30話 エスと軍師
退出したエスは通路を黙々と歩く。
さっきまでの事などまるで興味が無いのか、気にした様子すらない。
「おい、あれで良かったのか? 演技までしてやる事か?」
通路の脇で待ち構えていたルーラーが通りかかったエスを呼び止めた。
対するエスはあまり興味がなさそうに立ち止る。
「何がかね?」
その言葉は早くしろと急かす様だ。
「あんなものただの脅しだ。悪い警官と良い警官の心理よりも達が悪い」
「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック、だね。私が悪になって有利に物事が進むなら歓迎しようではないか」
「まともな判断力を奪ってまでやることか?」
「アドミニストレーターの私欲など興味が無い。それに、この程度でこちら側に転がるのなら所詮底が見えると言うものだ。あれで世界の管理者とは、嘆きたくなるものだよ」
エスにとっては左慈達に対しての興味は無かった。
そして、それはルーラー自身にも向けられている。
そこにいるだけ、そんな認識でしかない。
「なら、お前が引き込んだあの白装束。あんな約束までして、本気で実行するつもりか? 馬鹿らしい」
「あー、もちろんだ」
「一応聞く、何故?」
「簡単だよ。現状ではあらゆる世界の技術統合は上手くいっていない。ある意味、実験的な役割としては丁度良いんだ。失敗してもこちらは痛まないし、あの男が壊れるだけだ。……こちらとしてもある実験ができるのはちょうど良い」
ルーラーは後半を聞き取る事が出来なかった。
エスは少し考えるような仕草を取り、そしてと付け加えた。
「実験が上手くいけば、戦力など無限に等しくなる。抗う者を簡単にくじけるのなら安いだろ?」
エスの言葉はすごく薄っぺらく聞こえた。
彼自身、何を考えているのか分からない。
本質が見えないのだ。
「あんたの、お前の目的は一体どこにある?」
「さぁね。それを君に教える義務も義理もない。だが、一つ教えるとしたら。……この組織も一枚岩ではないと言う事だ」
そう言って、エスはルーラーから離れて行く。
「君も身の振り方を考えた方が良い。人工的にカリスマを植え付けられた誰かのクローンとは言え、所詮駒の一つだ。進め方次第では君はこの世界から消える」
エスは背を向けなら手を振って去って行く。
残されたルーラーは何も言えず立ち尽くしていた。
◆
ルーラーと別れたエスは自室には戻らず、誰もいない通路でフィンガースナップを鳴らした。
パチン!___音と共に現れる楕円形の穴。
ワームホールの様に空間が歪み、その先の光景は見えない。
常人なら躊躇うそれを、エスはそれを通り抜けた。
のれんを押し除けるように進んだ空間の通じている先は洛陽だ。
城の屋根へと通じた先の光景___
戦争前は悲壮な空気が流れていた洛陽の街は、復興に沸く洛陽の民達で賑わっていた。
瓦礫を撤去し、壊れた家を直す人々は活気に溢れている。
「試しに送った赤い地平線に、黄巾党の残党。略奪でもしてくれれば儲けものだったが、どちらも壊滅とはな。侮っていたのはこちららしい」
活気に溢れる光景を忌々しそうに眺める。
気に入らないと言った表情をしているが、口元だけは笑っている。
見下す、その表現が正しいのかもしれない。
「この世界を終わらせる為には、世界が消える事を望む人々と、希望すら抱かせないほどの絶望。……これでは真逆だ。全く……天の御使いとやら、随分な厄介な敵だ。これほどまでに復興が速いとはな」
『やぁ、遅かったね』
城の屋根の上だと言うのにエスに声を掛けてきた人物が一人。
それは屋根の軒先に座り込む、平凡的で、個性すら見えないこの街の民の姿をした男だ。
エスが怪しんでいると、その街民は笑った。
『安心したまえ、今の私は絶望で自殺をしようとしていた男の体を借りている。___いや、借りる、その表現は正しくないな。今この男の人格の上に、私という人格を一時的に書き込んだ。私は本物の人格を模して作られている偽物だ。君とは一方的に会話を出来る伝書鳩という認識でいい』
どこから見ても普通の街民だが、言動は姿とは似つかわしくない。
とてもアンバランスな状態とも言える。
「その割に、随分と饒舌だが?」
『あらかじめ決められた文言を、決められた会話に合わせて再生する。"君"と言う個から、どのような言葉が出るのか推測さえ出来ていれば、会話のように見せる事は容易だ。だからこうして君と会話が成り立っている』
「さながらAI、人工知能のようだ。思考はお前そのものでいいんだな?』
『もちろん。思考パターンは全て同じだとも。なんなら試してみるかね?』
「いや、それはいい。前回までは無線でやり取りしていた訳だが、なぜ急に手を変えた?」
『私としても不服だがね、どこに耳があるか分からない。念のための保険だよ』
「まぁいい。ここからはまどろっこしいのは抜きだ。今回の全て___君の考えた通りに全て進めた訳だが、この事、こうなる事すら君の予定通りかね?」
街民は少しだけ考える仕草をした後、エスに笑みを向けた。
『答えとしては、イエスとノー。全て予定通りではあるが、この街の復興は私の予定には無い』
「なら、どうするつもりだった?」
『良いだろう』
エスに問われた街民は饒舌にその内側を語り始めた。
事の始まりと終わり、その全てを。
起きた事全てを知っているような口振りで語り、今回の結末すら当然だと言った。
『___と言うのが、今回のシナリオだよ。気に入ってくれたかな?』
「今回の全て、お前1人の掌の上と言うわけか。お前の中ではこの街の復興など、元々眼中にすらないと言う事か」
『あの程度の戦力に止められるとは思っていない。期待する方がおこがましいとは思わないかね? それにこの街が復興しようがしまいが、結末は変わらない。アドミニストレーターは自身の思い通りに事が進んだと思っているようだが、残念ながら彼の望む結末にはならないだろう』
「ああ、だから俺はお前と手を組んだ。俺はこの世界を消すため、お前は自分の世界のため。実に人間らしくて良い。それで、お前は俺を操ったのか?」
『いや。誘導こそしたが、それは君の意思だ。私が知恵を貸し、君がアドミニストレーターやこの世界の住民達を操った。それだけだの話だよ』
心外だと言わんばかりな態度をとる街民。
軒先に座り込み、投げ出した足を子供っぽく前後に振る。
その行動の一つすら計算されたモノであるなら、目の前の彼は、どこまで周到に準備をしているのか疑問が湧いてくる。
『君も私も、考え方は凄く似ているし、能力的な部分でも似たモノは多い。君がその気になれば、私の干渉などものともしないんじゃないのかな?』
「干渉だと?」
『人と言うのは言語を獲得して以来、その言語に囚われて生きている。私が操るのは人の無意識。言葉によって無意識を誘導する。言葉一つで、人は憎しみを増長させ殺し合う。実に単純な事だよ』
「その言葉とやら、どこまで人を操れるものなんだ?」
『望むのであればどこまでも』
「その割にあのローンウルブズとか言う奴等は自由に動いていたようだがね?」
皮肉をぶつけると、街民はやれやれといった態度をとる。
本当に人格が植え付けられているのか疑問に思うほどに、精巧な反応を示してくる。
『元々、彼等は標的には入っていない。いや、誘導する必要すら無かった。作られた状況が彼等を誘導し、時代を動かす。道が一つしか無くとも、決断し、選ばせたと言う事実が大切だ。行動を決断していく中で多少の自由を与えなければ、優秀な者なら違和感に気付いただろう。それに今回のシナリオは序章に過ぎない。結末の整合さえ取れれば融通は効く』
「ほう、それでは次章はどう進めるのかな?」
『次章は、そうだな……本格的な絶望を与える前に、色々試す機会とするのも面白いんじゃ無いかな? 例えば、この世界に住む者達の摩擦の強さなんて試すのはどうだろう?』
街民から出てきた摩擦という言葉。
それが示すのが、物を押すときの抵抗を指して言っていない事など明らかだ。
「プロセインの軍略家、クラウゼヴィッツの戦略論、だね」
『ご名答。彼等の不測への対応力を調べてしまえば、それらを逆算し、効率良く絶望を与える事が容易になる』
「なるほど、この世界では戦場の霧に満たされているが、我々は違う。全てが情報化され、予測不能な状況は小さい」
『君が望むシナリオを進める上で重要な要素になるんじゃないかな? 私はあくまで知恵を貸すだけで、やるかやらないかは全て君の決断だ』
「もちろん実行だ、軍師」
『ふっ、了解した。なら私の知恵を貸そう』
エスに軍師と呼ばれる街民は、次の企みをエスに話すのだった。
これは2人しか知らない密談。
誰もが想像もしない絶望を生む序章である事など露ほども知らない。




