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犠牲

※注意※人が死亡する場面が描かれています。御注意ください。

抜刀した2人が駆けつけるよりも、加速度のついた魔犬の方が早かった。


「ヒギグギャアアアッ!!」


断末魔が大気を震わせる。


魔犬が描く黒い放物線の終点は人体の上……弓なりにのけぞった鳩尾に長く尖った角の先端が到達したその瞬間、人類から発せられたとは思えない絶叫が声帯から絞り出される。


……ズブッ!…グジュグジュッ!!


剣が鞘に収まるように、魔犬の角があっさりと人体に突き刺さる。


それはあたかもブリッジの形に反り返った人間の上腹で、黒犬が額を下に逆立ちしているかのようだった。

この世にあってはならないおぞましいオブジェは、さらに人体と犬の額の境目から真っ赤な液体をスプリンクラーのように振りまき始める。


「キャーッ!キャーッ!!キャーアアアッ!!」


運悪くすぐそばにいた従者の女性は、全身にその血飛沫を浴びながら、目と口を極限まで開ききって超音波のような奇声を発し続けた。



そこでようやく2本の剣が逆立ちの黒犬に到達し、ひとつが胴を、ひとつが両脚を切り裂く。


瞬時に光の粒子となって魔犬が消滅した。と同時に、今まで犬が逆立ちしていた場所から真っ赤な噴水が、光の雲を吹き散らす勢いで湧き上がり、間欠泉のように何度か吹き上げてようやく止まった。

「キャーッ!キャーアアアッ!!」


従者の奇声だけが響く森の中、全身の血液を吹き出し終えて大きく痙攣した身体がぐらりと崩れ落ちる。

その下から、ローブの男が這い出してきた。


……ロキだった。


「うわっ!うわわっ!きったねえ!!」


血塗れの人体を払いのけ、やはり大量の血液を吸ったローブを夢中で脱ぎ捨てて、ロキが四つん這いで銀竜の足元に寄ってくる。


「……な…んで?……」


猛ダッシュと攻撃の直後でまだ息の整わない銀竜は、己の足元に這いつくばる男を呆然と見下ろしていた。


「……畜生!肝冷えさすなって…死ぬかと思ったぜ……」

のろのろと立ち上がり手足の泥を払いながら、ロキは自分が這い出したものを振り返って憮然とした。


つい今しがた、魔犬の角に鳩尾を刺し貫かれて死んだ人間……ロキの従者のひとり……が壊れた人形のように投げ出された血の泥濘を見つめて、深い溜め息をついたあと、ロキは吐き捨てるように言った。


「あーあ。こうなっちゃ美人も台無しだな」


そして、銀竜とバステトに何か話し掛けようとして、ふたりの顔を指差しながら大笑いしはじめた。


「おいおい、ヒデェなお前らの顔!はしかかよ!」


指差されて銀竜が顔を拭う。その手のひらにべっとりと赤い液体が付着していた。

魔犬を仕留める際に至近距離で血飛沫を浴びたため、銀竜の顔には大量の赤い飛沫が飛んでいたのだ。


まだ呆然としている銀竜を指差し、ロキがゲラゲラ笑う。

その胸ぐらをバステトがむずと掴み、無言で一発平手打ちを見舞った。

不意打ちを食ったロキは見事にすっ飛び、まだ奇声が止まらない従者の膝もとまで転がっていった。


「何でテメェが生きてんだよっ!?」


バステトが叫ぶと、ロキは何を言われているか理解できないといった表情でバステトを見上げた。

「……俺が助かっちゃいけないのかよ?」


……それは一瞬の出来事だった。

魔犬の角から逃げきれないとわかった瞬間、ロキはすぐそばにいた自分の従者の髪を掴み、自分の身体の上に引き寄せて身を守る盾としたのだ。

間一髪、ロキは犬の角から逃れ、代わりにロキの従者は心臓をひと突きにされて死んだ。

確かに、あの一瞬でロキが身を守ろうとしたなら選択肢は限られていただろうが……


止められるものならば、絶対に止めたかった。

しかし魔力の尽きた身体は立つことさえ困難で、私は情けなくも地面に四つん這いに倒れ伏し、青年たちの不毛な罵り合いをただ聞いていることしか出来ない。


「お前、自分がしたこと解ってんのか?他人を身代わりに殺したんだぞ!」

「他人って……従者だぞ?こいつら。俺たち勇者を守るのが仕事だろ?」

「……仕事だからって、死なしていいなんてことねぇっすよ!?」


ついに銀竜がぶち切れたところに、ようやく騎士団が到着した。


「みんな!無事…か……」


勢い込んだ呼びかけが途中でたち消えた。

複数の武装した人間が駆けつけるガチャガチャした気配が、広場の入り口で立ち止まる。


無理もない。

広場一面に飛び散る血飛沫。

剣を抜かんばかりに罵り合う勇者たち。

血塗れで震えながら佇む従者たち。

そして、座り込み壊れたスピーカーのように絶叫し続ける従者。


阿鼻叫喚とはこうした光景を指すのだろう。

そう思いながら、救援が来た安堵感と引き替えに私は自分の意識を暗闇へと滑り落とした。




次に意識が私の手元に帰って来たのは、王都の東門の前だった。私は自警団員たちの担ぐ担架の上で、オリエとクレオの心配そうな顔に見下ろされていた。


「……勇者様!」

「良かった……」


オリエの蒼い瞳が見開かれ、大粒の涙が溢れ出る。

クレオはほっとした表情を浮かべて、私の手を強く握った。


「東門に着きました。もう大丈夫です。治癒魔導師様もおいでですから、すぐに診ていただきましょう」


クレオが指差した方に向け頭を上げると、門のところに見覚えのある姿があった。


バルバラ教官が仁王立ちになってこちらを見ている……というより睨み付けている。


「……また、魔力切れ?いくら加減がわからないからって、考えなしに大魔法ぶっ放し過ぎです!」


教官は私の顔の上に手のひらをかざして何やら呟く。すると、涼しい香りを伴う風が顔に吹きかけられ、たちまち頭の芯がすっきりと爽快になった。


「もう立てるわね?話を聞きたいからちょっといらっしゃい」


剣呑な目つきのまま鮮やかに笑うバルバラ教官にはとても逆らう気がしない。

すぐに担架を止めてもらい、私は教官の前に立った。


「私は元々、魔力観測台の台長でね。魔法による時空の歪みを観測して、必要があればその歪みを補正するのが本来のお仕事。だから大規模な時空魔法が使われたらすぐわかるの」


教官は私の顔を覗き込んで、片方の眉だけを器用に跳ね上げた。


「半径1ヤール以上の広範囲探索魔法ワイドサーチ時間停止魔法ストップを立て続けに!どっちも魔力どころか生命力まで使い果たしかねない大魔法よ!?あなた死にたいの?」


教官の剣幕に押されて壁に後退りしながら、私はあの白黒の世界はやはり魔法だったのかと納得した。


「すみません。魔法を使うつもりは全然なくて……ただ単に周りの様子を知りたいとか、飛びかかってくる犬を止めたいと強く願っただけで……」

「それが!魔法の発動です!こうあって欲しいと強く願うこと、より具体的に願うことで魔法は具現化するのですから!」


バルバラの瞳がふと緩む。見つめる眼差しはそのままに寄せられる眉根。

こんな眼差しを私は覚えていた。

私を本心から気遣ってくれる眼差し……今は亡き母が、時に私をこんな目で見ていた。口ではどれほど厳しい言葉を吐こうとも、その裏には温かい思い遣りが流れていた、あの口調。

目の前の女性が本心から私を心配してくれている。

オリエとクレオにしても、バルバラにしても、何の縁もない異世界で思い遣り深い人に触れ合えた……そのことの有り難さに目頭が熱くなる。

が、すぐに冷水を浴びせかけられた。


「……明日から魔法の使用は私の監督下で行ってもらいます。大魔法の制御が完璧に出来るまで、私の目の届かないどころでの魔法使用は一切これを禁じ、違反した場合は国家に危険を及ぼす行為と見做し、法においてこれを罰することとします」

「ええっ!?」


国法で罰するって……私は危険物扱いか?


「何か不満でも?」


教官は本気のようだ。


「……い、いえ……よろしくお願いします」

「わかればよろしい」


気まずくて目を逸らす私の横を馬車が通り過ぎていく。


載せられているのは、ロキの盾にされて死んだ従者の亡骸と、それを間近に見て心が壊れ、サイレンのように奇声を上げ続ける従者。

そして、ふてくされたロキ、怒り心頭の銀竜とバステトと、彼らの怯えきった従者達だった。


門を過ぎたところには、私達が東へ出掛ける時に手を振ってくれた若い神官がいて、馬車を止めて中を見た。

従者の亡骸を見た神官は、ニキビ面をあからさまに歪める。


「……わざわざ亡骸ごとお持ちにならずとも、この首輪だけお持ちくださればすぐ代わりをご用意しましたのに……」


神官は如何にも触りたくなさそうに、おっかなびっくり指を伸ばして従者の首の輪に触れ、首輪の魔晶石を軽く押す。


……パチン……


軽い音と共に首輪は割れて外れ、数字の3の字の形になって馬車の床に転がった。

それを指2本でそっと……汚いものをやむを得ずつまむように持ち上げて、神官は苦笑いを浮かべた。


「そちらのまだ生きている方は仕方がありませんが、命の途絶えたものはこのように石を押していただけましたら簡単に首輪が外れますので、首輪だけ教会にお持ちくださればすぐに代わりの従者を支給しますよ」


まるで、止まった目覚まし時計の電池交換を教えてくれる電気店の店員のように、マニュアル通りの親切心に溢れた……電池の換え方も知らない客に対する微量の蔑みを含んだ……あからさまな笑顔がやけに勘に障った。

さらに、それに気を強くしたのかロキが満面の笑みを浮かべて馬車から飛び降りたのが、何とも言えず苦々しい思いがした。


「じゃ、『これ』は片付けておきますので、勇者様方は街でおくつろぎください」


そして神官は武装兵に顎でしゃくって促し、死んだ従者の身体を乱暴に掴みだそうとする。

その腕を掴み留める二対の腕。


「……言うことはそれだけっすか!?」


それまで地面を睨み付けていた銀竜が、じろりと神官を見上げた。


「それだけ、とは?」


神官はマニュアル通りの笑顔を再び張り付かせようとして、失敗した。

それほど銀竜の眼力は鋭い。

そして無言のまま引き止めるもう一対の腕。

バステトだった。


「……その女をどうするつもりだ?」

「どうするって、すぐに片付けて共同墓地に投げますよ?汚いものをいつまでも街中には置いておけませんし……」


バステトが黙り込んだのをどう解釈したのか、神官は再び笑顔を貼り付けた。しかし……


「……汚い、だと?」


すっ…と目を細めたバステトの動きは早かった。

彼は運び去られようとする従者の遺体を片手で掴み上げ、みかんでも放り投げるように軽々と神官に投げつけた。


「ギャアアッッ!」


すでに血糊も乾き、死後硬直も始まった従者の遺体を浴びせかけられて、年若い神官は身も世もなく叫び、絶叫しながら這いつくばった。


「なっ!なっ!?なぁーっ!!」


這いずって遺体の下から抜け出そうとする神官に向けて、バステトはむしろ冷めた声で淡々と告げた。


「……おまえ等がおまえ等の世界を良くして貰おうとして勝手に呼びつけた『勇者様』を、命懸けで守って死んだ従者だよなあ…それのどこが汚いんだとっ?ああん!?」


バステトの腕が神官の襟首を掴み、一気に引きずり立たせた。


「おまえ等と同じ国民だろが!?せめておまえ等のやり方で弔ってやれやぁーっ!」


ブンブンと神官の身体を前後に振り散らかした後、バステトはいきなり神官をポンと投げ出した。


尻から地面に叩き落とされた神官は、ますますキョトンとした表情で辺りを見渡した後、それまでとは打って変わった金切り声を上げ始めた。


「でもっ!従者になるような連中はっ!まともに教会税も払わない奴らでっ!!教会の教えに従わない奴らでっ!?教会の教えも守れない奴らを教会の正式なやり方で弔うなんてっ!!」


……表情だけからの判断ではあるが、この年若い神官は本気で自分の行動のどこがそこまでロキ以外の「勇者」を怒らせているのか、全く想像できていないのが明白だった。


「……従者はぁ、ゴミじゃ、ねえーっ!!」


銀竜は呼吸困難を起こしそうな程泣きじゃくっていたけれど、城壁から湧いて出た若い神官や兵士たちが、従者の身体を黒い布袋に詰めようとする姿を見て再び絶叫した。


「ゴミみたいに扱うな!」

……たぶんそれは、ロキ以外のすべての勇者と、従者達の願いだったと思う。


それでも……神官の口からは、死んだ従者に対しての謝罪どころか祈りの言葉さえ無い。

むしろ、バステトや銀竜を異常者でも見るような表情で怯えている。


虚しかった。

世界が違う、常識が違うとは頭では解るつもりだったけれど、心がついていかない。

従者という身分だけでなく、この世界での命の在り方があまりにも軽過ぎることが。


だから、というわけではないが……私は淡々と布に包まれ運び去られようとする従者に対し、学生時代に聞き覚えた祈りの言葉で見送った。


もう意識も無く、明らかに死んでいる肉体ではあったが。

聖体拝受も聖水もワインも香油も無いけれど。


この世界の神と神を奉じる神官がその者を受け入れないというなら!

異世界の神の名においてでも、せめて臨終の祈りを手向けたくて私は十字を切った。


「私達、異世界の者達を救った者の魂を安らがせたまえ。我らの罪を許すがごとく、かの者の罪を許したまえ」


私自身はクリスチャンではないが、中学高校とミッション系の男子校に放り込まれていたから、簡単なお祈りはあらかた記憶していた。


……イン・ノミネ・パトリス・エト・フィリィ・エト・スビリトゥス・サンクティ・エーメン……

武装兵の遺体袋を持つ手付きが、気のせいか丁寧になったように思う。

あくまでも主観だが。


私達が見守る中、従者……名前すら知らない……を収めた黒い袋が運ばれていく。


銀竜とバステトは目を潤ませ、彼らの従者達はさめざめと泣き、葬列と呼ぶにはあまりにも粗末過ぎる姿を見送った。


「お祈り、あっざーした!」


銀竜が深く頭を下げ、バステトも軽く黙礼した。


「……パーティー組むのも相手を選ばねーと、精神衛生上良くないっすね」


そして、それぞれの従者達を連れて2人は去っていった。

途中、ロキが明るい口調で明日の集合時間を訊いていたが、あっさり無視されていた。


「私達も今日はもう帰ろうか?」


オリエとクレオを促して、私は塒である教会に足を向けた。

今後はできることなら教会以外に宿をとる方が、バステトの言うように精神衛生上良いかもしれないと思いながら。


考えごとに気をとられていたせいか、私は周りにいる人たちの表情の変化に気付いていなかった。

オリエとクレオ……バルバラ教官は特に、眉を曇らせながら私を見、脂汗まで流していたというのに。

2012年3月4日 投稿


カタカナ表記部分は非常に有名な祈りの文言のラテン語表記です。


「父と子と聖霊の御名において、アーメン」

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