印は太陽と月、赤緑の医療団
イサ「いまさらなんだが、このコーナーって必要なのか?」
ヒメナ「なっ、何を言うんデスか!? 本編ではヒメナさんから主役の座を奪っておいて、さらにヒメナさんが主役のこのコーナーまで奪おうとするなんて、あんまりデス!!」
イサ「……泣きながら抗議しなくても」
ヒメナ「誰がなんと言おうと、このコーナーは存続させマス! ヒメナさんの自己満足のために!!」
イサ「もう、何も言うまい」
「いや~、良いことはするものデスねェ。おかげでこんなに早くルニガッセに着けそうですヨ」
街道沿いに立てられた案内板を見ながら、ヒメナが手にした木の棒を振って興奮気味に話す。
ちなみにヒメナが持っている木の棒は、文字の練習をするためにその辺から拾って来た物だ。
勉強熱心なヒメナは道中、暇さえあれば地面に向かって文字を書いていた。
そのかいあって今では、俺が書いてやった文字の一覧表を見なくても、すべての文字を書けるまでになった。
仮にもヒメナに文字を教えた身としては、その著しい成長は喜ばしいことだが、今の台詞は頂けない。
「お前は何もしていないだろうが」
「何を言うんデスか。魔物と戦ってるイサを安全な場所から応援してあげたじゃあないデスか」
「それは何もしていないと同義語だ」
カズンの町を出て数日後。
魔物に襲われている荷馬車と遭遇し、なんとなく成り行きで魔物を追い払ってやったら、お礼にと進行方向が同じところまで荷馬車で運んでくれたのだ。
そのおかげで、到底今日中には着けないと思っていたルニガッセに、昼頃には着けそうだ。
「まァ、細かいことは気にせず、早く行きまショウ!」
そう言って駆け出すヒメナの背中を眺めながら、俺もルニガッセに向かって、ゆっくり歩き出した。
「そういえば、これから行くルニガッセはギトカより大きいって聞いたんですケド、本当なんデスか?」
先にいたヒメナが俺の隣りにやって来て、そう尋ねる。
俺はヒメナと並んで歩きながら答えた。
「ああ。ルニガッセはこの国で、王都ルノオンに次―ツ―いで2番目に大きな街だからな。むしろ、街というよりは都市といった感じだ」
「ほぇ~、そんなに大きいんデスか。なんだか、想像ができまセン」
「まあ、行ってみればわかるだろう」
何事も、ただ話を聞くだけよりも、自分の目で実際に見たほうが理解が深まるというしな。
そうして、ヒメナと並んで歩くこと十数分。
ルニガッセの周囲に巡らされた外壁が見えてきた。
「イサ、ルニガッセが見えてきましたヨ!」
ヒメナがうきうきした様子で、俺の腕を引っ張る。
ルニガッセに行くのがよほど楽しみなのか、自然とヒメナの足が早くなる。
だが、大門が見える位置まできたところで、ヒメナの足がぴたりと止まった。
「?」
「イサ……」
訝―イブカ―しげな顔をした俺に、ヒメナが不安そうな表情を見せる。
「あそこ……」
そう言ってヒメナがある一点を指差す。
ヒメナの指差した先には大門の近くの野原で、呑気に寝そべっている大きな竜の姿があった。
無造作に投げ出された尻尾には、銀色のリングが輝いている。
「なんでこんなところに魔物がいるんデスか!? これじゃあ、中に入れませんヨ!」
「……別に大門を塞いでいるわけではないし、このまま進めば中に入れるだろう?」
「何言ってるんデスか! 横を通った時、いきなり襲われでもしたら、どうするつもりなんデスか!?」
その言葉を聞いて、ヒメナの不安そうな顔の原因がやっとわかった。
――なるほど。そういうことか。
俺は内心苦笑しながら、ヒメナの不安を取り除いてやる。
「心配しなくても、あの竜は人に馴れているから、こちらから攻撃を仕掛けない限り、襲ってくることはまずない」
「……どうしてそんなことがわかるんデスか?」
疑いの目を向けるヒメナに、さらに言葉を重ねる。
「竜の尻尾に銀色のリングがはまっているのが見えるだろう? ここからではわからないが、リングにはあの竜の主の情報が刻まれているはずだ。個人の名前、もしくは団体が飼育している場合、その団体の印がな」
そう言うと俺は、まだ疑わしそうな目をしているヒメナを置いて、大門の側で寝そべっている竜に向かっていった。
背後でヒメナが何か喚いていたが、かまわず竜に近寄って行く。
――こいつは翼竜だな。
近くで見ると、その大きさに圧倒される。
緑色の鱗に覆われた巨体。
その巨体を浮かすために大きく進化した両翼。
そして、人間なんて一口で呑み込めそうな大きな口に、そこから覗く立派な牙。
確かに、初めて目にすれば、恐れるのも無理はない。
「ほら。大丈夫だろう」
遠くから様子を窺っていたヒメナに呼びかける。
ヒメナは苦渋の表情を浮かべながらも覚悟を決めたのか、大門に向かってゆっくりと歩いて来た。
こんなにも重い足取りのヒメナを見るのは初めてかもしれない。
「イサ。ほらっ、早くルニガッセに入りまショウ!」
大門へと続く街道から一歩も出ずに、焦った様子のヒメナが竜の傍らにいる俺に声をかける。
竜と一定の距離を取っているにもかかわらず、腰が引けているところを見ると、どうやらそうとう怖いらしい。
そんなヒメナを可愛いと思いながら、少し意地悪を言ってみる。
「そんなに焦ることはないだろう。それよりもこっちに来てみろ。こんな間近で竜を見られる機会なんて滅多にないぞ」
俺の言葉にヒメナが渋そうな顔をする。
それでも俺が手招きすると、恐る恐る近づいて来た。
そして竜の傍まで来ると、一気に駆け寄り俺の背中にしがみついた。
「ほっ、本当に大丈夫なんデスよね? いきなり頭からガブッとかされたりしないんデスよね?」
「ああ、安心しろ。俺が保障する」
そう言うと、ヒメナも少しは安心したようだが、それでも俺の背中に張り付いたまま動かない。
出会って間もない頃なら、ヒメナもこんなふうに自分の弱みを俺に晒すことはしなかっただろうと思うと、少し嬉しくなる。
「ヒメナ、見てみろ。俺の言った通り、尻尾のリングに印が刻まれているだろう?」
自分で意地悪をしておいて矛盾しているかもしれないが、未だ竜を恐れているヒメナをさらに安心させるように言葉を重ねる。
「あの印が何か、ヒメナは知っているか?」
竜の尻尾のリングを指差すと、ヒメナが頭だけを突き出して、銀色のリングを凝視する。
竜の尻尾に光る銀色のリングには、上部に小さな丸、その下に上を向いた横向きの三日月のような印が刻まれている。
その印を認識したヒメナが小さく息を呑んだ。
「太陽と月……。もしかしてこの竜、赤緑の医療団の竜なんデスか!?」
どうやら恐怖心より好奇心のほうが勝ったらしく、ヒメナが俺から離れ、竜の尻尾にはまったリングへと近寄って行く。
「赤緑の医療団を知っているのか?」
ヒメナを追いながらそう問いかけると「勿論デスヨ!」と興奮で頬を赤く染めたヒメナが振り返った。
「赤緑の医療団といえば、この国で知らない者なんていませんヨ! 緑竜で大空を舞い、深紅の髪をたなびかせながら、どこへでも颯爽と駆けつけて、奇跡の技でどんな患者でも治してしまうという医療集団。それが赤緑の医療団デス」
ヒメナが何故か自慢げに赤緑の医療団について語り出す。
「それにカズンで聞いた話なんですケド、なんでも赤緑の医療団の薬師が、とうとうコロリ虫の特効薬の開発に成功したらしいデスよ!」
コロリ虫というのは蜘蛛に似た体長3センチほどの毒虫だ。
この虫に咬まれたら高熱が続き、健康な成人男性でも1週間以内でコロリと亡くなることから、この名がついた。
「これまで治療法がなく、コロリ虫に咬まれたら最期といわれていたのに、これは画期的な大発明デスヨ!」
興奮覚めやらぬ様子のヒメナに、俺はその熱を冷ますような事実を教えてやる。
「喜んでいるところ悪いが、その特効薬にはいくつか問題点があって、一般にはほとんど出回っていないのが現状だ。現にコロリ虫の特効薬が実用化されてから1年近く経つが、あまりそのことを知っている者もいないだろう?」
「えっ、そうなんデスか!? ……残念デス」
一気に熱が冷めたヒメナがしょんぼりとうなだれる。
だがそれもわずかな間だけで、すぐに立ち直って話題を切り替える。
「それにしても、どうして赤緑の医療団がルニガッセにいるんでしょう? 何かあったんですかネ?」
ヒメナのもっともな言葉で、俺はあることを思い出した。
「そうか。今は祭りの真っ最中か」
「祭り?」
「ああ。ルニガッセの祭りといえば、一年に一度、5日間連続で行われる大きな祭りで、その祭りのためだけに各地から大勢の人間が集まって来るんだ。今日は……祭りが始まって3日目だな」
俺の説明をヒメナが興味深げに聞いている。
「それで先程の、何故赤緑の医療団がルニガッセにいるのかという疑問だが、人が大勢集まるということは、当然いざこざも起こりやすいということだし、不慮の事故や病気で医師の手当てが必要な人間も出てくるということだ。だから万一のことがあった時すぐ対処できるよう、毎年祭りの期間中だけ、赤緑の医療団から医師を数名派遣してもらっているのだそうだ」
「ほぇ~、それはまた万全の態勢デスねェ」
ヒメナが感嘆の声を上げる。
そして、自分の中で情報を整理しているのか、腕組みをして目を閉じながら何度も頷く。
「もしかしたら、ルニガッセで赤緑の医療団の方に会えるかもしれないんデスネ。楽しみデス」
パッと顔を上げ、ぐふふふと不気味な笑いを漏らしながら、にやけた面を隠すように両の頬を手で覆う。
そこで、俺はやっとあることに気づいた。
「ヒメナ。木の棒はどうした?」
「え? そういえばありませんネ。いつ手放したんでショウ? ……まァ、必要になったらまた拾いますヨ」
いつもの、のほほ~んとした笑い顔で俺の疑問を軽く流すと、ヒメナが足取り軽く大門へと向かう。
そのまま俺もヒメナの後に続いた。