90話 一歩前へ
「うぐッ⁉︎……」
目が覚めた空は体に走る激痛に悶え、痛む場所を庇う。
仕方なく力を抜き、ベットに背を預けて顔だけを動かして辺りを見渡した。
見る限り物は調度品以外見当たらない。
そんな空き部屋のようなこの場所は、一刀によって与えられた自室だった。
空自身の格好もいつもの私服や戦闘服ではなく、入院患者が着用する衣装を着ている。
それだけではなく、体のあちこちに包帯が巻かれていた。
腕には点滴が打ち込まれており、見るからに患者だなと独り言ちた。
数分後、部屋のドアがノックされる。
空が何も言わずにいるとそのままドアが開かれた。
「起きたか」
「ファング、これは?」
ファングが入室してくると、空が起きていた事に驚きつつも声を掛けた。
空は自分が患者になってる状況に耐えきれず、経緯を尋ねた。
「右腕部圧迫骨折の右脚部の筋肉断絶、更には失血による軽いショック症状。妥当な格好だと思うぜ。しかし随分と無茶したなお前」
「…………そう。この眼帯は?」
「驚かないのか?お前軽く生死を彷徨ってたんだぞ。その右目の眼帯は充血が酷いから目薬を刺して眼帯をつけておいただけだよ。一体どんな使い方したらそんなに充血するんだ?」
「……あの時、普通に戦ってたら目が追いつけなかった。だから左目の視力を遮断して右目の処理に全て回した」
「なんつー離れわざを……」
呆れながらも、空に繋がる点滴パックを交換する。
「そんなのはいつもの……事?」
空は自分の記憶が変に混ざっている事に気付き、混乱した。
先日とまるで同じ体験をずっとしていたような感覚なのにその記憶は色あせている。
ノイズが入ったかのような不鮮明で不確かなその記憶は、頭痛となって訴えてくる。
まるで、まだ足りないと叫ぶように。
頭を押さえ落ち着けるが、ファングが心配そうに大丈夫か?と尋ねてきた。
「……いや、もう昔か。すまない。少し昔を思い出していた」
空の記憶はカームとの戦闘を機に思い出し始めていた。
色あせ、全てではないにしろ、それでも徐州へ攻撃を加えた集団に対抗出来てしまう程まで記憶が戻っている。
苦しみや痛み、絶望が、思い出す度に空を襲うが、無理矢理に耐えて正気を保てている。
だが、一方間違えば狂ってしまいそうな記憶だった。
「痛みを伴いながらか?やめた方が良いぞ。もっと気を抜け。また倒れるぞ」
「それで何日寝ていた?」
「丸2日だ。………って、おい。まだ治ってないのにギブスを外すな!」
「いや、もう治ってる。体に埋め込まれたモノが無理矢理に治してくれる」
勝手に腕のギブスを外す空を押さえようとするが、ギブスから解放された腕は何事なかったかのような回復を見せていた。
「本当に大丈夫かソレ?」
空は点滴ももういらないと引き抜いてしまう。
だが、受けたダメージは完全には回復しておらず、引き抜いて立ち上がろうとした瞬間に体がついて来ずにベットに倒れた。
「って、おいおい」
呆れながら空の姿勢を戻させる。
「少なくてもリハビリは必要だな。しばらくは車椅子生活だ、諦めろ」
「…………」
バツの悪そうな顔をする空。
その顔にファングは笑っていると、更に入室者が増える。
「ファングさん。空起きました?」
「ああ、大丈夫だ。入ってきて良いぞ」
入室を促せば、一刀、優二、桃香、愛紗、鈴々の5人が会話をしながら入ってくる。
余計な人が増えたことに空はため息を吐いた。
ただ、動けない為に追い出すことも出来ない。
「後はガキ共で会話を楽しんどけ」
そう言って、空が無理矢理に外した物を片付けると早々に退室していった。
いつの間にか人数分の椅子が置かれており、一刀達は腰掛けた。
余計な事をと思ってもその本人はとっくに退室済みである。
もう諦め半分でベットに背を預けて黙る。
「…………」
先程まで会話があったのに、嘘見たいに静まり返った。
空は天井を見つめたまま何も語らなければ、一刀達は気まずそうにしながらも会話の一歩目を踏み出せずにいる。
「済まない空!俺達が弱いばかりこんな目に遭わせた」
沈黙に負けた一刀が空に頭を下げた。
だが、その発言で死に掛けた事を知っていると空は気付いた。
「おい待て、誰に聞いた?」
問い詰めるように聞くと、桃園三姉妹が気を失ってからの事の一部始終を空に言って聞かせた。
♦︎
「おい空?大丈夫か?おい」
気を失った空の様子がおかしい事に気付いたファントムは空の首筋に指を当てる。
ドクンッ、ドクンッと正常ならば脈を感じる筈だが、今の空のソレは正常とは思えない程弱い物だった。
「一刀、俺に任せろォォォ!」
誰かが後ろで叫ぶがファントムは空の上着を無理矢理に脱がせ、胸に耳を当てる。
やはりあまり良くないと確証を得ると
「ファング!」
仲間を呼ぶ為に叫んだ。
だが、ファングは建物の上におり、直ぐには空の下へは行けない。
その間にも空の命の危機は刻一刻と迫っている。
「済まない、この俺に見せては貰えないか」
「お前は!」
後ろから声をかけれらたファントムは銃を取り出して向ける。
「俺は華佗。医者をしている」
華佗が医者と名乗るとファントムは直ぐに銃を下ろす。
「時間はあまりない。急げるか?」
「任せておけ!」
華佗はそう言うと寝かせられている空を凝視する。
何をするつもりか分からないファントムは怪訝そうな表情をするが、華佗が見えたと叫び、針を取り出す。
「全力全開‼︎ 病魔覆滅‼︎ げ・ん・き・に、なれぇぇぇぇえっ‼︎」
数ヶ所に針を刺して叫ぶ華佗。
しかし、何も変化が感じられない。
「何だと⁉︎ 氣が効かない⁉︎」
空がかく汗の量が増え脱水症状まで現れる。
医療用バックを持ったファングがようやく到着する。
「傷に氣の治療は効かん!せめてやるなら応急処置を終えてからにしろ!……不味いな、軽いがショック状態を引き起こしてる」
真剣な表情で空の容体を見るファング。
華佗もここまで命の危険性が高い患者を見た事がなかった。
ファングはバックから注射器を取り出すと、上半身を脱がせられた空の胸あたりを探る。
「アドレナリンと麻薬の混合復活薬を打つ。隊長、ソラを押さえてくれ」
「俺も押さえる」
空の体をファントムと華佗の2人がかりで押さえつけると、ファングが心臓付近に注射器を突き刺した。
痛みで空が暴れるが2人が必死に押さえる。
1分後、落ち着きを取り戻し安定する。
「容体が急変する可能性がある。失血によるショック状態だ。下手をすれば死ぬ」
「済まない。貴方は一体?」
「俺は落第した医大生だっただけだ。自暴自棄になって戦場で無免許治療なんてふざけた真似してたらいつの間にか銃を握ってたけどな!しかもメス持つより銃の才能の方があると来たもんだ。笑えるだろ」
ファングの身を張ったジョークに受けたのは近くにいたファトムのみだった。
華佗は出てくるワードの殆どが知らない。
通じる訳も無く、ただただ苦笑するだけだった。
「落ち着いて来たか。氣がこいつに効くか分からんがやるなら今だぞ」
ファングは再び活躍の場を華佗に譲る。
華佗は真剣な表情になると、空を凝視する。
「成る程、氣が効かなかったのはそう言う事か!」
「どう言う事だ?」
何かを理解した華佗に尋ねる。
気付けば、その場にはボロボロになった一刀達が集まっていた。
「普通、人には陽の氣が流れている。俺はそれを刺激して代謝を高め、治療する。だがこの者の場合……」
皆んながうんうんと頷く。
「珍しい陰の氣の持ち主だ。背反する2つの氣は双方感じ取る事は出来ない。この者から氣を感じないのは陽と背反する陰の氣の持ち主だからだ。しかも特殊中の特殊、闇に近い性質だ。この氣は陽の氣を持つ者が想像を絶するような絶望を体感した時に反転するものだ。この者は前にそんな体験をしたのだろう。心当たりは?」
華佗が訊ねると答えたのはファントムだった。
「こればっかりは本人から直接聞いた方がいい。俺から言えるのは、こいつは何度も大切な者の死を見て来て、それでも立ち続けなければいけなかったという事だけだよ」
「そうか……やはり、この者はそのような絶望を」
「やはり?」
「反転する者の多くは、必ず近しい者の死が関係している」
「治療は出来るのか?」
「陽の氣に戻すのは無理だ。だが、傷の治療は出来なくは無い。よし、行くぞ!」
そう言って華佗は針を持つ。
「不撓不屈‼︎ 七転八起‼︎ げ・ん・き・に、なれぇぇぇぇえっ‼︎」
再び針を数ヶ所に刺して氣を流し込む。
容体が安定しているだけあってか、空の顔色が改善される。
呼吸も安定し、危機を脱した。
◆
「……そんな事が」
この状況の説明を受けた空はなんて顔をしたらいいのか迷った。
それでも落ち着いたまま変わらない表情で虚無の目を向け一刀達を見る。
「……それで俺の過去を知ってどうする?可哀想だと同情するのか?そんな同情なんて欲しくはない。俺が欲しいのは静寂だけだ」
同情を拒んだ空は、以前のジャックとしてでは無く、サイファーと呼ばれた方に性質は近い。
その目は一刀達を映しているのに、見えているものはまるで違うかのように感じた。
「俺の過去が気になったのだろうが、君達に聞かせるつもりは無い」
「やはり貴方は、耐え難い絶望をその身に体験したのですね」
「……………」
愛紗に対する空の答えは沈黙であった。
何も語らず、表情も変えず、ただ愛紗を見つめた。
何が分かるのだと。
「悪いが1人にしてくれ……。今君達に聞かせる話しは無い」
その口から出たのは拒絶だった。
空は理解される事よりも孤独を選んだ。
自ら閉ざし何も語ろうとしない空を、殴りたくなる気持ちを愛紗は必死に抑えていた。
一刀と優二がどうしたのだろう?と首を傾げるが、空の明確な拒絶に、これ以上は聞いても無駄だろうと立ち上がった。
「また来るよ」
「うん。ちゃんと元気になるんだよ」
一刀と優二に連れられ3姉妹は退出していく。
ようやく解放されたと、一息つこうとするが、まだ部屋に残る気配を察知した。
「何故残ったのか聞かないのですね」
「どうせ聞いたところで答えは知っている。強引な女だ。拒否しているにも関わらず、それでも聞こうとするのだから」
その残った気配の正体は愛紗だった。
空は納得していない愛紗を見て、また来る事は予測していた。
だが、残ってまで聞こうとして来るとは予想していなかった。
空の目の前まで戻って来ると、むすっとしたまま空を睨む。
「貴方は一体何を見ているのですか?」
「さてね……多分自分の死に場所だよ」
「………何故死にたがるのです?」
「俺は大切な仲間を守る為だけに殺してきた。それこそ正義も悪も切り捨ててだ。だけど、大切な仲間はもう居ない。皆んな死んだ。1人生きてなんの意味がある」
「………………」
「……冗談だ」
愛紗の目の問い詰めに負け、降参だと手を挙げる。
「当分は死ぬつもりは無いから安心しろ。とは言っても何に安心するのかは謎だが……」
「……………」
「ここにいる罪のない者に俺達の業を背負って貰っても寝覚めが悪い。少なくても徐州を襲ってきた敵は俺が全て殺す。それまでは死ぬつもりは無い」
愛紗の無言の圧力に負け、ようやく最後に真面目な答えを出した。
それは覚悟に満ちていた。
かつての友を殺す覚悟は中々に難しい。
それでも嘘を言っているようには聞こえなかった。
「さて、君の望みを聞くのだったな。出て行けと言うのならば、今日の夜にでも姿を眩まそう」
「……私はまだ何も言ってませんよ」
「なら何を望む?君達の障害となる勢力を徹底的に潰すか?今の俺なら単騎で世界だって潰せる」
「…………」
「冗談だ。流石に世界は無理だ。出来て、この大陸にある他の勢力を全て潰すのがやっとだ」
「冗談に聞こえないのですが」
「やろうと思えばいつでも出来る。ただ、君の姉である劉備がそれを望むとも思えないが」
「ええ、そんな事をしてまで天下は欲しくはない。皆んなが笑ってられるような国を望むのだ。力でねじ伏せても新たな争いが生まれるだけでしょう」
確信を持って堂々と愛紗は言う。
空にとっては羨ましくもあり、憎くもあり……
様々な感情が頭の中を回る。
「そう、君達が戦う事で笑う者もいる。だけど、同時に泣く者もいる事を忘れてはいけない。君達が傷付けるのは敵でも同じ人間だ。死ぬ者達を待つ者もいる。隣で笑っていた者もいる。それを奪うのだと決して忘れてはいけない」
今の空の言葉は、あの時に入れ替わった空なのか。
それとも普段の空の言葉なのか愛紗には分からない。
普段にしてみればガラにもない言葉で、入れ替わった時の空とはまた少し違う。
「忘れた時、人は初めて化け物と呼ばれる。この俺のように」
まるで2人の空が重なったかのような、それでいて自嘲する言葉だった。
先程からいつもとは少し違う空であるとは愛紗も気付いている。
変に冗談を言わない空が冗談を言い、今まで事あるごとに敵意を向けてた目は、一般人程輝いていないものの、鋭かった眼光は少し柔らかくなっている。
「貴方は……忘れてしまったのですか?」
「忘れてなんかないさ。ただ、奪わなければ守れないモノがある。たとえ化け物と呼ばれようと、それだけは決して譲れない。それが俺が戦う理由だよ」
空の戦う理由。初めて語る空の本音。
愛紗はそれを初めて空の口から聞いた。
決して嘘では無いと分かるが、同時にどうして彼はそうなってしまったのだろうと興味が湧く。
だが、空は話すことを先程拒否した。
それは2人きりの状況でも変わらないのだろう。
それでも、少し語っただけでも前進はしている。
「少し変わりました」
「何が?」
愛紗に突然そんな事を言われ、空は何か間違った事でも言ってしまったのか?と考えた。
ただ、あまりにも当てはまり過ぎて何が変わったのかは少しも分からない。
「普段なら、興味がない。と言ってた人の言葉とは思えない」
愛紗が次に言ったその言葉で、あーなるほど、と納得する。
自分自身の興味の視野が狭いとは思ってはいない。
それでも彼等が語る正義像は、あまりに退屈で、感心など示さないで来た。
彼等が語ったのは夢物語のようで、聞こえは良い。
だけど聞こえが良いだけであって、合理的な判断を好む空にとっては、実現性が全く無い不協和音のように感じていた。
それを耳に入れることすら鬱陶しかった。
それと同時に、そんな世界と真反対な場所で育ったからこそ、彼等の夢を壊そうとも思わなかった。
「元々はこんな感じだ。あの砦で元仲間に会った時から、自分と言う存在が何なのかを理解……思い出し始めた。それで変化が無いのなら、俺は人ではない正真正銘の化け物だ」
何が自分を変える事になったのかは、分かりきっている。
カームと戦闘を行った時、失くしたピースがはまるように、自分という存在が復元された。
全て元通りと言うわけではないにしろ。
自分が何者で、何を好み、何を嫌い、何をしてきたのか。
それが鮮明になり始めた。
勿論、それが自分に有益な記憶だと限らない。
思い出したのは、心が折れてしまいそうな程の地獄だ。
だからこそ、1人でいることが怖いから誰かを求め、心境を変えたのかもしれない。
それでも普段から1人で過ごしてきた空にとっては、その変化すら怖く感じた。
「で、君は俺に何を望む」
臆病者だからこそ、誰かに意見を求めたのかもしれない。
いっそ、あの砦で愛紗に憎悪を向けられれば、空は楽だったのかもしれない。
その言葉は冷静だが、怯えが混じっていた。
「私達の仲間になってください」
だが、愛紗が求めたのは、空にとっては予想すらしないものだった。
思わず、素っ頓狂な声を上げそうになるが、理性でソレを抑え込むと、何故そんなものを求めるのかたずねた。
「形式上は仲間だと思うが?」
「形だけではない、本当の仲間です」
「………言うが、俺に正義の心は無い。君達の為すことを否定だってする」
否定してほしいと、自身の持つ価値観を愛紗にぶつける。
だが、それでも愛紗は肯定した。
「それでもです」
「俺がいる事で元仲間達が狙って来る。勿論、死ぬつもりは無いが、戦えばこの街や住民だって無傷で済まない。正直、追い出した方が君達の為になる」
「出て行けば貴方は1人で戦うのでしょう?」
「そうなるな。あれは残してはいけないモノだ。たとえ1人でも彼等を殺すのが俺の役目になる」
この街を襲ったあの2人は空の手で殺した筈だった。
どう言う原理かは分からないが、復活した以上、迷惑をかけるわけにもいかない。
なんとか今回の被害は大きくならずに済んだが、もう一度戦うであろうと頭で分かっていた。
それがもう一度この街で起これば、おそらく街は壊滅的な被害になるだろう。
敵は馬鹿で無い以上、対策だってしてくる。
一人で戦いきれるとは思っていない。
それが愛紗だって分かっていない訳ではない。
「だからこそ、私達と仲間になってください。私だって街を滅茶苦茶にされたり、あの砦で手も足も出なかったのは悔しい。今度は私達だって戦えると、あなた一人ではなく、横で私達も戦いたい」
愛紗の真っ直ぐな言葉に、やれやれしか言葉が出てこない。
空が押される形にはなったが、十分伝わった。
「多分、もう二度と笑う事も怒る事も泣くことすら出来ない……あれ以降、感情が薄くなっている。今後、君達の正義とは真逆な事もするし、自分の命すら軽くみる。それでもこの力を欲するのか?」
「元々薄いではないですか。ええ、私はあなたと言う力と共に戦いたい」
「ならば、この国が君達の理想に届くまで、俺は命をかけて、あらゆる障害を取り払うと誓う」
この日、空は騎士のように忠誠を誓った。
忠誠のポーズは取れないものの、少しだけ、前に進んだ。
ファングは医大生から軍所属の軍医になり、ローンウルブズへと加入しています。
彼も言うのであれば空並みに氣の反転が起きそうな事を体験しており、かなりハードな人生を送ってます。
と言うよりもローンウルブズ全員がそれなりにハードな人生を送ってきたと言えるでしょう。




