七 ギャラリーと児童館
日曜日、豊嶋は耳に、つまりは頭に包帯をしたまま、美術ギャラリーのオープニングセレモニーへ予定通り出席して、周囲を驚かせた。
茂と高原の警護は土曜日いっぱいで予定より早く終了でよいとクライアントの豊嶋からは申し出があったが、念のためということで、予定通り日曜日も実施されている。そして豊嶋から、予定にない訪問先について、同行してくれるよう高原に依頼があった。
路上でギャラリーの周回警護をしていた茂に、高原から携帯電話で連絡があり、茂は内容を聞き顔をひきつらせて固まった。
児童館と併設してある市民センターの、小さなホールで、「市民センターカルチャー講座公演会」が行われていた。さすがにファンクラブの情報網を逃れられなかった模様で、嫌になるほどの大量の女性たちが列をつくっている。入場は地元市民が優先のため、彼女たちの座席争いの競争率は熾烈である。
英一は児童館のボランティアを通じた縁で、今回この公演にも無料で出演していた。彼の出番は、市民センターのカルチャー講座で稽古している一般の人々の発表会を挟んだ、最初と最後に盛り込まれている。
狭い舞台袖の入口で英一が最初の出番を終え廊下に出てきたとき、出待ちの女性たちに混じって、見覚えのある男性二人が英一の目に入った。英一は他の女性たちに一礼して詫び、その二人を促して、再度舞台袖に向かい、三人は幕や機材に囲まれた狭隘な空間で向き合った。
豊嶋と高原だった。
「すばらしい舞でしたよ。」
豊嶋が称賛する。英一は一礼する。
「そのお怪我は・・・」
高原が密かに苦笑した。英一が事情を知らないはずはない。
「私のとばっちりで。・・・この人は、警備会社の、ボディーガードです。私の過去の悪行のせいで、私は被害妄想に囚われて、彼を雇いました。そうしたら本当に、襲われてしまいました。全然関係のない、行きずりの暴漢にですけどね。まあ、天罰というやつです。」
「・・・・」
「今日は、本当のことをちゃんと申し上げた上で、これからも、うちの園児たちをよろしくお願いしたい・・・そのお願いに、参りました。」
「・・・・・・」
「私は、園児の安全を守れなかったことを棚に上げて、自分ばかりを守ろうとした人間です。ここにいる、ボディーガードさんたちが、自分より他人の安全を優先しているのとは、まさに百八十度違う人間です。そんな私に、天は、十分な罰さえくれません。でもこの先私にできるのは、やはり、自分の仕事をがんばることだけなんだと、思います。誰かに一生許してもらえないとしても、それしかないんだと思います。これから、園児たちを、大切に保育していくことだけを、がんばります。蒼英先生、貴方のようなすばらしいボランティア講師は、なにより大切なかたです。これからも、ずっとずっと、子供たちのためにここにいてやってください。勝手なお願いではありますが・・・」
英一は黙っていた。高原のほうを見る。高原は腹がたつほど人好きのする笑顔で英一を見返していた。
豊嶋は、はっと我に返ったように、顔を赤くした。
「す、すみません、自分のことばかりこんなに話してしまって・・・・。お時間のないところ、申し訳ありませんでした。では、これで・・・」
豊嶋は深く頭を下げ、先に階段を下りていく。高原が、振り向いて、英一に言った。
「昨日は・・・葛城の手助けをしてくださり、ありがとうございました。お恥ずかしいところを、お見せしたかもしれませんね。」
英一は心から湧き上がるような、彼には珍しいような温かい微笑みを浮かべて、答えた。
「・・・いえ、逆に安心しましたよ。葛城さんも人間なんだとわかりましたから。欠点がない人間なんて不気味ですからね」
豊嶋と高原が客席に入ると、園児たちの一団から一人の幼児が二人に近づいてきて訊ねた。
「せんせい、そのおケガ・・・どうしたの?」
豊嶋が、しゃがんで、答える。
「知らない、悪いひとにおそわれたんだよ。私がうっかりしてたのが、いけなかったんだ。」
「ふうん。」
「でもね、ここにいる警護員さんが守ってくれたから、ちょっとだけのケガで、助かったんだよ。」
「ふうん。ケーゴインさんって、えらいの?」
「すごく、えらい人たちだよ。」
幼児は長身の高原の、自分よりはるか上にある優しそうな顔を見上げた。
「じゃあ、ボクも・・・・大きくなったら、ケーゴインさんに、なる。」
大森パトロール社の事務室で、最終日にもかかわらずいつもどおり二十分で警護レビューを終えた高原がさっさと帰っていった後、茂は後片付けを手伝いながら、葛城におずおずと訊ねてみた。
「あの、高原さんも、葛城さんも、これまで・・・現場で危険な状態になったことって、よくあったんですか?」
「あまりないですね。そういう意味では、実際に危険にさらされたときの経験値が不足しているのかもしれません。」
優秀な警護員ならではの悩みというか、パラドックスなのかもしれない。
「あの・・・麦茶、飲みますか?」
葛城はいつもの禁断の笑顔・・・本人の責任ではないが事実としてあまりにも艶なため業務中に不似合な微笑・・・になり、頷いた。
グラス二つに茂がピッチャーから麦茶を注ぐのを見ながら、電動車いすの上で少し背筋を伸ばすようにして、葛城が茂の顔に視線を移す。茂を見ながら、葛城の顔がいたずらっぽい笑顔になっている。
「河合さん、今日はどんなお話ですか?」
「ははは・・・。えっと、あの・・・今回と前回の警護で、葛城さんと高原さんが予定外の事態や危険な目にあったのは、つまりこれまでにはないようなことだったわけですよね?」
「そうですね。」
「彼らに、彼らの正体に、こころあたりは、ないのですか?」
葛城の表情が、少し曇る。
「前回の警護でも、今回の警護でも、あきらかに、何らかのプロ集団が、我々の行く手に立ちふさがりました。たしかに、そうです。」
「彼らが誰なのかわからないと、この先も同じことになる恐れがあるわけですよね。なんとか、調べる方法はないんでしょうか。」
「方法ですか・・」
「そ、蒼風樹さんや今回の鈴木さんに聞いてみるとか・・」
「無駄でしょう。」
「・・・・」
「まず彼女たちは教えてくれないでしょう。仮に教えてくれたとしても、相手は専門家です。依頼人と、我々のような者とは、簡単に区別してくるでしょう。」
「そういうものなんですね。」
「ああいった類の集団は、無数にあります。技術の高いところからそうでないところまで、色々。今回と前回、同じ相手だとすると、非常に高い技術を持っている人々です。」
「・・・・・・」
「でも、一番こわいのは、そのことではありません。彼らがおそらく、依頼人から、極めて高い信頼を勝ち得ていること。そして集団の結束が非常に強固であるらしいこと。これが、なにより、脅威です。」
「そうなんですね。」
「でも、そのことは、考えても仕方がありませんよ、茂さん。彼らの目的さえ、はっきりしません。敵という確証だってなにもありません。」
「・・・つまり、可能性がいくつあるとしても・・・我々の仕事はそのすべての可能性からクライアントを守る・・・」
「そう、それだけなんですから。」
茂は麦茶をぐっと飲みほし、それからかなりたってから、あることに気が付いた。
「葛城さん、今、俺を名前で呼びませんでした?」
「はい。イヤですか?」
「いえ、光栄です!なんか、晶生って呼ばれている、高原さんに、一歩近づいたみたいで」
葛城はくすくす笑いながら、茂に言った。
「茂さん、まだ気づいてなかったんですね。晶生の、貴方を呼ぶ呼び方も、もう変わってますよ。」
「あ・・・・」
「河合くん、から、河合、に、なっているでしょう?」
茂はくすぐったいような気持ちになりつつも、しかし、葛城を怜さんと呼んでいいですかとは、さすがに言い出せずにいた。
(第二話おわり)
「ガーディアン」第二話完結しました。間もなく第三話掲載開始いたします。よろしくお願いいたします。