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「おーい、大丈夫かあー?」
黒犬を退けた衝撃もそのままに放心状態で石畳に座り込んでいると、草原の方から牧童の集団が集まってくる。
騎馬隊のひとりがいち早く駆け寄って来て、私達を気遣ってくれた。
王都の自警団だという初老の男は魔法の心得があるらしく、犬の爪に引っかかれた頬や肩の傷を治癒魔法で塞ぐ。
「有角魔犬を一撃たぁ見事なもんだね。流石は勇者様だ!」
白髪混じりの髭面に満面の笑みを浮かべて、男は私の肩をポンと叩く、が、生憎そこはちょうど黒犬に爪をかけられた場所で、魔法で塞いでもらったばかりでそれなりに響く。
私が顔をしかめたのに気付いた男は、すまんすまんと頭をかいて謝った。
「イヤー、お見事お見事!あんなにきれいさっぱり真っ二つになった魔獣は初めて見たよ!王宮の騎士様だってああはいかないだろうな」
息を切らして追いついてきた牧童は、まだ若い男で、よく日に焼けた顔をクシャクシャに歪めて笑い、魔犬退治の礼を言ったあと、せわしなく辺りを見回した。
「しっかし、こんなところまで魔犬が出てくるとはな……今日はもう放牧はやめて街に戻ったほうがいいかな?」
「そうだな。魔犬は5〜6頭で群れているのが普通だからな。あれが『はぐれ』ならそれでいいが、もしやまだその辺に他の魔犬が潜んでいるかもしれんて」
群れているのが普通と言われると、こちらも再び緊張が漲る。
今ここに、4ないし5頭の黒犬が一斉に襲ってきたら……戦えるのは私と自警団員くらいだ。牧童は丸腰だし、オリエ達は武器はあってもリーチの短い小剣。戦力として頼りにするのは酷だ。
他の自警団員達は戦力的には十分見込めるがまだ遠くにいて、すぐに駆け付けてもその間に誰かが傷付くかもしれない。
黒犬はまだいるのか、いないのか?
……知りたい!……
強く願った、瞬間。
……ヴ…ンッ……
小さな耳鳴りがした。
と同時にいきなり視界が変化して、見るもの全てがやたらと輪郭がはっきりした白黒写真の集合体に変貌する。
それはちょうど透明なスクリーンに白黒写真を焼き付けた……しかも360度全方位、奥行き1kmはゆうにあり一枚一枚の写真は実に詳細な……ものが、何百、何千と私達を中心に取り巻いて突如として出現したような感じだ。
この大量な視覚情報が、360度回転しながら一度気に脳内に流入してきた。
「……うぇっ……」
めまいと吐き気。
押し寄せる膨大な視覚情報を処理仕切れず、身体が拒否反応を起こす。
「勇者様!大丈夫ですか?」
地面に崩れ落ちそうになる私を、オリエ達の声が引き止める。
吹き出す冷や汗を手の甲で拭いながら、私は自分の脳内にもたらされた大量の情報を検索する。
牧童達や羊の分布、農民の分布、城壁の内部や都市内を行き交う人々の分布など緊急性の低い情報を取っ払うと、やはりというか……前方の森の中に人と魔獣の戦闘場面が残った。
「森の中。ここから1kmくらい先で人が黒犬に襲われてる。人は9人。勇者が3人とその従者。黒犬は5匹」
「いちきろ?」
「……ええと、1ヤールとちょっと先だ。かなり圧されてる。助けないと」
剣を杖がわりに身体を起こす。
まだ少しめまいがあるが、走ろうと思えば走れないこともない。
自警団員達に避難するよう勧めると、彼は心得たとばかりに手綱をかえし、畑に散らばる農民達に声をかけながら王都へ増援を呼びに向かった。
牧童頭は平原に向かって口笛を吹いて腕をぐるぐる回し、すでに羊を集めて半ば戻りかけていた仲間を急がせる。
森を警戒しながら平原を駆け回る騎兵を見て、オリエ達を振り返る。
彼らを連れていくには黒犬の数が多いかもしれない。
「オリエ、クレオ。君達も戻りたければ今のうちに……」
「私達は勇者様の従者です。どこまでもお供します!」
クレオの即答に腹を決めた。
「……わかった。ただし危ないと思ったらすぐ逃げなさい。いいね?」
無理に討ち取ろうとしない。あくまでも今襲われてる人達の救援で、それも城の兵士が来るまでの時間稼ぎだからと念を押すと、オリエは呆れたようにクスッと笑った。
石畳から剣を抜いて鞘に収め、私は森へ向かった。
2012年2月19日 投稿




