10話 楼杏
空が恋を打ち負かして数日。
あれから変わった事は、陣営内から小言を貰わなくなった代わりに避けられるようになっていた。
最強と名高い呂布を打ち負かしたのだから当然とも言える。
皆、空に恐怖すると同時に、他に目を向け無ければならない状況に一々構ってはいられなくなったからとも言える。
だが、空が通るとやはり恐怖の方が強いのか、なるべく視線すら合わさずに早足で廊下を歩いて去ってしまう。
それでも空は涼しい顔で護衛をこなしていた。
「ねぇ、取り繕わなくていいの?」
「何を?」
「この間のこと!」
「べつに。恐怖されるのには慣れてる」
詠が疑問に思っていた事も、彼にとってはどうでも良いのか気にした様子はない。
怪訝に思った詠は空の顔を覗き込むが、避けられてもピクリともしない無表情に、本当で気になっていないと認めるしかない。
けど、月の方はそんな空を悲しげな顔で見ている。
空は少し困った表情をするが、足音が聞こえると直ぐに無表情に戻る。
歩いて来てるのは皇甫嵩こと楼杏と呼ばれる生粋の軍人気質の女性だ。
女性的な体付きをしながらも、風格は歴戦の猛者そのものだ。
凄みのある目で空をひと睨みすると、月に報告があるのか抱拳礼の構えを取った。
「楼杏さん」
「部隊の編入については一通り終わったわ」
それからいくつかの報告を終えると、最後にと付け加えた。
その目は空へと向けられている。
「ありがとうございます」
「一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「はい」
「何故、この様な者を迎え入れたのですか」
ある意味当然とも言える質問だ。
不気味さで言えば十常侍の追従を許さず、その武力を前にすれば物の怪だって踵を返して逃げる。
そんな者達が城にいるのが面白くはない。
しかも天下無双にすら勝ったのだから尚更だ。
だが、指を刺されていると言うのに、彼は皇甫嵩の反逆の警戒しかしていない。
それこそ2人に反逆の意思を見せた瞬間にはこの世を去ることになる。
それが分からない楼杏ではない。
「ふっ。今の目を向けるべきは、内ではなく、外じゃないのか?」
そんな彼女に、あろうことか皮肉げに半笑いで返してくる。
今、この国に余裕が無いことも、決して手を出して勝てない事も彼は分かっているのだ。
楼杏にとってはそっちの方が恐ろしい。
「ぐっ……」
認められないと空を睨んだ時だった。
空が月の前へ出ると楼杏に向けてMASADAを構えた。
既にセーフティが外され、それが冗談では無いと言う事が分かる。
直後、空はトリガーを引いた。
目蓋越しに見える閃光。
「えっ……」
楼杏に痛みは感じなかった。
あの銃の威力は何度か見た以上は知ってる。
簡単に人の命を飛ばしてしまう天の武器。
視界にはつまらなそうに銃を下ろした空と、両手を口に当てて驚いている月の姿がある。
直後、後ろからドサッと何か柔らかいモノが地面に倒れる音が耳を打った。
「この程度も気付けないようでは、まだまだだな」
服の袖から暗器を覗かせる侍女の胸に穴が空き、大量の血を流して倒れている。
暗殺を未然に防いだのだと理解に時間がかかる。
「間者と暗殺者の警戒を強めるように」
駆け付けた兵にそう告げた空は、再び月の後ろで待機する。
これで護衛の文句もあるまいと言った立ち振る舞いだ。
「なんで……」
「悪党を殺すのは悪党の役目だ。効率が良い」
あっけらかんとした物言いに楼杏は呆然と立ち尽くす。
この後も月達には仕事がある以上、時間を割く訳にはいかない。
楼杏へ、お辞儀をすると去っていく。
「ま、待って」
空は立ち止まるが振り返っては来ない。
楼杏が口をパクパクさせていると、それよりも早く空が口を開いた。
「理解はする。けど、それでは本当に守りたいモノは守れない。要は頭が硬すぎだ」
立場の理解を示すと同時、アドバイスなのか皮肉なのかよく分からない言葉を残して2人を追って行ってしまう。
互いに不器用であるが故の数少ない言葉に楼杏は笑うしか無かった。




