。僕はイサのこともじゅうぶん甘やかしているつもりだけど?」
「……嘘つけ」
いたずらっ子のような表情をして、くすくす笑うソルを軽く睨む。
睨まれたソルは、それでも意に介さず、くすくす笑いながら俺に反論してきた。
「それじゃあ、ヒントをあげるよ。さっきの質問のね」
「本当か?」
「もちろん」
そう言うと、ソルは真剣な面持ちで俺の目をじっと見て、そして次の瞬間、穏やかに笑った。
「たぶん、答えはもうイサの中にあると思うよ。ただそれが答えだと、自分で気がついていないだけで」
「……は?」
意味がわからん。
本当にこれがヒントなのか?
まさか、適当なことを言って俺を謀ろうとしているのではないだろな。
「僕は嘘なんて言ってないよ」
俺が向ける疑いの眼差しに気づいたらしく、ソルが微笑したまま弁明する。
「僕がイサを騙すわけないだろう? そんなことをしても、僕が得することは何もないよ。それに――」
言いながら、ソルが首にかけた細い銀の鎖を手繰り寄せ、服の中から銀色の指輪を取り出した。
「この指輪の刻印。それに込められた想いと誓い。それを受け継いだ以上、イサを害するような言動をするはずがないだろう」
そう言って、ソルが銀の鎖に通された銀色の指輪をしっかりと握りしめる。
そのため、俺にはソルの指輪にどんな刻印があったのかを実際に確認することは出来なかった。
だが、先ほどのソルの台詞で概ね予想はつく。
リリィも持っていたアレだろう。
「だから、これから話すことは、僕個人の……ただのソルトリアリンクスから、ただの友人であるクレイサジェスへの忠告だと思って聞いて欲しい」
改まった言葉とソルの真剣な眼差しに、俺は手にしていたワイングラスをテーブルの上に置き、無意識のうちに姿勢を正して、ソルの次の言葉を待つ。
俺が完全に聞く態勢になったことを確認すると、ソルはしっかりと俺の目を見て、思いがけないことを口にした。
「イサはヒメナちゃんのことをどうするつもりなんだい?」
一瞬、ふざけているのかと思ったが、ソルの顔は真剣なままだ。
俺はソルの質問の意図がわからないまま、思ったことをその通り口に出した。
「どうするって、急に言われても……」
だいたい、あんな抽象的な質問に、相手の意図もわからないまま、答えられるわけがないだろう。
俺はそう思ったが、俺の回答を聞いたソルは難しい顔をして、こう断言した。
「即答できないようなら、ヒメナちゃんとは一刻も早く別れたほうがいい」
予期せぬことを、あまりにもはっきりと断定されたせいで、頭の中が真っ白になり、すぐには言葉が出て来なかった。
しかし、じわじわと怒りが込み上がってきて気がつけば、俺はソルに向かって怒鳴っていた。
「何故そんなことをソルに指図されなければならないんだ!?」
「確かに僕の立場では、イサに指図をすることはできない。だから、はじめに言っただろう? 『これから話すことは、ただの1人の友人としての忠告』だと」
頭に血がのぼって感情的になっている俺とは対照的に、ソルはあくまでも冷静に話を進める。
「生半可な気持ちで一緒にいれば、いずれどちらも傷つくことになる。それならば、まだ何も知らないうちに別れたほうがいい。それが互いのためでもあると、僕は思うんだよ」
ゆっくりと諭すように、ソルが俺に語りかける。
「僕はね、心配なんだよ」
そう言うと、ソルはふっと目を伏せ、しばし一点を見つめた後、ゆっくりと顔を上げた。
その顔には、いつもの穏やかな笑みが湛えられている。
そして穏やかに笑いながら、ソルが唐突にこんなことを言い出した。
「ヒメナちゃんって、面白い娘だよね」
さっきまでの流れを完全に無視した発言に、俺は呆気にとられてぽかんとソルの顔を見つめる。
「それに、顔に似合わず賢いし、勘も良い。何より、人を見る目がある。イサやリリィが彼女を気に入ったのも、わかる気がするよ」
今、さらりと酷いことを言っていた気がするが、そんなことよりも――。
「どうして、今日会ったばかりのヒメナのことを、ソルがそこまで知っているんだ?」
「……簡単なことだよ。3人で買い物に行く前、僕はヒメナちゃんと2人で街に出掛けたからね」
そういえば、自己紹介が済んだ後、リリィの差し金で、ソルがヒメナを誘って出掛けて行ったな。
あの時、何かあったのか?
「2人で出掛けていた時間は、そう長くはなかったけど、その人となりを知るには十分な時間だったよ。だからこそ、僕は心配なんだよ」
かろうじて、口元だけは笑っていたが、穏やかな雰囲気は完全になくなっている。
「このまま一緒にいれば、あの賢くて勘の良い娘のことだ。いずれイサの正体にも気づくだろう。そうなったら、イサはあの娘のことをどうするつもりなんだい?」
「それは……」
まっすぐに突きつけられたソルの鋭い切っ先を、俺は切り返すことができずに口ごもる。
「別に正体を知られるのが悪いと言っているわけじゃない。問題なのは、イサがあの娘に情を抱き始めているということのほうだよ」
「情なんて」
抱いていないと言いかけた俺をソルが右手で制す。
「もし僕が『後々厄介な存在になりうる彼女を今のうちに始末するつもりだ』と言ったら、イサは黙って見ていてくれるかな?」
「それは……。ヒメナには一宿一飯の恩があるし、さすがに見殺しにはできない」
俺の答えを聞くと、ソルは思った通りだと言わんばかりの顔で物悲しく微笑んだ。
「それが『情』だよ。このまま一緒にいればいるだけ、あの娘に情が移っていくのは必然だ。――だけど、今ならまだ間に合う」
まっすぐに、射抜くように、ソルが鋭い眼差しで俺を見る。
「考えてもみて欲しい。もしイサのことを倒そうとする連中が、イサが大切にしている彼女の存在を知ったらどうするかを。おそらくは盾にされるだろうね。そうなった時、イサは盾ごと相手を攻撃できるかい?」
「……」
「それに懸念はそれだけじゃない。真実をすべて知ったあの娘自身がイサを倒しに来る可能性もある。たとえ、あの娘にイサを倒す気がなかったとしても、すべてを知ってしまった以上、誰かに利用される可能性は常につきまとう」
もう聞きたくないと耳を塞ぎ、目を逸らしてしまいたかったが、ソルの鋭い瞳がそれを許さない。
「そうなった時、イサは目の前に立ちはだかる障害を躊躇なく排除することができるかい? ……そんなこと、できないだろう?」
「……俺にどうしろと?」
投げ遣りな俺の言葉に、ソルが小さなため息を吐く。
「最初にも言った通り、僕にはイサに指図する権限はないよ。どうするか決めるのはイサ自身だ」
厳しいソルの言葉が俺の胸に深く突き刺さる。
「もちろん、すべての可能性を考慮したうえで、それでもイサがあの娘を手元に置いておきたいというのであれば、反対はしない。たとえ、そのせいで一人の女の子の人生が狂わされることになったとしてもね」
「そんなこと……」
「酷い傲慢だって? 傲慢でいられるのは、人の上に立つ者の特権だよ。そしてイサは、それが許される立場にある。ただそれだけだよ」
「……」
「それと、もしこの先あの娘がイサの障害となったら、僕はあの娘を殺す。たとえイサに恨まれることになっても……たとえ殺されることになってもね」
真剣な顔と鋭い眼差し。
そして、突き刺すような空気が、今のソルの言葉が脅しではないことを告げている。
「……よく考えて欲しい。まだ何も知らない今なら、まだ完全に情が移りきっていない今なら、まだ間に合う。人間は忘れていく生き物だ。今ならまだ、あの娘とのことは良い思い出にできる。そうだろう?」
まるで大人が聞き分けのない子どもを諭すように、ソルが語りかけてくる。
「すぐに答えを出せとは言わない。よく考えて、そして決めて欲しい」
ソルの真剣な表情が幾分か柔らかくなり、話し方も少し柔和になる。
「自分が、どれほどイサに酷いことを言っているかという自覚はあるつもりだよ。だから、恨みたいのなら恨んでくれて構わない。憎みたいのなら憎めばいい。それで少しでもイサの気が済むのなら……」
そう言って、ソルがわずかに微笑む。
悲しそうに、苦しそうに笑う。
「……ソル」
「答えは2日後、祭りの最終日の夜にきくよ。少し考える時間が必要だろう?」
「ああ、そうだな。……そうしてくれ」
「最善の選択をしてくれると信じてるよ」
穏やかな、それでいて力強いソルの声が俺の胸に響いていく。
「それじゃあ、祭りの最終日までは、僕達と一緒に特別室を使うといい。2人ずつ分かれたら、ちょうどいいんじゃないかな?」
「ああ。すまないな」
「気にすることはないよ。僕達も祭りの最終日を過ぎるまでは自由に動けないし、むしろそれまでイサがここにいてくれて有り難いよ」
いつもの穏やかな空気を身に纏ったソルがにっこりと微笑んだその時、いきなりバタンという乱暴な音とともに誰かが部屋に踏み込んで来た。
突然のことに緊張しながら、開かれたドアへと目を向けると、そこには――。
「あっ、ここにいたのね。兄様」
「リリィ」
俺は緊張を解き、改めてリリィのほうへ向き直る。
「リリィ。人の部屋に入る時は、まずノックをしろ」
「そんな細かいこといいじゃない」
俺の文句をあっさりと聞き流すと、リリィは遠慮なく入って来て、俺のはす向かいに座っているソルの腕を引っ張る。
「兄様。ちょっと来てくれない? 私だと上手くできなくて……」
「構わないけど……」
そう言いながら、ソルがちらりと俺を見る。
その視線に気づいたリリィが、今更のように気遣いを見せる。
「もしかして、取り込み中だった?」
少しばつの悪そうな顔をしながら、リリィが俺とソルを交互に見る。
その様子に、俺とソルは顔を合わせて苦笑した。
「いや。ちょうど話が終わったところだ。なあ、ソル」
「ああ、そうだね。だから気にすることはないよ、リリィ」
「そう? ……それじゃあ、少し兄様を借りるわね。兄様、来て」
リリィに腕を引かれ、ソルがソファーから立ち上がる。
「それじゃ、少し行って来るよ。イサはこのままくつろいでいて」
それだけ言い残すと、ソルはリリィに腕を引っ張られながら部屋を出て行った。




