追憶、そして渇望
ヒメナ「思い出。それは甘酸っぱい青春の1ページ」
イサ「……何故お前がここにいる?」
ヒメナ「イサだけだと『華』が無いからデスヨ」
イサ「お前のどこに『ハナ』が……。いや、そういえば咲いていたな。頭に」
ヒメナ「『ハナ』違いデス!」
「疲れた」
宿屋のベッドに仰向けに転がり、小娘と別れてからの出来事を思い返す。
小娘と別れた後、まず定期的に出ているギトカから王都ルノオンへの乗合馬車に乗るため停留所へ向かったが、魔物に襲われる事件が頻発したせいで、現在は運行停止状態。
いつ再開するか尋ねても未定という返事のみだった。
しかも、何故か質の悪い輩には何度も絡まれ、そのたびに無駄な労力を使わされる羽目になった。
とりあえず今後のことはゆっくり考えようと、リズ村で小娘が言っていたことを参考にして決めた宿屋に宿泊することにしたのだ。
――さて。この後どうするか?
乗合馬車が運行再開するまで待つという選択肢もあるが、待ったところでいつ再開かは不明だ。
もし、再開してもそれが半年や一年後だったら笑えない。
そうなると、別の手段を使うしかないが、馬車以外の交通手段となると、一般的には乗馬か徒歩かの二択しかない。
しかし残念なことに、俺は乗馬ができない。
――まあ普段、移動はすべて翼竜だったからな。
翼竜がいれば馬に乗る必要性はない。
だが、こんなことなら乗馬も習っておけば良かったと今更ながら思う。
――乗馬が無理なら徒歩で行くしかないな。
しかし、徒歩だと当然ながら馬車の倍以上、日数がかかる。
日数がかかるということは、そのぶん金がかかるということだ。
俺は上半身を起こし、ベッドの傍らに置いた荷物から金の入った皮袋を取り出し、中身を確認した。
――ぎりぎり足りるかどうかというところだな。
おそらく、まっすぐ王都ルノオンへ行くことができれば、なんとか路銀が尽きる前に辿り着けるだろう。
だが、旅に不慮の出来事は付き物だ。
そのせいで路銀が尽きてまた行き倒れになったら、それこそ洒落にならない。
「少し手持ちを増やしておきたいところだな」
口からため息が漏れる。
――だいたい何故このタイミングで魔物が頻繁に暴れているんだ?
たしかミニアル村で小娘が、1ヶ月程前から魔物が頻繁に現れるようになったと喚いていたな。
1ヶ月に何かあったか?
しばらく考えたが、特に魔物が暴れるような要因は思いつかなかった。
しかし1ヶ月前に起こったことを思い返していたら、ふとある可能性に行き着いた。
――まさか、俺が城を出たせいか?
だがそう考えると、時期的にも一致する。
この国では、人間と魔物はきっちりと住処を分けて暮らしている。
人間は魔物の巣と呼ばれる魔物の聖域を荒らすことは出来ない。
魔物は町や村など人里を襲うことは出来ない。
それ以外の場所は互いに譲り合い、共存していく。
それがこの国の創始者である初代魔王の時代から決まっている盟約だ。
しかし、その約束は『魔王』という絶対的な存在がいるからこそ成り立つもの。
『魔王』という存在が不在だとわかれば、儚く消え去ってしまう泡のようなものだ。
その証拠に、俺が魔王としての職務を放棄してわずか数日で、魔物が人里近くで目撃されている。
俺が背負っているもの。
『魔王』という称号に課せられた重み。
俺はわかっているようで、本当は何ひとつ理解できていなかった。
――これじゃあ、リクやカイやクウに何を言われても仕方がないな。
あの3人は初代魔王の理念に共感し、この国を創る手助けをしたと聞いた。
その後も初代魔王の補佐として陰ながら支え、初代魔王の死後も次世代の魔王の育成や魔王の補佐として、ずっとこの国のために尽くしてくれている。
それなのに俺は心のどこかで、あの3人は魔王の仕事を手伝って当然だと思っていた。
建国時、もしくは初代魔王の死後にこの国を去っていても不思議ではなかったのに。
脳裏にリクやカイやクウとの思い出が浮かぶ。
リクには、帝王学や歴史といった学術を教わった。
カイには、体術を初め剣や弓など武器を使った武術を教わった。
2人とも厳しくて、幼かった俺は毎日泣いてばかりいた。
そんな俺を黙って慰めてくれたのがクウだった。
あの頃はクウ以外怖くて、俺は嫌われているのだと思っていた。
だが、成長した今改めて思い返すと、また別の感慨がある。
おそらく3人は、それぞれ役割分担をすることで、俺が魔王として成長できるよう心を砕いてくれていたのだろう。
現にこれまでも、俺が本当に傍にいて欲しい時には、いつも3人が傍にいて支えてくれた。
そこまで回想した時に、ふと疑問が頭を過ぎった。
――そういえば、いつも俺の味方をしていたクウが、なんであの時だけは突き放すようなことを言ったのだろう?
俺が激務に耐えきれず、城を出て行くと言ったあの日。
あの時は、頭に血がのぼっていたせいで気にも留めなかったが、いつものクウならリクやカイの意見に同調して俺を追い詰めるようなことは絶対にしないはずだ。
それによく考えてみると、俺が城を出てわずか数日で魔物達の動きが活発化したというのもおかしな話だ。
これまでも自国の視察などで、数日城を留守にすることがあったが、その間に魔物が活発化したことは一度もなかった。
もちろん今回は、正当な理由もなく1ヶ月近く城を留守にしているわけだから、視察で数日留守にするのとは訳が違うが、でもたった数日経った時点で何故それが魔物達にわかったんだ?
――クウの言動といい、魔物の活発化といい、何か裏がありそうだな。
ベッドに腰掛けた状態で、腕組みする。
しかし魔物が活発化しているというわりには、人里が襲われたという噂は聞こえてこない。
おそらくリク・カイ・クウの3人が魔物達の動きをある程度抑えているのだろう。
それなら今回の魔物の活発化とあの3人は無関係なのか?
だが、結論を出すのはまだ早い。
とりあえず、悩んでいても答えが出るわけではないし、リク・カイ・クウが魔物達の動きを牽制しているのなら、すぐに秩序が崩壊するということはないだろう。
それなら、無理してすぐ王都に向かうよりも、ギトカで日銭を稼いでから王都へ向かった方が確実だな。
仕方がない。今日は宿でゆっくり休んで、明日仕事を探しに行くか。
これだけ大きな街なら、おそらくどこかに職業斡旋所のような場所があるはずだ。
そこで、短期でまとまった金が入る仕事がないか当たってみるか。
今後の方針を決めた俺は食事をとるため宿の食堂へ向かった。
そこで出された食事は、豪華で味も良かったのに、何故か1人で食べた料理は酷く味気なかった。
翌日の朝、俺は職業斡旋所で荷馬車の護衛の仕事を紹介された。
期間は5日で賃金もなかなか良い。
何でも急な依頼で、今日の午後からお願いしたいということで相場よりも賃金が少し高めになっているらしいが、俺としては好都合だ。
ただ難を言うと、往復で5日という依頼なので、わざわざ再度ギトカに戻って来なければならないことだ。
だが、あまり贅沢は言っていられない。
多少妥協して、その護衛の仕事を受けることにした俺は、紹介状を持って依頼主の元へと急いだ。
依頼主と簡単な挨拶を済ませた後、一度宿へ行き荷物をまとめた。
午後から護衛の任に着くため、宿から依頼主の元へ戻る途中、昨日黒髪のせいで悪目立ちしたことを思い出し、たまたま目についた地味なフード付きマントを迷わず購入した。
それから護衛の5日間は特に何事もなく過ぎていき、俺は無事に賃金を手に入れた。
すでにギトカの街は夕日で薄紅に染まっている。
今日はギトカに泊まることにした俺は、仕事の前に購入したマントのフードを深く被り直し、5日前に泊まっていた宿へ向かった。
受付で宿泊の手続きを済ませた俺は、すぐに宿屋の浴場で汗を流した。
その後、食堂で夕食をとり、部屋へと戻る。
部屋は個室を希望したため、誰も居らず静かで暗い。
窓から街灯の光が漏れているが、部屋の中を照らすには不十分な明かりなので、室内の明かりを付け、明日の用意をして、早々に床に就いた。
――静かだ。
ベッドで横になり、目を瞑るが、なかなか寝付けない。
何度か寝返りをうってみるが、やはり眠れない。
寝ようとすればするほど、つい余計なことを考え込んでしまう。
――そういえば、小娘と別れてからもう6日が経つんだな。
ふと別れ際に見た栗色の髪が鮮明に甦る。
――今頃、どこで何をしているんだか。
まあ、どこで何をしてようが、俺には関係ないがな。
ただ、俺の通り道で冷たくなって倒れているのだけは勘弁してくれ。寝覚めが悪い。
しばらく、もやもやした気持ちを抱えたまま、ベッドでごろごろしていたが、眠るどころか、ますます頭が冴えてくる。
「駄目だ。眠れん」
とうとう上半身を起こし、顔にかかった前髪を掻き上げた。
――少し夜風にあたって来るか。
こういう時は、少し体を動かした方が案外眠れたりするものだ。
俺は貴重品とフード付きマントを身につけると、夜の街に繰り出した。
夜とはいえ、ギトカの街は街灯が整備されているため明るく、こんな時間でも開いている店がいくつもあるためか、人通りもそこそこある。
俺は余計なトラブルを避けるためフードを頭からすっぽりと被り、宿屋の近くを散策する。
なんとなく開店している店を眺めながら進んでいると、酒場の看板が目に止まった。
「酒場か……」
酒を一杯飲んだ方が眠れるかもしれない。
幸い、報酬を貰ったばかりで手持ちに余裕もあるし。
そう考えた俺は、酒場の戸を押し開け、店内に足を踏み入れた。