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一 バーとカフェ

 社会人も楽しめるライトノベルを書きたいと思いました。ポリシーは「社会人だって青春したい!」です。

一 バーとカフェ



 河合茂は、金曜の夜を最も有意義に過ごすべく、駅前の商業ビルに入っているいつものバーへ向かった。

「いらっしゃいませ♪」

 いつもの、髪を後ろにきりっとまとめた、ふたりの女性バーテンダーが可愛い営業スマイルで迎える。

「こんばんは」

 茂はカウンターに座り、きょろきょろと周囲を見回す。

「河合さん、どうかなさったんですか?」

「いえ、なんでもありません」

「今日は何になさいますか?」

「えっと・・・やっぱり、モスコミュールにします。」

 身長一七〇センチ、やせ形、子供のようなサラサラ艶々の茶色の髪、そして爽やかな童顔。これで、もうすこし締まりのある表情をしていればちょっとしたアイドルくらいならなれそうなのに残念な奴だ、と、カウンターの奥でグラスを拭きながら男性バーテンダーが憐憫の情でカウンターの茂を見ていた。

「もしかして、会社のお仲間と、お待ち合わせですか?」

「ちがいます!」

 茂は大きく否定し、そして念のためもう一度周囲を見回す。やはり問題ない。これは縁起がよいぞ。

「もしかして、三村英一さんが、今日ここにみえるんですか?」

「は?」

「河合さん、お友達なんですよね。最近三村様、お見えにならないから、淋しくって」

 茂は自分が珍しくこの店で遭遇せずに済んで喜んでいた人間の名前をもろに出され、大きくため息をついた。



 金曜の夜が街を包み、酔客が終電を逃し徘徊する時間帯も過ぎ、夜から朝への密かな揺らぎが支配している地上の様子とは無縁のように、駅から少し離れた古い高層ビルの一室には、朝日を待ちかねるように静かに光が灯っていた。

 いくつかのパーテーションに分かれたオフィスの、隅にあるテーブルでは、コンピューターのモニターを前にして、Tシャツとジーパン姿の長身の男性が足を組み座っている。

 お盆に載せたコーヒーを持ってきた女性が、男性のすぐ後ろで立ち止まり、声をかける。

「酒井さん、コーヒー飲まれますよね?吉田さんに淹れるついでに淹れましたので、どうぞ。」

「ついでてなあ、和泉お前。たまには恭子さんより俺を優先せい。」

 酒井はゆるやかな関西弁で答え、振り向く。和泉と呼ばれた女性は笑いながら湯気のあがるカップを置いた。

 コーヒーを一口啜り、ななめ後ろの応接セットに座りやはり手にカップを持ちながらテーブルのスピーカーへ目を落としている女性のほうへ、酒井が目をやる。

 女性は、外見上、特になんの特徴もない。中肉中背、平凡な顔立ち。白い地味なシャツにベージュの地味なスカートをはき、鼈甲色の縁のメガネをした顔をセミロングの髪が覆っている。 

 テーブルの上のスピーカーは、携帯電話につながっていた。

「そろそろですかね、板見くんは。」

「そうね。」

 応接セットのソファに座っている吉田恭子が答えるのとほぼ同時に、スピーカーに男の声が入った。酒井より高く、そして不思議な透明感のある声だった。

「板見です。現場へ到着しました。店主の到着を待ちます。」

 吉田がヘッドフォン型マイクから答える。

「お疲れ様。予定通り、よろしく。」

 酒井が吉田のほうを見てなにか言おうとしたが、ふっとため息をつき、思いとどまる。

 携帯電話の先の、板見と呼ばれた男は、雑居ビルの二階にある小さな個人営業のカフェの客席に座り、両肘をテーブルにつき両手を顔の前で組んでいた。身長はあまり高くないが、まっすぐな背筋やしっかりした肩とともに、宝石のような冷たい輝きかたをする大きな目が、彼に野生動物のような隙のなさを与えている。

 店は閉店後・・・開店前で客用入口にはシャッターが降りている。二〇分も待たないうちに、ビルの内側のスタッフ用入口から、小柄な男が両腕に大きな荷物を下げて店に入ってきた。

 男は店に明りがついていることに、続いて、店のテーブル席に見慣れぬ男が白いマスクをして座っていることに、驚いて一瞬立ちすくんだ。板見が宝石のような目で微笑み立ち上がる。

「おはようございます。はじめまして、マスター。素敵なカフェですね。」

 マスターは踵を返そうとしたが、次の瞬間には喉元に板見の左手の細いナイフの刃が冷たく当てられていた。

「金庫の中の、携帯端末を、いただきたいだけです。言うとおりにしていただければ、お怪我はさせません。」

 高層ビルの事務所では、スピーカーから流れるカフェ店内でのやりとりに、吉田がじっと耳を傾けていた。酒井が窓際の机で椅子だけ回して吉田のほうを見たまま、やはりスピーカーからの音声に耳を澄ましている。酒井が一言、言った。

「恭子さんの予想が外れたらええのにって、ちょっと思ってしまいますわ。」

 マスターが金庫から出した携帯端末を、板見は指示してカウンターの上に置かせた。そのままカウンター内側のスタッフ用の椅子に、マスターの両手両足をガムテープで拘束する。暗証番号を聞き、端末のファイル内容を確認する。マスターが手足をもぞもぞと動かしながら板見をじっとにらむ。

「ここにバックアップをとっておられたことを調べるのに、ずいぶんかかりましたよ。データ消去に回しますが、まずは物理的に破壊もさせていただきますね。」

 板見がナイフの歯を端末の接合部分に当てようとしたとき、マスターが声をあげた。ガムテープの拘束のまま、上体を無理にねじり、厨房の業務用ガスコンロによりかかるようにしてこちらを見ている。

「火花をあげると、爆発するぞ!」

 業務用ガスコンロのつまみが、開かれていた。口で開けたのだ。ごく狭い店内にはすでにガス特有の異臭が満ち始めていた。ガス警報器が鳴り始める。さらにマスターは身をよじり、右腕の先を動かした。煙草の箱が床にポトリと落ちた。ガムテープに手首を拘束されたままの右手に、ライターが握られていた。

「端末を置いて出ていけ。一〇数えるうちにだ。そうしないと、心中だ。」

「・・・・」

「そうこうするうちに、警報器を見にガス屋が来るぞ。」

 板見は、目を細めた。笑っているのだ。

「ガス警報器、よく点検しておられますね。」

 そしてヘッドホン型マイクに小声で話しかけ、吉田の指示をあおぐ。

 吉田は低い声で答える。

「証拠の破壊を優先しなさい。」

 和泉が驚愕の表情で吉田を見た。次に酒井のほうを見る。酒井は和泉と目を合わせようとしない。

「わかりました。」

 カフェのシャッターから朝焼けの光が漏れ始めていた。板見はナイフを携帯端末に当てた。

 マスターの金切声が事務所のスピーカーから響き渡った。

「やめろおおお!!!!」

 吉田がマイクに向かい、制止の指示を出した。

 吉田の変更指示に従い、板見は端末のその場での破壊を中止し、店を後にした。警報器は激しく鳴り響いていたが、爆発は起こらなかった。

 高層ビルの事務所ではその後もしばらくの間、和泉があっけにとられてスピーカーを見つめていた。酒井が苦笑した。

「あのマスター、ガス自殺未遂の前歴があるんよ。行動パターンってのは変わらんもんやな。」

「ひとつ間違えば本当に・・・」

「恭子さんは、あのマスターは死ぬ気はないと踏んでおられた。けど、板見っちゅう男・・・・あの状況で、平然とあそこまで恭子さんの指示通りに行動するとは、思わんかったな。」

「これは、もしかして・・・」

「そう、奴の恭子さんとの初仕事であると同時に、恭子さんからの洗礼やで。」

 事務所の窓の外が、緋色の朝日に変わっていた。

 和泉は、数日前に板見を初めて見たときのことを思い出していた。長身で猫背でちょっとだらしない風体の酒井をいつも見慣れているせいか、板見は、優等生のように端正な男に見えた。吉田に引き合わされた板見は、もともと尋常ではない輝きを持つ両目の光を、さらに強くして、自分とあまり身長の差のない吉田を見つめ、深く一礼した。そして恥ずかしげもなく、こう言った。

「吉田さんに憧れて来ました。」

 その後、酒井はあきらかに機嫌が悪かった。和泉は尋ねてみた。

「これからすぐに、板見さんは吉田さんの下で仕事をするんですよね。ということは酒井さんと一緒ということですよね?」

「それは、初仕事の結果次第やろな。」

 あのとき酒井が言っていたのは、このことだったのだろう。そして今回、彼は、それをクリアしたということになるのだろう。和泉は酒井がさらに不機嫌になっているのではないかと心配しながら彼の様子をうかがう。

 酒井は、和泉の内心を察したように、天井をあおいで、言った。

「あいつはたぶん、恭子さんが死ね言うたらその場で自分の喉をかき切りよるな。でも、第二の洗礼はどうやろな。」

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