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四 児童館と公演会場

 日曜日の午後のお楽しみの公演・・・とクライアントが言っていたのは、むろん、日本舞踊三村流地唄舞の公演である。

 茂は無念無想の境地である。


 茂が無念無想で午前中の警護会場である絵画教室兼美術ギャラリーへ向かっていたころ、前日の土曜日のボランティア講師をしていた児童館で、英一が受付のカウンターにいた。午後の公演前のあわただしい時間帯に、忘れ物に気付いてやってきたのだ。

「あの、これ、もしもまだ間に合うようでしたら・・・」

 児童館の受付の老人と中年の女性に、午後の公演のチケットを手渡す。

「いつもお世話になっているのに、お渡しするのを忘れていてすみません。確か今日の午後、お時間大丈夫とのことでしたよね?」

 受付のふたりは感嘆の表情で英一を見上げていた。

「三村さん、出番は・・・あ、最後から三番目だねえ。」

「夕方四時ごろですから、ここを三時に出られても間に合いますよ。ぜひお待ちしております。」

 中年女性がにこにこしながら受付窓口越しに英一を見る。

「三村さんはこんな有名な踊り手さんなのに、こんな児童館でボランティアしてるなんてほんとに偉いね。」

 英一は、ほかのどこでも見せないような、恥ずかしそうな顔をした。

「いえ・・・・俺が、その、楽しいですから、・・・」

「子供が、好きなんだねえ。あんたは。」

 老人が目を糸のように細くしながら言った。英一の顔がさらに居心地悪そうになる。

「たくさんの子供たちの前で、あんたは、いつも極楽にいるみたいな顔してるからね。」

「い、いえ、未来の弟子を開拓したいだけですよ。それだけですよ。」

 老人と中年女性は顔を見合わせて笑う。中年女性が英一を手招きした。 

「ちょっとお茶でも飲んでいきなさい。五分だけ五分だけ。」

「は、はい。」

 受付カウンター横のドアから英一を招き入れ、小さなテーブルの横の椅子に座らせ、中年女性はポットから急須に湯を注ぐ。

「豊嶋さんも、少しは三村さんのあったかさを手本にすりゃいいのにね。」

「そうだよねえ。あっちは子供相手の商売なら本業なのに。」

「誰ですか?」

「うちによく園児を連れてきている、保育所の業者さんですよ。なんとか・・・保育サービスの、社長さん。」

「うちの市の保育所とか、市立病院の託児所とか、あちこち手広くやっておられるけど、あの事件のこと、もうみんな忘れてきちゃってるんだかね。」

「何があったんですか?」

 社交ダンス教室帰りの高齢者の集団が受付窓口の前を通過し、中年女性は少しだけ声を低くした。

「市の施設にいっしょになってる保育所があってね。そこで、園児が亡くなったのよ。そう、ちょうど・・・二年前の今頃だったよ。豊嶋さんの会社はね、そこの請負の業者だったの。園児が死んじゃって、市役所の人が園児のお父さんお母さんに色々説明をしたらしいけどね。でもやってたのは豊嶋さんの会社でしょ。なのに張本人の保育士さんは辞めて連絡つかなくなるわ、社長も全然出てこないわ、ほんとひどいほっかむりだったんだって。」

「園児が亡くなったのは、保育士さんの不注意とかなにかだったんですか?」

「わかんないのよ。検死っていうの、そういうのもやったみたいだけど。あ、解剖だっけ。でも、なんで亡くなったのかわからなかったみたいね。」

「裁判にはなったんですか?」

「警察に訴えたらしいけど、えっと・・・罪にはならないって、裁判所に言われたみたいよ。今は、別の裁判始めたらしいけど、豊嶋さんが仲間と話してるの聞いたことあるわよ・・・豊嶋さんたちが勝てることは間違いないんだってさ。」

「そうなんですね。」

 英一は昨日遭遇した茂が警護していた背の低い中年男性のことを思い出していた。

「もしかして、昨日の日本舞踊教室も、見にこられてました?その社長さん。」

「ああ、来てたよ。最近はいつも若い社員さんつれてるね。」

「あの、立ち入ったことをうかがってもいいでしょうか・・・?」

「なに?」

 もうさっきから話が十分立ち入っているが、英一は遠慮がちに訊いた。

「園児のご遺族は、豊嶋さんに復讐する、というようなことを言ったんですか?」

 老人と中年女性はきょとんとした顔をした後、目をまるくして首をふった。

「そういうのは、聞いたことないよね?」

「ないね。」



 街の中心の、ギャラリーが多く軒を連ねる通りで、茂は時間より少し早く到着し、路上でクライアントと高原を待った。絵に興味を持つ若い社員を一緒に連れてきた、ということで、絵画教室も高原を連れて受講するらしい。高原が茂の後ろから歩いて現れた。肩をたたかれ、振り向いた茂は朝から無念無想を早くも破られた。

「た、高原さん・・・」

 高原はベージュの大きなエプロンをつけている。

「おはよう、河合くん。」

 有能かつ快活な外科医か科学者のような高原の容姿に、あまりにも似合わない巨大エプロンの意味がやっと茂にもわかった。

「高原さん、絵を描く気まんまんですね。」

「もちろんだよ。」

 高校で科学の教鞭をとったら生徒から勉強のことだけではなく、その他色々な相談もされそうな、あたたかく、人好きのする笑顔で高原が答える。

 息子さんの運転する白い車に乗った豊嶋が到着した。降りてきた豊嶋は高原の姿を見て満足そうに大笑いし、ふたりは仲良くギャラリー兼絵画教室へ入っていく。息子さんの車が走り去るのを見送りながら、茂は自分も絵画教室に誘われないことだけを祈った。

 ギャラリーの右隣も左隣もギャラリーだ。間口が狭く、奥行きが深そうである。葛城の事前調査資料で隣接する施設の構造もほぼわかっている。茂は、警護員研修で学んだことを頭によみがえらせながら、集中して建物まわりに目を配る。・・・襲撃されたときに防ぐのではなく、襲撃できる機会をつくらないこと。それは当たり前のことばかりであり、同時にまさに「言うは易し」な事々・・・・たとえば、物陰の近くに寄らないことであり、人目の届かない場所に長居しないことであり、そして・・・。

 そういえば、初日にクライアントの買い物に同行したとき、茂の記憶になんとなくひっかかるものがあったが、それがなんなのか、今日になってもちょっとよく分からないでいた。が、ふと気づいて、もう一度葛城のつくったルートマップをよく見返してみる。

「ん・・・・」

 1時間後、二人の絵画教室仲間と談笑しながら豊嶋と高原が出てきた。高原は絵具だらけのエプロンを外しながら豊嶋以上に笑顔で今日会ったばかりの年配の生徒二人としゃべっている。

 これから四人で近所の喫茶店でコーヒーを飲んだあと、舞の公演を見に行くことになっているはずだ。茂は少し距離を開けて四人に追随する。茂はさっき開いたルートマップをそのままにして、高原と画面を交互に見比べた。

「えっ」

 几帳面な葛城が完璧に入力したルートマップには、すべての曲がり角、置いてあるもの、隠れる影になりえるもの、何かを落とす落下点になりそうなところ、つまりはリスクのあるポイントが、数メートルおきレベルのメッシュで表示されている。今回の警護は半年前から依頼がされていたというから、前回警護のときよりさらに情報は細かい。そして、高原は、そのポイントポイントの全てにおいて、必ず危険ポイントの方向が、クライアントと自分と三角形の関係になるような位置取りをしていた。数メートルおきに現れるすべてのポイントにおいて、である。

「高原さん、ルートマップ全部記憶しているのか?」

 そこまでなら、しかし葛城もやっていた。ただし葛城は、クライアントから離れた位置での警護だったこともあろうが、自分の位置取りをクライアントに合わせて常に調整するということまではしていなかった。しかも、今回の高原は、クライアントと談笑を続けながら、それをしているのである。

 クライアントの横に立ったり、ちょっと話に興奮した様子で二、三歩前に出て振り返ったり、クライアントの後ろを回って絵画仲間の老人の肩をたたいたり、あの自然に見える動作は、すべてたったひとつの目的のために計算されたものなのだと、やっと茂は気がついた。

 襲撃できる機会をつくらないこと。言い換えるならば、襲撃ポイントと自分との間にクライアントを入れないこと、自分の前方の視界の範囲にそれらが必ず収まっていること。これらを、三人の人間と大笑いしながら、バカ話をしながら、完璧に満たしているのだ。

「警護の仕事は、小さな完璧を積み重ねることです」・・・研修講師が、確かそう言っていた。茂は、今日、そのひとつの具体的な見本を見ているのだった。

 喫茶店での滞在時間中、茂は四人から離れたテーブルに座りジンジャエールを飲みながら、警護以外のことをつい考えそうになる自分をコントロールするのに苦労した。豊嶋と高原を盗み見しながら、どうしてもシミュレーションしたくなってしまうのだ。・・・自分が犯人だったら、どうやって、豊嶋を襲うだろうか。あの高原の警護の壁を、いったいどうすれば、破ることができるだろうか。仕事上の必要からではなく、純粋な挑戦心で、考えてしまう。

 ・・と、四人のテーブルから激しい大笑いが沸き起こり、茂ははっと我に返る。見ると、高原が、ストローを鼻に指してアイスコーヒーを飲んでみせていた。

「・・・・・・。」

 あれは、警護には関係なさそうだと、茂は確信した。



 深呼吸し、無念無想に戻ってホールに入った茂の目にも、ロビーで三十人ほどの女性客に取り巻かれチラシにサインをする英一の姿は、どうしても目に入った。そして、英一も茂を見つけた様子で、女性たちに笑顔で一礼し、ずんずんこちらへ歩いてくる。茂はぎょっとして逃げ場を探したが、英一は茂ではなく豊嶋のほうへ歩いていった。

「すみません、ときどき児童館にいらっしゃっているかたですよね?そこでお世話になっている、三村です。児童館のかたにうかがったのですが、わたくしの教室をご覧くださって、今回チケットを買ってくださったのだとか・・・。おっしゃっていただけたら、差し上げましたのに・・・。ありがとうございます。」

 英一にこんなに礼儀正しいしゃべりかたが出来るとは知らなかった茂は、あきれながら見ていた。豊嶋は愛想のよい笑顔で英一を見上げる。

「三村蒼英さんからこんなお言葉をいただくとは、光栄ですなあ。改めまして、豊嶋と申します。私は舞と能に目がなくって、ずいぶん拝見しておりますが、三村流はなんといっても気品が違います。別格ですよ。」

「身に余るお言葉です。」

 茂は三村流は相変わらず商売上手だと感心しつつも、やはり英一の様子が多少不自然に思われ、高原のほうを見た。高原はさっきまで鼻からコーヒーを飲んでいたとは絶対に信じられない、快活かつ知的な表情で、にこにこと二人を見守っている。

「今日は私の茶道教室仲間と絵画教室仲間も、何人か来ているかもしれません。この公演は絶対観るべきだと、かなり強く勧めておきましたからね。」

「それはありがとうございます。それにしても豊嶋さん、多趣味でいらっしゃるのですね。」

 豊嶋は褒められて顔を紅潮させてはっはっはと笑った。

「仕事のストレスもきれいに発散できますし、新しい活力をくれますよ、趣味というのは。今度の週末も茶会に、日曜日は美術ギャラリーのオープニングセレモニーですわ。恥ずかしながら私の作品も展示されることになりまして。」

「それはすごい!」

 気が付くと英一と豊嶋は、高原にシャッターを切らせてツーショットの記念撮影までしている。

 

 三村流の定期公演を最初から最後まで観たあと、茂はようやく英一関係の場所から解放されるとほっとしたが、ヘッドフォン型携帯電話に、高原から電話がかかってきてどきりとした。数メートル前の客席にいる高原が、こちらをちらっと見て、すぐに目をそらし、申し訳なさそうに電話越しに茂に言った。

「すまん、河合くん。今日も警護時間延長だ。クライアントが、三村蒼英と、これから食事することになった。」

「・・・・っ!」

「大丈夫、レストランはこのホールの庭の離れだ。すぐに終わるよ・・・・きっと。」



 ホールを出ていく観客たちに混じって、和泉はかなり焦っていた。吉田がみつからないのだ。前回はどこにいても、仕事を終えた吉田をすぐに発見できたのだが。

「吉田さん、まさかなにかあったんじゃ・・・」

 そんなはずがないことはよく分かっていても、少し心配になってしまう。

 しかしその直後、ようやく上司の姿を発見したとき、和泉は今までみつけられなかったことに大きく納得した。

 出口側であるこちらへ向かって歩いてくる和服姿の中年男性と、並んで歩いてくる女性。あれが「たぶん」吉田のはずだ。中年男性は背が高くがっちりとしていて、粋な着流しがよく似合っている。そして隣にいる女性は、和泉がきいていたとおりの服装、髪型をしているが、予想とまったく異なる点があった。

 和泉が見ても、いったい誰だか、まったくわからないのだ。

「酒井さんが言ってたのは、このことなんだ・・・・。」

 事務所での酒井との会話を思い出す。

・・・「和泉、なんか不安なことでもあるんか?さっきからなんべん鞄の中身出し入れしとんねん。」

「だって、前回の仕事でからみのあった三村流の関係者がたくさんいる場へ、わざわざ行かれるなんて・・・。吉田さんとはっきり面識のある蒼風樹さんはさすがにいないとしても、危険すぎます。」

「そのくらいのリスクは、恭子さんにとってなんでもないで。そんなことより、一分一秒でも長く準備時間を確保することが、百倍重要や。」

「それはそうですけど・・・」

「心配いらんよ。まあ百聞は一見に如かずやけどな。今日の恭子さんは変装してはる。恭子さんみたいに、外見にあんまり特徴のない人間は、そりゃもう、化けるで。」

 背の高いがっちりした中年男性との談笑を終え、彼がホールの外に出ていくのを見送った吉田は、ゆっくりと和泉のほうを見て、そして目で和泉を促し一緒にホールを出た。

 間近で吉田の顔を見た和泉は、どきりとした。きれいな色のポイントメイクをし丁寧に化粧した吉田の顔は、同性でも引き付けられるほどの色っぽさである。たっぷりした黒髪のウイッグ、黒のツーピースに青い石のチョーカー。色っぽいが下品ではなく、魅力的なやり手の女性という感じだ。

「お疲れ様でした、吉田さん。」

しばらくしてやっと和泉がそう言うと、吉田はいつもの静かな微笑みで部下の顔を見ずに答える。

「ありがとう。今日はわりと時間がかかったわ。お待たせしちゃったわね。」

「あの、ほかにも何か、お手伝いできることがありましたら・・・」

「そうね、それじゃあ・・・」

「はい」

「酒井の乗ってきてる車で、自宅まで送ってもらえる?今日は朝から喋りづめで、さすがに疲れたわ。」

「酒井さんが来てるって、ご存じだったんですね。」

「あれの行動パターンは、シンプルすぎるもの。」

 和泉はリアクションに迷いながら、近くの駐車場で待っている酒井に電話を入れた。弱い風が通り過ぎ、吉田の黒い衣装からほのかな香水の香りがした。



 小ぢんまりとしたコンサートホールを夕闇が包む頃に、緑の中の小さな離れになっているレストランは豊嶋の一行のほかはあと一組だけ客が入っていた。

 着替えや挨拶があるので遅れてくる英一を待ちながら、豊嶋は高原と斜向かいに座りすでにビールを飲んでいる。ノンアルコールだったが。茂は豊嶋がさんざん誘ったが、警護業務に差し障ると言って(実際そうである)なんとか固辞することに成功し、レストランの外で待機している。

 レストランに三組目の客がにぎやかに笑いあいながら入ってきた。豊嶋が「蒼英先生は来たかな」とそっちを見たとき、高原は反対方向へ顔を向け滑らかに立ち上がり、足音もなく近づいていた英一とテーブルの豊嶋との間に現れ、英一へあたたかい微笑みを向けた。

「お待ちしておりました。社長が蒼英先生はまだかまだかと大変で。ささ、こちらへ。」

「よく、俺がこっちから来るのがわかりましたね。」

「・・・・」

「ホールと反対側にあるあっち側の入口は、このホールをよく使う関係者以外は、普通は気が付きません。」

「ははっ。蒼英先生のオーラを感じたんですよ。」

 笑顔を崩さず案内する高原に連れられ、英一が豊嶋の向かいの席についた。高原が英一の前で一発芸をしないことを祈りながら茂が外から見守る。

 食事が始まり、遠目にも、話が盛り上がっていることがわかる。英一はこちらに背中を向けていて表情はよく分からないが、驚異的な愛想のよさでいちいち豊嶋の話に相槌を打っているようだ。

 一時間ほど経った頃、高原がなにかを落としたふりをしてちょっとテーブルから体を外し、素早く茂に携帯で連絡してきた。

「河合くん、もうすぐ豊嶋さんの息子さんが来るけど、心配ないよ。」

 本当にやってきた。駐車場からの階段を上がってきて、走ってレストランへと入っていく。両手で紙袋を抱えている。茂ももうよく覚えた、大学生らしい感じの息子はそのままテーブルの残りの席に座り、紙袋からさらに個別に紙袋に入れられた小さな絵画らしいものを二枚出している。絵は食事の終わったテーブルの上でお披露目をされているようだ。

 そして豊嶋は英一にそのうちの一枚を選ばせ、英一は一枚を選び感謝して受け取っている。絵をもらったようだ。

 その後しばらく豊嶋と高原は何度か言葉をやりとりし、高原がついに押し切られたような様子で立ち上がり、豊嶋に一礼した。豊嶋が会計をする。再び高原から茂へ連絡が入る。

「息子さんの車で、今日はこれで帰るから、本日の警護はこれで終了してほしいそうだ。」

「そ、そうなんですね。了解です。一応駐車場まで俺が見届けます。」

 豊嶋親子が車で出発するのを見届けて茂がレストラン外の同じ場所に戻ってくると、高原と英一はなぜかまだ店の中で、立ち話をしていた。仕方なく茂はさらにそのまま店の外で待つ。

 二人の立ち話が始まった理由は、レストランを豊嶋と息子が出たとたんに英一が顔から笑顔を消し、高原のほうを振り向いていきなりの質問を浴びせたからである。

「大森パトロールの、警護員さんですよね?」

「ええ?」

「百もご承知とは思いますが、俺は貴方と同じ警備会社の、葛城さんにお世話になったことがあります。今回も貴方と一緒に警護をしている、河合にも。」

 高原は肯定も否定もせず、優しい表情のままじっと聞いている。

「俺は、ボディガードという仕事を、それまで軽蔑していたんですよ。カネさえもらえば、どんな人間のクズも、何も考えず腰ぎんちゃくのようにお守りする。」

「なるほど?」

「でも、河合も、葛城さんも、そういう類の仕事をしているわけではなかった。」

「・・・・」

「俺は正直、尊敬しました。しかし・・・」

「しかし、今回のこれは、いったいなんなのだろうか、と?」

 英一の言葉に高原は初めて普通に言葉を返し、英一が頷いた。

「豊嶋の事件について、過去の新聞記事と市役所のインターネット公開文書を、ざっと読んでみました。・・・あなた方も当然やっておられることでしょうけれど。」

「三村さんは、勉強熱心なんですねえ。」

 高原の、人好きのするあたたかい笑顔は少しも変わらない。

「昨日も今日も、貴方の警護は、まったくの隙なしです。さきほど俺の接近を阻んだのもそうでしたが、貴方は、相当に技術の高い警護員ですね。たぶん・・・あの葛城さんよりも、さらに上でしょう。」

「・・・・」

「貴方がたが・・・大森パトロールさんが、豊嶋のような人間を警護する理由は、何ですか?」

「・・・・」

「それともやはり、貴方がたも結局は、カネがもらえるなら何でもやるんですか。」

 よく似合うメガネを右手で少し直し、英一の目をじっと見て、高原は答えた。

「悪人を、懲らしめたら、世間から褒めてもらえることでしょう。たしかに。」

「懲らしめよとは言っていませんよ。」

「私も、葛城も、大森パトロール社の始まりからのメンバーですが、我々は自分たちの責務は、なにかを判断することだとは思っていません。」

「・・・・?」

 すっかり日が暮れた庭の森に、風ひとつない夜が訪れて、頭上で回転するシーリングファンの音が大きく響いて聞こえてくる。

「三村さん、貴方は、正義が何であるかを、判断しておられます。しかしそれは、貴方の価値観によるものです。」

「間違っていると言うんですか。」

「いいえ。一人ひとり、正義は違うということです。ですから我々が基準にするのは、法であり、それ以上も以下もありません。」

「・・・・」

「違法な攻撃の被害に遭いうる人間は、すべて我々のクライアントになりえます。そして我々は、クライアントを守るためには、違法なこと以外はどんなことでもします。」

 英一は黙って高原の顔を見ていた。

 その表情からは、彼が納得したのかしないのか、あるいは話すのをあきらめたのかは、わからなかった。



「何を話していたんですか?」

 ホールから最寄駅まで徒歩で移動しながら、茂は声を張り気味にして、横を歩く高原に訊いてみた。

 道路を行きかう車の音で、互いの声はかなり聴きとりにくい。

「河合くんの噂話だよ。前の警護のとき、活躍したんだってね。」

「絶対ちがいますよね。」

「もっと自信持ちなよ。」

「葛城さんや高原さんを見ていると、俺が自分に自信持つなんて永遠に無理そうです。」

「はははは。」

 高原はこっちから行こう、と、道路を渡る歩道橋の階段を駆け上がり、茂もついていく。上がりきると、橋の上は地上の歩道よりずっと静かだ。

「怜も・・・葛城も、最初は酷いもんだったよ。信じられないかも知れないけどさ。」

 立ち止まり、橋の上から下の道路をちょっと眺めて高原が言った。

「奴は、俺と一緒に大森パトロールに入ったんだが、俺はすでに一年くらいは経験があったが、奴はまったくの初心者だった。事前調査の細かさは今と変わらなかったが、その細かさをクライアントにも強要していた。移動時警護では、歩道を歩くときのスピードから車道からの距離、電車で乗る車両とドアまで指定して、当然のごとくクレームになってた。」

「へえー」

「襲撃犯と思われる人間を、実行行為に着手する前に取り押さえてしまい、俺に怒鳴られた上に社長から大目玉を食らったこともある。」

「ははは・・・・」

「そんなあいつも、今ではいっぱしの警護員だもんな。」

「有能なガーディアンだ、と波多野部長もおっしゃっていました。」

「仕事も場数を踏んでくると多かれ少なかれ惰性が出てくるのが普通だが、怜は・・あいつはいつもこれが最初で最後の仕事みたいに、空気を呼吸するみたいに、自分の全部を捧げるんだ。いつも、いつも。」

 地上の道路から目を離し、ビルの隙間の夜空へ視線を移しながら、高原はあたたかさよりうれしさが勝ったような微笑みを浮かべて、言った。

 茂は幸福な空気が胸に満ちるような思いで高原の横顔を見つめる。

「怜をみていると、自分も今よりもっと、真摯な仕事をしたいと思うよ。毎回、そうだよ。」

 やはり自分が自信を持てる日はかなり遠そうだ、と、茂は思い、しかしそのことがひどく満足な自分が不思議でもあった。同時にまた、別の意味で、この二人の先輩警護員を、とても羨ましいと思った。

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