9話 恋と空
呂布将軍こと恋が待ち受ける調練場に現れるのは、異質さを放つ黒服の戦闘服に身を包む男。
顔にはガスマスク、後ろ腰には尻尾の様に連結された小さなミリタリーパックの集合体が3本。
手にはH&K社製のMP5が握られている。
空に不信感を抱く官軍の将軍達は野次馬として、この仕合を見に来ている。
皆、あちこちからの言われようにストレスがたまっている。
だからこそ、この仕合はそう言ったガス抜きの側面を持っていた。
目の前の空の格好に、その場にいる誰もが息を呑み、同じ印象を抱いた。
そこには真っ黒な人型の狼がいたのだから。
「……なんやあれ」
同じく野次馬として見に来た張遼の名を持つ露が、声を上げた。
以前見た時とはえらい違いに、少々驚いている様子。
誰もが異質だと思うその姿は真っ黒。
光ものなど一切存在していない。
装飾の類は一切無く、あるのは殺意で塗り固められた装備群。
遠目からでも数種類の刃物が装備されているのを確認できる。
しかも艶を消しており、限りなく闇色に近い。
それは相手をする最強の武将、恋と見比べれば一目瞭然である。
誰もが暗殺者の類かと勘違いしそうなほどだ。
「あれがあいつの戦闘服さ。あれで戦場を駆け回るから真っ黒な狼だとか呼ばれたりしてる」
「パックキラー。群れを狩るはぐれ狼。切り裂きジャック。呼び方なんて人それぞれ」
答えてくれたのは空側であるローンウルブズ隊のメンバーであるコードネーム、ストームとファングの2人。
ファングは彼の呼び名を歌うように語った。
彼らも粛清の仕事の合間に覗きに来ている。
「ただ」
「ただ、なんや?」
「まぁ、あれは手を抜いてない証拠だな。アレ相手に生き残るような奴なんて殆どいないさ」
コードネーム、ハウンドドッグ。
通称、ドッグは容赦ないななどと軽く言いながらも、その目は恋を品定めしていた。
方天画戟を手に駆け回る三国志演義に出てくる最強の武将、呂布の主武装。
扱いにくさはあるものの東洋のハルバードとも称される武器。
そして、それを扱う少女。
一体そのような体で重量過多にならないでいられるのか、そんな疑問が浮かぶ。
相手をする空は、相手が誰であれ、手を抜く事はしないだろうし、油断もしてしない。
だが、もし彼女の振るう一撃が本物であるなら空は一撃で下される。
互いに強者が戦うのだ、勝ち負けは誰にも分からない。
「それでは、始めます。両者共に前へ」
審判を務める武官に促され2人は一方前へと出る。
空は肩の力を抜き、恋はいつも通り。
とても今から戦闘する気が一切感じられない。
少々抜けた様子に、審判は毒気を抜かれてしまうが、気を取り直して、「始め!!」と号令をかけた。
審判の号令で最初に動いたのは恋だった。
一瞬のうちに目の前へと距離を詰めると、目に止まらぬ速さで方天画戟が振った。
その一撃は岩すら砕くよくな、空気を切り裂く音と共に空へと迫る。
対する空はあろう事か、避ける事はせず、一歩前へ出た。
誰もが終わったと確信した。
それ程、彼女の実力というのは桁違いだ。
だが、そうはならなかった。
彼が恋の手を抑え、根元から攻撃を止めていた。
動かなくなった戟に恋は一瞬だが、気を取られてしまう。
空はそんな一瞬でナイフを恋の首へと滑らせた。
方天画戟と比べると些か貧相なそれは、いささか殺気が無い。
簡単に止められるような、全くもって攻撃力が無い一撃。
だが、恋は上半身を逸らして避けた。
直ぐに、空から一度距離を取る。
気付けば嫌な汗が流れていた。
止める事が簡単な貧相な攻撃に恐怖を感じていた。
気合いの一つすらこもっていないような攻撃に、だ。
誰もが恋の行動に驚きを隠しきれなかった。
あの呂布殿が⁉︎ などと、口々に出る。
隙が出来たというのに空は最初の一歩以降、動いていない。
想定通りだと言わんばかりにただ立っているだけだった。
そこから空は背中にベルトで掛けられたH&K社製、MP5k PDWを抜き出した。
肉抜きされた合成樹脂製の折り畳みストック、バレルインチもかなり短く、マガジンは20発タイプ、銃口の先端にはサプレッサーが取り付けられている。その他のアタッチメントは一切付けられておらず、重量を抑えた取り回しの重視がうかがえる。
空は取り出して一瞬でチャージングボルトをコッキングすると、狙いを定め、1発を撃った。
1秒たったかすら怪しい速度で、狙う、撃つの行動を取ってきた。
火薬が減装されているのか、発射音は聞こえない。
音は聞こえなくとも恋の顔の真横を、確かに青い弾丸が通り過ぎた。
外したと誰もが思うが、少し違う。
次は当てに行くという警告だと恋には分かった。
それを一瞬で理解するや、恋は走り出す。
目で見切れても体が追いつかないと判断。
空もセミからフルへと変更するや、走る恋に向けて撃ち始めた。
高速かつ高精度で撃ち込んでくる弾を、恋は方天画戟で弾くか、走りに緩急をつけて射線を外そうと試みた。
音も閃光も無い殺意の塊は、恋の頭、手、足を重点的に狙ってくる。
だが、それも長くは続かない。数秒も経てば攻撃が止まった。
残弾切れだ。
恋は大きな隙が出来た空に再度接近を試みる。
その天性の勘の良さにローンウルブズの面々は驚かされる。
空も驚いた一人であるが、全て想定通りの範囲内。
その場でマガジンをリリースと同時、手慣れた様子で予備マガジンを叩き込む。
恋も画戟を突き出し、その素早さは異常とも言える。
だが後、0.1秒。
たったそれだけの時間が有れば恋の勝ちだった。
そうなる前にリロードを終え、無理に近づいてしまった恋の額には銃口が向けられている。
「王手」
降参を勧めるその声は、あまりにも淡々としていて感情が感じられない。
作業といった方が正しい。
恋は空を睨み続ける。なにかを狙ったような顔をしていた。
空は警戒しながらもトリガーへと指を掛け、それを引く。
ほぼ至近距離からの発砲。
普通なら避ける事すら無理であり、ゴム製の弾丸によって意識を刈り取られる。
当然だと、そう考えていた。
だが、それこそが誤ちな行動だった。
この時、反撃を受けないように距離を少し離せばこれで勝利だったのだろう。
恋は持てる力を使い、身体能力だけでそれを避けたのだ。
空は驚愕の表情をした。
まさに想定外、普通避けれる訳がないと、そう訴えている。
空は初弾で彼女が避ける事が出来ないと確信していた。
それを超えてきた彼女に空は目を丸くした。
終わった。
誰もがそう思い、空に哀れみの目すら向ける武将達
たが、本人の目は諦めてなどいない。
空に斬撃を加える直前、恋の視界の端に棒状の物が映り込む。
M84と印字された物体。
フラッシュバンと呼ばれる、強烈な閃光と音を発するグレネードだ。
空が驚きながらも予備の手として残していた切り札の一つを切ってきた。
その用意の良さこそ彼の強みだ。
いくら非殺傷と言えど至近距離で喰らえば無傷では済まない。
その炸裂を恋は避けれずに見てしまう。
視界が白くぼやけ、耳にはキーンと耳鳴が響く。
空は恋を蹴り飛ばしながら距離を取った。
「卑怯なのです!あんな汚い手なんて武将を侮辱するのも甚だしい限りです!」
「まぁ、真正面から馬鹿正直に戦えば負けるわな」
その光景を見ていた陳宮は怒りを露わにきていた。
自分が敬愛する恋が酷い手に掛かるなど面白くない。
ドッグはその事を理解している。
空が卑怯な手を使っている事も、そして馬鹿正直に戦えば簡単に負ける事も。
互いに強さの方向が違うのだ。当然相性というのもある。
「アイツ、アレでも相手の事を配慮してるんだぜ?卑怯でも抗う事が出来るようにしている。本当なら開幕に頭撃ち抜かれて終わりだ、そこの嬢ちゃんみたいにな」
ドッグが目を向けた先には、額を真っ赤に腫らした露が額を摩っていた。
「失礼やわ!これでも善戦したんよ!」
「まぁ、たった2発のゴム弾で倒れるようじゃアイツには勝てないな」
空は恋と戦う直前にも張遼こと露とも仕合いをしていた。
結果は空の勝ち。
それもほぼ2手で勝利している。
恋の時とは違い開幕ベレッタを使って来た空は、たった2発だけ撃った。
1発は普通に頭を。2発目は地面を跳弾させた上で頭を。
露は1発目を難なく躱したのだが、油断したのか2発目を額にクリーンヒットを貰い、そのまま気絶し退場した。
初見殺しも良いところである。
そしてそのゴム弾を受けた額は綺麗に弾の跡が出来ていた。
「痛かったわぁ。人生で初めて動けなくなってしもうたわ」
「まだお前は一撃躱したじゃないか!私なんて……」
「華雄は一撃やもんな!アハハッ」
「クッ……皆まで言うな」
一方の華雄は開幕と同時に空に突っ込んだのだが、カウンターで脳天に一撃貰ってそのまま退場した。
これには会場が笑に包まれる。
「くっ……笑うなどと……屈辱だ」
「動きが変わったで!」
露が言う通り、気付けば恋が攻めていた。
超高速な攻撃は空の姑息な手を封じるには十分な速度、威力をしている。
空は反撃しようにも、隙が作り出せずにいた。
だが、ガードをすれば間違いなく負ける空にとっては相手の攻撃全てが一撃必殺だ。
受ければ負ける。だからこそ避けるしかない。
攻撃が一瞬だけ途切れた瞬間を狙って空はワイヤーを近くの木に引っ掛け、恋から距離を取った。
あまりのニンジャじみた動きは、野次馬達一同を釘付けにする。
木の上で呼吸を整え、恋を睨む。
空にとって、格上と戦うのは慣れている。
しかし恋は更に上を行っており、攻撃を貰えば即退場、いなす事も許されない。
主武装のMP5は弾切れを起こし、ナイフは曲がって使い物にすらならない。
MP5をその場に放り投げ、ワイヤーを切り捨てる。
このままでは勝てない。
空はそう結論付けると、頭に引っ掛けていたガスマスクを装着する。
今まで何も脅威とは感じられなかった雰囲気が一変。
顔が隠れると同時、殺気を色濃く放つ。
罵声を浴びせていた武官や音々音が一瞬で怯む程だ。
触れれば死にそうな程の殺気を放っている。
気に佇むだけだと言うのに、全くの別人のような印象の変化。
恋を見ながら後ろ腰にあるホルスターから自身の愛銃、ベレッタ90-twoとコンバットナイフ抜く。
互いに睨み合うが、行動には出ない。
「警告する。攻撃の種類とパターンは掴んだ。大人しく降参しろ」
それは空の最後の言葉だった。
その瞬間、恋の視界から彼は消えた。
正確に言うならば一瞬で見失ったのだ。
だが、直ぐにどこにいるのか分かる。
恋の死角。
意識が向けば、そこからナイフが滑り込もうとしてきた。
刃は付けられてはいないが、一撃を貰えば確実に骨は折れる。
彼が警告した理由が見えた。
まさしく殺しに来ていた。
それも容赦も、手加減も無く。
今まではあくまで仕合であって、ここからは殺し合いだ。
恋だって手練れだ。
その一撃を見切ると、防御する。
空の腕を受け止め、方天画戟を振るう。
狙いは頭部。意識を刈り取るつもりらしい。
空は身を捩って斬撃を回避すると、恋の顔を足で挟んで身を捩る回転の勢いで地面に倒す。
ガード不可の攻撃を前に、恋は地面に叩きつけられた。
「くっ……」
痛いなどと考える暇が与えられるならもっとゆっくり出来ただろうが、次に飛んで来たのは空の蹴り。
顔を狙ったそれは回避出来なかった。
恋は両手をクロスさせガードに徹する。
重たい一撃で、体は地面を転がった。
その直後に右肩と左肩に鈍痛が走り、方天画戟を手から離してしまう。
痛みで意識が飛んでしまいそうな程だ。
睨むその先には、前の仕合で見た銃と言う武器から煙が少し立ち込めていた。
「王手だ」
得物を失い、真正面から額に銃を向けられている。
審判は唖然としていた。
当たり前だろう、最強と名高い彼女が敗れたのだ。
それも無名の傭兵に。
「しょ、勝負あり!」
審判が勝敗を理解するのに約10秒程かかり、ようやく空の勝ちで決着する。
誰もが見たこともない番狂わせに唖然とする中、当人は何事も無かったかのように去っていった。




