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三 クライアント宅と事務所

 茂にとっての初日である土曜午後の警護は、短時間のクライアント知人宅訪問を除いては、骨董屋めぐりで終わった。豊嶋は古い浮世絵や西洋画、茶道具や書画を集めるのが趣味とのことである。

 高原と豊嶋を乗せた車が豊嶋宅の車庫に入り、先に着いていた茂が道路の斜め向かいの電柱の陰から手をふる。

 車から降りてきた高原と豊嶋が手招きしている。茂が走っていくと、豊嶋が笑顔で「お疲れ様でした、これから高原さんとうちでお話するんですが、よろしかったらご一緒に。お夕食も用意してありますので。」と言う。警護終了時刻を過ぎても一緒にいたがるクライアントはしばしばいる。大森パトロール社では基本的にそうした場合、断らないことになっている。

 豊嶋の自宅はそれほどの豪邸ではないが細部まで神経の行き届いた、贅沢なつくりだった。細君が出迎え、客間に高原と茂を案内する。お茶が出され、細君が部屋を出て行ったのと入れ替わりに豊嶋が入ってきた。二人にお茶を勧める。

「今日も本当にありがとうございました。三十分ほどでお食事の用意ができますので。それまでの間、高原さんに今日は特別レクチャーを受けられるんだそうで。」

「?」

 よく見ると豊嶋はすでに部屋着に着替えている。

 テーブルの上に豊嶋がノートを広げ、高原にペンを渡し自分も手にした。茂がぽかんとして見つめる中、本当にレクチャーが始まった。

「5点お話しましょう。まず、腕をつかまれたときの外しかた。次に、体を後ろから羽交い絞めにされたときの抜け方。そして、鋭利な武器を向けた相手への対応。それから、ロープで縛られたらどうすれば抜けられるか。最後に、車が水中に入ったらどうするか。」

「ふむふむ」

 豊嶋はノートに項目を箇条書きにしていく。

 茂はあきれた。護身術の講義だ、これは。


 テーブルを客間の隅によけ、高原は立ち上がり、同じく立ち上がった豊嶋の腕をとり、文字通り手取り足取り教えはじめた。腕をつかんだ相手の手を見て、どちら側にどう抜くか。腕のどこをどうすると相手の力が抜けるか。豊嶋に、自分の腕をつかませたり、自分に後ろからつかみかからせたり、ペンをナイフに見立てて切り付けさせたりして、ゆっくり見本を見せていく。茂の専門分野ではないが、たぶん合気道の動きを、ごく単純化したもののようだ。茂は、豊嶋が、高原と対峙すると身長差が大きく電柱とセミのようであるが、不器用ながらなかなかよく真似しているのでちょっと感心もした。

 気づくと二人は今度はテーブルでノートを挟み話している。さっきの組み合い(?)の絵を豊嶋が描いているが、なかなか絵心があるようだ。そして豊嶋が描いた両腕の絵に、高原がロープの絵を描き加え、だいたいこういう風に結ばれますからここをこうして・・・と図解している。そのうち今度は自動車の絵が登場し、水中に車が入ったとき、その水没度合いに応じてどこをどういう手順で操作し脱出するか、順を追って解説が書き込まれていく。

 茂は警護員研修を思い出した。こうした内容の研修は、それ以外のあらゆる警護員の技能と同様、今も定期的に受講している。

 しかしもちろん、こうした物理的な護身術は、警護員に必要とされる技術・能力全体に占める割合は、ほんのわずかでしかない。ボディガードという仕事から世間一般の人々が想像するであろう、力技は、警護の実務では九十九%登場しない。登場させないことこそが、成功した良い警護であるからである。

 ましてや、クライアントに、物理的な護身術をレクチャーしている警護員など、みたことがない。

「ふうー。なんだか、気持ちが落ち着いてきました。ありがとうございます。」

 豊嶋は何度か護身術を高原を練習台にして実践してみた後、汗だくになって畳の床にあぐらをかいて座った。細君が現れ、お食事をお持ちしましたよと声をかける。

 元の位置に戻されたテーブルに、夕食の皿が並ぶ。

「ささ、どうぞご遠慮なく。明日は午前は絵画教室とギャラリーです。午後はお楽しみの公演ですな。その後、今日のお礼に、お二人の肖像画を描いて差し上げますよ。」


 茂と高原はその日の夜遅く、大森パトロール社の事務所に戻った。携帯で連絡したのでわかっていたが、葛城は本当に事務所に泊まり込んでいた。三人は今日の警護内容のレビューと、明日の予定を確認する。特に問題は何も発生しておらず、翌日の予定の変更もなかったため、三十分程度で確認は終わり、高原は「明日もよろしく」と言い残して先に帰っていった。

 葛城と一緒に打ち合わせコーナーのパソコンの電源を切ったり書類を片づけたりしながら、茂は遠慮がちに声をかける。

「今日も泊まり込まれるんですね?何かお手伝いすることありますか?」

「大丈夫ですよ、車椅子で動くのにもずいぶん慣れてきましたし。」

「そうですか・・・。あ、麦茶飲みますか?」

「ええ、・・・ああ、そうですね。」

 茂が持ってきたグラスふたつに、ピッチャーの麦茶が注がれるのを見たあと、葛城は茂の顔を見た。

「河合さん、今日は初めて晶生と・・・高原と組んでの警護でしたが、なにか気になることがありましたか?」

 茂は言い出そうかどうか迷い、やめようかと思ったが、やはり訊いてみることにした。

「あの、今日、最後にクライアント宅に寄ったときに・・・」

 高原の護身術のレクチャーの話を不安げに茂が話すのを、葛城はじっと聞いていたが、最後まで聞くなりちょうど口に含んでいた麦茶を飲み込もうとして、誤って気管に入れて激しく咳き込んだ。

「だ、大丈夫ですか?葛城さん!」

 葛城は右手を挙げ、大丈夫というしぐさをした。顔を見ると、頬を真っ赤にして、笑っている。

「すみません、大丈夫です・・・・。なるほど、あいつがそんなことを。」

 茂は葛城が苦しそうに咳き込みながらも、明らかに可笑しそうに笑っているのを見て、理解できずにいる。しかしそれと同じくらいに、葛城が他人を「あいつ」と呼ぶようなこともあるのだと、新しい発見をした感じもしていた。

「高原さんには・・・、よくあることなんですか?」

「たぶん、今回のクライアントが、かなり強い不安を感じておられると同時に、凝り性な性格のかただからでしょう。もちろん河合さんのご心配どおり、警護員がクライアントに護身術を教えるということは、普通はありえないことです。第一に、武術は警護員の役目でありクライアントの役目ではない。第二に・・・」

「第二に、クライアントが中途半端な護身術を行使することは、かえってクライアントの身を危険にさらす。」

「そうです。警護員マニュアルのイロハのイですね。しかし、高原は、クライアントが絶対にその護身術を使うような場面にならないという自信があるからこそ、そんな講義をしたんでしょう。」

「はあ・・・」

「亡くなった園児の命日が迫り、クライアントの緊張は、外からはそれほどわからなくても、相当なものになっているはずです。特に神経質な性格の、豊嶋さんのような方であれば、なおさらでしょう。いざというとき、自分ひとりでも身を守る道もある、ということを知ることだけでも、気持ちが落ち着くものだと、高原は判断したのでしょう。」

「そうなんですね」

「それに、実際に手や体に触れて指導したとのことですが、不安なときは、誰かに手を触れてもらうだけでも、安心するものです。」

「そうかもしれないですね。」

「ただ・・・」

 葛城は、我慢しきれないように、再び顔をほころばせ、それをごまかすように麦茶をもう一口飲んだ。

「高原・・・あいつらしいです。普通はそれでも、いくらなんでもここまで破天荒なことはしません。しかも新人警護員の河合さんの前で。相変わらず酷い警護員です。」

「なんだか個性的なかたなんですね、高原さんは。」

「そうですね。」

 葛城は何かを思い出すように、ちょっと窓の外の夜空へ目をやった。酷い、と言った言葉とは裏腹に、その目は少し嬉しそうにさえ見える。

「高原の、クライアントへの配慮は、すごいですよ。最近入った警護員仲間からは、ちょっと異常と言われるほどです。」

「葛城さんと高原さんは、大森パトロール社ができた最初のころから、いらっしゃるんですね。」

「はい。」

 ふっと時計を見て、葛城は、時間まだ大丈夫ですか?という顔をした。茂は頷いた。

「当初からいる警護員は、高原と私と、あと二人だけです。四人の中で高原は一番年上で警護員歴も最長です。私は、晶生を・・・高原を、ガーディアンの見本としてきました。ずいぶんあいつには怒られたものです。」

「欠点が特にない葛城さんを怒るって、どうやってそんな」

 ・・・ガーディアン。大森パトロール社の警護員の中で、ガーディアンと呼ばれるのは一定以上の経験と実力を持つ、一部の者だけだ。葛城もそうである。

「警護員は、クライアントを、違法な攻撃から合法に守ること、それだけを考え、行動する。ほかのことは考えない。たったこれだけのことが、最初はなかなかできませんでした。」

「・・・・」

 茂は、前回の警護で、自分がクライアントのお家事情を不必要に想像したりクライアントの性格を非難したりしてしまったことを思い出し、心の中で赤面した。

「合法に守る、ということが、特に最初は難しかったです。思わず、先手必勝、をやろうとしてしまったり。」

「へえー・・・葛城さんも駆け出しのころは血の気が多かったんですね。」

「高原は、これまでのおびただしい警護歴の中で、法に触れる行動や、触れそうな行動をしたことは、一度もありません。これは、警護員としては、実はかなり珍しいことです。誰しも普通は何度かは、過剰防衛や誤想防衛をしてしまうものです。」

「なるほど・・」

「しかも、クライアントが実害に遭ったことも、実に、一件もないんです。」

「ええっ!」

 このことのすごさは、茂にもわかる。高原の警護歴で実害〇件というのは、なにかの奇跡以外の何者でもない。警護の現場では、クライアント自身の落ち度で警護が破たんすることも多いが、そうしたケースも含め無失点の全勝だということなのだ。

「すごいですね・・・・」

「とんでもないやつです。」

「葛城さん、なんだかうれしそうですね。」

 同僚にここまですごい実績の持ち主がいるという事実は、同じ警護員としてプレッシャーには感じないのだろうか。

「そうですか?」

「俺だったら、同期入社の人間があまり人間離れしていると、自分が比較されそうで落ち込んでしまいます。」

「ははは・・・。あいつは、人間離れしているわけじゃありません。人間の持っている非常に良いものを、最大限に発揮する能力がある、そういうことなんだと思っています。」

 葛城は柔らかい笑顔で茂に答えた。

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